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伝わりますか  作者: 朧 月夜
【弐】弟切草の想い出
15/18

 密事 [三]

「おじじ様……」

「そなたも気付いておろう……わしは悪人だ。(あや)めた数など、一人や二人増えたところで、そう変わらぬ」


 悠仁采は少々(わら)い、秋から離れた。未だ傷が痛むのだろう。息遣いは変わらない。


「私のために何ということを……おじじ様っ、どうぞお逃げください! まもなく兄も参ります。此処は私が襲われ、仕方なく成したことに致しますから……おじじ様っ」


 草叢(くさむら)に腰を下ろして深く息を吐き、呼吸を整えようと努める悠仁采に、秋は必死の形相で(すが)った。


「来たか」


 落ち着きを取り戻した悠仁采は、安堵したように呟き、前方を見据える。彼に寄り添って泣き崩れていた秋は、その視線の先へと顔を向けた。秋の艶やかな黒髪は、いつの間にか悠仁采の骨細った指で、優しく撫でられていた。


「ご無事でしたか……姫。こっ……これは……?」


 同じく秋の叫びに急ぎ戻った右京も、この惨状にさすがに絶句した。秋は涙顔のまま右京に強く抱きついて、嗚咽をこらえながら訳を話した。


「おじじ様……姫の言う通りです。この場はどうかお逃げください。姫は私がお守り致します」


 右京のその申し出に、悠仁采は「やはりな」と洩らし、くっくと笑う。右京ですら、秋と悠仁采を(かば)い、自らのことに仕立てようと考えているのだ。


「まったく似た物同士であるな……何故(なにゆえ)こんな死に損ないの命を救おうとする? ……逃げるのはそなた達だ」

「え……?」


 そうして懐から一枚の書状を出し、手渡した。


「此処から堺までは急がば半時ほどであろう。街の手前の山の麓に、無束院という町医者がある。その医師 明心(みょうしん)にこの文をお渡しくだされ。二人の今後に案を授けるであろう。わしのことはお構い召さるな。が、明心に()うたら、わしの居場所を告げてくだされ」


 そこまで話して急に咳き込み、秋は驚いて彼の背を(さす)った。やがて背後より慌てふためいた伊織が駆けつける。信近の馬を見たのだろう。


「兄様っ」

「これは……どういうことだっ? 誰がこんなことを……」


 秋を受け留めた伊織の表情の変わる(さま)は、まるで水面に墨を垂らすが如くであった。返り血で汚れた悠仁采に気付き、血走った(まなこ)で彼を責めるが、悠仁采は昔を想わせるような眼つきでにやりと一瞥し、何も発しなかった。


「兄様っ、違うのです! 全ては私の未熟さが生み出したこと……」

「早まりましたな……朱里殿」

「いや……そうでもありますまい。これはそなたを出世させる良い機会だ」


 と、唇を(ぬぐ)って腰を上げ、伊織を真正面より捉えた。


「え……いや、何を申されておるのだ?」


 悠仁采の自信あり気な言葉と態度に、戸惑いを隠せない伊織は、その不思議な目力に気圧(けお)されうろたえた。


「わしに良い考えがありまする。が、説明は後に致しましょう、伊織殿。まずはこの二人を逃がすことだ。先程わしの見知った者への書状を二人に託しました。その者が必ずや二人を安住の地へお連れ致します。ですから……先に二人へのお別れを……」

「おじじ様っ、良いのです! 私など良いのですから……」


 涙も涸れ果てそうな秋の必死な言葉を、無言で制した悠仁采の表情は、いつになく優しいものであった。そう……月葉にだけ見せたあの(おもて)


「二人がそれぞれを想いやっていることなど、誰が見ても分かること……ですから……行きなされ。わしの時代は()うに終わった。そなた達は一緒になり、次の世を作る糧となりなされ……もちろん城の暮らしほど楽な生活ではなくなりますがな……」


 すると伊織も何かを思うように俯いていた(こうべ)を上げ、秋の腕を掴み、右京の懐へと彼女を押しやった。


「兄様……?」

「じじ殿の言う通りだ。お館様の(めい)とは云え、このような愚劣な者へ妹を差し出すなど、私が間違っていた。……右京殿、じゃじゃ馬な妹ですが、面倒を看ては頂けないか? 宜しくお頼み申す」

「伊織様……」


 潔く頭を下げた伊織に驚いた右京は、胸元で震える秋の、小さな両肩に触れる自分の手に力を込めた。その途端、行き場のない秋の瞳の先が、見下ろす彼の瞳へと定まる。右京はいつもの柔らかい微笑みを取り戻していた。覚悟を決めた、という微笑みであった。


「秋様を、一生お守り申し上げます」

「右京殿……」


 満足そうに頷いた伊織は、混乱の最中にいる秋へと目を落とす。


「秋。お前はお前の幸せを掴みなさい。いつか又きっと会える」

「兄様っ、きっと……きっとでございますよ」


 そうして名残惜しそうに固く抱き締め合った。

 その間に悠仁采は、無束院への道筋と成すべきことを事細かく右京に伝え、準備を整えた。やがて──。


「秋殿。お別れに日頃そなたの身に着けている何か小物などを頂けないか?」


 悠仁采のその問い掛けに、あたふたと着物の懐を探った秋は、帯の端から小さく弧を描いた可愛らしい柘植(つげ)の櫛を見つけて、恥ずかしそうに手渡した。


「このような物しか差し上げられず……おじじ様、申し訳ございません」

「いいや、これで十分。わしはそなたから返し切れぬほどの恩を頂いた」


 いつになくにっこりと笑んだ悠仁采は、伊織へと向き直り頷いた。旅立ちを促す合図であった。伊織は右京と握手を交わし、別れを惜しむ秋の背を押し離れた。何度となく振り返り、小さくなる二人の影が見えなくなる頃、悠仁采の眼つきが変わった。戦いに身を浸していた頃の鋭く冴えた瞳であった。


「じじ殿……これから、どうされようというのです?」


 悠仁采から放たれる冷たく妖しい空気を感じて、生唾をごくりと呑み込んだ伊織は、それでも何とか勇気を振り絞り問い掛けた。

 静かに城の方向へ振り返った悠仁采は、(くう)を仰いで(のち)、目を伏せる。耳を澄ませば遠くに数頭、馬の足音が響いた。


「悪いがそなたは木陰に身を潜めていてくだされ。あれぐらいならば、わし一人でこなせよう。但し、万が一にもわしの身が危うくなったら助太刀くだされ」

「いや……お待ちください! あれはおそらく信近殿の家臣……私に織田を斬れと申されるのかっ」


 狼狽する伊織に、冷ややかな視線を送った悠仁采は、


「織田の数人斬ったところで、信長に楯突くことにはなりますまい。今は信近(此の者)の斬られた理由(わけ)、秋殿の消えた動機付けが肝心。わしの考えを説明する間がない故、此処はひとまず納得して身をお隠しくだされ」


 と手で制すや近付く方角に向き直り、胸元で印を結んで精神統一を始めた。

 悠仁采の背後から漂う死相に満ちた霊気が、やがてどす黒い煙となって彼を取り巻き、伊織は怖ろしさとその迫力に負け、森の陰へと後ずさった。


 やがて音は声となり、馬に乗った数人の無骨な男共が、信近の(しかばね)に目を留め戦慄(わなな)き、悠仁采を復讐の眼差しで取り囲んだ。


 ──未だだ。未だ死ねぬ。わしの命を奪える者はただ一人。


 悠仁采は喉元で低く妖術を唱え始める。

 声も出せぬほどの畏怖に圧倒されて、伊織が見詰めたその光景は、地獄絵図以外の何物でもなかった──。




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