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第1話:安価な魔法剣と、少女の涙

「――本日をもって、我が『大陸中央商工魔導同盟』の推奨品である『標準鉄剣+1』の市場価格を、さらに二割、引き下げます! これよりルード王国の善良なる市民の皆様は、飢えや魔物の脅威から、より安価に、より確実に身を守れるようになるでしょう!」


ルード王国の王都中央広場。

 魔導拡声器を通した、涼やかでありながら胸に響くソプラノの声が、すり鉢状の広場を埋め尽くした大群衆へと行き渡る。

 声を放ったのは、広場中央に急造された豪奢なステージに立つ少女だった。純白の儀礼用スーツに身を包んだ彼女の名はエレオノーラ。大陸の全経済を掌握せんとする超国家組織『大陸中央商工魔導同盟』から派遣された、若き特使である。


エレオノーラが流れるような仕草で白手袋の手をかざすと、ステージ上にうず高く積まれた銀色の長剣が一斉に共鳴した。パチパチと青い魔導の火花が刀身を走り、それが高度な魔術回路を組み込まれた一級品であることを証明する。


「おいおい、また値下げかよ!」

「マジかよ! 同盟の魔法剣は、俺たち一般兵の給料でも、今や三本は買えるぞ!」

「ありがとう、同盟! ありがとう、エレオノーラ様!」


集まった民衆や下級兵士たちからは、地を揺るがすような歓声が上がった。

 彼らにとって、この値下げは神の慈悲にも等しい。かつて「魔法剣」といえば、一振りを手に入れるために家を売らねばならないほどの高級品だったのだ。それが今や、日雇いの労働者であっても数ヶ月貯金すれば手が届く。


大量生産、大量流通、そして規格の標準化。

 同盟が持ち込んだ『グローバリズム』という名の果実を、人々は疑いもなく貪り、称賛していた。


だが、その熱狂の渦から遠く離れた、薄暗い路地裏。

 建物の影に隠れるようにして、一人の少女がボロ布に包んだ自作の剣を胸に抱きしめ、血がにじむほどに唇を噛みしめていた。


彼女の名はミュリン。

 ルード王国で数百年続く、独自の『精霊契約魔法』を今に伝える、由緒正しき精霊鍛冶師の少女だった。


「……あんなの、ただのマナを無理やり流し込んだだけの、冷たい鉄の塊よ。精霊の息吹も、職人の魂も入ってない。なのに……なんでみんな、あんな紛い物を喜んで買うのよ……っ」


ミュリンの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ち、抱きかかえたボロ布を濡らす。

 彼女の作った剣は、この土地に宿る風や火の精霊と対話し、一振りに一ヶ月以上の時間をかけて鍛え上げるものだ。刀身の強靭さ、魔力伝導率、どれをとっても同盟の量産品など足元にも及ばない。


しかし、価格が違いすぎた。

 手間暇をかけたミュリンの精霊剣は、同盟の『標準鉄剣』の十倍以上の価格をつけざるを得ない。性能が二倍良くても、価格が十倍高ければ、一般の買い手は十本の量産品を選ぶ。それが市場の現実だった。


ルード王国が同盟に市場を開放して、わずか一年。

 王都に数百あった伝統的な鍛冶工房は、その大半が倒産に追い込まれた。ミュリンの工房もまた、例外ではない。今月の家賃すら払えず、仕入れの炭も底を突いた。目の前にある熱狂は、彼女たち地場産業の死体の上で踊る、残酷な祝祭に他ならなかった。


「それが『市場の原理』ってやつさ、お嬢さん」


唐突に頭上から降ってきた乾いた声に、ミュリンはびくりと肩を揺らした。

涙を拭いながら見上げると、路地裏の壁に背をもたれかけさせた、一人の青年が立っていた。


年齢は二十代半ばといったところか。無精髭をうっすらと蓄え、ひどく草臥れた泥色の外套を羽織っている。どこか眠たげな双眸は、熱狂する広場の大画面を、冷めきった目で見つめていた。


「あんた……誰よ? 人の涙を盗み見するなんて悪趣味ね。同盟の回し者なら、あっちの特等席へ行ったらどう?」


ミュリンはトゲのある言葉を投げつけ、自慢の剣を奪われまいと強く抱きしめた。

 青年は両手を軽く上げて敵意がないことを示すと、自嘲気味な笑みを浮かべた。


「まさか。俺はただのしがない旅人――いや、今風に言えば、ただの無職だよ。同盟の回し者なんて、あんな大層な連中と一緒にしないでくれ。ただ……あいつらのやり方はよく知っている、というだけさ」


青年――レオンは、懐から干し肉を取り出して齧りながら、広場の中央で微笑むエレオノーラを指差した。


「同盟の戦略はいつだってシンプルだ。まず『不当なほどに安い価格』で商品を一気に流入させ、その土地の関税障壁を突き崩す。地元の職人や農家が価格競争に耐えかねて全滅したところで、市場を完全にコントロールする。自給自足できなくなった国は、最終的に同盟のルールに従うしかなくなるのさ。……恐ろしいのは、あのステージの令嬢も含めて、誰も悪意を持っていないことだ。彼らは本気で、世界を『効率化』することが全人類の幸福だと信じている」


その言葉には、単なる傍観者とは思えないほどの、重い実感が籠もっていた。

 ミュリンは驚きに目を見開いた。この青年は、王国の高名な経済学者たちでさえ言語化できなかった、同盟の『経済侵略』の本質を、一瞬で見抜いてみせたのだ。


「あんた……本当にただの無職なの?」


「ああ。今はね」


レオンはポケットの奥にある、冷たい金属の感触に触れた。

『大陸中央商工魔導同盟・特級交渉人』――かつて彼が、効率至上主義の怪物たちの最前線で振るっていた、栄光のバッジ。それを捨ててこの辺境の国へ流れ着いた理由を、今語るつもりはなかった。


「それよりお嬢さん、良いものを持ってるな。ボロ布の隙間から、上質な精霊の波動が漏れ出ているぞ」


「……わかるの? これは、私が打った精霊剣。同盟の安物なんかと一緒にされたくないわ」


「ああ、わかるさ。いい職人の仕事だ。……だけど、だからこそ今のうちに教えておくよ」


レオンは、広場に積み上げられた銀色の剣を凝視した。その瞳の奥に、かつて同盟の書類を精査していた時の、鋭利な光が戻る。


「あの『標準鉄剣』には、致命的な欠陥がある。同盟が最も犯しやすい、致命的な計算ミスだ。彼らは効率と普遍性を重視しすぎるあまり、この土地の固有の環境レギュレーションを、完全に無視している」


「レギュレーション……?」


ミュリンが聞き慣れない言葉に首を傾げた、その時だった。


ズウウウウウウウウン!


大地を激しく揺るがす地響きが、王都全体を震撼させた。

 広場の歓声が悲鳴へと変わるのに、一秒もかからなかった。


「ま、魔獣だ! 北の防壁が破られた!」

「巨大な『岩石猪アース・ボア』の群れだ! 市街地に突入してくるぞ!」


物見櫓からの絶叫が響き渡る。

 見れば、王都の堅牢な外壁の一部が文字通り粉砕され、全身を硬質の岩肌で覆われた巨猪の群れが、猛烈な勢いで目抜き通りを暴走してくるのが見えた。狂乱した巨躯が民家をなぎ倒し、王都の住民たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。


「落ち着きなさい! ルード王国騎士団、および同盟の警備兵! 支給されたばかりの『標準鉄剣』を抜き、ただちに魔獣を駆逐するのです!」


ステージ上のエレオノーラが即座に指示を飛ばした。

 訓練された兵士たち、数十人が一斉に動き出す。彼らの手には、先ほど購入したばかりの、あるいは同盟から一括支給されたばかりの、銀色に輝く最新鋭の魔法剣が握られていた。


「オオオオッ!」


先頭の重騎士が、突進してくるアース・ボアの脳天目がけて、青い火花を散らす長剣を振り下ろす。

 最新の魔導回路が作動し、魔獣の強固な岩肌を一撃で焼き切る――はずだった。


パキィン!


甲高い、あまりにもマヌケな音が響いた。

 次の瞬間、重騎士の持っていた長剣は、魔獣の皮膚に触れた瞬間に根元からポキリと折れ曲がり、虚しく地面に転がった。


「な、なんだと……!? 魔導が発動しない!?」


「こっちの剣もだ! ただのなまくら鉄板みたいに、簡単にひしゃげやがった!」


次々に兵士たちの剣が砕け、折れ、機能停止していく。

 魔導の加護を失ったただの鉄剣では、アース・ボアの突進を止めることなど不可能だ。兵士たちは次々と弾き飛ばされ、悲鳴を上げて転がった。


「バカな……! 我が同盟の検品クオリティ・コントロールは完璧だったはずです! 不良品など一本も混ざっていないはず!」


ステージの上で、エレオノーラが初めてその完璧な美貌を驚愕に歪めた。


「……やっぱりな」


路地裏で、レオンが深く溜息をつきながら歩き出した。


「言っただろ、お嬢さん。あいつらは中央の、マナの薄い平原で最適化した『標準規格』をそのまま持ってきやがった。だが、このルード王国の大地は、精霊の力が強すぎるんだ。大気中に満ちる濃厚な野生の精霊力が、同盟製の精密すぎる魔導回路と干責(干渉)を起こして、術式を根こそぎ霧散させちまったのさ」


レオンは、唖然として立ち尽くすミュリンの肩を、ぽんと叩いた。


「どんなに安くて、どんなに規格が均一で美しくてもな。『その土地の現実に合っていないグローバル・スタンダード』は、いざという時、ただの鉄クズに変わるんだよ」


レオンはミュリンの腕から、ボロ布に包まれた剣を滑り込ませるようにして受け取った。

 布がハラリと払われ、中から淡い新緑の光を放つ、美しい一振りの長剣が姿を現す。


「おい、職人のお嬢さん。この剣、ちょっと借りるぞ。正しい『ローカルの力』ってやつを、あの効率至上主義のエリートたちに教えてやろう」


ミュリンは目を見開いた。

 一瞬前まで、頼りない風来坊にしか見えなかった青年の背中が、今はどうしようもなく大きく、そして頼もしく見えた。


「……使いなさい! 私の精霊剣は、この土地の風を味方にするわ! 同盟の安物なんかと一緒にしないで!」


「ああ、頼りにしてるよ」


レオンは不敵に唇を歪めると、緑の光を引いて、魔獣の群れが蹂躙する広場へと真っ直ぐに駆け出した。

 経済という名の見えざる武器ではなく、一本の剥き出しの剣を手に、世界の命運を懸けた命懸けの「交渉」を始めるために――。

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