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ノー殺人事件デー

「はいもしもし、名探偵・平等院鳳凰堂の探偵事務所です」


 受話器を取った男が、いかにもかったるそうな声を出した。

『あの……すみません。実は、自ら名探偵を名乗る平等院さんに一つ、お願いしたいことがあって……』

 向こうから、相手のくぐもった返事が飛んでくる。声からして、三十代前後の女性だろうか。平等院が椅子の背もたれに寄りかかりながら、眉をひそめた。


「なるほど、依頼ですか?」

『ええ。実は私の実家で……不可解な殺人事件が……』

「お断りします。では」

「ええッ!? ちょ、ちょっと待って!』


 一方的に受話器を置こうとする平等院に、電話の相手が慌てて叫んだ。名探偵は『スピーカー』のボタンを押すと、受話器を手放しテレビのスイッチを入れた。真っ暗だった液晶がパッと明るく輝き出すと、画面の向こうから芸能人たちの笑い声が聞こえてきた。


「嗚呼、良かった。このバラエティ番組、予約するかどうか迷ってたんだ。ちょうど良かった」

『平等院さん? 聞いてますか?』

「え? 何ですか?」


 平等院がソファに寝そべりながら、スピーカーから響き渡る電話の主に生返事をした。イライラした女性の声が事務所に響き渡る。


『ですから、殺人事件の依頼の話です!』

「ですから、お断りしますと言ってるんです」

『何でですか!? ここは探偵事務所じゃなかったの!?』

「もちろん名探偵の探偵事務所ですが……あいにく今日は”ノー殺人事件デー”なんです」

『”ノー殺人事件デー”?』

「ええ」


 聞きなれない言葉に、女性が戸惑った声を上げた。平等院は透明なテーブルの上にポテトチップスを撒き散らし、気怠そうに答えた。


「”ノー殺人事件デー”。私が定めた、この国の新しい記念日です」

『記念日を定めた……!?』

「よくあるじゃないですか、”ノー残業デー”とか。そんな感じです。今日は一切、殺人事件の類は起こらない……」

『いやでも実際、ウチの実家では事件が起こってるんですけど……』


 平等院は徐に立ち上がり、小型の冷蔵庫から冷えたコーラを取り出した。

「すみません、テレビの笑い声でよく聞こえませんでした」

『ちょっと! 消しなさいよ』

「”ノー殺人事件デー”では、絶対に殺人事件は起こりません」

 コーラを一口飲み、平等院は再び寝っ転がって口元に笑みを携えた。

「だってそう定められているんだから。だから貴女の実家で起こったのは、殺人事件じゃないんです」

『じゃ、何だって言うのよ? 記念日なんて言われても、コッチは人が殺されているのよ!』

「『事件が起きないから』と言って、無理やり殺人事件を起こすような、そんな探偵にはなりたくない!」

『…………』


 探偵が思わず大声を上げ、依頼主は絶句してしまった。平等院は目頭を押さえ、構わず続けた。

「子供の頃からの夢、目標だったんだ……探偵になって、この世界から殺人事件を無くす、って……」

『…………』

「確かに事件が起きなければ、探偵は廃業でしょう。でもその方が良いんです。本当は何も事件が起きない方が、探偵なんて必要ない社会を作ることの方が大事なんです。”ノー残業デー”……間違えた、”ノー殺人事件デー”はその第一歩、足がかりなんですよ」

『残業したくないだけなのでは……』

「”ノー殺人事件デー”は、これからどんどん増やすつもりです。そうすれば、この世界から凄惨な殺人事件は消えてなくなる……そうすれば、きっと安全で平和な理想の社会が誕生することでしょう……」

『平等院さん、それは違うんじゃないかしら』

「?」


 平等院が目頭を押さえながらコーラを飲むのをやめた。テレビ画面では、一家団欒を描いたコマーシャルが映し出されていた。


『臭いものに蓋をしても、蓋の下に臭いものは残るのよ。貴方がどれだけ殺人事件を嫌悪したって、人間が社会を作っている限り、決して事件は無くなったりしないと思うわ』

「…………」

『貴方が今やるべきことは、少なくとも殺人事件を見て見ぬふりをすることじゃない。探偵なら、きちんと起きた事件と向き合うべきじゃないかしら』

「…………」

『平等院さん……』

「……分かりましたよ。いいでしょう、その依頼、引き受けましょう」

『……ありがとう、待ってるわ。場所は……』




 やがて通話を終えた平等院は、クローゼットにかけてあった”探偵用コート”を取り出し苦笑した。

「やれやれ。今日ばかりは大人しくしてようと思ってたけど……”探偵”に休みはないな」

 それからまだ血糊の残る”後頭部を殴る用携帯棒”を胸ポケットに忍ばせ、”後頭部を『事件が起きないから』と意味不明の言葉を叫ぶ通りすがりの何者かに殴られた”と言う、被害者の田中早苗宅に出向くのだった……。

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