5話 ナイト・セイ・フェアウェル
「クーナ少尉……君がじっと見ていても、スレイ君は目を覚ましやしないよ」
マザーパーチ号の医務室。寝台に寝かされているスレイの頭には包帯が巻かれ、剥き出しの腕には点滴針が刺されている。よく眠ってはいるが時おり、うう、と呻き声をあげ、苦しげに顔を歪めている。
「分かっています。分かっていますけど、彼が目覚めた時、私が言ってあげなくちゃいけないことが、山ほどあるんです。イーロン先生」
「言ってあげなくちゃ、ね。まぁそれはそうだな。もっとも、艦長たちからも重要な話があるそうだが……君が伝えたいこととは、きっと違うのだろうね」
「……はい。多分、そうです」
「そうか。交わされる言葉に、きっと大きな意味があるのだろう。彼にとっても、君にとってもな。艦長からは、目覚めた時には連絡をするよう言われているが、まずは君を呼ぼう。彼らの話は、それからでも遅くないだろう」
「……ありがとうございます。イーロン先生」頭を下げて一礼をすると、軽く手を振って返してくれる。
医務室を出て、自室に戻ろうとすると、扉の前に胡坐をかいて座るロックロックと、その横で壁にもたれているレドナを見つけた。彼らは、私を見つけると歩み寄ってきた。
「どうだい? 坊やの様子は」腕組みをしながらも、顔を曇らせるレドナ。「まだ目覚めてないけど、先生はそのうち目を覚ますだろうって」
「驚いたもんだぜ。途中から喋らなくなったと思ったらよ、コクピットを開けてびっくり。頭から血を流して気絶してるもんだからさ。おやっさんなんか、担架もってこいって怒鳴り散らしてたんだぜ」
一部始終は機体のカメラを通して見ていたから知っている。他のスタッフを押し退け、血相を変えて駆け寄るその姿には胸が痛んだ。
「……私の監督不足だわ」
「アンタだけのせいじゃないさね。隊長だって、まさかあの坊やが、あんな暴走列車だなんて想像してなかったよ」
「そうだぜ。普段はあんなにも素直なくせに。いらない他人の心配までして、まさか自分の命をあそこまで軽く考えるやつだとはな。見かけによらねぇもんだ」
想像していなかったと、二人は肩を上げて驚いているが、果たしてそうだろうか。
「私も、スレイには戦場の怖さは散々教えたつもりだったけど、考えが浅かったのだと思う。彼の境遇を鑑みれば、あんな行動をするかもしれないと想像はできた」
これまで戦いに無縁だった少年が、突然の災禍によって姉を亡くし、父親が戦死していたことを知った。叔父が居るとはいっても、彼は肉親を失ったのだ。ここ一番で自暴自棄になってしまうことは、あるのかもしれない。
「もちろん、許されるわけがないことは確かだわ。彼の勝手な行動が、自身だけでなく隊全体を危険に晒したのだから。それなりの処分があってしかるべきだと思う。でも、それは私も同じかもしれない。私の行動だって、結果的に共和国を政治的にかなり危うくさせてしまった……」
「……クーナ、あまり自分を責めるんじゃないよ。アンタは坊やを救ったのさ。それは褒められるべきことだよ」
レドナの言葉は嬉しい。だけど、本当に喜んでいいのかと、もう一つの声が胸を揺さぶる。私は、仲間を救うためにレンファを撃った。そこには、彼女なら回避するだろうという計算もあったのだが。
スレイが直前に叫んだ、助けを求める手を取ることが軍人の役目じゃないかという言葉。彼はまさにそれを体現するように、テレイア軍機の救助に向かった。
私とは違う、彼なりの信念。自分が正しいと思うことに、素直に従ったにすぎない。
(私と彼の信じるものは違うけれど、正しくあろうとする想いは一緒だわ。考えるべきでないことは分かるけど、どちらが正しいのかなんて、つい考えてしまう)
「まぁ、俺様もスレイの気持ちが分からんでもないんだよなぁ。にしてもなぁ、クーナには自分の責任を被せないって息巻いてたのに、なんであんなことをしたんだかな」
言い終わってから、はっと口を押さえるロックロックをレドナが小突く。
「ちょっとアンタ。それどういう意味だい。あの坊やと何の話をしたんだい」
「い、いや。スレイが技研にいる時につまらない噂話を聞いてきたようでさ。アイツも馬鹿馬鹿しいと思ってたようなんだけどよ……」
「だから、何の話だい」凄むレドナに、ロックロックは目を泳がせながら白状する。
「クーナのあだ名をどっかで聞いてきたらしいんだ。根も葉もない只の噂だって話したんだが、自分がヘマしたらその分噂が真実になっちまうからって。正しく評価されるために、自分は生きて戦い抜くんだって、そう意気込んでたからよ」
———頭のなかが、真っ白になる。
どこかで耳にするだろうとは思っていた。でも、死神というあだ名が、スレイにまで重荷を背負わせることになるなんて、これっぽっちも考えていなかった。
指先が冷え、血の気が引いていく音すら聞こえてくるようだった。
◆ ◆ ◆
スレイが目を覚ました。イーロン先生から連絡があったのは、とっぷりと陽の暮れた後だった。到着すると、気を利かせてくれた先生は部屋を出ていってしまい、医務室には寝台で上体を起こすスレイと、私だけの二人だけになった。
「あの、少尉。本当に申し訳ありませんでした」
「……ええ、本当に。あまりの出来事に驚いています。開いた口が塞がらないとは、こういったことなんですね」
寝台の傍に置かれた椅子に腰かけ、俯くスレイを見る。
「命令無視。独断専行。自身だけでなく、隊の仲間全員を危険に晒した、重大な違反行為です。ましてや貴方は素人上がりの新兵よ。いくらアーキタイプを操縦できるといっても、無謀もいいところだわ」
スレイは黙って頷く。
「私が、貴方に厳しく教えてきたのは、戦いを強いる為じゃない。生き残ってほしいからなのに。それを知っていながら、貴方はどうしてあんな真似をしたんですか」
唇が震えている。ぐっと腹部に力を込めて、はっきりと言葉を紡ぐ。
「私が死神と呼ばれていることを知るのは良い。遅かれ早かれ、きっと耳に入るだろうと思っていましたから。でも、それを貴方が背負うことないでしょう。私はそんなこと、頼んではいません」
驚いたように顔を上げるスレイ。「どこでそれを」と呟いてから、ロック兄さんか、と首を横に振る。
「少尉。確かに俺は」
「聞きなさい」と言葉を遮る。思ったよりも強い語気になった。
「この後、艦長や隊長から聞かされるでしょうけど、敵対行動を取った代償として、帝国軍から共和国政府に対してある要求がありました。それは、原型機クルセイダとそのパイロットの引き渡し。理由は分かりません。ですが、これを断った場合、すぐにでも宣戦布告をすると通達してきています」
唇を舐めて、言葉を続ける。
「政府は……引き渡しを決定しました。だけど、私たちは貴方に一つ提案ができる。それは、パイロットは先の戦闘によって負傷し、死亡したことにすること。そうすれば、機体は渡してもスレイだけは護ることができる。貴方には、名前を捨ててもらうことになるけれど」
「少尉、それじゃあダメです。少尉の知り合いのパイロットは、俺の名前も顔も知ってる。きっと帝国軍は納得しません。機体だけじゃ、条件を満たしていないんだ。……俺のことを考えてくれたのは嬉しいですけど、そのせいで戦争になるなんて御免です。だったら、潔く帝国軍に行きますよ」
スレイの表情は柔らかなものだったが、その瞳には、確かな力強さがある。一度決めたら簡単には屈しない、力強い意思を秘めた瞳。その父親譲りの瞳は、面影を感じさせる。
(……グレッサ大尉と同じ。入隊契約にサインをしたあの時も。だから私は、スレイを止められないと分かってしまった)
恩人の遺児を、戦いに引き込むことなどしたくはない。入隊など、最初からさせたくなかった。ずっと後悔してきた。だからこの結果を招いたのは意志の弱い、私自身の責任。
「それでも、見知らぬ誰かの為に行くというの?」
スレイは静かに頷き、口を開く。
「俺は少尉に感謝してるんです。少尉の悪評を知ってそれを覆そうとしながら、結局ビーストへの憎しみに囚われ、納得できない現実に噛みついた。せっかくの忠告にも背いた俺なのに。少尉はこんなにも、親身になってくれた」
「……それは、スレイが恩人の、グレッサ大尉の息子だから。私はただ、貴方を死なせたくなかっただけ。たった、それだけの理由よ」
「俺も、同じです。さっき、背負ってほしいなんて頼んでない。そう言ったでしょう? 確かにそんなこと言われてません。だけど、俺はそうしたかったんです。そうしないといけないと思った。理由は、たったそれだけなんですよ」
分からない。スレイがなにを言っているのか、まったく分からなかった。それでも彼の言葉は、冷えきった指先を、頬を、胸を、温かい空気で満たしていく。
「だって、少尉は優しいから。誰よりも優しいくせに、正しい軍人でいようと、必死に頑張れる人だから。そんな人が、死神なんて酷い呼ばれ方するの、許せないじゃないですか」
結局、命令無視して危ない目に遭ったんじゃ意味ないですけどね。そう小さく笑うスレイの姿が、ぐにゃりと歪む。
金属製の椅子が音を立てることも気にせず、スレイの頭を胸に抱く。「ごめんなさい」と唇が勝手に動いていた。
「いいんです。クーナさん。最期に言えてよかった。帝国に行ったら、もう生きて会えるかなんて、わからないですから。これで、すっきりしました」
くしゃと、少し赤みの混じった黒髪をしっかりと抱きしめる。「大丈夫。私が、絶対に迎えに行くから。それまで生きて、待っていて……」
「……分かりました。俺、待ってますから」
スレイの右腕が、背中にまわる。
それから数時間後。指定された座標の島にて、クルセイダとスレイは帝国軍に引き渡された。




