6話「揺らぎ」
何気ない一日。オレはいつものように、レナから文字の読み書きを教わっていた。
静かな資料室に、ペンの走る音が響く。
「そこ、違いますよ。」
レナの指摘に、オレは小さく舌打ちをした。
使用人として働き始めてから半年ほど経つが、未だに文字だけが慣れない。
反復練習が大事であると、最初の頃にレナが言っていた。だが、ここまで上達しないと、本当に意味があるのか疑いたくなる。間違えた文字の横に、再度書き直そうと紙にペンを近づけたとき、レナが口を開いた。
「そうだ、レン。本日の業務ですが、分担とは異なるものをやってもらいます。」
「いつもの仕事じゃないのか?」
ペンを置き、隣に座るレナに向き直る。
レナは小さく頷き、言葉を続ける。
「ええ。本日の午後、ミリアお嬢様の買い物に同行してもらいたいのです。」
「……オレが?どうして?」
「私もわからないのですが、ミリアお嬢様直々のご指名だそうです。」
「……なんでなんだ。」
なぜオレなのかわからない。使用人を同行させるなら、オレよりも適任がいたはずだ。ミリアからの指名らしいが、……意図がわからない。
最近、会えば話しかけられることが多かったが、それが理由とも思えない。
よくわからないが、仕事なら同行するしかないか。
「わかった。午後からだな?」
「ええ。この文章を書き終え次第準備をしてください。準備を終えたら、先にお昼を食べてもいいですよ。」
「わかった。」
そうして、何度か書き間違えつつ、午後からの業務に向けて準備を行った。
昼休憩を終え、玄関でミリアを待っていた所、二人の足音が聞こえてきた。
足音の方向に視線を向けると、ミリアと屈強な男が立っていた。
「待たせたわね。」
「いや、時間通りだ。」
「そう。ならよかったわ。」
「それで。一つ聞きたいんだが、いいか?」
「レン。」
ミリアの後ろに立っていた男がこちらをにらむ。
だが、ミリアは片手を上げて制止し、口を開く。
「いいわ。何を聞きたいのかしら?」
「今回の買い物は、オレを名指ししたと聞いた。なぜオレを指名したんだ?」
ミリアを見つめながら問いかけた。
数秒間沈黙が流れる。
扉の隙間から入り込む風の音だけが、静かな玄関に響いていた。
やがて、ミリアは口を開いた。
「特に深い理由はないわ。ただ、あなたと買い物に行きたかっただけ。ダメだったかしら?」
「……いいや。わかった、同行しよう。」
オレの返答を聞き、ミリアは少し安堵した表情を見せつつ、先を歩いて扉に近づいた。
ミリアの後ろを歩く男は、オレをにらみながら小声で「立場をわきまえろ」と言ってきた。
……立場ね。
これ以上注意を受けるのも面倒だ。まだ身に着いたとは言い難いが、レナから教わった作法を使うことにしよう。扉に手をかけ、開いた。
「それじゃあ、行きましょうか!」
心なしか、ミリアの声が嬉しそうに聞こえた気がした。
午後の街は、早朝や夕方と比べて人通りが少なかった。行き交う人は、慌ただしくなく、店先で談笑している女性たちや、歩きながら話している人がいた。
しばらく歩いたところで、オレは隣を歩くミリアに視線を向けた。
「そういえば、聞いてなかったんだが。」
「なに?」
「何のための買い物なんだ?」
「どういうこと?」
「いや、なんだ。たいていの買い物は、使用人が行うとレナから聞いていてな。ミリアが自分で買いに行くのは何の用事なのかと思ってな。」
「ああ、そういうことね。」
合点がいったのか、ミリアは手のひらにこぶしをポンッと軽く打ち付けた。
「来年からアイギス学園に通うの。そのために必要なものを買いに来たのよ。」
ふふん、とでも言いたげな口調でミリアは答えた。アイギス学園か……。いったい何のことなのか見当がつかない。
「アイギス学園ってのは何なんだ?」
「え?知らないの?」
ミリアは、目を丸くして驚いた。
そんなに一般的な場所なのだろうか。
「ああ。聞いたことがない。教えてくれないか?」
「ええっとね……。歩きながらでもいい?」
「構わない。」
そう頷き答えると、ミリアは説明をしてくれた。
「アイギス学園って言うのはね、勉強をする場所のことよ。いろんな人がそこに集まって、一緒に勉強するの。」
「……ふむ。何を勉強するんだ?」
「何を?……わからないわ。たくさんあるけれど、詳しくは私もよく知らないわ。何があるのかしら。」
ミリアはそう言って、後ろを振り返った。
「算術や言語、政治に魔法と剣術について学べます。」
後ろから護衛の男が答えた。
どれも聞いただけではどんな内容なのか見当もつかないな。……だが、これを聞いたところで、すぐに答えが返ってくることはないだろう。
(帰ったらレナに聞いてみるか。)
「へぇ、そんなにたくさん勉強するのね。」
ミリアが嬉しそうに声を弾ませたところで、最初の目的地に到着した。
店先のガラス窓から、店内の様々な服が見える。華やかなものから、落ち着いたものまで多くの種類の衣服が置かれていた。扉の上に吊るされた看板を見てみると、「仕立て屋」と書かれている。
「最初は仕立て屋なのか。」
「ええ、学園で着る制服を見るのよ。」
楽しみなのか、軽い足取りで店に入っていった。
店内に入ったところで、店員がこちらへやってきた。
「いらっしゃいませ。本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「アイギス学園の制服の採寸をしに来ました。」
「わかりました。こちらへどうぞ。」
店員と護衛の男が淡々とやり取りを交わす。
店の奥へと通され、「そちらに掛けてお待ちください」と言い、店員が離れた。
しばらくして、採寸道具が入った箱を抱えた店員を先頭に、数人の店員が部屋に入ってきた。
「それでは、これより採寸を始めます。護衛の方とそちらの方は、少しの間席を外してもらってもいいですか。終わりましたらひと声かけますので。」
「わかりました。」
「え、いいのか?」
「いいんですよ。では、終わったら教えてください。」
そうして、オレたちは店の待合スペースへ戻った。
戻ったところで、護衛の男に声をかけられた。
「レン。屋敷を出るときからだが、少々言動が目に余るぞ。」
いらだっているのか、腕を組みながら、人差し指で腕を小刻みに叩いている。
「急にどうした。」
「突然も何もない、出る前に言ったよな?立場をわきまえろと。何なんだ、お嬢様に対してあの言動は。レナ副メイド長から指導を受けなかったのか?」
「ああ。受けたな。少し意識してみたが、不十分だったか?」
「あれで意識していたのか。」
男は呆れたように息を吐いた。
「一朝一夕で身につくものじゃないだろうが、もう少しレナ副メイド長に教わりなさい。」
そう言うと男は、それ以上話すつもりはないとでも言うように、扉の横へと移動した。壁に背を預けることなく、その場にまっすぐ立つ。
目を閉じたまま、呼吸ひとつ乱れない。
先ほどまでの苛立ちが嘘のように、再び護衛としての顔に戻っていた。
オレは近くの椅子に腰を下ろし、ぼんやりと周囲を眺めた。
店内は、布特有の植物や動物由来の匂いが漂っている。壁に使われている木の香りと混ざり合い、不思議と落ち着く匂いだった。
(悪くない匂いだ。)
扉の奥からは時折、店員たちの小さな話し声が聞こえてきた。
しばらく経ったころ、部屋の中から控えめなノックの音が響いた。
オレたちが中に入ると、ミリアが嬉しそうな表情でこちらに駆け寄ってきた。
「終わったわよ。」
「お疲れさまでした。」
護衛の男はそう答えると、オレに視線を向けた。
「それでは、レン。次は、あなたが採寸してもらいなさい。」
「……オレ?何のために?」
「その必要があるからです。それでは、店員さん。お願いします。」
「わかりました。」
「ちょっ、おい。待てよ。おい。」
オレの制止もむなしく、扉が閉じられる音が室内に響いた。
なぜオレも採寸する必要があるのか。そんな疑問を抱えたまま、店員たちは手際よく採寸を始めた。
滞りなく採寸を終えたオレたちは、道具屋へ立ち寄った。
そこでは、学園で使う筆記用具やノートなどを買いそろえた。
ミリアは楽しそうに店内を見て回っていたが、護衛の男は必要なものを手際よく選んでいく。その間も、片時もミリアを視界から外さない。
(さすが護衛といったところか。)
そうして、必要なものを一通り買い終えると、オレたちは最後の目的地へ向かった。
大通りを少し進んだところで、ミリアは一軒の店の前で立ち止まった。
ショーウィンドウには、革製の鞄がいくつも並んでいる。
扉の上に吊るされた看板には、「鞄屋」と書かれている。
「さて、最後は鞄よ。」
ミリアは楽しそうに、店内に入った。
扉を開けると、革特有の匂いと布の匂いがふわりと鼻をくすぐった。
先を歩くミリアの後をついて歩きながら、オレも鞄を見て回った。肩にかけるタイプや背負うタイプ、手に持つタイプと様々な種類の鞄が置かれていた。個人的には、背負うタイプの鞄の方が両手が自由に使えるので使い勝手が良いと思うが、他のタイプの鞄も需要があるのだろうか。
(オレには理解が難しい世界があるみたいだな……。)
値段を見ると、それなりにするため、簡単には買うことができないのは確かだ。
そんなことを考えていると、ミリアがこちらに小走りでやってくるのが見えた。
両手には、種類の違う鞄を持っている。
「ねえ、レン。どっちがいいと思う?」
「……さあ。どっちも同じように見えるが。なんでオレに聞くんだ?」
「むぅ。面白くないわね。」
頬を膨らませると、少し機嫌が悪そうに護衛の下へと歩いて行った。
一体何がしたかったのかわからなかったが、会計をしているところを見るに気に入ったものが見つかったようだ。なぜか、ミリアの鞄だけでなくもう一つ似た種類の鞄を買っていたが、今考えても仕方のないことだろう。
鞄屋を出たころには、すでに日が傾きつつあった。
街の人通りは昼間よりも増え、多くの荷物を持っているオレたちには少し歩きづらい。
「むぅ。ちょっと歩きにくいわね。」
「仕方ないことです。可能な限り、人に当たらないよう慎重に歩きましょう。」
「じれったいわね。」
名案を思い付いたとでも言うように、ミリアがぱっと顔を上げた。
「そうだ、路地裏を通って帰りましょ!」
護衛は、呆れたようにため息をつき、ミリアの提案に答える。
「ダメです。昼間の明るい時間ならともかく、この時間の路地裏は危険です。」
「えー、少し歩くだけじゃない。人が少ない通りに出るまでよ。」
そう言うが早いか、ミリアは路地裏へ向かって駆け出した。
護衛は慌ててミリアの後を追って駆けだした。
「ダメです!離れないでください!」
オレも見失わないように後を追う。
裏路地は表の通りとは異なり、ところどころ石畳が欠けていた。さらに奥へ進むと、石畳が途切れ地面がむき出しになっている。裏路地入口付近とは違い、材木や箱、荷物が置かれていない。奥へ進むにつれ、人の気配は完全に途絶えていた。
しばらく駆け足で進むと、ようやく二人の背中が見えてきた。
「もう、遅いわよ!」
合流したところで小言を言われる。
護衛の男は、こちらをチラッと見るくらいで何も言わない。
「悪いな。」
「ま、いいわよ。早く帰るわよ。」
そう言い、ミリアが一歩踏み出す。
その瞬間、わずかに空気が揺れるような気配がした。
いや、空気が揺れるというよりも、空間自体がゆがむといった方が適切かもしれない。
ただ、そこにいるだけで何とも言えない気持ち悪さを感じる。
(何なんだこれは……。)
正体はわからない。だが、嫌な感覚だけは確かだった。
少し進んだところで、空気が変わったのを感じた。
気づくよりも早く、オレはミリアを引き寄せていた。
先ほどまでミリアのいた位置に、両腕が伸びている。
「レン!?」
ミリアは状況が読めていないのか、困惑の声を漏らす。
近くにいた護衛も突然のことで反応に遅れている。
再度、両腕の伸びていた位置に視線を戻すと、そこには何もなかった。
――どこだ?
ミリアを腕に抱えたまま、辺りを警戒する。
護衛も警戒態勢に入り、懐からナイフを取り出していた。
すると、今度は護衛の後ろから空気のゆがみを感じた。
「っ!後ろだ!」
声をかけたころには遅く、護衛は攻撃をかすってしまった。だが、護衛も手から炎を出し、反撃する。しかし、炎が着弾する頃にはそこには何もなかった。
「ちっ、逃がしたか。」
護衛は舌打ちをして、再度警戒する。
ここでじっとするだけでは、後手に回ってしまう。
だが、移動すると反応に遅れてしまう。
であるならば、捕まえるしかない。だが、相手の数がわからない。
(どうする?)
一人だけなら話は簡単かもしれないが、あいにく相手の人数がわからない。
このままでは、いたずらに体力だけ消費するだけだ。
そんなことを考えていると、再度空気の揺らぎを感じる。
今度は、――オレの後ろからだ。
そう気づくころには、ミリアを突き飛ばし伸びた腕をつかみ、そのままの勢いで相手を引っ張り出した。突然のことで相手も対応に遅れていた。オレの体重を全てかけ押さえつけるが、子どもの重さなんてたかが知れている。オレは、護衛に声をかける。
「おい!手を貸してくれ!」
「……ああ!」
押さえつけていた男に駆け寄り、買った荷物についていた紐で縛り上げる。男は激しく抵抗したが、護衛が手際よく動きを封じた。
それから、しばらく辺りを警戒したが、追撃が来ることはなかった。
仲間を捕らえられたことで、追撃をやめたのか。それとも、単独犯だったのか。真意は定かではないが、今のうちに移動した方が良いだろう。
そう判断し、オレたちは男を連れて路地裏から出た。
表の通りに出たところで、ミリアと荷物を護衛に任せて、オレは捕らえた男を軍の詰め所に連れて行った。男を引き渡すと、オレはそのまま屋敷へ戻った。
屋敷へ戻ると、レナが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、レン。旦那様が事務所でお待ちです。」




