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 もちろん走る、と答えた。すると康三さんが渋い顔をした。街中で異常なスピードで走っていたら、かえって目立つし、騒ぎになったらもみ消すのが面倒だと止められた。

 誘拐事件で身代金を運搬する車を全力ダッシュで追いかけたら、やっぱりちょっとマズいかな?

 車を出してくれると言ったが、ラーメン店の材料の仕入れに使っている軽ワゴンはあまり早い車ではない。

 それに、白のスバル・サンバーは小口配達などによく使われるから、街中ではもっとも目立たない車だけど、車体の横に大きく書かれた『こってり堂』というロゴが問題だ。車体の前後には『箸の立たないスープはトンコツではない!』とスローガンも書かれているから、あまり張り込みや尾行にむいているようには思えない。

 しかし、康三さんは車の荷物室に擬装用のステッカーがいっぱい積んであるのを見せてくれた。『水道トラブル8000円』とか『長坂クリーニング』とか『大宝酒店』とか『ワークスタッフ』とか『タウンサービス』などとなっていて、ステッカーの裏側はマグネットになっているから車体に簡単に貼り付けられるし、外すこともできる。

 なんで偽装ステッカーを常備してるの? と疑問に感じないこともないが、どうせ当番衆がらみとか、ろくな話ではないから聞かないことにする。

 いまは『XD―40』という意味不明な社名っぽいものにかえて、戸波さんの家のレクサスの前を走っている。尾行といえば後ろからついていくのが普通だと思うのだけど、それだとバレやすい。戸波さんのお父さんにバレるのなら大きな問題ではないが、犯人にバレると人質の命にかかわる。

 運転席と助手席のヘッドレストには後ろ向きに鏡がついている。ボクとオトは後部座席に座って、その鏡で後ろの様子をうかがう。康三さんは運転しながらだから後ろばかり見ているわけにはいかないけど、ルームミラーとバックミラーでレクサスを観察していた。

 猫洞通りをくだっていき、本山の交差点に近づくとレクサスは左にウインカーを出す。

「康三さん、左折する」

「左に曲がる!」

 ボクとオトはほとんど同時に叫び、それを待つまでもなく康三さんはレバーを叩きつけるようにしてウインカーを点灯させた。

 東山通りを東方向に走る。この道路の地下には地下鉄の東山線があった。東山公園駅、星ヶ丘駅を通過し、一社駅も通り過ぎたところで、康三さんは左にウインカーを出しサンバーを止めた。

「ここまでだな。どこにいくか予想がつかない。後ろをつける」

 と、康三さんは言った。この先は高速道路や一般道がいくつも接続していて、どこにでもいけるのだし、戸波さんのお父さんがいつも早めにウインカーを出してくれるとは限らない。

 レクサスがボクたちの車を追い抜いていった。一台おいて黒いクラウンが通る。助手席にいたのは下庫理警視だ。さらに数台の車に追い抜かれたあと、やっと割り込めそうな隙間ができてサンバーは走り出した。

 携帯電話が鳴った。ディスプレーの表示によれば下庫理警視だ。緊急連絡かもしれないと、急いで出るとのんびりした声が聞こえてきた。

「そんなポンコツでだいじょうぶか?」

「そう思うなら買ってくださいよ。捜査に協力した民間人に対する報奨金とかないんですか?」

「愛知県警は情報公開ワースト・ワンだと知ってたか? 日本一不明朗な警察だ」

「何度も聞きました」

「捜査協力費の領収書を調べられると裏金がバレるんだよ。民間人に払う金は一円もない。みんな裏金なんだ。私は犯人逮捕に尽力し、さらに裏金を作るのもうまい。表も裏も使える人材として、ここまで出世したのだ」

「だったら、新車でなくてもいいですから、せめて中古車一台分くらい、なんとかしてくれてもいいじゃないですか」

「私は裏金を作るだけ。使うのは上司。いまは無理だな。さっさと俺を使う立場まで出世させろ」

 一方的に電話してきて、一方的に切られた。

 東名阪自動車道でも、国道三〇二号線でもなく、レクサスは東名高速に乗った。康三さんはアクセルをいっぱいに踏みつけて、ふたたびレクサスの前へ出ようとする。高速道路なら先行しても見失う心配はないのだ。

 だけど、レクサスは百二十キロくらいで巡航していた。こっちの車の最高速度とほとんどかわらない。なんとか置いていかれないようにするので精一杯だった。

 それでもついていけるというのは助かる。走って追跡しようなんて、バカな考えだった。市街地なら四十キロか、せいぜい五十キロくらいだからなんとかなりそうだし、信号待ちもあるから追いつけると思っていたけど、高速道路は考えもしなかった。

 いくらボクでも百キロオーバーで巡航するなんて絶対に不可能。息を止めて全力疾走をしても、出るかどうかあやしい速度だ。

 しばらく走ると、レクサスは左にウインカーを出した。パーキングエリアに入るようだった。

 戸波さんのお父さんは車を止めると、キャスターのついたトランクをひっぱって建物のほうに歩いていく。同じように売店かトイレにでもいこうとしているような男が何人かいた。その中に下庫理警視の姿があったから、たぶん刑事たちだろう。

 ボクたちも車から降りる。

 戸波さんのお父さんは売店もトイレにもいかず、そのまま駐車場の隅のほうまで歩いていき、そこで姿が消えた。

 あわただしく刑事たちが駆け寄る。

 ボクたちもフェンスのところにいき下を覗いた。すると高速道路から一般道に歩いて降りる階段があって、そこを戸波さんのお父さんはトランクを抱えて降りていく。

 その階段以外の場所は崖のようになっていて、とうてい歩いて降りられないが、ボクたちには関係ない。

「いこう」

 と、オトに声をかけてフェンスを乗り越えた。

 三十メートルほど自由落下。

 同時に飛んだはずのオトがいない、と上を見ると、レースで縁取られたスカートが盛大に広がってパラシュートのようになっている。白いパンツ丸見えで降りてきた。

「ぶーぅぅぅ」

 なんかオトが怒ってる。

 バサバサとスカートを押さえて、なんとか形をととのえた。

 そのとき、戸波さんのお父さんがひったくりに遭っていた。二人乗りのスクーターが近づいてきて、後ろに乗った人がトランクをひったくると同時に猛スピードで逃げていく。

 二百五十CCかな? わりと大型のスクーターだ。ヘルメットで顔は確認できない。

 ボクの横を風のようにオトが駆け抜けた。

 慌ててボクも追う。走るのはボクのほうが得意だから、すぐに追いつく。

 戸波さんのお父さんが警察と連携していれば、高速道路の周辺にも覆面パトカーを出していただろうが、介入を拒否している以上この場所で受け渡すことは知らなかったはず。事実、それらしい車がスクーターを追跡することはなかった。

 スクーターはあえて細い道ばかり選んでいるかのように、次々に角を曲がる。そして森林公園の中に入っていった。名古屋ドーム何十個分もあるような広大な公園で、その名称にある森の他にテニスコートに野球場が二つ。乗馬もできて、ゴルフコースまである。

 だから、車が乗り入れできる道が何本もあるが、車止めが設置してある車両進入禁止の道もたくさんあった。しかし、スクーターなら車止めのポールの間を抜けることができる。

 もしパトカーが追跡していたとしても、あんな細い道をぐるぐると走らされれば振り切られてしまうだろうし、なんとかついてきたパトカーがあったとしても車止めのせいで追跡不能になったはずだ。

 しかし、ボクたちには関係ない。むしろ森林公園なら道ではなく森の中を走れば姿を見られることもなくて都合がいい。

 スクーターは森林公園を抜けたところで停止した。そこで大型車が待っていた。

 どこかで見た車だ。車種はセルシオの旧型。そう思ったとき鼻がレモンの香料をとらえた。

 ボクたちを轢こうとした。あのセルシオだ。

 どうしてここに?

 二人がスクーターを捨て、セルシオに乗り込むのと同時に急発進した。こんな公園内の細い道でも容赦なくアクセルを踏むのだから、もっと大きな幹線道路に出たら何キロ出すかわかったものではない。

 それだとさすがに追いつけないが、レモンの香りが残っているから問題なかった。


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