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八百万妖貸し屋 彌勒堂カルテット  作者: 樹結理(きゆり)
第一部 邂逅

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「え、なんかヤバいのか?」


 蒼司から今まで「気を付けろ」なんて言葉を聞いたことがなかった堀井は、予期せぬ言葉に目を見開いた。


「うーん、ヤバいと言うか、本当に予想が出来ないんですよ。相手がどのような存在なのか分からない。あやかしなのか、なにかの霊なのかも分からない。さらには深夜という時間帯……」

「深夜だとなにか問題でもあるのか?」

「問題というか……まあ、とりあえず早く行きましょう。遅くなればなるだけ拙いことになりそうですし」

「な、なんだよそれ」


 怪訝な顔となる堀井を無視し、蒼司は珠子ときなこを促し、足早に事務所を後にする。堀井はそんな蒼司の姿に唖然としていたが、ハッと我に返り慌ててそれに続いた。


 事務所を出ると外はもう真っ暗だ。駅前の街灯やネオンのおかげで明るさは保たれてはいるが、ひと通りはほとんどなくなった。空にはすっかりと星が瞬き出している。都会と呼べるほどの賑わいはなくとも、街の灯りは星をほとんど隠してしまう。一等星以外を見ることの出来ない暗い星空は、闇が広がるような吸い込まれそうな感覚を覚える。蒼司はそんな星空に逆に安心する。

 彌勒家で暮らしていた頃――広い土地に広い屋敷、街から遠く離れていた旧家は夜になると満天の星が空を埋め尽くしていたことを思い出すからだ。降るような星空を眺めながら、いつも窮屈さを感じていた屋敷。その彌勒家を出てからはあれほどの満天の星を見ることはなくなった。今現在住んでいる彌勒堂も田舎ではある。しかし、彌勒家のあった土地と比べると、今の場所はまだ都会と呼べる。近くにあるアーケードの灯りで星の数は彌勒家よりも圧倒的に少ない。それが蒼司にとっては安心感を覚えるのだ。彌勒家から離れたという実感。彌勒家から除籍されるということ自体になんの感慨もない蒼司ではあったが、やはり心のどこかで『彌勒家』にいつまでも囚われていることに苦笑するのだった。


 現在零時過ぎ。ひと通りのなくなった駅前を通り過ぎ、昼間行ったマンションへとたどり着くと、マンション前にはすでに田中が待っていた。


「すみません、お待たせしました」


 蒼司は駆け寄り、田中は蒼司の姿を見ると手を振った。その後ろからは堀井が続く。


「まだ例の部屋の住人は帰って来ていないようです」


 田中はマンションを見上げながら言った。同様に蒼司もマンションを見上げるが、玄関横にある窓には灯りが見えない。田中の言う通り、まだ帰宅していないのだということが見て取れる。住人が帰るまで待つしかない。どうしたものか、と考えようとしたとき、銀子の声が夜の闇に響いた。


「蒼司、私の後ろに」


 突然、強い風がつむじ風のように舞い上がると同時に、銀髪と着物の袖を靡かせ銀子が現れた。現れたと同時に蒼司を背後に庇うようにマンションとは真反対の方向へと向く。


「え⁉」


 田中は驚いた顔をし、堀井も同様に驚いたが、しかし、こうやって突然現れる銀子を見慣れていた堀井は驚きつつも、銀子の目線の先を追った。そこにはなにやら異様な気配を漂わせた男が立っていた。身体全体を覆うようになにやら黒い影が纏わり付いている。フラフラと力なく歩き、項垂れた頭がゆらゆらと左右に揺れている。生気がなく脱力したまま歩くその姿はまるで死人のようだ。堀井の目には若い男のようには見えるが、しかし、その生気のない顔が年齢を分からなくさせている。青白い肌に目の下には隈が広がり焦点の合わない目。


「田中さん、あのひとが例の部屋の住人ですか?」

「あ、は、はい」


 銀子の姿に驚いていた田中は蒼司から問われ、びくりとすると改めてこちらに歩いて来る男を見た。


「あの方が二〇三号室の方です。私が会ったときよりさらにやつれておられますが……それにあの影のようなもの……あれはなんです⁉」


 田中はなにやら異様な様子の住人に怪訝な顔となる。田中にすら見えるその周りに漂う異様な気配の黒い影。田中は身体を強張らせ、少し後退る。しかし、堀井はそんな田中以上に身体を強張らせた。その男には黒い影だけでなく、なにやら目を疑いたくなるような見たこともない生き物が背後に貼り付いていたからだ。本などでしか見たことがないような、所謂『妖怪』と呼ばれるような生き物。ひとのような鬼のような、怒っているのか恨んでいるのか、鬼の形相とはこのことか、と思えるほどの、(おぞ)ましい顔を向けるそれ。白装束のような着物を着ているようにも見えるが、姿かたちを保てないのか、下半身はぼんやりとしていてはっきりとは見えない。腕をだらりと項垂れかかるように男の肩に乗せ、男の顔を覗き込むように、背後からその悍ましい顔を近付ける。堀井自身は銀子以外にこれほどはっきりとあやかしの姿を見たことはない。その不気味としか思えないあやかしの姿に堀井は全身の毛が逆立つような悪寒が走る。しかし、蒼司はそんなことは目に入らないかのように腕を組み、顎に手をやりながら首を傾げた。


「うーん、なんだろう……本当にあのひとですか?」

「え? どういう意味です?」


 蒼司のその様子と言葉に田中は意味が分からず聞き返す。そんなふたりの様子に堀井も怪訝な顔。


「おい、彌勒堂。それどういう意味なんだ? 田中さんが部屋の住人を間違えるはずがないだろう」

「いえ、まあそうなんですが……銀子さん、どう思います?」


 住人から視線を逸らすことなく、蒼司は庇うように立つ銀子に向かい聞いた。銀子はそんな蒼司に振り返ることなく、同じようにこちらへと向かって来る住人をただ見詰めている。その顔はいつものように楽しそうに笑うでもなく、ただ無表情だった。睨むように真っ直ぐに見詰めていた目は、酷く不機嫌そうに細められ、そしてゆっくりと口を開く。


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