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伝わりますか  作者: 朧 月夜
【弐】弟切草の想い出
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 再会 [二]

「危ないっ!」


 悠仁采の目の前に振り下ろされた(やいば)から、鋭い閃光が生まれた。受け止めた伊織の刀は寸前で『敵』の力を吸収し、押し返して真一文字に斬る。残るはあと二人。他は悠仁采の幻術で腹を裂かれ、身を焼かれ、見るも無残な屍骸と化していた。


「朱里殿……助太刀致す」


 伊織も覚悟を決めたようであった。悠仁采は言葉なく頷き、伊織の腰に下がった脇差を鞘から抜き去るや、内一人を斬り殺した。が、伊織の眼前で逃げ場を失った最後の一人は平伏(ひれふ)し、


「敏信様っ、どうか、どうか我が身をお助けくだされ! このことは誰にも申しませぬ……ですからっ」


 と命を乞うた。刀を構えた姿勢の伊織は、そのまま動かない──いや、動けないのだ。この者に何の罪もない。これは飽くまでも自分の家を守るための所業。良心の呵責(かしゃく)が己を封じ込め、身動きが取れなくなる。


「必ず……必ずであるぞ」


 溜息とも息切れともつかない空気を吐いて、刀を下ろした伊織は念を押した。相手はここぞとばかりに何度となく頭を上下に振り、土下座の体勢のまま後ずさっていく。


「去れ」


 伊織は背を向け、言い放った。膝をついた悠仁采へ向け歩み出す。しかし頭上に微かな気配を感じておもむろに振り返ると、鬼気迫る形相の男が刀を振り上げ、襲い掛からんとしていた。


「……ぐっ」


 断末魔の呻きを上げたのは、伊織ではなく、その男の方であった。


「朱里殿……」


 伊織から拝借した短刀を悠仁采が投げつけ、息の根を止めたのだ。


「全ては生きるか死ぬか……情けは無用」


 その言葉に(いささ)か困ったような表情をした伊織は、肩で息をする悠仁采に手を貸し、再び神妙な顔つきでこう問うた。


「さて……じじ殿の妙案とは、如何(いか)なるものでございましょうや」




 ◆ ◆ ◆




 しかし──。


「何故にお話しくださらぬのかっ。いつまでこうしているつもりですっ」


 最後の一人を倒してから小半時。中盤焦りを押し殺して、悠仁采が口を開くのを待ち続けた伊織であったが、さすがに堪忍袋の緒が切れたらしく、切り株に腰掛けた彼へと疑問をぶつけ始めた。


 悠仁采は右京達の去った方角を望みつつ、日暮れに向け強くなる風を受けることに喜びを感じていた。木々が揺さぶられ、枝が(かし)ぎ、奏でる音。その隙間から覗く赤みを帯びた日光の暖かさが、頬に心地良い。


 そして刹那、伏せていた瞼を上げて、伊織へと目を向けた。


「役者は揃ったようだ……話そう」


 その声に振り返った伊織は、一瞬ぎょっとして声も出ぬ様子だった。


「死に損ないに良う会いに来てくだされた……影狼(かげろう)殿」


 悠仁采は動じた風もなく、目の前に現れた葉隠の忍者を見上げていたのだ。


 影狼も声もなく悠仁采を見下ろすが、伊織には一切の気配も感じさせず懐へ入り込んだ忍びの男と、それを手に取るように把握していた悠仁采に、近付く勇気はなかった。


「先に伝えよう。秋姫様と橘 右京殿は、明心医師が保護された」


 鋭く研ぎ澄まされた影狼の瞳が伊織を捉え、最も知りたい事柄を簡潔に述べるが、伊織は頷くことすらままならない。が、その沈黙を了承と受け取った影狼は、再び悠仁采へ視線を戻して次の句を待った。


「そなたに頼みたいことがある……」

「命乞いならば、聞けぬ相談だ」


 息つく間もなく返された言葉に、悠仁采はふと笑みを洩らした。


「……その逆だ。わしを斬ってほしい」

「何を……? じじ殿!」


 金縛りから解かれたように、ようやっと二人の許へと走り寄った伊織は、焦燥を表したその(おもて)を悠仁采へと向けた。


「そなたではわしを斬れぬであろう? もちろん自害しても構わぬのだが、わしはこの男に命を渡したいのだ」


 一方の悠仁采は、笑みすら浮かべたその表情で、大それたことを淡々と語った。


「何と……何ということをっ。いえ……死なせませぬっ。じじ殿は妹を救ったお方!」

「その前にそなた達は、わしの命の恩人だ」


 そう言って、何が何でもと喰い下がる伊織の肩に手を置き、悠仁采は哀し気な静かな視線を送った。


「拾い上げていただいたこの命、しかしさすがに命運も尽きた。いや……長く生き過ぎたのだ。これ以上わしに悪行をさせませぬな」


 そして一つ呼吸を整えて、伊織の正面に顔前を合わせた。


「我が名は、八雲 悠仁采。あの悪名高き報妙宗率いる、八雲 悠仁采だ」

「八……雲……」


 伊織ははっとして一度伏せた眼を、再び悠仁采の瞳と合わせた。信長に敵対する八雲を、さすがに知らぬとは通せない。


「これから話すことを御大将(おんたいしょう)に伝えるのだ……『八雲 悠仁采は、其の小屋に潜伏していた。秋殿は花摘みに山へ入り、悠仁采と遭遇した。祝言(しゅうげん)の決定を伝えるべく、秋殿を探していた信近諸共悠仁采に殺され、信近についていた家臣も同様に……それをそなたが倒した』と、我が首を献上致すのだ」

「そのようなこと……私にはっ」


 もはや伊織は耐えかねて、目を逸らさずにはおられなかった。(かぶり)を振り、幼子のように全てを拒絶する。


「これが唯一わしの出来る恩返しだ……わしの首を差し出す際、秋殿のこの櫛も見せるが良い。既に死人の血で汚した。山の外れの断崖に落ちておったと──すれば遺骸が見つからぬことも納得されるであろう」

「じじ殿っ、じじ殿っ!」


 止め()なく溢れる涙が、悠仁采の輪郭を震わせるが、伊織には彼の微笑んでいるのが感じられた。どうしてそこまで──しかし決心は変わらない。


「伊織殿……いや、敏信殿。心から感謝致す。どうかこの戦国の世、生き貫いてくだされ」


 そうして立ち上がり背を向けた先には、静観する影狼の冷静な眼差しがあった。悠仁采の気持ちは晴々としていた。やっと……心からの礼を尽くせるのだから。


「影狼殿……悪いが手柄を、この男に譲ってくだされ」

「それは構わぬ」

「では……介錯(かいしゃく)を頼みまする」


 死体へ赴き、短刀を引き抜く。既に枯れ朽ちた肉体からは、鮮血などほとばしりもしなかった。やがては我が身もこうなるのか──が、悠仁采に未練は有り得ない。暫く佇んで(のち)(きびす)を返して影狼の許へ寄り、背を向けて草叢(くさむら)に座り込んだ。


「じじ殿っ!!」


 少し離れて四つん這いに草を踏む伊織は、最後の声を振り絞った。そしてもう泣き叫ぶこともなかった。誰も悠仁采を止めることなど叶わぬと悟った故であった。


 伊織に微笑みと一瞥を送った悠仁采は、穏やかな気持ちのまま目を閉じる。次第に呼吸も苦しみのない柔らかなものへと変わった。全て初めから何もなかったかのような、無の境地が眼前に広がっていた。


 背後に立った影狼は、変わらず不動のまま悠仁采を見下ろしていた。しかしその『焦点』が短刀を自らの腹に向け構えるや、影狼も自分の忍刀を抜き、頭上へゆっくりと掲げた。そして──。


「明心医師からの手向(たむ)けの言葉だ──貴殿が弟、右近殿が昔、幼き嫡男を連れて無束院へ参られたことがあったとの(よし)。その子息の名は『左近』と申されたとのこと──」


 ──と、告げたのだ。


 悠仁采は、その言葉に思わず目を見開き、(のち)、「明心め……」と呟いて、にっと笑ってみせた。


 ──右近よ……わしはあのまま橘に居ても、そなたを斬ることはなかったかも知れぬな……──。


 そうして再び目を閉じた。


 ──これでついに……いや、我が行き先は地獄。月葉の許ではない。が、しかし、せめて一時でも……せめて──。


「いざ、去らば」


 悠仁采ははっきりとそう言って、両手に握り締められた短刀を一度腹より遠ざけると、勢いをつけ左脇腹へと埋め込んだ。徐々に右方向へと移動する刃も拳も、血液という液体に(まと)われ、次第に冷たさと温かさを放つ。感じるべき痛みも苦しみも、何処か遠くの方で蠢きながら、悠仁采は目を閉じたまま、たゆたう『紅』を感じていた。


 拡がり続ける深紅の視界──その中心に黒と白の点が現れたかと思うや、球状の白に、長く伸びた黒が巻き付き──人型となった。


 紅の衣を纏った月葉であった──。


「ゆう……じん……さい……さま……──」

「月葉……──」


 月葉は微笑む。あの時と同じように──あの時。そう、別れを決めた月見草の上。


 彼女は白く(すべ)らかな指先を、触れる寸前まで近付かせ、悠仁采の瞼と頬の上に遊ばせた。ややあって矢で潰された右眼が復活し、肉体も月葉と過ごした若き頃へと戻る。


「月葉は、いつまでもお待ち申し上げております。悠仁采様が悔い改め、天へと昇られますその時まで──」

「ああ」


 悠仁采の迷いのない頷きと微笑みに、確たる心を導き出した月葉は、手元に現れた月見草を彼に手渡して、再び「悠仁采様」と愛しく名を呼び、まるで水面を目指す金魚のように袖を揺らしながら、上へ上へと昇っていった。


「月葉よ──いつか」


 月見草はあの時の如く夜露に濡れて、ささやかに煌めいていた。


 悠仁采は水晶のような純白の(つぼみ)を胸元にぎゅっと握り締め、するとその奥底に横たわる空間は、穏やかな気持ちで満たされていた。


 そして深紅より暗黒へと変わりゆく、自らの行くべき場所へと、ただひたすらに堕ちていった──。




 次回が最終話となります。最後までどうぞお付き合いを宜しくお願い申し上げます。




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