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浮上してくる意識と共に目蓋の裏に柔らかな日の光が指し、眩しさに一瞬眉を顰め、嗅ぎ慣れた花の匂いを嗅いだ。
まだ早朝の時間と言って良い時間。ユーリはいつもこのまだ人々が微睡む時間に目を覚ます。それは世界を渡る前も渡った後も変わらない習慣だった。
まだ寝ていたいと思いながらも起き出そうとしたが、体が動かない。くっついて離れたがらない目蓋をどうにか持ち上げると目の前には白いものがあった。
虚をつかれ一瞬固まり、そして体に何かが巻き付いているのを感じた。視線を動かすと腕が見える。更に上に視線を移動させると無防備に眠るアンリの顔が間近にあった。至近距離で見ても毛穴の一つも確認できないほどのキメの細かさに伏された目蓋を縁取る睫毛は長く、薄く桃色の唇が少し開いている様はなんとも艶かしい。ぼんやりと見惚れていると、
「おはようございますッス」
まだ早い時間を考慮してか小声で声を掛けてきたのはベルンだった。アンリとユーリが横たわっているベッドの横に立ち、ユーリの顔を覗き込んでいる。
「なっ…」
「しぃぃぃ!我が君が起きちゃうッス」
そう注意され、ユーリはアンリの様子を伺うとアンリは少し唸り、ユーリを抱き締めていた腕の力を強めた。それでもそこまで苦しくないのが不思議で特に嫌だという感情もないので、そのままされるがままにする。
「大丈夫みたいッスね。ユーリ様は知らないかもしれませんが、精霊は眠らないものなんスよ」
ベルンによると精霊と人間では体の仕組みがまるで違うのだという。だが、実際アンリは爆睡している。
「多分なんスが、ユーリ様の側が落ち着くんじゃないッスかね。ここまで自分が近付いても目を覚まさないって事は余程、ユーリ様といると安心するんスよ」
そう言うとベルンはニパッと人懐っこい笑顔で笑った。ベルンの言葉で嬉しく思うと同時にアンリの抱き枕状態を見ているのになんとかしてくれないのかと落胆も同時に感じた。アンリに抱かれている状態は嫌ではないが、恥ずかしいのだ。それもベルンが見ている前でより羞恥心が急上昇中だ。
「んっ…」
それまですよすよと気持ち良さそうに眠っていたアンリが呻いた。目が覚めたのだろうと思ったユーリがなんとか腕を外そうとするがやはり微動だにしない。
長い睫毛が震え、真っ白な目蓋がゆっくりと持ち上がるとまだ焦点の合わない青色の瞳が姿を現した。
「ユーリ…」
「何?」
「ふふふ、おはようございます」
ユーリを探す様に視線が動き、返事をするとまだぼんやりした表情のアンリが腕の中のユーリを確認すると蕩ける笑みを浮かべた。
「アンリ、腕退けてくれないかな?」
「んん?」
返事らしい返事をしないアンリは腕を退けるどころか更にぎゅっと抱き締めるとユーリの頭に頬擦りを始めた。
「!!」
より抱き締められた事でユーリはアンリの胸に顔を埋める形となり、自然アンリの花の匂いを目一杯吸い込む事になった。中性的な美貌に反して、固い胸板は適度に筋肉が付き、暖かい。他人の体温がここまで心地好いと感じる事にユーリは顔を赤らめた。
「見事に寝惚けてるッスね」
呆れたような声色のベルンに彼方に飛んでいこうとしていた思考が戻された。この場にはベルンが居るんだったと思い出した。ベルンが居なければ、思考を放棄してまた眠りに落ちてしまう所だったと焦った。
「ベルン、助けてくれない?」
「え?嫌ッス。我が君に殺されたくないッス」
「は?」
「…んん、なんでもないッス。それよりもユーリ様が我が君を優しく起こしてあげればいいんじゃないッスか?」
姿勢を正したベルンから視線を動かし、頬擦りを続けるアンリに向き直る。
(さて?どうやって起こそう?)
少し考えると腕を持ち上げ、アンリの頬を挟んだ。すると今度は掌に甘えるように擦りつくアンリ。
「アンリ、起きて」
閉じていた青い瞳が現れ、ユーリと視線を合わせた。その視線にはしっかりと理知的な光があり、すっかり起きていたのだと分かった。
「ユーリ、そこは優しく起きないとキスするよって言って下さい」
うっとりするほどの甘い笑顔を浮かべ、アンリはユーリの額に自分の額を合わせる。それだけでユーリは真っ赤になり、満足そうにアンリはユーリから離れ、ベッドから降りた。
呆然とするユーリをベッドに残し、アンリは花を撒き散らしながら部屋を出ていった。アンリが落としていった花を片付けなくちゃと現実逃避しているユーリの視界に桃色の蝶の姿の精霊が舞い、アンリが世話する植物達からは濃い緑の匂いが漂っていた。
◇◇◇◇◇
急いで朝食を済ませ、食堂の準備に取り掛かったユーリは食堂で使う大量のじゃがいもの皮剥きを厨房の一角に陣取りもくもくと作業していた。
もう習慣化された皮剥きは考え事をしながらでも休まる事はなく、ユーリは存分に考え事をする事ができた。考える事は今朝の醜態だ。
優しく触れるアンリに凝っていた心が解れていくのを感じ、柄にもなく縋り付き、あまつさえ子供の様に泣き落ちてしまった。それでもアンリは優しく優しく、ふんわりと包み込んでくれた。それが、どれだけ安心した事か。
朝目覚めた時、アンリの暖かな腕の感触と体温、そして花の香りで幸福感いっぱいに起きる事ができた。と、同時に羞恥心も感じた。
だが、今考えてみると優しいアンリが自分のとんでもない醜態にしょうがなくも付き合ってくれただけなのではないかと考え始めると謝るべきなのだろうかと悶々と一人悩む羽目になっているのだ。
今も青くなったり、赤くなったりと目まぐるしく変わる顔色だったが、手元は休みなく動き続けた。
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