後編
「もうなんか悪口の言い合いになってるみたいだけど、はっきりさせたほうがいいよねー」
十市さんが枝を広げていった。小ぶりな実が並んでいるが、元々小さい品種なのと、熟れた実は収穫済みのようだ。
「アタシ聞いちゃったんだ。泉州の死んだ時間」
十市さんの言葉に皆反応する。
「おい、それ本当か!?」
博多が実をのりだしてきた。
十市さんは面倒くさそうに葉で押しのけた。
「本当かわかんないけど、先生に呼ばれる前に聞いちゃったの。なんか倉庫のところでざわざわしていて、それで聞こえてきたわけよ。昨日の朝以降が怪しいって」
「朝? それっておかしくないか?」
博多が私と賀茂くんのほうを見る。
「あいつ、腐りかけてたんだろ! 例え朝に枯らされたとしても、そう簡単に腐敗するもんかよ」
私は否定したかったが、たしかに博多の言うとおりだ。十市さんの話はおかしい。
「おかしくないよ、実際、泉州は朝の時点で生きていた。だって朝どりで収穫していたもの。収穫された実が提出されていた。少なくとも先生たちはそう判断している」
私たちはいつまでも実をぶら下げているわけにはいかない。十分な大きさになれば、収穫するのは当たり前で、その実が成績へと影響する。
うわっ、やば! 私、ちょっと太り過ぎ? やめてよ! 今の時期、Mサイズが売れ行きなんだから! これ以上太っちゃ困るわ!
私は、さっきまでいそいそと埋めていた肥料をほじくりかえすとそっと、皿に戻した。
「ちょっと、そんな品の無い真似やめてくれない!」
怒ったのは山科さんだ。彼女はしっかり摘果されていて、まだ成長を待つ実しかつけていない。他の皆も田屋さんをのぞき綺麗に摘果されていた。さすがAクラス。実の管理はしっかりしてらっしゃる。
あれ? さっき収穫があるとかなんとか言ってなかったっけ?
この中で収穫できそうな実をつけたのは私と田屋さんだけだ。
田屋さんは、一個大ぶりの実をつけたままだ。他はとうに収穫したみたいで、古い切り口が見える。たしか、ブランドとして五百グラム以上重さがないといけないんじゃなかったっけ。あれはそれ以上あるよな、うん。昨日もしっかり成長したらしく、へたから白い伸びた部分が見えている。
「じゃあなんだっていうんだよ。なんであいつ腐ってたんだ?」
呆れたように怒ったように博多が言った。なぜかそれは賀茂くんに向けられている。
「……腐ったっていうか、虫が集ってたの。ふにゃんと実も柔らかくなっていたの」
私はちょっとためらいながらも発言した。
「あっ、そうなの」
十市さんはそれを冷めた実で見る。別に私のことが気に食わないんじゃなくて、そういう言い方しかできない子って気がした。私は黙って、鉢に根付く。
「別にいつアイツが死のうがアタシには関係ないし、アンタたちも関係ない。ただ言えるのは今、ここでずっと足止め食らってたら困るわけよー。そこのアンタ、Cクラスの。実の張り無くなってきたよー」
「えっ!」
私は慌てて自分の実に触れる。大丈夫、まだ大丈夫だ! なんでこの部屋、やたら日光の照りがいいわけよ! 二酸化炭素濃度高すぎ! いき遅れたらどうする気かしら。
「使う?」
そういって黒い紗を差し出してくれたのは田屋さんだった。彼も実が大きくなりすぎるのが気になったらしく、頭からかぶっている。これで日光をおさえればいくぶん光合成もしなくなる。
「ありがとうございます」
私が実を揺らしてお辞儀すると、田屋さんはにこやかに大きな実を振った。ああ、なんか実がよさそうなオーラ漂っているわ。
「魚沼」
賀茂くんが私をつつく。なんだろうな、と思ったらもう一枚紗を重ねた。
「重ねたほうがいいんじゃないか」
「ありがとう」
なんか賀茂くんはちょっとぶっきらぼうに見えた。どうしたんだろう? それから、なぜか山科さんに睨まれた。なぜに?
「俺は別にアリバイとか言われてもなにもないぜ。ぶらぶらと校内歩き回ってた。朝方なら、温室に田屋がいたの見たぜ。挨拶したよな」
「おう、ちっと話して収穫しにいったよな」
「それなら、私だって田屋と話してたわよ。それから昼は収穫しにいったけど、温室にいたら、大体目撃者いるんじゃない?」
さらに山科さんの証言。山科さんはちらちらと田屋さんのほうを見ている。私のなかの乙女がつぶやく、これはラヴの予感だと!
「俺はずっと温室にいたぞ。あそこでぼーっとするの好きなんだよ」
うん、気づけでくのぼう! のっそりした物言いで田屋さんは言った。
ふーむ、そうなると田屋さんはアリバイありってことかな?
「アタシは朝は収穫したよー。それから、ガラス室でひなたぼっこかなあ。最近、日照少なかったからそのぶんねー」
「というか、みんなそうじゃないの? 普通は」
山科さんが酸素を吐きながらいった。どこか呆れた口調だ。
普通は……。その言葉が突き刺さるのは誰だろう。Aクラスは皆、箱入りだ。温室でぬくぬく育てられる。例外を除いて。
皆の視線が一点に集まる。
賀茂くんのゆるやかな弧を描く輪郭へと。
「賀茂、あんたくらいよね。温室にもガラス室にもいなくて、外にいつもいるのも。最初に発見したのだっておかしい話だわ」
冷たい冷たい山科さんの声だ。
私は思わずびくりとする、そして、気が付けば彼の前に立っていた。
「なによ、あんた?」
「いきなりじゃないですか? 賀茂くんは偶然、見つけたんです! 私が証人です!」
思わず前にでてしまった。酸素じゃなく二酸化炭素を吐き散らすくらい興奮している。
それなのに、山科さんはふんと花をならす。
「だからもっとおかしいのよ。あなたたち共犯じゃないかって!」
「なっ!?」
私は実をトマトみたいにしてしまった。なにをいうか、こいつとか思いつつ、賀茂くんと共犯なんて悪くないかもという考えを一瞬でも起こしたことが嫌になった。
賀茂くんがそんなことするわけないじゃない。
「賀茂は一番あいつに嫌がらせを受けてきただろ。その点については何も言えない」
博多が言った。なんだと、この細長い馬面め!
「おい、山科。博多。よそうぜ」
田屋さんが言った。少し困ったように葉をしおれさせている。実がこれ以上大きくならないように水を飲まないようにしているらしい。やばい、さっき飲んじゃった。
「そうねー、何か言いたいことがある奴もいるようだしー」
十市さんが賀茂くんを見る。ほんわりと酸っぱい匂いが彼女から漂う。もしかしたら、私と同じく竹酢みたいなのを使っているのかもしれない。
さっき臭った甘酸っぱいのは十市さんから漂っていたみたいだ。
賀茂くんは切りそろえた葉をかき上げると、大きく息を吐いた。
「……僕には犯人捜しなんてことやりたくない。でも、ひとつだけ言えることがあった」
と言い、賀茂くんは正面を向きある株を見た。
「おまえのいうことは矛盾してる」
賀茂くんが言い切った相手は大振りの実を一つつけた田屋さんだった。田屋さんは、実をぷらんと揺らすと、葉を広げて見せた。
「何言ってんだ? なにが矛盾してるんだよ。俺にはアリバイがあるぞ。一日温室でゆっくりしてたって言ったじゃないか。山科も博多も見てただろう?」
「そうだぜ、賀茂。お前、自分が疑われたからって、他の奴になすりつけんじゃねえよ」
博多が田屋さんの味方をする。しかし、賀茂くんは凛としたままひるむことはない。
「だからだよ、なんで一日温室にいたんだ? そんなに十分、大きな実をつけているのに」
賀茂くんの一言で皆ぶるりと葉を震わせた。
そうだ、賀茂くんの言うとおりだろう。Aクラスなら実の収穫に対して他よりも細かいはずだ。それも、他より実が少なく大きい田屋さんならさらに細かいことだろう。
「今、そうやって黒紗を被っているってことは、もうそのサイズは基準をこえようとしているんだろ? そんな大きさになるなら、わざわざ温室に向かう必要もない。さっさと収穫したほうがよかったんじゃないのか? それとも、温室へいって、誰か、もしくは皆に見てもらうことが目的だったんじゃないか! 収穫したあとじゃ言っても意味がないからな」
「……賀茂」
田屋さんを見据えながら、賀茂くんは続ける。
「僕も魚沼さんも、泉州が腐っていると思った。それは、実が柔らかく腐敗しているように見えたからだ。彼女の実は、みずみずしいことが売りだ。多少、その点を踏まえて、腐っているように見えたとする。そうなるとよりよく熟れた実のほうがより柔らかいだろ」
「……つまーり、朝方実を収穫したばかりの泉州が、なんで熟れた実をつけたままでいたってことよね? ありえないわねーそれ」
「そういうことだ」
何が言いたいか、最初、私の拙い脳味噌ではわからなかった。だが、ゆっくり考えて要約してみると、泉州さんの実を収穫して提出したのは別の誰かと揶揄していた。箱とそれについた印鑑さえあれば、それで提出できる。たしかに、誰にも見つからなければ、誰かが泉州さんからそっと実を収穫し、箱につめて提出できるはずだろう。誰にも見つからなければ。
そうなると、前提となる条件が崩れる。
田屋さんは賀茂くんを見ると、ゆっくり酸素を吐いた。そして、大きな実を見せる。
「……やっぱ無理かあ」
その声は、落胆まじりの安堵の声だった。
「アンタが犯人だったのね」
十市さんが言った。
「そんなわけない! そんなことないよね、田屋!」
山科さんが田屋さんにすりよった。気孔には結露がたまり、必死に実を振っている。
やっぱりこの人、田屋さんが好きなのか、と私は思った。賀茂くんにずっとつっかかっていたのももしかしたら、田屋さんをかばうためじゃないかって思った。私が賀茂くんの味方するみたいに。
「田屋。お前がどうして……」
博多が長い実をしおれさせるような声で言った。信じていただけにショックも隠しきれない。
「……泉州、最悪なんだぜ。俺の弟、あいつに青い実を全部傷つけられた。摘果したばかりなのに……。それがどういう意味かわかるか?」
つける実がなければ、価値はない。わざわざ肥料をやることさえ無駄になってしまう。処分対象。
そういうことだ。
「……みんなには迷惑かけたな、時間奪っちまって。全部、俺がわりいんだ。あーあ、もっと早く言えばよかった。規格外になっちまった」
そういうと、田屋さんはゆっくりとドアをノックした。
私たちは呆然と彼の後ろ姿をみた。
あっけなく事件は終わったかに見えた。
解放された私は、まっさきに実を収穫した。根を急がせ提出先へと向かう。
「おい、魚沼!」
「えっ、賀茂くん?」
箱を持ったまま走る私に並走し、賀茂くんがいた。身体が弱いのに走らないでとか思ったけど、収穫した時点で私も走る必要がなかった。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとついてきていいか?」
私はそれに頷いた。
今日はちゃんと面接官がいた。
私は実のつまった箱をどんとのせる。ぎりぎりMサイズのはずだ。
面接官はいつもどおり目を細めると、Cの判子を押そうとした。
そのときだった。
「何を基準にこの階級を決めているんですか?」
賀茂くんがいきなり言い出すもんだから私はびっくりした。
「彼女の実は無農薬ですよ」
「それは知っている。だが、この形はどう思うんだ?」
私の実は賀茂くんみたいなきれいな真ん丸じゃない。すこし不恰好な形だ。田楽にするにもやりにくいだろう。
「先生は、魚沼巾着という品種をご存知でしょうか? ご当地野菜として、古来から伝わる品種として名前くらい知っているでしょう?」
えっ、なに? 賀茂くん、何言ってるの? そんなマイナーな品種誰も知らないでしょ。
「その点は踏まえて?」
「いや、それでも……」
面接官は悩み、うなりながら、そして私の箱に『B』の判子を押した。
ええっと、これはどういうことだ?
箱を置き、茎をひねっていると賀茂くんが渋い実で来た。
「ふーん。仕方ないか。まずはこれで、次の収穫までにAクラスを目指そうか」
きらりと輝く賀茂くんの実がまぶしい。私は葉で花を覆う。
「あっ、隠さないで」
賀茂くんがそっと私の葉を避ける。そして、小さな花が私の花の前に覆いかぶさった。
えっ?
ええっと?
これは、いったい?
身体中の気孔から水蒸気が噴出する。いくら蒸散しても足りないくらい、私は真っ赤になっていた。きっと、今の実はトマトそのままだろう。
なんということを!
なんという破廉恥なことを!
そして、まんざらでもない私がいるぞ、どういうことだ!
「なんか献上品とかそういう噂たってるけど、僕、自分の将来は自分で決めたいんだよね。僕は病弱だから、より強い品種を残したいんだ。農業試験場に行きたいって思っている。そのためのパートナーを探しているんだけど」
なんだ、これは、夢か。白昼夢か!
私はふらりと根がゆるみ、そのまま壁に激突してしまった。
うう、はずみでなんか倒しちゃったよ。なにこれ、臭いよ。なんか酸っぱいよ!
倒したものを見てげんなりした。死んだ虫が酸っぱい液の中で溺れていた。虫トラップだ。有機肥料を発酵させているところの近くだからたくさん虫がいる。だから、こんなものを仕掛けるのだけど。
そういや、あの倉庫にもそれらしいのあったなあと今更思い出す。
「……」
「おい、もしかして嫌だったか?」
「いや……」
「やっぱりいやだったのか!?」
賀茂くんの声が間近で聞こえる。いつもなら、道管という道管に水分が駆けめぐっちゃうところだけど、それはなかった。
酸っぱい匂い、それに覚えがあった。
そして、もう一つ。
柔らかくなった泉州さんの実には、まるで腐ったかのようにコバエが集っていた。
「こんにちは」
私はさっきまで顔を合わせていた相手に挨拶した。
「こんにちわー、なんか用?」
十市さんがそっけないまま、学校の屋上にいた。温室ほど温かくないが、この季節には気持ちいい風が吹いている。そこで十市さんはなにかを待っているようだった。
「気持ちいいですね」
「きもちいいよー」
「雨でも降ればいいと思ってます?」
「なんでまた?」
「匂いが消えればいいとか思ってたり」
私の言葉に十市さんは反応した。まだ熟れていない実を震わせる。
「熟れた実は全部収穫しているから、実が割れる心配もないですし」
「……うーん、なんのことか知らないけど、なんのことー?」
しらばっくれている。
彼女からほんのり香ったにおい。あれは、虫トラップの液の匂いだった。
そして、枯れた泉州さんもそれをかぶっていたのだろう。腐ったと私たちが誤認したのはそのせいだ。その酸っぱい匂いと肥料の匂いがまじって、腐敗臭と無意識にとらえ、さらには虫が集っていた。
そして、それと同じ匂いのする十市さんはどこでその匂いをつけた。
妄想にしては飛び過ぎもしないレベルだと思う。その証拠に、十市さんの表情が暗い。
「彼女を枯らしたのはあなたですか?」
「なにを言い出すかと思えば」
ぷっと酸素を噴出してみせるが、いつものように間延びした台詞じゃない。
「犯人は田屋だったじゃない? それともなに? 私をかばって自白したとかいう純愛系?」
「たぶん、田屋さんは自分が本当にやったと思っていたんでしょう。まさか、あなたが止めを刺したと思わずに」
そういうことだ。だから、彼女だけ田屋さんをかばうことはなかった。賀茂くんを陥れることもなかった。自分が犯人だと思う相手が落ちれば、それにこしたことはない。
「たぶん、田屋さんが除草剤を彼女にかけたあと逃げ、彼女はまだ生きていた。そこであなたはより強力な除草剤で止めをさした」
「証拠は?」
「さっき聞いたら、二種類の除草剤使ってるっていってました。たぶん、田屋さんとの証言に食い違いが出てくると思います」
「それなら私以外にもいるんじゃない? そういうことできるのが。大体、私が臭いのはちょっと他の場所にある虫トラップ引っかけちゃったからよ」
間延びしていない声。本気だ。
「ええ。だから、手荒い方法で」
私は緊張して蒸散のし過ぎでかぴかぴになりそうだ。
ゆっくり枝を上げる。
すると、賀茂くんと先生たちが現れた。
「十市。お前の部屋からワックスが見つかった。他にも、基準値をこえた農薬の類がな」
凛と言い放つ賀茂くんは素敵で不謹慎ながらかっこよくて、同時に恥ずかしかった。
「……やだー。女の子のハウスのぞくなんてサイテー」
いつもどおりの喋りに戻った十市さんはぷうっと実を膨らませる。
「あの女もこれくらいだまってりゃいいのに。自分だって同じだろうが」
そういうと、十市さんは先生たちに連れて行かれてしまった。
私は根も茎も枝を支えるだけの力がなくなってふにゃふにゃと地面に座り込んだ。
「すごくかっこよかったよ。惚れ直したよ」
賀茂くんが当たり前のように言う台詞にどきどきしながら、ひたすら葉を広げて二酸化炭素を吸った。
遅刻しました。