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とりあえずボクたちは高針さんと戸波さんがさらわれた現場に戻ってみた。ぶつけた軽自動車も、後ろから逃げ道をふさいだ車も、どちらも簡単に追えるような臭跡は残してない。
本田が覚えていたのは、大型のベンツで、ナンバーは不明。色は黒ということだけだった。
もっと集中しようとして、オトに止められた。
「体臭のある生き物か、なにかにおいをつけたものなら追えるけど、車は無理だ。もしハヤが限界まで能力が出せたとしてもできないよ」
「試してみても……」
いくら試してみたところで不可能なのはボクもわかっていた。タイヤはメーカーによってゴムのにおいが違うし、ガソリンとオイルもメーカーによって排気ガスのにおいが違ってくる。だから、絶頂期のボクなら追えたかもしれない。しかし、いま無理だ。
臭跡を追えないとすれば、あとは曽根という男を捕まえるしかない。本田から住所を聞いたからアパートに訪ねてみることはできる。
だが、それについてもオトが首をかしげた。
「どうせ留守だと思うよ」
「それはボクも人質は曽根のアパートよりもっと気のきいたところに隠すと思う。少なくとも裏切った本田が知ってる場所はしばらく避けるよね」
「……無理なことを一人で抱えるのはよくないと思う」
「……それは認める」
「下庫理に電話しろよ」
「わかった」
組織力のあるプロフェッショナルに引き継ぐのが最善の手だということはボクもわかっているつもりだ。だけど、なんか不完全燃焼な感じが心にトゲのように刺さっている。他の案件と違って、大神神社の神職としての本業はボクにとって大切なことだ。
世界の平和とか、人類の未来はどこかの偉い神様にお任せするとして、ボクの身のまわりくらいはと思っても……それすらできてないわけだ。
まるでボクの気持ちを見透かすように下庫理警視から電話がかかってきた。出てみると、羽衣さんと烏森さんの身柄を確保して、いま事情を聞いているという連絡だった。
「最近の女子高生は怖いな。しかも、とんでもないことをいとも簡単に実行しておきながら、ちゃんとやりとげることはできない。狂言誘拐が本当の誘拐にランクアップして、人質の危険度が飛躍的に上がった。二人が雇ったチンピラについて情報は?」
「捕まえました」
「なに! どこだ?」
下庫理警視は驚いていたが、結局のところ人質まで届かなかったのだから自慢にもならない。本田の住所を伝えたあとに、ヤクザがからんできたと言った。
「そのチンピラのところにも人質はいませんでした。横からヤクザにさらわれたとか」
「どういうことだ?」
「裏切り者がいたようです」
曽根の名前と、アパートの住所も伝えた。その上で、誘拐事件をやりそうなヤクザに心当たりがないか尋ねた。あまりにリスクが高いから、普通のヤクザのシノギには誘拐は含まれないはず。借金で追い込まれているとか、なにか事情がなければヤクザが関係してくることはないのではないかと思ったのだ。
名前がわかれば探すことができる。自宅にいないのなら、ドアから臭跡を追っていけばいい。人質がいるならドア越しにでも音が拾える。
「どこの組だ?」
「いや、それがわからないから警視に訊いてるんじゃないですか」
「つまり本職のヤクザかもしれないし、元ヤクザかもしれず、ヤクザみたいな風体の一般人の可能性すらある、と。それで、そいつがどこのどいつか私に訊いてるわけだ」
いよいよダメか……。
「……ごめんなさい」
「わかればいい。それで、これからどうする?」
「手詰まりです」
「おまえは自分の役割を忘れたのか? 犯人をきちんと梱包して配達しろとまでは要求しないが、私に手柄をあげさせろ。この場合は人質を無事に救出するのが最優先だ」
「突破口があれば連絡してください」
そうとしか言えない。下庫理警視はなにか文句があるようだが、そのまま切ってしまう。ついでに電源も落とす。
「帰ろうか」
隣で心配そうにしているオトに笑いかけた。
でも、オトはだまされない。ボクの手をぎゅっと握った。
「無理するなよ」
「……うん」
完全に見透かされている。なんだか急に疲れが出てきて、その場にしゃがみこんでしまった。
するとオトは頬をすりつけてきて、そのあとボクの鼻に自分の鼻をくっつけた。ぐいぐい押してくる。
負けずにボクも押し返した。二人の鼻が潰れる。
あははは、とオトが笑った。
「オレは腹がへった。中途半端にピザを食べたのが悪かったな。どうせなら全部もらってきたらよかった」
「なにか食べてから帰ろうか? お昼がピザだったから、三時のおやつはお好み焼き?」
「わざわざ和食で似たような料理を探さなくてもいいぞ。むしろ、別のものが食べたい」
財布を確認してみる。お寿司でたとえるなら、まわるほうなら全力で、まわらないほうなら控えめに、という感じだ。ただし追跡の途中でなにかあったら困るから余分に持ってきたのであって、もし全部使ってしまうと明日からはおかずが梅干一個とかになるかも。
まあ、茶店のモーニングで日銭は稼げるから、財布が空になっても朝になったら補充できるし。
「いっそ食べ放題で夕食分まで食べようか?」
「それならオレは焼肉食べ放題がいいな」
「朝も焼肉食べ放題みたいなものだったような記憶が……」
「みたいなものと本当に食べ放題は違うんだぞ」
「それは初耳の情報だね。勉強になるよ」
そのまま栄まで出て、結局ランチ食べ放題という店でかなり遅めのランチをヤケ食いした。
ハンバーグ、コロッケ、チキンカツ、チーズオムレツ、唐揚げ、エビフライ、春巻……
焼肉食べ放題じゃなかったし、中国あたりで製造された冷凍食品を温めただけの料理だったけど、二時間で千五百円なら安いんじゃないかな。オトは子供料金で千円だったし。
元をとったとか、減価償却とか、そんな言葉が頭に浮かんだのは最初だけ。わざわざ計算するまでもなく、店を出るときは「勝った!」と思った。なにに勝ったのかは不明なんだけど、とにかくボクたちは勝ったのだ。いろいろあったけど食べ放題には負けなかったんだから、今日はいい一日なんだよね……たぶん。
そんなことをしていたせいで神社に帰るころには夕日か沈みかけていた。携帯電話の電源を入れてみると、不在着信が三十二件。メールが六十一件。その全部が下庫理警視。
なにか突破口を見つけたというのなら電話しようと、とりあえずメールをざっと読んでみたけど、本田たちの身柄を確保したけど、曽根は昨日からアパートに帰ってないようで、人質を横取りしたヤクザらしき人物についても手がかりがない。
後半のメールになると、人質はどこだとパニックになっているらしい様子だ。
鳥居をくぐったところで、においで五軒家さんがいることに気がついた。ここから姿は見えないけど神社の奥にいるはず。
茶店の入口でオトとわかれて、そのまま進む。拝殿の賽銭箱にもたれて五軒家さんが座っていた
「こんなところでどうしたの?」
「午前中に戸波さんの身代金の受け渡しがあったんだよね? 結構かかったね」
「ずっと追っかけていたのかと思ったら、そうじゃなかったんだ」
ボクも五軒家さんの隣に座る。
「パパの秘書が暇なら車を出してもらえたんだけど、あいにくね。身代金を運搬している車を尾行して欲しいとタクシーの運転手に頼んだとしても、普通は断られるし」
「映画やドラマだと普通にやってると思うけど」
「無理無理、むこうだって変なことに巻き込まれたくないから」
「もしかして経験済?」
「もちろん。わたしを誰だと思ってるの!」
「……あのさ」
秘密にすることじゃないけど、うまくいかなかったと報告するのは気が重かった。
そして、五軒家さんはボクの表情で答えがわかったようだった。
「うん」
「まだ人質は解放されてないと思う」
「ダメだったんだよね」
「どうにも話がこじれてね。成功したところもそれなりにあって、いいところまでいったはずなんだけど、結果からすると人質は解放されてないわけだから失敗という評価になるのかなぁ……」
「微妙なところね」
「微妙なんだ。もしかしたら失敗したことを認めたくなくて自分自身まで騙して、完全な失敗じゃない、いいところまではいけたんだと思い込んでるだけかもしれないけど」
「がんばったなら、それはそれでいいことにしておいていいんだよ」
「結果が出なくても?」
「わたしの妹も行方不明になったでしょう? それで結果としては遺体で発見されたわけだけど、でもね、行方不明のままよりずっとよかったと思ってる。妹が死んだのは悲しかったけど、遺体が発見されて、犯人も逮捕されて、ちゃんと葬式も出せたから、それなりに心に区切りがつけられた。でも、もし行方不明のままだったら、いまでも引きずってたかもしれない」
「そうなんだ……」
「生きて帰ってくるのが最善だとすれば、どこにいったのかわからないままなのが最悪。最善の結果ではなかったけど、最悪ではなかった。それならば最悪でなくてよかったという考えかたもあるんじゃない?」
「そうすると戸波さんの事件も終わったわけじゃない。まだ続いてる。いまわかってるのは人質が解放されてないということだけで、殺されたわけじゃないから諦める必要はないということになるのかな?」
「ええっと……なにか打つ手があるの?」
「じつは、それがないんだ」
「だったら、もういいよ。できるだけのことをがんばってやってくれたというのも被害者が納得するひとつの結果じゃないかな? 少なくとても、わたしはそう思う」
「ありがとう」
「わたしのほうこそ、ありがとう……あのとき電話をくれたの、あなたね?」
ボクは小さくうなずいたけど、あたりはすっかり暗くなっていたし五軒家さんにわかったかどうかは不明だ。わざわざ確認することでもないしね。
そうだ。あのとき電話に出たのは小学生くらいの女の子だった。ずっと忘れてたけど、いま記憶の封印が解けた。あのときの不安そうな声がよみがえる。
「はい、五軒家です」
きっと妹の行方を気にしていたのだろう。だけど、ボクが伝えたのは悲報だった。
でも、その女の子はいま納得していると言った。本当はよくないことでも、その中から少しでもいいところを探したのだ。
その強さをボクは見習わなければならない。
今回の事件にしても、いまから勝手に悲観的な結末を予想することはないのだ。ボクは失敗したが警察の組織力があれば曽根という男を捜すこともできるし、その交友関係を調べることもできる。追加で要求した二億円の身代金が目的ならば、まだ人質は生きている可能性は充分あるし。
――いや、生きている可能性のほうがずっと高い。
ボクの鼻がそう言っている。




