第098話、中ボス戦―完全踏破者―【戦場:中層フロアボス】
【SIDE:冒険者達】
彼らが気が付いた時には、全員の状態異常が回復されていた。
誰がやった。分からない。
けれど、誰かが回復アイテムを全体に散布し窮地を救ったことだけは間違いない。ただし、ログを確認するのは後か。
恐慌状態から回復した戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャはモノクルに魔力を通し、慌てて、優雅で黒々しい雄鶏が描かれた魔導書を開いていた。
戦術師のスキル、《超速詠唱》が同時に発動されている。
「使用戦術書変換。来たれ《黒き雄鶏の魔導逸話書》よ。我が名はシャーシャ。戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャ! 我が血肉を代価に――神よ、我らに慈悲を!」
発動された魔術名は――。
《夜明ケ待ツ・怨嗟ノ慟哭》。
異界魔術の一種であることは明白。
血を口から流しながらも戦術師の魔術が解き放たれる。状態異常を司る異界神”黒き鶏邪神”の力を引き出し、コケケケッケエケケェェェ!
味方の周囲に状態異常を防ぐ戦術書を展開したのだ。
効果時間は夜が明けるまで。その期間、断続的にかなりの魔力を消費し続けるが、状態異常を無効にする術はそれしかなかった。
それが大魔術であると察したのだろう、何故かヌートリアキングと単騎で渡り合っている異邦人の伊達男アキレスが、一瞬のスキを見て――突進。ヌートリアキングを壁に叩き付け、自分はそのまま壁を足で駆ける。鋭く精悍な顔立ちのまま、強制的に相手に意図を理解させるスキル《英雄の叫び》を放つ。
「は! 異界の邪神鶏の力を借りた状態異常無効スキルたぁ、すげえじゃねえか。女誑し、受け取りな! 魔力回復薬だ――」
「アキレス殿!? た、助かります……っ」
魔力補充の回復薬は非常に高価で稀少。
それをポンと投げはなったゲストの心の広さに感謝しつつも、シャーシャは一気に回復薬を飲み干す。
普段、女好きを演じ三枚目を維持している筈の戦術師の顔に余裕はない、今まで目にしたことのない強敵、邪悪でおぞましいヌートリアを前にして、奥歯をギリリ。
軍神の手袋で、バっと大げさな仕草を取り――全体指揮官としての鼓舞スキルを発動させていた。
「全員、再度戦闘態勢を! 殺されたくなければ、恐怖に打ち勝つしかないですよ――っ」
『状態異常耐性スキルか、小癪な――』
ヌートリアキングが、ぬぅっと黄色い牙を光らせ。
人体を遥かに超える長尾による斬撃を、戦術師に向かい解き放つ。
『ギヒヒヒヒィ! 無駄よ無駄! きさまらは我らの餌、我らの魔力の糧。イケニエ! 異界魔導書を駆使する者。考古学・高技能レベル者。戦術師よ、貴様さえ滅ぼしてしまえば。怖いのは、蹴撃者のみ!』
「させるかっ――」
「動け我が隊よ、あの女狂いを殺させたら、終わりだ――!」
ずがががががと、鼓膜を揺らす程の衝撃と共の連続攻撃がシャーシャを襲うが。
前衛職の何名かがその尾を近接戦闘で弾き飛ばす。
武器と尾の接触は、まるで金属の摩擦。周囲に焦げた鋼臭が香り立つ中。
敵は不敵にほくそ笑む。
ネズミの尾撃が攻撃と同時に地面に魔法陣を描いていたのだろう。
尻尾が詠唱の代わりに地面を叩き――。
『乱れよ、黒煙――踊れよ、狂気!』
ヌートリアキングによる妨害魔術が周囲を包み始める。
戦場を掻き乱すような黒い砂煙が起こる。
視界遮断を目的とした魔術であったようだ。
魔術師たちが慌てて風を起こし、煙を相殺するがその影響で前衛職の動きが乱れる。
一番まともに動いているのはやはり、アキレス。
異邦人は若者のわりに、悍ましいほどに闘い慣れているのだろう。壁や地面をまるで反動するハネのように利用した蹴撃を繰り返し続ける。
火傷痕を残すその顔には、まるで戦鬼のような気迫を浮かべている。
真っ向から向かっても敵わぬとヌートリアキングは悟ったのだろう、その巨身を影の中に沈めようと闇属性の隠匿魔術を詠唱し始める。
ジャギギィィィィイィィ! 齧歯類の獣毛が、魔力を吸って音を立てていた。
「逃がさねえよ!」
アキレスの翼生える革靴が、闇の中に消えていくヌートリアの鼻先に突き刺さる。
が!
ヌートリアキングは分霊とも言える、小さなヌートリアを解き放ちダメージを押し付け、犠牲としチャポン……っ。
まるで泉の中に消えたように、影の中で邪悪に嗤う。
「ちぃ……っ、逃げやがったか。戦術師! 次のフェイズに移れ! 詠唱を止めねえと超範囲攻撃がくるぞ! 動け、勝ち取れ、勝利を掴みたいなら――てめえら全員、覚悟を決めやがれ!」
「聖職者系の者は照明の魔術を! 影を打ち消してください!」
後衛職の数名が、坑道すべてを照らすような高出力の光を生み出す。
隠匿状態が解除されたヌートリアキングは既に行動中。巨体の周囲に四本の魔導杖を浮かべ、身振り手振りを交えた長文大詠唱を開始していた。
その赤い瞳が、ギララァァアアアアッァァ!
『時間を稼げ、神鼠の使途どもよ』
呼びかけたのは、先ほどから一定距離を保ち続けていた鼠。
彼らは英雄魔物に乗り移ったヌートリアの命を聞き、一斉に冒険者へと襲い掛かる。それぞれのネズミがそれぞれに短文詠唱を開始。
威力は低いが、速効性のある中級氷魔術で十八人の冒険者を狙う。
いや、それだけではない。まだ恐慌状態のままの、戦力には全くならない遭難していた者たちにもあえて攻撃を行う個体もいる。
やはり動いていたのはアキレスだった。
「唸れタラリア、我が意に従え!」
ヴェルザの冒険者と、彼ではレベル差がかなりあるのだろう。スキルなしの眼で追える速度ではない。
超神速ともいえる神速の攻撃が、遭難者を狙う雑魚ネズミ達を一撃必殺でつぶして回っているのだけは分かる。その姿はまさに英雄。
特に前衛職の者達は、その巧みな技量と破壊力に圧倒されてしまっていた。
部下を殺されるヌートリアキングがまともに顔色を変え――。
『それは――終焉スキルにより生み出された神器タラリア!? 貴様が我が神が仰っていたっ、《ダンジョン完全踏破者》アキレスか!?』
「今更おせえよ、ネズ公――!」
『神鼠達よ! こいつだ! こいつだけは何を犠牲にしてでも必ず、殺せ――っ! 神は完全なる殲滅をお望みだ。我は、我らとこのエリアごと全てを焦土と化す!』
詠唱をさらに加速させたヌートリアキング。
邪悪な魔物が選択し続けるのは物理攻撃しながらの並行詠唱。魔術強化状態を維持しながらの爪による攻撃だった。
だが、蹴撃だけで打ち払い駆けるのはアキレス。
その口が強敵相手への経験不足な冒険者たちに向かい叫ぶ。
「だぁあああぁぁ! 見てねえで、動け。こっちは足が離せねえ。誰か、デカ糞鼠の詠唱を止めろ! 一発でも成功させたら、負けは確定だってんだよ!」
十七人のうちの殆どがまだ怯んでいる中。
その長文詠唱を阻止するべく動いたのは、スピカ=コーラルスターだった。
「シャーシャさん、妨害していいわよね!」
「お、お願いします――。他の方はすぐに指揮官クラスを中心にして陣形を組み直してください。アキレスさんは雑魚ネズミを散らした後に、遭難している新人達の保護をお願いできますか!?」
「はは! 任せな――!」
瞬時に閃光となったのは二つの矢。
敵の詠唱により乱れる戦場を、妨害魔術が突き進む。
一つはスピカによる射手。狩人と炎熱魔術師、二つの技術を合成した合成スキル《顧みし理想郷の矢》だった。
これはスピカ=コーラルスターのオリジナルの技術。極まった狩人が使う《魔術詠唱妨害》と似た効果の矢である。
妨害スキルとしての作用は少々特殊。このスキルは相手の詠唱そのものを妨害するのではなく、相手の詠唱によって法則を捻じ曲げられた空間そのものに作用し、強制的に詠唱前の状態に戻す――過去を司る四星獣イエスタデイ=ワンス=モアの力を魔術として引き出した最上位スキルである。
ヴェルザの街の教会が讃えるのは、五百年以上前からあの魔猫。
その信仰心は、力となって発動されている。
判定は――成功。
『ぐぅうううううううぅぅ! またか! またか! 忌々しいっ!』
魔術詠唱者にとって魔術妨害はかなりのストレスなのだろう。
ヌートリアキングは魔法陣が散っていく様子に明らかに苛立ちを見せていた。
矢と一緒に走った閃光である蹴撃者アキレスが、遭難者をアイテムボックスに回収しながら吠える。
「ヒュー! やるじゃねえか、お嬢ちゃん!」
「お嬢ちゃんじゃないっていったでしょう! というか、あなた……っ。人間をアイテム空間に収納するなんて、いったい、どういう原理で……――っ」
「原理など後でいいのですよ、スピカ=コーラルスター。魔術妨害の矢はあと何発いけますか!?」
「消費が激しい、回復を挟まない限りは、あと二発いける程度と思って。それと、妨害に回ってる以上、攻撃にはあまり参加できない」
戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャは考える。
このパーティ構成は五人を一組とした部隊を基本とし、三翼で相手を抑え戦線維持。時間を稼いでいる間に、瞬間ダメージ担当、駒分類にすると「ヌーカー」とされる炎熱狩人魔術師スピカの最大火力を叩きこむ構成となっている。
そのトドメとなる筈のスピカの火力が詠唱妨害に割かれているのは不味い。
本来ならもっとバランス良く構成を組む。それにこの構成でも連携さえ組めば、もっとうまく立ち回れる筈。しかしこれは信頼関係が育っていない即興のパーティ。エンシェントオークキングならこれで十分だったのだが、敵の正体は違っていた。
蛮勇と勇気は違う。
戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャはあえて汚名を被ることを覚悟し、全体に告げた。
「遭難者を回収したら、撤退します――全員、退却準備を」
「いや、お嬢ちゃんが詠唱を妨害してくれるなら――これで終わりだ!」
全ての遭難者を回収したアキレスが、口の端を吊り上げ――。
瞳に魔力がこもった。刹那――。
ビシュゥウウウウウウウゥウウウウウウウウウウウゥ!
雄馬が嘶くような、独特な音が鳴っていた。
なんらかのスキルなのは間違いない。
けれど、誰もそれを把握できない。
敵もまた、同じだったのだろう。
ヌートリアキングが、肺から押し出すような空気を吐き。
『――……!?』
ズズズ、ズズズとあとずさる。
鈍い、内臓が弾け散る音が漏れた直後。
皆の視界が遅れて状況を理解する。あまりにも早い一撃だったからだろう、冒険者たちは何が起こったのか理解するのに時間を有していたのだ。
光が――、通過していた。
巨大なネズミの闇を切り開いていた。
邪悪な獣の腹の中央を、赤光が貫いているのだ。
その光こそが、英雄魔物が倒された証。ダンジョン塔上層の扉が開かれ、その奥のエリアの光が廃坑エリアを眩い光で照らしていたのである。
ログにも討伐したと表示され始める。
ヌートリアキングの腹にあったのは、跳び蹴りによって貫かれた大きな穴。
自らの腹を眺め、グギギギギっと引き攣った絶叫を漏らし。
それは唸りを上げていた。
のたうち回ることをせず、ネラネラぎらぎら……巨大ネズミは、憎悪に満ちた瞳で長身の英雄を睨んでいたのだ。
アキレスに向かい、ネズミが言う。
『次こそは、負けぬ……――っ』
「へいへい、まぁぁぁたリポップか。てめえらには無限の残機があって、そりゃあ喜ばしい限りで」
『ほう? 貴様が、無限を語るか――』
「主人に絶対服従を誓うでっけえネズミに改造された、てめえら水槽の本体よりはマシだろうよ。なあ、てめえらって。まだ生前の記憶ってもんはあるのか? まともな品性がねえってのは知ってるが、悲しいねえ。なんのために戦ってるのか、もう覚えてねえんじゃねえのか?」
情報を引き出そうとする意図を察したのか。
ヌートリアキングは口を噤み。
『まあいい、必ずまた、駒を操り貴様を……消す! 汝らに死という名の祝福を、ギヒハハハハハハ!』
「……糞ボスに伝えな、必ず殺してやるってな」
逆光の中で、表情を殺意で曇らせるアキレスの前。
ぐじゅりと、黒い血を滴らせるヌートリアキングは倒れ込む。死んだのだ。
その姿が元のエンシェントオークキングに戻っていた。
戦闘は終わった。犠牲者はない。
ただ、誰もが言葉に困っていた。
明らかに異質な次元にある異邦人アキレス。
その鍛え上げられた背を眺め、滴る汗を感じた戦術師シャーシャ=ド=ルシャシャは考え込む。
ダンジョン完全踏破者。
たしかに敵はそう言っていた。
――と。




