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自分自身を嘲笑うかのように顔を歪ませる男に、蒼司は悲しそうな目を向ける。それは蒼司にも同じことが言えるからだ。誰にも必要とされない。生きているのが間違いかのような視線のなか生きて来たのだ。しかし蒼司には今まであやかしたちが傍にいた。この男のようにあやかしを憎んだことなど一度もない。自身の周りにいたあやかしたちはいつも蒼司の味方だった。蒼司にとってはあやかしとは家族同然なのだ。
しかしこの男には家族と呼べる存在すらいないのだな、と蒼司は切なくなる。他人の事情に踏み込んだことはない。いつも線を引いてひとと接する。しかし蒼司はなぜかこの目の前の男には同情のようなものが込み上げる。それは自身と似ているからなのか、それともなにか別の感情なのか。
「寂しいね」
蒼司は無意識に男の頭に手を置くと、そっと撫でた。蒼司よりも背の高い男の頭上は蒼司には見えない。伸ばした手が男の短い髪を撫でると、男は呆気に取られていた顔から一気に顔を真っ赤にしたかと思うと、思い切り蒼司の手を振り払った。
「な、なにしやがる‼ ガキ扱いすんじゃねぇ‼」
「ハハ、僕から見たら君は可愛い弟みたいなものだねぇ」
「はぁ⁉ 誰が弟だ‼ 俺の方が年上かもしれねぇだろうが‼」
蒼司は見た目は若く見られがちだが、彌勒堂を開業してから十年という月日は経っている。青年と呼べるほど若くもない三十二歳。そこそこ良い歳なのだ。この目の前の男は体格と強面の風貌から年上そうに見られなくもないが、肌艶を見るに年下だろう、という蒼司の見立てだった。
「いや、そこ⁉ 今それどころじゃねぇだろうが‼ どっちが年上とかそんなもんどっちでも良いわ‼」
どちらが年上だ、とかいう能天気な会話を繰り広げている蒼司と男の背後から堀井が大声で突っ込んだ。現にいまだ銀子ときなこは黒い影を祓おうと奮闘しているのだ。なにを呑気に、と堀井が怒るのも仕方ないというものだろう。
「おっと、そうでした」
忘れていたとばかりに、わざとらしく手をポンと突いた蒼司はじりっと一歩踏み出した。男は小さな子供扱いされたことに嫌そうな顔のままだが、蒼司が足を踏み出したことで自身も黒い影へと再び視線を送る。そこには銀子ときなこが影を斬り裂きながら飛び回る姿が見える。蒼司はさらに影に近付いていく。
「お、おい、あんた、なんの力もないって……」
先程自身で力がないからなにも出来ないと言っていたのではないのか、と男は怪訝な顔をする。心配するような声音で蒼司の背に向かい声を掛ける男に、蒼司はクスッと笑った。この男は口も態度も悪いが、本来の性格は他人を思いやる人間なのかもしれない、と蒼司はなんとなく感じた。それは蒼司自身が同じ状況だった場合、相手のことを心配するだろうか、と思ったからだ。力のない人間が危険の及びそうなところへと向かうのは、なにか勝算がある場合か、ただの馬鹿なだけか、だろう。
男はあやかし嫌いだけでなく、他人との関わりが苦手なように思えた。それは『あやかしが視える』ということで、男の人生がどういったものだったのかを蒼司にはなんとなくでも想像出来たからだ。あやかしやこの世ならざるものが視える人間は、周りの人間たちに理解されずに孤立することは往々にしてある。蒼司は幼い頃から陰陽師の家系として育ち、あやかしとの関わり方を熟知していたからこそ、なにも知らない人間との関わりも上手くやって来られているのだ。
しかし、この男のようにあやかしを必要以上に敵視しているということは、あやかしを上手くあしらう方法を知らず、人間社会から孤立してきたのだろう。人間不信にすら陥っているかもしれない。それなのにこの男は蒼司のことを心配している姿を見せる。そのことに蒼司はなにか放っておけないような、本当に弟のような、そんな不思議な感覚を覚える。他人と関わろうとしない蒼司にとっては自分自身が信じられないといった、そわそわと落ち着かない気分にもなる。だがしかし、なぜこの男にそんな感情になるのか、と客観的に自身の内面を探り、それを解き明かしてみたいと思ってしまう。
そんなことを考えていると、なんだか楽しくなってきてしまう蒼司だった。フフッと笑う蒼司に男は眉間に皺を寄せた。
「おい、なんなんだよ」
イラッとしたのか男は低い声で蒼司を睨むが、そんな睨みは蒼司には通用しない。それすらも小さい子供の反抗のように思えて楽しくなっていた。
「フフッ、大丈夫。心配してくれてありがとう」
「し、心配なんかしてねぇ‼」
明らかに楽しそうな蒼司。そんな蒼司に揶揄われているのだろう、目の前の男に同情した目を向ける堀井だった。
蒼司は楽しそうな表情のまま黒い影の前へと踏み出すと声を掛ける。
「ねぇ、君はなぜこの子に憑いたの? この子に固執していた理由はなに?」
蒼司が声を掛けたことによって、今まで銀子ときなこへ向いていた黒い影の意識が蒼司へと向かった。男とふたり並ぶ姿に声にならない奇声のようなものを上げる。
『アァァァ‼ オマエガァァァ‼ ユルサナイィィ‼』
大きく膨れ上がった黒い影が蒼司に覆い被さろうとすると、銀子は間に入り込み大きく咆哮を上げた。銀子の咆哮は黒い影を吹き飛ばすが、それでもまだ黒い影は残る。
「この子に固執していたのに、今度は僕に敵意を向けていたよね? それはなぜ? 僕は君のことを知らない。どこにいるの? 君はいつ封印されたの?」
『ウルサイ‼ ウルサイ‼ ウルサイィィィ‼』
金切り声のような声を上げた黒い影は、蒼司の言葉を聞いていないようだった。対話に応じるはずもないことは蒼司自身分かっていたが、この黒い影がなにを訴えたいのか、それを知りたかった。恨みのせいでこの黒い影も歪んでしまったのかもしれない。本来は悪いあやかしではないのかもしれない。様々な可能性を考え、解決出来るものならしてやりたい。そう蒼司は思っていた。
しかしもう限界か、と語り掛けることを諦めようかと蒼司が判断したとき、隣に立つ男がゆらりと足を踏み出した。
「え?」
蒼司は驚き振り向いた。男はまるで怒りのオーラが出ていそうなほどの剣幕で、ゆらりゆらりと黒い影に近付いていく。
「いい加減に……」
「ちょ、ちょっと君……」
蒼司が声を掛けようとしたそのとき、男は拳を握り締め、そしてじりっと足を踏ん張ると拳を振りかぶり、そして勢い良く振り下ろした。人間同士の喧嘩ならば、相手の骨を折りそうな勢いで振り下ろされた拳。ビュウッと風を切る音が聞こえるほどの激しさで振り下ろされた拳は黒い影の中心に届いた。
「しやがれぇぇ‼ グダグダといつまでもうるせぇんだよ‼」
男が放った拳は風を切り裂き黒い影の中心に届きはしたが、しかし黒い影は実体がない。霧のなかに拳を振るうことと同じだ。そう思われたが、男の突き出した拳からは一瞬にして衝撃波のようなものが広がり、パンッと音を立てて一気に黒い影を吹き飛ばした。
「え……」
蒼司も堀井も唖然とし、銀子ときなこですらもなにが起こったのか理解出来ないといった様子だった。




