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時計を見ると夕方だと言いたくなる時間なんだけど、もうすっかり周囲は暗くなっている。夜道を歩く五軒家さんを尾行しているのは、なにも帰り道を心配してのことではない。
これまで何度か会った五軒家さんはいつも香木のようなにおいがした。伽羅を中心とした西洋の香水をつけているのとは印象が違う、和風ないいにおい。
さっきも香木のようなにおいはした。しかし、同時に香水のにおいもした――ずっと追かけまわしていたワンコイン香水の、甘ったるいにおいだ。それが五軒家さんの体にまとわりついていた。
学校のすぐ近くの店で安売りしていた香水だから結構な数の生徒が買ったらしいと烏森さんが――羽衣さんだったかな? どちらかが言っていたから、まったく今回の事件には関係なくワンコイン香水をたまたま買ってつけていた生徒と会ったのかもしれない。五軒家さんが追っている事件がひとつだけということはないと思うし。烏森さんと羽衣さんもつけていたのだから、クラブハウスでついた可能性もある。
しかし、そうでない可能性もあった。
においは最近ついたようだったし、あの狂言誘拐の基地として使っていたウィークリー・マンションの部屋に残っていた戸波さんと高針さんの体臭がまじっているのだ。どっちに賭けるかと問われれば、答えるまでもない。
十分ぐらい歩いたところで五軒家さんは大きな門をくぐった。うちの神社の鳥居より太い柱を使っていて、屋根まであるし瓦が葺いてある。北町奉行所とか墨跡あざやかに一枚板にしるしたら時代劇のセットに使えそうなほど立派な門だ。
気絶した五軒家さんを背負って訪ねてから何日もたってないのに、やっぱりその大きさに驚く。
開ければ車が出入りできる広さの門の脇に通用口があった。彼女はここから中に入ったようだけど、あいにく戸のところには電卓みたいなものがついている。たぶん暗証番号を打ち込んでロックを解除するのだろう。
元プロボクサーだったかな? なんだかおっかない人の在籍しているらしい五軒家警備保障のステッカーもあちこちに貼ってある。
敷地と道路の境もボクの背より高い塀にぐるっと囲まれていて、その塀の上は有刺鉄線が張ってあり、ところどころに防犯カメラも設置してある。門の脇にはガレージもあるが、シャッターが閉まっているし、やはり屋根には有刺鉄線がめぐらせてある。
ドロボウだったら忍び込む気にもなれないような防犯設備だけど、ボクにとっては難攻不落の要塞というほどではない。
塀を乗り越えようとすれば有刺鉄線が刺さるが、門の屋根は瓦しかない。門は塀より高く、屋根まで五メートルはあるだろうか。ちょっと微妙な高さなんだけど、やるしかない。
助走をつけて思い切りジャンプする。上半身だけ屋根に飛びつくことができた。両足は空中でぶらぶらしているけど、左右の手で瓦をしっかりつかんて体を引き上げる。
門の屋根から見下ろすと、予想以上に広い家だった。敷地の奥まではわからないけど、ざっと二千坪とか三千坪はありそうだ。
庭に飛び降り、ガレージに向かう。表側はシャッターがしまっていて確認したわけではないが鍵もかかっていただろう。しかし、敷地内にある通用口の扉は鍵もなにもかかってない。車を三台ならべて、それが二列分、合計六台分のスペースがあるが、いま止まっているのは半分の三台だ。そのうち二台がベンツで、ドアのあたりをかいでみるとワンコイン香水のにおいがした。
高針さんと戸波さんの体臭も確認できた。絶対に間違いない。
コロンなのか男性用化粧品みたいなにおいもするが、これは二人の身柄をさらった男のものだろう。運転手と助手席の男はミートソースのにおいがする。イメージとしてはイタリアン・レストランのパスタではなく、喫茶店のスパゲティー。
たばこはマールボロとキャメルとピース。
コーラを飲んだ人もいる。
嫌な、金属とオイルのにおいもした。自動車関係ではない。コルダイト火薬の臭いにおいもするから、やっぱり拳銃を持っている。
外に出ようとして、ケモノのにおいを嗅いだ。
グルゥゥゥゥ……。
ガレージの通用口の前には三頭のドーベルマンがいた。軍用や警察用に使われる大型犬だ。ワンマンドックといわれることもあり、飼い主だけにしか慣れず、ほかの人がエサをあたえようとすると飢え死を選ぶこともあるらしい。
普通なら侵入者がいた時点で吠えて飼い主に知らせるように訓練されているはずだが、ボクのにおいにとまどっているのだろう。
「ガーッ!」
大きな声は出せないが、鋭く吠えたらドーベルマンたちは慌てて逃げていった。
ワンコイン香水のにおいを追っていくと、離れがあって、どうやらそこににおいの元があるようだった。窓から中を覗こうとしたが、カーテンのせいでなにも見えなかった。
「あんたたち、いいかげんにしなさいよ!」
五軒家さんの尖った声が聞こえてきた。どうも怒っているようで、それに対する相手の声はずっと小さくて聞きとりにくいが、なにか言い訳しているようだった。
「だけど、お金はあるんだし計画は成功したんだから……」
言い訳しているのは女の子みたいだ。高針さんも戸波さんも、どういう声をしているかボクは知らない。だから、絶対と断言することはできないのだけど、どうも二人と五軒家さんがなにか口論しているようだ。
そのとき気配が背後でした。室内の様子にばかり集中していて、周囲の警戒がおろそかになっていたと後悔しながら振り返ろうとして――後ろから突き飛ばされた。
「うきゃあ……」
変な声が出てしまった。そして、ぶざまにひっくり返る。
ハアハアと荒い息がした。三頭のドーベルマンが先を争ってボクにのしかかってくる。
「誰だ!」
「侵入者だぞ!」
「離れのほうだ、囲め、逃がすな」
あちらこちらで怒声がして、こっちに走ってくる足音がした。
あわてて起き上がって逃げようとするが、ドーベルマンたちは背中にへばりついたまま。襲ってきたわけじゃなくて、仲間にじゃれついている感じ。牙を立ててこないし、本気でかかってきているわけでもない。
「今度遊んであげるから……」
そう言っても、ドーベルマンたちはボクを押しつぶす勢いでのしかかってくる。三頭でだれが一番早くボクを押し倒すことができるか競争しているみたいだ。ある程度はイヌともコミュニケーションがどれるはずなのに、どうも聞きわけてくれない。
おまけに三頭ともオスで、じゃれている間に興奮してきたのかピンク色の――ゲフンゲフン、ええっと、なにかがピョコンと立っている。
グロい!
ドーベルマンを三頭、背中に飛びついた格好のままズルズルと引きずりながら、できるだけ離れから遠くに逃げようとしたが、前からも後ろからも人がくる。
前からきた男は夜だというのにサングラスをかけた四十くらいのオジサンで、作業着みたいな服にジャンバーをひっかけている。いきなり問答無用に殴られた。
後ろからは飛び蹴りをくらった。
「この野郎!」
「どこのもんだ?」
前の男は容赦なく、顔や腹につぎつぎにパンチを浴びせてきた。後ろの男もドーベルマンを蹴散らしながら殴りかかってくる。我慢できなくなってうずくまって頭だけ守った
「おおおっーーーーーっ、おおおっーーーーーっ」
ここまで神社から歩いて十分くらいだったから、オトや康三さんが全力で駆けつけてくれれば二、三分だろうか。
人がどんどん集まってきて、うずくまったボクを四方八方から蹴りまくる。中には棒みたいなもので殴る人もいた。
こんなんで三分も耐えるのはきびしいと泣きたくなった。
「あちょーおぉぉぉぉ」
いきなり怪鳥音が響き渡り、ボクを殴ったり蹴ったのするのがやんだ。少し顔を上げてみると、変なジャージみたいなものを着た男が戦っていた。手足が流れるように動き、そのたびに人が倒れる。
「おちゃーぁ」
倒れた男の上に飛び乗り、肋骨を踏み潰す。月明かりに照らされて、その変なジャージを着て怪鳥音を叫んでいたのは下庫理警視だとわかった。
「うががっ!」
日本刀を振りかぶって突進してくる男がいた。
振り下ろそうとする左手をハイキックで薙ぎ払い、一瞬で懐に飛び込み右左右の三連打で倒す。なんでここにいるのかわからないけど下庫理警視がこんなにも強かったとは……。
殴りこみだ、とか叫びながら母屋のほうから新手が十人くらい現れた。
そのときボクの鼻がピリピリした。この刺激臭は催涙スプレーだ。その新手の集団が咳き込みながら足を止める。だが、スプレーの噴霧音は止まらない。ゲホゲホと咳き込む声が、だんだんゲボゲボと吐瀉音にかわっていっても、しつこく、しつこく、しつこく延々とスプレーし続ける。
シャネルのスーツに、メガネがきらりと光る。姉ちゃんだ。
姉ちゃんは新手の集団の前に艶然と立ちふさがり、涙をボロボロこぼしながら胃の中のものをぶちまけている男たちの前にかかんで、たっぷりと顔面に催涙ガスをシューと至近距離で噴霧する。ひとりひとり順番にまわって、鼻の穴にスプレーを押しつけたり、目蓋をこじあけて眼球に流し込んだり、ちょっと気の毒になるほど続ける。
パン、パン、パン。
火薬が弾ける。拳銃を持った男が駆けつけてきた。
その男に向かって高速移動する黒い影。ストラップがいっぱいついたレンチで、すれ違いざま男の右手をバシッと打ち拳銃を叩き落とす。ズズッと踵で急ブレーキ。振り返って、男の膝にもレンチをぶちこんで倒す。
本当に全力で駆けつけてきてくれたのだろう。オトはパジャマに裸足だった。ボクを見つける全力で走ってきて、背中にへばりつているドーベルマンをレンチでめった打ち。
「ハヤはオレのものだぞ!」
なんか怒ってる。
「がう」
吠えて、ボクの背中に抱きついてきた。これではドーベルマンと変わらない。
オトにやられた男は、それでも母屋のほうに怒鳴った。
「チャカ持ってこい!」
六人の男が飛び出してきた。
その足元が弾けて、土煙がババババババッと上がる。連続した銃声に六人の男たちは身をかがめた。
「かまわんぞ、かかってこいよ」
康三さんが六人を即座に射殺できるように二型機関短銃をかまえたまま声をかけた。
六人は持っていた拳銃を捨てた。
「ちょっと待ってよ」
離れの窓から五軒家さんが声をかけた。そして、困惑した瞳でボクたちを順番に見る。
「なんでこんなことするの?」
「いや、できたらボクのほうも五軒家さんになんで誘拐事件にかかわっているのか訊きたいんだけど」
「わたしが誘拐? そんなことしてないわよ」
「じゃあ、なんでそこに誘拐されたはずの二人がいるの?」
五軒家さんの後ろには高針さんと戸波さんがいるのだ。それで誘拐には関係してないと主張されても、ねえ……。




