普通の良い人間
派手な存在が好きです。
三浦航は社会人になってから寝起きが悪くなった。今日は何となくしっかり眠れた気がするも体が重く頭痛もする。いつもと同じ。何も変わらない。普段どおり重苦しい一日が始まる。
縮こまった横向きから仰向けに寝返りして手足を伸ばす。薄く目を開ける。
天井が明るい?
テレビで見たことしかない豪華ホテルみたいな白と金色の天井。社宅のヤニで汚れた茶色の合板とは大違いだ。
って、ココどこ?!
勢いよく体を起こした途端、頭痛と目眩でそのまま寝床に逆戻りする。フワッと柔らかい何かに優しく受け止められた。
なんだコレ。
体が沈み込む柔らかさが、奈落に落ちる連想に繋がって、余計に気が焦って、無闇に起きあがろうとしてジタバタ足掻くのに体が重くて頭が痛くて手足に触れる場所が全部柔らかくて、しかも体に何かが絡まっていて上手く起き上がれない。
出勤、間に合わなかったら残業がヤバい。
そこまで考えてから思い出した。全身の力を抜いて柔らかい何かに沈み込む。
もう行かなくていいんだった。
昨日が出勤最終日だった。飲み会がしたいだけの同僚があつまった送別会で、最後なんだからって無理して呑み過ぎたんだ。そのせいで、帰る電車で寝てて終電だって駅員に起こされて改札通って外に出て…。そこから記憶が途切れている。
会社は行かなくていいんだ。時間とか気にしないで大丈夫なんだよな。
今度はゆっくり慎重に体を起こす。寝かされていた柔らかい何かは、座面の広い三人掛けのソファーだった。体に絡まっていたのは薄手の夏用掛け布団。
二日酔いの頭痛に唸りながら、ゆっくり周りを見渡す。直ぐ側のローテーブルに、いつもの仕事鞄とポケットに入れていたスマホと小銭入れ。二日酔いに効くドリンクと1リットルボトルのスポドリ。側に添えられたA4用紙にトイレと玄関が分かる手描きの間取り図と、現在地から最寄り駅までのルートマップ。現在地は、市営地下鉄駅から徒歩数分の雑居ビルらしい。これだけ用意されていれば家主と会わなくてもちゃんと帰宅出来てしまう。
「なんて親切な方なんだ」
会うのが気まずかったら無断で帰っても良いですよと言われているみたいだ。
ありがたくスポドリと二日酔いドリンクをいただいてから部屋を出る。長い廊下の右側に玄関ドアが見えている。途中にあるドアには御手洗のプレートが付いている。左を見ると長い長い廊下がずっと続いている。奥の方の薄暗い辺りに階段があるような無いような。こちらはホラー映画とかにありがちな、ちょっと不気味な雰囲気だ。
「親切な家主にお礼言わなきゃ。」
普通なら進むのを躊躇う薄暗がりに航は躊躇い無く向かう。親切にしてもらったらお礼をするのは当然だから。泥酔していたから会うのが気まずいとか、廊下が暗くて何となく行きたくない雰囲気だなんてことは、家主に会わない理由にならない。
奥に進むにつれて、目眩も頭痛も酷くなる。
階段なんて這って上がるしか出来ないくらいの強烈な目眩と目を開けるのも苦しい頭痛。
こんな酷い二日酔いするなんて初めてだ。
***
上階では、家主の明月と同居人の朱美が寛いでいて、忙しい社会人の銀斎が、今日は何故かのんびり料理している。食欲を刺激する出汁の香りがする。
「銀斎さん、店は大丈夫なの?」
銀斎は豆腐屋と居酒屋のオーナーだ。居酒屋の終業時間は豆腐屋の始業時間で、豆腐屋の終業時間が居酒屋の始業時間になる。豆腐屋は飲食席もあり数量限定の朝定食と昼定食も出している。常連客と話すのが好きな銀斎は、普段は基本的に営業店舗に居る。居酒屋のオーナー室なんて厨房とフロアの間に存在している。メニューの品質確認を兼ねて飲み食いしつつ、常連客の対応の隙間で書類仕事をこなすのが銀斎の仕事スタイル。
店舗の定休日も会議や会合があるし、視察等も頻繁で休日では無い。
銀斎が営業時間に店以外に居ると心配になる。
「今日は四半期に1回の完全休養日なんや。」
料理する手を止めずに銀斎が言う。
「仕事は全部部下に任せてる。部下を鍛えるんも上司の仕事やん? 緊急事態が起きても日付変わるまでは持ち堪えろって言うてあんねん。店のことなら明月は何も心配せんでええ。」
銀斎は明月に特に優しい。
「今日は朝から好き勝手に料理して昼酒飲んでダラダラするって決めてん。」
部下を鍛える為よりも力強い宣言と共に、衣をまとった鶏肉が油に入れられる。鶏カラだ。
「アタシもゴロゴロするー。」
ダウナー系ギャルっぽい朱美が便乗してくる。
「んで、銀様の鶏カラ食べるのー。鰹出汁と塩だけの鶏カラなんて他で食べられないもん。」
朱美は完全夜型で仕事も夜業で朝方は自室で眠っている事が多い。珍しく朝からリビングに居るのは、銀斉の鶏カラが目当てだったらしい。
「こないに香辛料の類入れへんの店で出せへんもんなぁ。」
朱美は、食べられるけど無い方が好きのレベルで、ニンニクや玉ねぎが嫌い。香辛料も控えめな方が好き。なのに揚げ物と鶏が好物だから、銀斎特製のニンニクもタマネギも胡椒も生姜も使わない鶏カラは最高に好き。平飼いでプリプリした肉質の新鮮な鶏は臭み消し不用で香り高くて旨味が濃い。
「しかも鰹出汁濃い目で減塩ヘルシー!」
朝食から鶏カラなのは完全に銀斎の好みだったりする。痩せ型なのに実は朱美を上回る揚げ物ラブ勢。
「明月には豆腐とピーマンの味噌汁と茗荷と梅干の炊き込みご飯もあるでな。」
豆腐は店舗で出している高級絹豆腐で味が濃い。ピーマンは産直所の新鮮な物で風味が柔らかくて味噌汁に良くあう。茗荷と梅干の炊き込みご飯は明月の夏場の好物。梅干は朱美の手作り品で茗荷も屋上庭園の自家栽培品。
「昼飯は朧豆腐に鯖でも焼いて水茄子の浅漬け出そかねぇ。んで、三時のおやつに直売店の巨峰も冷やしといたで。」
銀斎の作る焼き鯖は絶品だ。皮目がパリッとしていて身はしっとりジューシーで塩味が絶妙。浅漬けも鰹と昆布の合わせ出汁に極少量の山椒と微量の唐辛子が隠し味のご飯泥棒。直売店の巨峰は極甘絶品で常連客が奪い合いように予約する入手困難品。
「夜は何?」
あまりの飯テロ説明に晩御飯を訊いてしまう。
「朱美も食べてくか?」
「食べるー。」
此方は遠慮なくおねだり。
「なら平飼い地鶏の塩揚げと小蕪の胡麻和えに稲荷三昧かねぇ。デザートは完熟白桃でも部下に買うてこさせよ。」
「訊いといてなんだけど、そんなに調理してたら銀斉さん昼寝出来なく無い?」
「大丈夫やでぇ。鶏肉と油揚の下拵えは店で殆ど済ませて来てん。仕上げだけやからそんな手間でも無い。美味い物は作るのも楽しいしなぁ。出来たて摘み食いは最上級なんやでぇ。」
笑顔で言う銀斎は間違いなく食い道楽。美味しく食べたいから作る事を覚えた料理人には、そのための手間暇も娯楽と同義になるらしい。
「さて、お客人の分も朝くらいは出そかねぇ。」
のんびりした口調で何気なく拾い物に言及する。明月が伝えなくてもちゃんと把握している。自認保護者の銀斎。
「アレ、こっちに来てんの?」
あんなに帰るお膳立てしたのに。
不機嫌になる明月と対象的に、銀斎はどことなく機嫌良さ気だ。
「来てるはるねぇ。礼せなかんと思うて怖いの我慢して気張っとられる。なかなか気丈な良い子やなぁ。」
「それ普通に鈍感なだけじゃなぁい?」
朱美さんが普通にディスる。明月も同見解。
銀斎が階段の様子が見えているように話すのは二人とも気にしていない。
「普通に鈍感やけど、アレを怖いと感じるくらいの感覚はあるな。けど礼儀のが大事やから怖いの我慢して震えながら階段登ってる。良い子やな。」
外見は若いのに銀斎の発言は時々ジジ臭い。
「視界が暗いのも頭痛いのも目眩も震えも吐き気も全部二日酔いのせいやと思いこんどるな。本能的に怖がっとるのに自分で気ぃ付いてへんの。本能を抑え込む礼儀意識とかいっそ笑えるわあ。こっちに近づく程に症状が酷くなってんのになぁ。一般常識的な礼儀を守ろうとして頑張ってはる。世渡りの難儀そうな善人やな。」
「狭い視野で頑張る頭の固いお人好し?」
昨夜の沙耶香と銀斎の言葉が明月の中で重なる。
「それやねぇ。それ、ひょっとして沙耶香ちゃんに言われたんか?」
何でもお見通しなのがちょっと嫌になる。
「付け加えてアレが同居人になるって言われて拾わされた。全く要らないけど。」
「まぁ、明月には良い相手かもなぁ。」
「アレ、要らないんだけど」
「あたしも要らなーい!明月の同居人はあたしだけで十分なんだもん。」
喚く朱美に明月は心底同意したい。
「俺も拒否りたかった。」
「明月が拒否できひんってことは、神託でも降ろされて脅されたん?」
笑いながら簡単に当てないでほしい。
「そうだよ。神関連って傲慢で嫌いだ。」
「それでも神さんは皆んな愛しとるんやで。」
銀斎は沙耶香と感覚が似ているかもしれない。
「無事に境界越えて来はったで。」
銀斉の言葉の直後に、リビングのドアがノックされる。コンコンコンと3回ノックなあたり生真面目さがわかる。
「これ、声掛けてなかったら入って来ないけど諦めずに何回でもノックするタイプのヤツ。」
視線だけ動かしてチラッとドアを見た朱美さんが小声で解説してくる。
「会わないって選択は不可やろねぇ。」
銀斉も明月にだけ聞こえるように言う。
明月過保護ガチ勢の二人が進入許可しているなら、これは避けられない。避ける必要が無い事になる。
明月自身が嫌で嫌で嫌でも。
「どうぞ。」
と応答するのが無難なんだろう。
とっとと礼を済ませて帰ってもらいたい。
「おはようございます。失礼致します。」
酔っぱらいは明るく広い部屋に驚いてから、三人の外見を認識した途端に固まった。
普通の人間の普通の反応はこんなもんだよな。
明月は全面刺繍入りの淡い緑の甚平に重ね着けアクセサリーの白髪チャラ男だし、朱美は紅絹の長襦袢とロングキャミに牡丹モチーフのド派手なチョーカーとピアスとバングルで夕焼け色の派手髪ショートの白ギャル美女だし、銀斉はネオンイエローの麻の作務衣に生成りの割烹着と姉さん被りの手拭いで、ゴールドアクセを仏像並みにブリンブリンに着けたロングシルバーヘアにブラックメッシュの美男子。
3人共、一般人は関わりたくないような外見をしている。
「固まったなぁ。」
銀斎は完全に面白がっている糸目でクスクス笑う。此処まで他人が侵入したのに何の気負いも無い素を見せるのは非常に珍しい。
「コレ、目ぇ開けて気絶してなぁい?」
朱美の方も緊張ゼロで怠惰な猫みたいにゴロゴロしたまま。
「帰れば良かったのに」
明月としては私的空間に他人が居るのが嫌だ。心底からとっとと帰ってほしい。固まったまま居座られるのは嫌だ。
「玄関位置は部屋を出て逆方向ですよ。見取り図が読めませんでしたか?」
直ぐ帰れよと意識を込めて嫌味ったらしく言ってやる。
「三浦航と申します。一晩泊めていただきありがとうございました。玄関位置はすぐ分かりましたが、家主様に礼をと思い勝手ながら奥まで上がり込ませて頂きました。飲み物もありがとうございます。」
こちらの外観にドン引きしていた割に偏見は無いようで、礼儀正しくきっちり頭を下げてきた。本当に真っ当な常識人なのだろう。外見を指摘したり職が何かとかの余計な詮索をしようとしないのも良い。善人なのは間違いない。
「珍しいくらい良い人間だねぇ。」
朱美さんも善人判定する。
「常識的な人間なのに、路上で寝るくらい呑み過ぎたのって何かあったのん?」
明月にとっては余計なツッコミをする。
早く帰って欲しいのに話題を引き出さないで欲しい。
「実は昨晩は私の送別会でして、これで最後だと思うと断りきれず。情けなくも限界を超えてしまいました。」
「ふうん? 送別会って部署異動とか?」
「一身上の都合で退職いたしました。」
「は? 不祥事でもしたの?」
「社内で違法行為が常態化しておりまして、どうにも身心共に限界でした。」
本当に酷い会社だった。地元の権力者と癒着が酷くて、幹部の違法行為揉み消しは日常茶飯事。胃痛と頭痛が友達の日々で、眠りも浅くて常に体がダル重い。就職してほんの数年で体重も相当落ちてしまっている。
「てことは、不祥事を指摘したりもしてたん?」
「具体的な指摘は一切していません。違法行為は違法だからしないと公言してはいましたけど。」
「ねぇ、明月、この人間ここに常駐させたら? 来客対応に良さそじゃね?」
彼が気に入ってしまった様子の朱美が
「朱美さん何言ってんの? 同居人は要らないって言ったよね。」
「ここまで真面目不器用律儀な大人の人間って現代では貴重よ? 悪環境に染まらずに真っ当な己を保ってるなんて、年単位でさがしても見つかんないレベルのレアキャラよ? ちょいと前に外部対応に人間の大人が一人居てくれると楽なんだけどって言ってたじゃん。」
確かに2年くらい前に言っていた記憶はある。明月が実家のある山奥の集落からこのマンションに引っ越したばかりの頃だ。配達品の受け取りの度に、どなたか保護者の方はおられませんか?とか、未成年の方ではちょっとねぇとか言われて、両親に毎回対応して貰いのがもうしかなくも面倒だった時期にボヤキまくっていた。
「でも、成人迄の数年だけの事だし外の人間と暮らすのは嫌だからやっぱり要らないって言ったよね。」
「最近は別の意味でも外面対応要員が必要なんやないか? 会食やら何やらの外部の御呼ばれは基本的に断っとるのに誘いは増えてるやろ。コレ代理人使うたらちぃたぁ面倒減るやろ。」
銀斎まで同居を勧めてくる。
「コレを?」
「約束を遵守して周囲の悪に流されない。近年じゃあ稀な良い人間よね。」
「コンシェルジュとか秘書みたいな役職与えて、外部との緩衝役に丁度良いやん。教育は手間かかって面倒やろけど。」
「同居は嫌だって」
「同居ゆうても下の空き部屋使わせれば良いやろ。風呂も御手洗もあるし、洗濯は近所にコインランドリーあるやん。自炊も一人ならIHコンロと炊飯器にオーブンレンジありゃ充分やない?」
「一部屋だけ使わせて、家賃代わりに来客対応させるくらいなら平気っしょ?」
「二人共やけに推すね。」
「平凡を知らん奴はな、世界に対しての認識が歪むんや。一人くらい身内におった方がええで?」
「平凡な人間って可哀想なくらい視野が狭いって実感するの大事よー。社会の大半以上を実際に動かしてんのは、その平凡な人間達なんだから。」
過保護代表みたいなこの2人がここまで推すなら、明月自身の感情は別にして近くに置く方が良いんだろう。
「ホントにゴリ押しやめてほしい。」
ずっと黙っていた三浦航の意思も確認したい。ここまで好き勝手に言われてたら普通は嫌なはず。
「そこのあんたは? ここで雇われる気ぃあんの?」
「実は社宅が今月末の退去でして。次の住居も仕事も未定の状況なので、住み込みで雇って頂けるならありがたいです。」
あえてガラの悪い態度できいたのに、まさかの同意が得られてしまった。
運命はごり押しで動くらしい。
もうこれは仕方ない。どうしても避けようの無い決定事項なのだと思うしかない。
「名字は三浦だよね。じゃあ、みー君て呼ぶ。とりま就職祝いに朝御飯食べてくー?」
「二日酔いもあるだろうで、梅干と茗荷の炊き込みご飯で出汁茶漬けにしたろかー?」
「ありがとうございます。いただきます。」
朱美と銀斎に誘われて三浦航が素直に食卓につく。
なぜ馴染む? 断われよ。
明月には信じ難い事態だが、初対面の人間を交えた朝食になってしまった。
航の方は、二日酔いの鈍い思考が三者の外見のインパクトに吹っ飛ばされて戻って来ないまま、害意の無い善意に流されただけだったりする。
結果として、明月以外は至って和やかな朝食になった。
航の前に置かれた小丼には、たっぷりの揉み海苔と削り節を乗せた爽やかな風味の炊き込みご飯と湯気のあがる黄金色の出汁を入れた片口茶碗。
朱美と銀斎の前には、大皿山盛りの唐揚げと艶やかな稲荷寿司。
明月の前には、炊き込みご飯と味噌汁に唐揚げに追加でおやつの完熟巨峰が3粒。
「ところで、御三方はどのような御関係なのか伺っても?」
「あたしは、この子の家族。お姉ちゃんよん。」
「こっちは後見人や。血縁の無い親族みたいなもんやな。同居はしとらんが鍵は貰っとる仲だ。」
「あなたに説明する必要は無いですが、2人とも身内ですね。」
結局、拾わされた酔っ払いは同居人に確定。
しかも雇用書類作成しないといけない。
こうして、未来が確定してゆく。
読んでくださりありがとうございます。




