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68話 トランスの憂鬱


 トランスは憂鬱な時間を過ごしていた。なにもかもリーバレッドでの一件のせいだ。

 計画は途中までは上々だった。要塞で住民の血肉を奪いつつ、クラーケン討伐で名声を高める予定が、ユウトを始末し損ねたせいで水の泡となった。


 トランスは嘆息する。本来ならば今頃、クラーケン討伐で人望を集めていたはず。そうすればリーバレッドでも殺人を行いやすくなり、ベルゼガスへの貢ぎ物も増える。

 それなのに、ユウトを討てず、悪魔の眷属だと正体を晒して逃げ帰ってきた。


 地下室のベッドに座り本を開くもののまるで集中できない。すると、頭の中にベルゼガスの声が響いてくる。

 すぐに立ち上がり、彼の部屋へ向かった。


 むせかえるような臭いが充満している。そんな中で、ベルゼガスは食事を取っていた。

 皿の上には血液にまみれた臓器が乗り、それをナイフとフォークで食している。

 近くには臓器を抜かれた死体が複数ある。この間捕らえた家族のものだ。


「お呼びでしょうか……?」


 トランスは緊張を隠せない。ユウトの一件はすでに報告を終えていた。そのときの主人の冷たい目を思い返すと、どうしても鼓動が速まる。


「お主はなにをしておる? 人間に敗北を喫した上に、おめおめと読書とはのう」


「う……申し訳……ありません」


 うなだれるトランス。もちろん、すぐに外で人を襲って、ベルゼガスに捧げたい欲求はある。しかし港町にはこの町から派遣された冒険者もいた。間違いなく自分のことをギルドに話し、指名手配をかけているはずだ。


 せめて一、二週間は大人しくしておきたかった。


 ベルゼガスは臓器をペロリと平らげると、物足りなそうに血のついた皿を眺めた。

 注意の先は、すぐにトランスに変わる。


「無能な人間とは、お主のようなことを言うのじゃろうな。ユウトとやらを眷属にするか」


 それは最大級の侮辱だった。ユウト云々よりも無能な人間と言われたことだ。トランスは人間をやめて悪魔の眷属になった。決して人間ではない。でも反論はできない。


「……人間を狩ってきます」


「女の柔肉がいい。年齢は十五、六歳程度。それなりに運動はしている肉を食べたいのう」


「畏まりました」


 人間が日によって肉を食べたり魚を食べたりするように、ベルゼガスも違う質の肉を求める。

 若い男の健康な肉や臓器が一番の好みだが、たまに病人の肉や赤子の血肉を望む。トランスはずっとこういった要望に応えてきた。


 その結果、他の眷属よりも優位に立てていたのだ。信頼は失われてしまったが……。

 また積み上げていくしかないと奮起し、トランスは地下から町へ。すでに日は落ちていた。変装をすれば問題ないと判断して、ひと気のない道を歩く。


「……くそ、こんなはずじゃなかった。こんな未来は望んでいない」


 ぶつぶつと呟きながら貧民街の路地を歩く。治安の悪い場所で浮浪者などが壁にもたれかかっている。ベルゼガスは浮浪者を嫌うので食事の対象にはならない。


「お兄さん、これでどうですか」


 十五、六の少女が指を三本立てて近づいてくる。腕をねっとりと触られた途端、トランスは激憤した。


「僕に触るな! 汚らしい娼婦め!」


 頬をグーで殴り飛ばす。少女だろうと容赦しない。年齢的にはベルゼガスの要望と合うが、運動能力の面で劣る。それに母親が娼婦だったこともあり、トランスは体を売る女性が苦手だった。


 歯ぎしりをしながら進むと、薬店から出てくる三人組の冒険者を見つける。その中に条件に合いそうな少女がいた。

 薬店は有名なところだ。品揃えも良く、珍品も置いてある。十分儲かっているはずなのに、店主はなぜかこの場所に店を構え続ける。

 利用する冒険者は多い。トランスがここに来たのもそれが理由だ。槍を少し高く持ち、進み続ける。


 三人も冒険者だ。トランスの纏う雰囲気と殺気に気づき、止まるように警告した。無視して進むと、当然争いが始まる。


「二人は邪魔だ」


 トランスの目が黒と赤のコントラストが効いたものに変化する。悪魔の力をフルで発揮するという合図でもあった。

 人間とはレベルが違う脚力で地面を蹴る。一秒後には突進していた冒険者の顔面を槍で貫いていた。


「は?」


 驚愕する男女の前でトランスは槍の刃に指を這わせた。炎が発生して炎の槍となる。

 これを一振りする。男は剣で間違いなく受けたのだが炎が剣を伝って服にまで燃え移る。


 そこから肉体が燃え上がり、悲鳴を上げるまでは早かった。


「普通の炎だと考えた時点で君の負けだった。さて、次は君だけど、無駄な抵抗はやめた方がいいよ」


 そう言わずとも少女はすでに腰を抜かして立ち上がれない状態だ。目に涙を浮かべて助けを懇願するけれどトランスは意にも介さない。

 何十、何百回と経験してきたことだ。そうでなくとも眷属になってから、人に対する情はほとんど消え失せた。

 気絶させて持ち帰り、新鮮な肉を捧げたいとトランスは思う。しかし、万が一騒がれて隠れ家が見つかるのだけは避けたい。


「今回は仕方ない」


「助けて、くれるの?」


「うん、人間という窮屈な鎖からほどいてあげるよ」


「やだ、やめて――」


 少女の喉元に向けて、トランスは容赦なく槍を突き刺した――はずだった。刃が弾かれる金属音が鳴った。


 突然現れた人物が憎き相手だと認識した瞬間、トランスは後ろに下がらざるを得ない。横一閃の一振りが襲ってくるからだ。

 辛うじて生を保ったトランスは怒りに任せて叫んだ。


「ユウト・ダイモン、なぜここにいるんだ!?」


「理由はどうでもいいだろう。それより、あと七、八分か。覚醒の内に決着をつけたいな」


「……わざわざ僕に会いに来たってことは、勝てるとふんだのだろう? 僕もなめられたものだ。ユウト、君はここで死ぬ!」


 トランスは燃えさかる槍を全力で投げる。ユウトは少女を連れ、建物の屋根に転移した。この状況で他人を気遣う余裕にトランスの怒りは増幅する。槍を操作して、ユウトではなく少女を殺そうと試みた。


 ところが、ユウトが手を伸ばすのと同時、槍が凍り付いて地面に落下する。氷の中に閉じ込められた槍は重すぎて、トランスも操作できない。


「氷魔法……? そんなのまで使えるっていうのか」


「今は、もっと強力なのを使えるよ。すぐにわかるさ」


 トランスはハッとする。尋常ならざる肌寒さを覚えた。いつの間にか路地に冷気のようなものが漂っている。


 逃げようにもどこへ向かうのが正しいのか。思考を巡らせる時間は長くは与えられない。冷気が集まってくると、トランスは三角状の氷塊に閉じ込められた。愛用の槍と同じように。


 屋根から転移してくるユウトをトランスは氷の中から見つめる。


「隠れ家の場所を聞きたいけど、多分話さないよな。悪人を結構見てきたせいか、ペラペラ話すやつと口を割らないやつがなんとなくわかる。それにこれ以上生かしておいても悪さしかしないだろ」


 ユウトの放った斬撃波が氷ごとトランスの体を真っ二つにした。


 実は肉体が分離した状態でも、しばらくはトランスは生きながらえる。命乞いなどはしないが、どうしても恨み節の一つもぶつけてやりたい。


 力を振り絞って開いたトランスの口に、ユウトの剣が突き刺さった。


「悪魔万歳とか言われても嫌なんだよな」


 悪口を封じられたトランスは無力感に包まれながら死へと向かう。


 鼓動が止まる少し前、悪魔になったことを後悔した。悪魔と真逆の存在と関わり合ったユウトがここまで強いのだから。



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