第9幕 過激化する活動と釈放
山田一郎の書籍の反響は政府当局の予想をはるかに超えるものであった。
具体的に言うならば、2015年頃に出版された芸人が書いた芥川賞受賞作品の売り上げすらも上回ったのである。
そして山田一郎が収監されてから1年が経つ頃には、独身男性らによるデモ活動は熾烈を極めていた。
ハロウィンやクリスマス、バレンタインといったキリスト教由来の行事が行われる時期には日本各地でテロ予告がされ、その都度各種イベントは悉く中止となった。
当時の状況について、国会答弁での与野党のやり取りが残されているので紹介しよう。
(野党)「総理、現在ハロウィンやクリスマス、バレンタインというイベントのたびにテロ予告が行われています。テロ予告がされていないのは声優のファンとの交流イベントくらいだという話ではありませんか。何か対策は考えていないのですか?」
(与党)「その件については大変遺憾に思っております。現在、報道規制も含め対策を検討しているところではございますが、個人的には永遠の17歳の声優さんイベントさえ行われていれば問題ないかな、とも思うわけですが」
(野党)「おいおい」
(2039年 衆議院予算委員会 討論記録より)
上記の討論記録のとおり、この後日本政府は緊急事態宣言をおこない、あらゆる報道機関による報道の規制、SNS等の記録の強制取得など独裁的な色を強めていったのである。
折しも政府が独裁色を深めていく中、山田一郎は無罪で釈放されることとなる。
下着を盗んだのが有名なコメディアン(24年ぶり2回目)による犯行だと判明したことから、住居侵入のみでの起訴、裁判の結果起訴猶予処分となったのである。
山田一郎の釈放に対し、独身男性たちは歓喜する。
情報規制、言論統制によって活動の幅を狭まっていた彼らの活動に一片の光が差し込んだのであるのだから。
しかし、肝心の山田一郎は彼らとは一線を画した考え方をしていた。
山田一郎が当時母親に宛てた手紙からもその様子が伺える。
「母上様、お元気ですか。監獄に捕らわれている間一度も面会に来ていただけませんでしたが、息災でしょうか。私は星の光を母上のように思い耐え忍んでおりましたがようやく釈放となりましたので、そのうち会いに行きます。
さて、私が釈放されて刑務所から出たとき、出口にはたくさんのモテそうにない男性たちが集まっており、オタ芸のような奇怪な動きをしておりました。
何らかの宗教儀式かと構えたのですが、どうやら私の出所を歓迎してくれているようです。
刑務所にいる間に書いた恨みつらみが彼らの心を動かしたのでしょうが、正直世間の目が痛いです。
もう警察も世間も怖いので、引きこもりたいです。ニートになりたいです。母上様、そのうち会いに行くので養ってください」
(山田一郎の手紙より)
こうして山田一郎は出所してすぐに自宅に戻ると、しばらくは自宅に籠って出てくることは無かった。
彼の信奉者たちはこの時期のことを「天の岩戸の時代」と呼んでいる。
山田一郎の出所にも関わらず何ら独身男性たちに起死回生の一手は出ず、彼らは政府による弾圧の中、ひたすら声を潜め耐えるのであった。




