第五話 世界で一番幸せな悪役令嬢
第五話 世界で一番幸せな悪役令嬢
北方大公家の結婚式は、王国史に残るほど盛大なものになった。
王都中の貴族が集まり、各地の領主達が祝福の言葉を贈る。
かつて「悪役令嬢」と呼ばれたレティシアは、純白のドレスに身を包み、大聖堂の赤い絨毯をゆっくりと歩いていた。
その姿を見た者達は皆息を呑む。
美しい。
そうとしか言いようがなかった。
かつて王宮では厳格な令嬢として振る舞っていた彼女だが、今は違う。
表情は柔らかく、幸せそうに微笑んでいた。
祭壇の前ではアレクシスが待っている。
普段は冷酷公爵などと恐れられる男も、今日ばかりは少し緊張しているようだった。
それを見たレティシアは思わず笑う。
「どうかなさいました?」
「いや」
アレクシスは小さく咳払いをした。
「少し落ち着かない」
周囲の騎士達が驚愕する。
戦争中でも平然としていた男が緊張しているのだ。
それだけ今日が特別だった。
神官の祝福が響く。
誓いの言葉が交わされる。
そして。
「これよりお二人は夫婦となります」
大聖堂は割れんばかりの拍手に包まれた。
◇
結婚式の後。
王都では別の意味で話題になっている人物がいた。
元王太子エドワードである。
ミレーユの不正が完全に明らかになり、王家は大混乱に陥っていた。
聖女の地位は剥奪。
ミレーユは修道院へ送られることになった。
一方でエドワード自身も大きく評価を下げた。
王位継承権こそ失わなかったものの、王としての資質を疑問視する声は多い。
そんなある日。
彼は一人で王都の中央広場に立っていた。
そこで見たのは掲示板に貼られた一枚の記事だった。
『北方大公アレクシス閣下とレティシア・フォン・ローゼンベルク夫人の結婚式が盛大に開催』
記事には二人の姿が描かれている。
幸せそうだった。
エドワードは静かに目を閉じる。
後悔が無いと言えば嘘になる。
だが。
彼女は自分の元に戻るべき存在ではないと、もう理解していた。
「幸せになれ」
誰にも聞こえない声で呟く。
それは未練ではなく。
本当の意味での祝福だった。
◇
それから数か月後。
レティシアは大公領で穏やかな日々を送っていた。
朝は庭へ出る。
昼は畑仕事。
午後は紅茶を飲みながら本を読む。
理想の生活だった。
しかも。
「レティシア」
仕事を終えたアレクシスが現れる。
「お帰りなさい」
「ただいま」
結婚した今でも、彼は毎日のように時間を作ってくれていた。
どれだけ忙しくても。
どれだけ仕事があっても。
必ず彼女の元へ帰ってくる。
レティシアはそれが嬉しかった。
「今日は何をしていた?」
「野菜の収穫です」
「そうか」
「見ます?」
アレクシスは真顔で頷いた。
数分後。
王国有数の権力者が真剣な表情で大根を眺めていた。
護衛達はもはや慣れている。
結婚以来ずっとこんな調子だった。
「良い出来だな」
「そうでしょう?」
「誇らしい」
「私の子供じゃありませんよ?」
「似たようなものだ」
どこまでも甘かった。
◇
夕暮れ。
二人は屋敷のテラスへ出た。
辺りは茜色に染まっている。
風が心地いい。
ふとレティシアが呟いた。
「不思議です」
「何がだ?」
「婚約破棄された時は、こんな未来になるなんて想像もしていませんでした」
アレクシスは少し考える。
そして微かに笑った。
「私はした」
「え?」
「初めて会った時からだ」
谷底での出来事を思い出す。
初対面なのに求婚された日。
今考えても意味が分からない。
だが。
そのおかげで今がある。
レティシアは笑った。
「本当に変な方ですね」
「そうかもしれない」
「でも」
彼女はそっとアレクシスの手を握った。
「そんなところが好きです」
珍しく。
本当に珍しく。
冷酷公爵と呼ばれた男は言葉を失った。
顔まで赤くなっている。
レティシアは堪えきれず笑い出した。
「アレクシス様?」
「……反則だ」
「何がです?」
「全部だ」
夕陽が二人を照らしていた。
追放された令嬢。
婚約破棄された元王太子妃候補。
悪役令嬢と呼ばれた少女。
そんな肩書きはもう必要ない。
彼女は今。
誰よりも愛される妻だった。
そして、世界で一番幸せな女性だった。
完




