その15-1 傍観者と革命児
「……フルクス様……!」
自分を呼ぶ声がする。
フルクスは朦朧とする意識の中で、確かにそれを聞いたが、しかし自身の身体は、そして頭は、それにうまく反応できなかった。
身体が寒い。
頭に白い靄がかかる。
ぼやけた視界。
薄らと映る地面には、流れ出る赤い液体。
その液体と共に、意識もどこか遠くへ消えて、溶けてしまいそうだ。
「フルクス様! 起きてください!」
しつこく聞こえる声。
そういえば今朝もそんな声で目が覚めたのだ、とフルクスはぼんやり思い出す。
今朝。
「フルクス様、起きてくださいって」
小悪魔の声で目が覚めたフルクスは、しかし身体は起こさなかった。
起きないふりをして、小悪魔が諦めて去るのを待った。
単純にまだ眠かったからということもあるが、一人こっそりとメリーゼの眠る部屋に向かうためでもあった。
つまりそれは、メリーゼを起こすためである。
小悪魔が部屋を出て行ったところで、フルクスは気配を殺してメリーゼの部屋へ向かった。
ベッドに未だ眠ったままのメリーゼ。
「おーい、メリーゼ。まだ起きんのか」
フルクスはメリーゼの側に近寄り、彼女の顔をグニグニと弄繰り回しながら呼びかける。
「……起きんのう。うーむ、仕方がない」
小悪魔ならばここで諦めてしまうだろうが、しかしフルクスはしつこい。
にやりと笑って『黒鉄回路之鎌』を取り出し、メリーゼの胸元にあてがう。
「少し荒療治じゃが……いつまでも眠っておられると、またアルマにゴチャゴチャ文句言われて敵わんからのう」
傍から見ればフルクスがメリーゼの命を奪おうとしているようにしか映らないが、もちろんそういうことではなく、『黒鉄回路之鎌』の血液操作能力で無理やりメリーゼにショックを与えよう、ということである。
フルクス流の心臓マッサージみたいなものだ。
「ほれ、起きろ」
言って、その刃先をメリーゼに思いっきり刺し込んだ。
「んぎゃああ!」
間抜けな悲鳴と共にビクンッと身体を跳ねさせてメリーゼは飛び起きた。
「あ、れ、ここは……? あれ、フルクスさん……?」
「うむ、おはようメリーゼ」
何がどうなっているのか分からないといった様子のメリーゼに、フルクスはこれまでの流れを軽く説明した。
最初の方は記憶が混乱していたように見えたメリーゼだったが、フルクスの話を聞くにつれてそれは正常に戻っていったらしく、だんだんとその表情は陰りを見せていった。
不安。
そんな感情が読み取れる。
それはそうだろう。
危険な『魔法道具』を召喚した挙句、それに襲われ、そして逃がしてしまった。
それを『政府』に全て知られてしまったのだ。
この後どうなるのか分かったものじゃない。
「ま、案ずるなメリーゼよ。ワシとアルマには超すごい作戦があるからのう。とりあえずはワシ達に任せておけば良い。かはは! 『保守派』のクソボケ共になんか好き勝手させんからの!」
安心させるために言ったそんな台詞だったが、しかしメリーゼの表情は動かなかった。
否、むしろより暗くなったかもしれない。
「……誰も助けてくれなんて……言ってないです。……余計な、お世話です」
そんな表情のままで、メリーゼはそんな言葉を口にした。
「…………」
あまり想定していなかったその言葉にフルクスは上手く反応できなかった。
感謝されるとか、そういうものを求めていたわけではないが、しかしそれでも『余計なお世話』なんて言われるとは思わなかったのだ。
怒っても良いのかもしれないそんなメリーゼの言葉だったが、しかしフルクスにそういった感情は沸かなかった。
疑問。
メリーゼの口からどうしてそんな言葉が出るのか。
それが、ただただ、分からなかった。
メリーゼはフルクスから顔を背け、小さく口を開ける。
「どうして私を……助けたりするんです」
どうして助けたのか。
本来であればメリーゼよりも、危険な『魔法道具』の捕獲を優先するべきだったし、そして『保守派』と敵対してメリーゼを庇うべきでもなかった。
それなのに、どうしてメリーゼを助けたのか。
頼まれても、いないのに。
「…………」
ぎしり、とフルクスはメリーゼが眠っていたベッドに腰を掛ける。
「……ふん、単純な話、ワシの前で死なれたくなかっただけじゃ」
「私はフルクスさんに隠れて……欺いて、騙して……『世界』を変えようとしていたんですよ」
「あー、あー、あー? なぁに自惚れとるんじゃ。お主の考えぐらい、当然ワシは見抜いておったよ」
まぁ、ハッタリだが。
とはいえ、メリーゼが『何か』をしようとしていたのは、フルクスも分かっていた。
そしてそれは、人に軽く言えることでもないものなのだと、理解していた。
「それに、『世界』を変えようとすることは、別に悪いことではないじゃろ」
「…………」
メリーゼは顔を俯けたまま、少しだけフルクスの方向に身体を寄せる。
「……でも、『政府』は……少なくとも『保守派』は、それを悪いことだと思っています。この『世界』は安定しているから、それを壊すことは、ダメだって。だから、例え私が『世界』を変えようとしていなかったとしても、『異世界』から『不純物』を召喚するのを、許さなかった」
だから、『保守派』によって監禁されていた。
『保守派』だって、メリーゼが本気で『世界』を変えようとしているとは思っていなかっただろう。
メリーゼが好奇心や面白半分で召喚魔法を乱用しているものだと思っていたのだろう。
それでも、召喚魔法自体がこの『世界』にとっては『不純物』だと、『保守派』は考えたのかもしれない。
安定を揺るがす、『不純物』。
「じゃがな、メリーゼ。安定なんてものは、この『世界』には存在せんよ」
なぜなら、『世界』とは様々な要素が絡み合って、影響し合って、支え合っているのだから。
一見安定しているようでも、わずかに傾いているものなのだ。
否、傾いているからこそ、安定している、と言えるのかもしれない。
植物が増えれば、それを食べる動物が増える。
動物が増えると、食べられる植物は減る。
植物が減れば、それを食べる動物が減る。
動物が減れば植物は増える……。
そういう、食物連鎖も傾きを繰り返して、安定しているように見えているのだ。
食物連鎖。
弱肉強食。
それは、この『世界』のルールである。
フルクスは『大戦争』にて『群』に参加し、『世界』を変えてやった。
ならば、少なくとも、元『群』である『政府』は、メリーゼの行動を咎めるべきではないはずだ。
メリーゼが『世界』を変えようとするのを、止める権利なんて無いのだ。
少数派の意見を潰すことが、安定と結びつくことは無い。
「メリーゼよ。しかし少なくともお主は今の『世界』が気に入らないんじゃろ? ならばもっと波を立たせてやれば良い。ワシは不安定な方が面白いと思うし、応援してやりたくなる。それだけじゃ」
『群』がこの『世界』を大いに揺らしたように、転覆させるつもりでやってみれば良い。
自分の思うままに行動してみれば良い。
かつて自身が『群』に参加したときのように、自身が正しいと思うことを、行動に移してみれば良い。
フルクスは『傍観派』だから。
遊戯は自分でやるよりも他人がやるのを見ているのが好きだ。
そう、それも、下手っぴな奴がするのを見るのが、好きなのだ。
そしてメリーゼが何かお願いをしてきたなら、その裏に何があったとしても力になってやりたかったし、メリーゼがどうしようもない窮地に立たされたなら救ってやりたかった。
『傍観派』でも、手伝ってあげたいと、そう思う。
フルクスにとっては娘のようなメリーゼだから、なおさらである。
「……ごめんなさい」
震えるような声音で、メリーゼは唐突にそう言った。
フルクスは眉を上げて振り向くと、俯いたままではあったが、フルクスの正面に身体を向けて座っているメリーゼの姿が目に映る。
「……私は、フルクスさんに嫌われるのが、怖かったんです」
その言葉はフルクスに話している……というよりも、自身に言い聞かせているような印象を受けた。
「私には、頼れる人が少ないです。……いえ、フルクスさんしか居ないと言っても、良いくらいです」
メリーゼは、そもそも人見知りな性格である。
……いや、人の顔色をうかがうタイプ、と言った方が正しいだろうか。
だから、積極的に他人と関わろうとしないのだ。
だからこそ、召喚魔法に頼ったのかもしれない。
誰にも頼らず、召喚した『魔法道具』を使おうとした。
意思のある『魔法道具』も当然存在するが……それでも、人と接するよりか、『扱いやすい』と思っていたのだろう。
メリーゼがどの派閥にも属していない……『過激派』と呼ばれる『はぐれ者』の寄せ集めに分類されているのも、その反乱的な思想以前に、基本的に人見知りである、というところが影響しているのかもしれない。
そんな中でフルクスは、メリーゼに対して積極的にちょっかいをかける存在だった。
起因は当然、メリーゼの母親との関係にあたる。
しかしそれ以前に、フルクスはメリーゼのことが、単純に、可愛かったのだろう。
「だから……だから私は、フルクスさんに嫌われるのが……怖かったです。『世界』を変えたいとか、こんな『世界』はお母さんの望んだ『世界』じゃあないとか、そういうことを言ったら、フルクスさんに否定されるんじゃないかって……フルクスさんに嫌われちゃうかもしれないって、いつも……そんなこと考えてて」
「……ふむ」
ダメだなぁ、とフルクスは思いつつ、俯くメリーゼの頭にそっと手のひらを乗せた。
アルマの言うとおり、フルクスは甘いのだろう。
しかしそれでも、メリーゼにそんなことを言われてしまっては……
「まったく、ワシがお主を嫌いになるわけないじゃろうが」
それに、否定と拒否は別モノだ。
フルクスがメリーゼの意見を否定したとしても、それはフルクスがメリーゼを嫌いになったということにはならない。
「『政府』の連中がお主を拒否したとしても、ワシはお主の味方じゃ。助けてと言われなくとも、余計なお世話でも、それでもワシはメリーゼにちょっかいかけるぞ」
ふふん、と茶化すようにフルクスは言って胸を張る。
……と、そこでメリーゼが顔を伏せたままでフルクスに抱き着いた。
フルクスのふりふりドレスに顔を埋める。
「なにやっとんじゃメリーゼ」
と言いつつ、あかん超可愛いぞこの生物、とか思いながらフルクスはメリーゼの頭を再び撫でてやった。
フルクスは、何事に関しても、基本的には放任主義だ。
『傍観派』。
しかしそれは、アルマに言われたように、確かに責任を放棄しすぎていたのかもしれない。
少なくとも、こうした会話を、もっと前にするべきだったのだろう。
距離を取るのが苦手なのは、フルクスも同じだったのかもしれない。




