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安全? 危険?

長くなってしまいました。

 新しい住居兼職場で始めた生活は、穏やかなのに居た堪れなさが酷い。

 ブラック企業で社畜をしていた航は、習慣的に朝5時頃には目が覚めてしまう。

 最初に認識するのは、少し癖があるけど妙なくらい落ち着く穏やかで爽やかな香り。次は肌に触れる寝具のサラサラした感触。そして目を開ければ、シンプルなのに高級ホテルみたいな部屋。前職の社宅のオンボロ長屋と格差が有り過ぎる。隣室と敷地外の生活音が丸聞こえだった長屋とはまるで違う静かな部屋は別世界に迷い込んだ感じがして、落ち着ける環境が整えられているのに落ち着かない。


 こんな凄い高級そうな場所、俺みたいな平凡な人間には絶対に不似合いだ。

 

 特にやるべき事が無いから、何となく7時頃までぼんやり過ごす。

 脱衣所の洗面台で顔を洗ってから広いリビングダイニングに行く。

 リビングスペースのソファに黒井さんが居る。バングルが出来るまでは、安全確保のために同居してくれることになったからだ。

 昨日は制服でインカムを付けてタブレット見ながら何か指示出ししていた。今日は私服なのかTシャツにハーフパンツの格好で雑誌を読んでいる。黒い鉱石を嵌め込んだ艶消しの金属プレートが飾るゴツい黒革のチョーカーをしていて、それが黒井さんに凄い似合っている。

「おはようございます。」

 挨拶すると会釈が返る。

 黒井さんはかなり無口であまり喋らない。

 引っ越し当日に話しをしたのは、必要だと判断したから話しただけらしい。

 無口でも無愛想というわけでは無くて、航に会釈したらソファから立ち上がって朝食の配膳をしてくれる。家庭的な印象が全く無い黒井さんがキッチンに立つ違和感はなかなか凄い。

 初日はビビってしまって、咄嗟にしゃもじと御飯茶碗を取り上げてしまった。そしたら無言で微笑んで頭をポンポンして他の盛り付けをしてくれた。

 護衛として付いてくれているはずなのに、なんだか子守とかされてるような…。

 年齢は大差なさそうなのになぁ。

 今日の朝食はオクラと豆腐の味噌汁に鰆《さわら》の漬け焼きとピーマンの胡麻和えと味付け茹で卵。驚くべきことに黒井さんの手作りだ。航が初日の朝食を栄養ゼリーで済ませたら、その日の昼から食材持ち込みで料理をしてくれている。生活を護るのも護衛の一環だからだそうだが、護衛と言うより保護者をされてるような気がする。

 

 午前9時が一応の始業時間になっていて、支給品のスマホに雇用主の垣越さんからのメールが来る。昨日と一昨日は睡眠と栄養の不足解消に努めろとの体調改善指示だった。

 今日も同じ内容のメールかなと思ったのたが。

  

 本日深夜、社外協力者と顔合わせ。

 夕方に仮眠して22時には起きて待機。

 支給品を着用して黒を同室させろ。


 協力者との顔合わせ。時間帯が深夜って、なんか怪し過ぎるんだけど。それに、支給品の普段着ってことは、耐刃のだよな。え?なに?まさか危険人物でも来るの?黒って黒井さんだよな。同室させろって危い人が来るから?

  最後の一行は、危険に備えろって意味?

 

 とりあえず、黒井さんにもメールを見てもらう。

 黒井さんの顔が歪んだ。眉間と鼻筋に皺が刻まれて目尻が吊り上がる。猛烈に嫌な気分の時にする表情。前の職場の上司や同僚が頻繁にしていた、航にとっては馴染み深い仕事中の表情。退職して数日しかしかたっていないのに少し懐かしい。黒井さんは一呼吸でそれを綺麗に消して静かな顔に戻る。格好良い。

「昼前に下の薬草屋で薬草茶と茶菓子を購入してきます。私が戻るまでは居留守でお願いします。」

「薬草屋?」

 そんなファンタジー物のゲームとかに出てきそうな店なんて下の階にあったっけ?

 首を傾げると黒井さんが教えてくれる。

「六階の漢方薬店、桂樹(けいじゅ)堂のことです。薬草屋は身内での通称です。」

 漢方薬店なら薬草屋呼びも納得。

 でも、来客に出すお茶なら薬草茶なんかよりも一般的な緑茶とかの方が無難なはずなのに。

「普通のお茶じゃダメなんですか?」

「薬草茶ですね。」

「危険な相手に会うからですか?」

「違います。我欲に忠実な奴が最初に来ます。落ち着くためには薬草茶が必要です。」

 真顔で言われると余計に怖いんですけど…。

 

 昼前に黒井さんが買ってきてくれた薬草茶は店主のお勧めで、緑茶ベースにミントとレモングラスとローズマリーを混ぜた物だと教えてくれた。

 茶缶から小皿に出してくれた茶葉は、航にはカサカサの雑草が混ざってる何かで、どう扱えばいいのかさっぱり分からない。

 「これってどうやって飲むんですか?」

 「普通の緑茶と同じです。」

 そう言われても茶葉で緑茶を淹れた事の無い航には、一杯分に必要な量の検討すら全く分からない。


 だって実家でも緑茶はペットボトルだったから。


 「すみません。普通の緑茶も茶葉で淹れた事が無いので分かりません。」

 物知らずな自分が情けなくてちょっと泣きそう。とりあえず素直に謝ってしまう。

「それなら私が淹れて見せましょうか?」

 「お願いします。」

 黒井さんの優しい提案に甘えさせてもらう。

 

 やっぱり護衛というより保護者枠だと思う。


 慣れた手つきで食器棚からティーセットを出してお茶の支度をしてくれる。

 「なんだか黒井さんの方がキッチンに馴染んでますよね。料理もしてくれるし、食器とかの位置も把握してるのも凄いですね。」

「ここは退避所にしていた物件で、以前から使い慣れているんです。」

「退避所ってなんか物騒ですね。」

「安全に保護する為の場所です。この住居の安全性は最上級です。」

 穏やかに言われても何だか腑に落ちない。

 本当に何事も無い場所なら護衛が居る必要もないはずなのでは。


 薬草茶なんて薬臭い雑草味かと思っていたけど、仄かに柑橘系の香りがする爽やかな緑茶だった。合わせる茶菓子はキャラメル風味の水羊羹。瑞々しい薄茶色の塊に黒っぽい粉粒が散り混ざっているそれも恐る恐るほんの少しだけ味見させてもらう。食感は確かに水羊羹で、甘くてスパイシーで爽やかで薬草茶との相性もばっちりだった。

 それに何だか気持ちが落ち着いた。

 

 何かあっても黒井さんが何とかしてくれるはずなんだから怖がる必要なんて無いんだよな。多分。


 夕食後、2時間ほど仮眠。21時に起きてシャワーを浴びてから耐刃の普段着に着替える。見かけは普通のシャツとズボンだし着心地も普通だけど、刃物が当たっても怪我をし難い耐刃繊維が使われている支給品。安全の為の装備品。十代半ばで消えたはずの厨二心がくすぐられる気がする。


 22時を過ぎた頃になって、インターホンが鳴る。

ドアが開いた途端にピンク髪の人物が航の頭を鷲掴みで引き寄せ耳朶に噛みついた。

「ゔぁっ」

 変な声が出た。

 本当に痛い時って痛いなんて言葉にならない。

 すぐに黒井さんが引き剥がしてくれる。そのまま流れで取り押さえようとするとピンク頭が抵抗して廊下で激しい乱闘になった。

 壁や天井まで使って立ち位置がクルクル入れ替わる。手足の動きは早過ぎて航の目では追いきれない。風切り音と衝撃音が続く。

 長く感じた数十秒後、ピンク頭が黒井さんの後ろ首を軽く吊り上げ気味に持った体勢で攻防が終わった。

「ちょっと反応が鈍いんじゃね?」

 ホストっぽい派手なイケメン顔のピンク頭が性格の悪そうな笑顔で煽る。

「手を、放せ」

 掴まれている黒井さんは怒り顔で唸る。

「牙剥くな。爪も変色寸前だろ。安地だからって気イ緩めてんじゃねーよ。クソ犬。」

 ピンク頭が片手で掴んだままの首を引っ張って床に俯(うつぶ)せに引き倒し、背中を踏み付けて抑え込む。

 「こんばんは。」

 そのまま、妙に愛嬌のある笑顔で航に普通の挨拶をしてきた。行動と表情にギャップがあり過ぎて非常に怖い。

「耳、確認させて。」

 指一本だけの手招きをされて、体が航の意思を無視して勝手に近づく。訳が分からない。

 航の顎に指を掛けて顔を引き寄せると、グラスに注いだビールみたいな色の目でさっき噛みついた耳朶をじっと見つめてくる。

「ん。印付いたな。仮だけど取り敢えず身内扱いしてやる。」

 宥めるみたいに頭をぽんぽんされると、何故か耳緊張が解けて安心してしまった。耳の痛みも不思議なくらいスッと消えてしまう。

 なんかホストっぽい感じかも。ホストクラブとか行ったことないからイメージでしかないけど。

「よし、落ち着いたな。それじゃ、居酒屋でも行こか。顔合わせ記念に美味い酒奢ってやる。黒井が一緒なら外出てOKなんでしょ。」

 何てことない普通の表情のまま、踏み付けていた黒井さんを体が浮く威力で蹴り上げる。黒井さんの方はその蹴りを掌で受け止めて普通に立ち上がる。

 暴力が暴力になっていないけど、日常であってはならない暴力行為を普通にしている。

 やっぱりこのピンク頭怖い。

 黒井さんが一緒でもこのピンク頭と居酒屋なんてお断りしたい。

「でもこんな時間だと閉店間際ですよね。居酒屋とかは止めておきませんか。」

 地方都市の悲しさで閉店時間が真夜中前の居酒屋が普通だったりする。ブラック企業勤務だったから深夜営業の飲食店も少しは有ると知っているが、真夜中過ぎても営業する店舗の大半は治安が悪い違法スレスレのディープな店だったりする。

「不要な外出は控えるように言われています。」

 黒井さんも断ってくれるのに。

「えぇー。飲みに行こうよー。」

 ピンク頭のイケメンホスト男は、航の腕を両手で捕まえて子供みたいに揺すって可愛らしくおねだりしてくる。暴力を振るった直後にされるとギャップがあり過ぎて色んな意味で怖い。

「外出は明月様の許諾が降りてからです。」

「相変わらず堅物だねぇ。もうちょい柔らかくした方が良くね? 視野を広げさせるならとっとと連れ回した方が早いと思うけどねぇ。」

「安全確保を優先していますので。」

「ふうん? 保護対象の扱いなん?」

「明月様からは鍵ができるまでは常時護衛と。」

「一般人だと仕方ないか。しゃーないな。とりあえず今日は諦めてやる。玄関で立ち話もなんだから部屋入るか。客間使うのか?リビング?」

「客間にどうぞ。」

 やっとまともな顔合わせっぽくなった。

 確かにこの客なら精神衛生的に薬草茶が要る。

 黒井さんの判断に納得しかない。

読んで頂きありがとうございます。

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