5話「所属」
「おはようございます。身支度は済んでいますか?」
窓から朝日が差し込む早朝、扉が叩かれた。
「ああ、問題ない。」
そう返事をし、ベッドから立ち上がる。
椅子に掛けていた上着に袖を通し、そのままドアノブをひねった。扉を開けた先には、昨日オレをこの宿に案内したメイドが背を伸ばして立っていた。
メイドは一礼をし、「それでは、行きましょうか。」とだけ言い、当然のように先を歩いていく。オレは何も言わず、その後を追った。
外に出ると、朝日が街を照らしていた。忙しなく歩く人々、親子と思われる二人連れ、光を反射して馬車が通り抜ける。人の流れは途切れない。だが、昨日の夕方ほどの混み方ではない。
人波に逆らうこともなく、そのまま街を抜けていく。
屋敷に続く道に出たとき、人影が無くなった。遠くに聞こえる鳥の声がやけに大きく響き、木々の擦れる音がはっきりと耳に入る。
(やっぱり、この辺りは静かだな。屋敷に近づくにつれて人が減っている。……誰も近寄りたがらないのか?)
木漏れ日の温かさが、肌に伝わる。木々の影と相まって、気持ちの良い空気の中を歩く。
門に近づくと、昨日と同様に門番が立っていた。だが、昨日と異なり一人だけだった。もしかしたら、深夜と早朝は交代で休憩しているのかもしれない。
「戻りました。」
そうメイドが声をかけ、門を開く。後を着いて、敷地内に足を踏み入れる。一瞬だけ視線をこちらに向けたが、それ以上の反応はない。噴水の流れる音を聞きながら屋敷の扉の前へ歩く。ドアノブをひねり、中に入ると昨日と同様の部屋まで連れられる。
「どうぞお入りください、旦那様方がお待ちです。」
そう言い、メイドは扉を開けた。
扉の先には、中央にダミアン、その両隣にオリヴィアとアルデンが座っていた。その後ろには、アゼルとヴェリア、見覚えのないメイドが一人、控えていた。
「来たか、レン。昨日はゆっくり眠れたか?」
そうダミアンが言うと、その場にいた全員の視線が、一斉にこちらへ向いた。
「ああ、久しぶりに気持ちの良い朝を迎えられた。」
「それはよかった。君の泊まった宿は、この街でも質のいい宿に入る。」
「そうなのか。」
そう言い、首の付け根に触れた。どおりで、妙に体が軽いわけだ。
「さて、君に来てもらったのは雑談をするためではない。まぁ、多少は軽口を交わしてもいいが、時間が惜しい。」
ダミアンはそう言い、周囲に視線を向ける。
オリヴィアとアルデンは頷き、アゼルとヴェリア、メイドは静かに礼をした。
「昨日、君を雇いたいと言ったことは覚えているな?」
「ああ。」
「あの後、家族で話し合った結果……。」
そう言い、ダミアンは長机の上に一枚の紙を出した。
「君を迎え入れることになった。これからよろしく頼む、レン。」
ダミアンは微笑みながら言った。
隣に座るオリヴィアは楽しそうに笑顔を浮かべており、アルデンは真剣なまなざしをこちらに向けている。
「……ああ。よろしく頼む。」
そう言い、オレは長机に近づきその紙を手にする。
軽く目を通したが、内容はわからない。
「それは、雇用契約書だ。下にある空欄に、名前を書いてほしい。」
「名前か……。」
「もしかして、書けないのか?」
「ああ。」
「そうなのか……。ということは、何と書いてあるのか読めないのか?」
オレは小さく頷いた。
ダミアンは、顎に手を添え「なるほど。」とつぶやいた。
「予想していたことだが、まさか本当に読み書きができないとはな。それで使用人として働けるのか?」
アルデンは、心底呆れたと言わんばかりに口にする。
「そうねぇ。文字が書けなくても、読めないのは不便よねぇ。」
オリヴィアがのんびりとした口調で言う。
まさか、読み書きができないだけでここまで言われるとは思いもしなかった。これまで、それで困ったことはない。迷うことはあっても、周りを見ればだいたいわかる。必要な情報は、対象の行動と習慣だ。それ以外は、必要ない。
「……支障はあるが、問題ない。」
そうダミアンは言うと、席を立った。
「雇うことは決定事項だ。雇用契約書に署名をしてもらいたかったが、ひとまず後回しでいい。」
ダミアンはメイドのそばに歩み寄り、言葉を続ける。
その視線の先で、メイドが一歩前に出た。
「そして、彼女は今日から君の直属の上司に当たる人間だ。」
「副メイド長をしています。レナです。」
レナと名乗ったメイドは、流れるような所作で一礼をした。
「彼女には、レンの教育係を兼任してもらうつもりだ。最低限の読み書きも教えてもらいなさい。契約書にサインできる程度でいい。」
「ああ、わかった。」
「それと、君の部屋も用意した。まずは、そこに案内してもらうといいだろう。」
「……住み込み、なのか?」
「当然だ。言わなかったか?」
「……聞いてない。」
「そうだったか。君には、住み込みで使用人として働いてもらう。」
そうダミアンは言い、レナに視線を移した。
レナは頷き、こちらに歩いてくる。
「それでは、今日のところはこれで終わりだ。」
「わかった。」
レナはオレの隣にたどり着くと、「では、こちらへ。」と言い扉を開けて先に歩き出した。言われたとおり、その後をついていく。
階段を上がり、二階、三階と進んでいく。やがて階段が途切れ、廊下へと出た。窓が廊下の端にしかなく、明かりもついておらず、やけに薄暗かった。この階には誰もいないのか、コツッ、コツッ、と二人の足音だけが耳に響いた。
「こちらが、レンの部屋になります。」
そう言われ、扉の前で足を止めた。
廊下の端。どこか追いやられたような位置だが、残っていた部屋がここだけだったのかもしれない。ドアノブに手を伸ばし、扉を開ける。
扉を開けた先には、ベッドが一つと机と椅子が置かれた、殺風景な部屋だった。窓が二つあるのは、端の部屋だからだろう。住む分には悪くない。
(オレの住んでいた家よりもいい場所だな……。)
整理する荷物もないため、そのまま部屋を後にし、これからの職場を案内してもらうことになった。
廊下に出て、中央付近まで歩いたところで、レナはこちらに振り返った。
「まずは、私たちが生活する空間から案内しますね。この階が、使用人の居住区になります。」
そう言われ、廊下を見渡す。扉が規則的に並び、人の気配は薄い。
どおりで薄暗かったのか。それに、廊下は木の板がそのまま使われており、カーペットが敷かれていない。丁寧に手入れがされているのか、傷んでいる気配はないが見栄えはよくない。
レナは、後ろを振り返り説明を続ける。
「こちらの大きな階段は、来客用に使われている階段です。普段はこちらの階段を使わずに、上がってきた階段を使用してください。今回は、特別にこちらを使って移動しますね。」
そう言って、レナは階段を下り始めた。その後に続いて、一歩踏み出す。
足を乗せた瞬間、わずかに沈む。フワッと音が聞こえてくるかのような柔らかさが、靴の裏から足に伝わった。先ほどの階段とは、まるで違う。
よく見ると、階段の中央に敷物があった。赤を基調とした敷物であり、階段の端を除いて敷かれている。廊下と比べて、きれいすぎるくらいに整えられているように見える。
二階に降りて一歩踏み入れたところで、レナは振り返る。
「こちらが、旦那様方の居住区になります。基本的に廊下を掃除する程度で、命じられない限り部屋の中に立ち入ることはありません。」
そう言われ廊下を見渡す。部屋は規則正しく並んでいるが、さっきの階とはまるで違った。廊下には敷物があり、壁にかけられた光が、わずかに揺れている。ただの灯りとは、少し違う。
「なんなんだアレは?」
「ご存じないんですか?」
レナは、目を見開いて聞き返してきた。何か変なことでも聞いてしまったのだろうか。
「アレは、魔石を使ったライトです。魔力が残っていれば光り続けるものとなっています。」
魔石……、そんなものがあるのか。顎に手を添えて、そのライトをよく観察してみる。よく見てみれば、昨夜街中で見た街灯もこれとよく似たものだったような気がする。
なんだか、妙な波のようなものを感じる。……だが、現時点でこれが何なのか、わかりそうにないな。
魔石から視線を外し、レナに向き直る。
「ちなみに、ライトが切れたら交換することも業務の一つなので、朝起きたら確認することを忘れないでください。」
そう言って、階段を下った。
下りた先には、正面に大きな扉、左右にはそれぞれの空間に繋がる扉がある、よく知っている空間が広がっていた。
「すでに数回通っているので、ご存じかと思いますが、ここは玄関ホールとなっています。」
なるほど、この大きな階段は玄関ホールに繋がっていたのか。確かに、使用人として働く以上、何かを持ち歩くこともあるだろう。その際、外部の人間に見られて不都合なものを持っていた場合、隠すのが難しそうだ。
(いろいろな面で、大階段を使うことは避けたほうが良さそうだな……。)
そう考えながら、玄関ホールを見渡していると、レナが口を開いた。
「ここは左右で役割が異なります。貴方が旦那様家族と面談したのは、右側のエリア、生活区になります。」
そう言い、階段を正面にレナが右腕を上げ指し示した。
そして、反対側の扉の前に歩み寄り、口を開く。
「反対側にある扉の先は、行政区となっております。貴方の業務範囲に行政区は含まれていないため、職務でいくことはないと思います。なので、簡単に紹介しますと、事務所と会議室、資料室があります。私用で利用を許可されているのは、資料室のみとされているので、利用してみてください。ただし、鍵付きで閲覧制限されているものも含まれますのでご注意ください。」
資料室か、文字が読めないため利用することはなさそうだ。
(ただ、文字が読めないと不便だとわかったからな……。少しは検討するか。)
そう考え、先を歩くレナの後を追った。
生活区の扉を開けた先は、もう見慣れた空間が広がっていた。
初めに訪れた際には気づかなかったが、二階と同じ魔石のライトが等間隔でついている。また、二階や三階と異なり使用人の歩き回る音や、何かを動かす音が耳に入ってきた。
廊下の突き当りまで歩いていくと、最初は見落としていた扉があった。
「こちらは、業務用の勝手口となります。物の搬入や排出の際に使いますね。いずれここを使う際に、また説明しますね。」
勝手口を離れ、数歩歩いたところでまた立ち止まった。
そこは、つい先ほどまでオレたちがいた部屋の前だった。レナはドアノブに手をかけてひねり、扉を開けた。
「こちらは、あなたも覚えがありますよね?ここでは、主に食事をする際や私たち使用人と旦那様家族が交流する際に利用することがあります。」
あの時は、ヴェルクレスト家の連中と会うのに使っていたが、メインは食事と交流か。横に長いテーブルに、十数個の椅子。それに、日差しが良く入る大きな窓がある。確かに、この雰囲気はそういう用途で使われているものと似ているな。
「ちなみに、食事の順番は決まっているので注意してください。私たちの食事は、旦那様方のあとの遅い時間になります。夜の業務が終わり次第、食事を行っていただいて構いません。ただし、旦那様方と同じ時間にならないよう注意してくださいね。もっとも、旦那様は一緒に食事をしようと言ってくださいますが。」
「それなら、一緒に食事をとればいいじゃないのか?」
「そうはいきません。業務がその時間まであるというのもありますが、使用人と雇い主が一緒に食事をするというのはあってはならないことなのです。」
面倒な話だな。だが、そういう決まりなら仕方ない。反発したところで、食事にありつけないだけだろう。
部屋を出て、次は正面にある扉の前に立った。これまでの扉とは異なり、他より一回り大きい扉だ。ほのかに、鼻腔をくすぐるような良い匂いが扉の先からする。それに、小さくだが何かが打ち付けられるような音がする。
「こちらは厨房になります。開けて中を案内することはできませんが、ここで生活する者の食事を作っています。もしかしたら、直接利用することがあるかもしれませんが、火や刃物を扱いますので、注意してくださいね。……わかっているとは思いますが、刃物を含めた道具の持ち出しは厳禁です。」
そう言い、レナは睨んできた。
「言われなくてもわかっている。」
さすがに持ち出すことはしない。だが、必要となれば……。今考えることではないか。
「最後に、隣にあるのが脱衣所と浴室、トイレになります。入浴時間は、食事と同様順番が決まっていますが、そこまで厳重なものではありません。あくまでも、旦那様家族と被らなければ問題ありません。業務が終わり次第入ってください。」
「ただし」とレナは一言付け加えて、脱衣所の扉を開けた。
「こちらの戸棚に、私たちの名前と立札があります。こちらを入浴後は裏返すことを忘れないでください。そして、全員入浴していれば、最後の人が浴槽の掃除を行い、札を元通りにしてください。」
「わかった。」
レナは小さく頷き、脱衣所から出て階段を上がり、オレの部屋の前に戻った。
「ここまでの説明で、疑問点やわからなかったことはありますか?」
「そうだな……、今日はこの後どうすればいいんだ?」
「この後は、自由にしてもらって構いません。案内した場所を再度訪れるのも良し、荷物の整理をするのも良し、街に行っても構いません。外に出る際は、一言かけてから行ってくださいね。」
「……そうか。」
自由時間か、それならもう一度案内してもらったところをめぐることにしよう。それ以外に確認することはあっただろうか。
「あ、言うのを忘れていましたが、朝は未明に大階段前に集まってください。朝の点呼がありますので、遅刻しないように。」
「わかった。」
朝はのんびりしてられないのか。いつも起きる時間と変わらなさそうだが、少しは意識した方が良さそうだ。
「他に聞きたいことはありますか?」
「そうだな……。だいたいはわかった。また、わからないことがあったらその時に聞くことにする。」
「わかりました。それでは、私はこれで失礼します。外に出る用事があれば、私に一言言ってくださいね。」
「わかった。」
レナは、一礼しその場を後にした。
その後、案内された場所を一通り確認し部屋に戻ってきた。
今日からヴェルクレスト家で使用人として働くことになるのか……。これまで組織で動いたことがないため、やっていけるかわからない。ただ、現状ヴェルクレスト家の中にいる。ここで反抗したところで、返り討ちに合うのが関の山だろう。
(とりあえずやるしかない……か。)
そう考え、ベッドに体を預け意識を手放した。




