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伝わりますか  作者: 朧 月夜
【弐】弟切草の想い出
13/18

◆密事 [一]

 日が高く昇った頃、悠仁采の様子を看に戻った右京を含めて、小屋の外で和やかな食事となった。


 秋の背を(さす)る心身への施しは、伊織が煎薬を運ぶまで続き、そのお陰か悠仁采の険しい表情は、次第に(かげ)の薄れた柔らかなものへと変わった。


「伊織殿……そなた、秋殿の今後の処遇、どうなさるおつもりか?」


 小川の端の右京に寄り添って立つ、秋の横顔を見上げて問う。

 言わずもがな、秋の右京への想いである。


「……あれは……あれも、武士の娘の端くれでございます。己の運命を受け入れるのみ。我が祖母がそうしたように……そして、それも……──」


 伊織の溜息混じりの台詞は途中でくぐもり消え、続きを求めて振り返った悠仁采の瞳には、彼の喰いしばる歯の一端が垣間見られた。

 そして其の先は無かった。再び秋を見る。樹々を巡る風が秋の髪を撫でた。風を受け流すその横顔は、月葉のものであった。そしてその微笑みを向ける先には、在りし日の悠仁采が居た。


 その(のち)右京は辺りを片付け、悠仁采を抱えて小屋の(とこ)へ連れ戻し、狩りへと戻った。

 伊織と秋も二人がいては眠れぬだろうと館へ戻ると言い、それでも悠仁采の寝付く頃までは、心配そうに小屋の外で待機していた。


 やがて瞼が重くなり、暗黒と無の支配が訪れる。

 暗闇に時々ちらつく灯火は、月葉の(とも)した蝋燭か、それとも刀の交わる閃光か。耳には何者も囁かなかった。いや、己の足元から低く押し殺された幾つもの呻き声が、地鳴りのように轟いていた。それは次第に陰を帯びて手の形を造り出し、彼の脚を掴む。今まで殺めてきた数え切れない魂だろうか──もしや影を操る葉隠の末裔? ならば斬れば良い……そなたに斬られるならば本望。こんな誰とも判らぬ刀傷と、川を流れて出来た手負いなどで、身が果てるよりはずっとましだ。


 悠仁采は悪夢に(うな)されながら、それでも本質は生きようとしていた。夢の中ならば幾らでも殺されよう。しかし(うつつ)には未だ待て、と叫ぶ。今は時期ではない。月葉が我が身を救ったあの時のように、今は死ぬ時でないと悟っていた。が、全身の血が、抜け殻の如き肉体から解放せよと傷を(えぐ)った。それを食い止めようと渋る弟切は、仄かに草の匂いを立て、月見草の上、飛び交う矢の下で見詰める月葉を想い出させた。


 ──あなた様のお傍に居たいのです。


「月……葉……」


 唇が自然と彼女の名を呼び、瞳が焦点を合わせた時。()うに日は暮れていて、囲炉裏の方に人の気配を感じた。右京であった。


「お目覚めになりましたか、おじじ様」


 右京の穏やかな優しい問い掛けは、昨日のものと変わりはない。囲炉裏から覗く炎も同じように、悠仁采の床を温めていた。


「かたじけない……右京殿」


 悠仁采は右京の手を借りて半身を起こし、深く息を吐いた。全身から噴き出した汗が、次第に身体の熱を奪う。右京は秋が擦ってくれたように、しかし此度(こたび)は柔らかい布で、その背を(ぬぐ)ってくれた。


「この暮らし……辛くはないか?」


 悠仁采の静かな問いに、前夜の如く一瞬手を止めた右京であったが、(つぶさ)に元に戻り、


「いいえ……むしろ武士の暮らしよりも、自分に向いております」


 悠仁采にその表情は見えなかったが、特に戸惑った様子はなかった。

 おもむろに何処からか(ふくろう)の声がする。


「私がこの生活を始めて久しくなります。幼少の頃より文武を叩き込まれて参りましたが、目を盗み館を抜け出しては山の声を聴き、山に溶け込むことを好みました。ですから……こうなりましたのも自然の成り行きのように思われてならないのです」


 背と腕を拭い終えた右京は立ち上がると、桶の元へ腰を下ろし、ゆすいだ布を悠仁采に渡して、胸元を拭うようにと促した。


 月葉と出逢うまでの自分を想い出してみる。未だ少年の時代、父から勘当され、あの館へと落ち着くまでは苦難の日々であった。が、それも共に追放された家来がいてこそ成せた業だ。……しかし右京は──。この青年は独りで生きてきたのであろうか? そして独りで生きていくのだろうか?


「おじじ様はご自分のお身体だけをお考えください。何もお気になさらずに……私のことも、姫のことも──」


 首筋を拭う右手を止め、右京を見た。口元には笑みを(たた)えていたが、悠仁采とかち合った瞳は哀しみに満たされていた。しかし其処に苦しみはなかった。


 全てを受け入れた『心』という液体の、注がれた一つの『()れ物』。

 それが悠仁采を、見詰めていた。




 ◆ ◆ ◆




 その日の夜は午後の大半を睡眠で費やしたこともあってか、右京の寝息に誘われることもなく、暗い天井をぼんやりと眺めて朝が来るのを待った。


 ──正しいのは、誰なのか。


 自らに問い掛けてみるが、そのようなこと、そうせずとも分かりきったことであった。世の条理を思えば、おのずと見えてくる。


 ──が、しかし。それで本当に良いのか。


 人を求めるという気持ち。それを押し通すことは罪なのか。ならば人は何故(なにゆえ)に生きる……?


 生きているのではない。生かされているのか。では何故に生かされるのか。我等は天下を獲った者が(あざけ)(わら)うための駒に過ぎぬのか──。


 駒は動かされねばならない。が、おのずから動くことはない。しかし動いてはならぬという約束はない。ならば……──。


 悠仁采は心の混乱を治めるように、両の手で顔を覆い、指の隙間から天井を見詰めた。

 闇が木目の黒い筋を膨張させ、浮かび上がった黒煙の如き影は、やがて悠仁采を包み、彼の精気を吸い取らんと渦を巻いた。


 ──この望み、叶えてくれるならば──。


 眼を閉じても、渦は消えない。

 全てのしがらみが消えてはくれないように、月葉への想いが、今でも消えぬように──。




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