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ヘヴンマーチ

 そよぐ風を顔に感じてリゼは瞼を開ける。月の出た夜空が目の前に広がっていた。気を失っていたらしい。

 森を見下ろす開けた丘からは金子オィンクの屋敷だったもの(・・・・・)が展望できる。


 だったもの、というのは既に原型はなく、瓦礫の海となったそれらを屋敷とは形容できそうにないからだ。

 さきほどまで自分達がいた場所なのだから恐ろしい。ウィズウッドがこちらへ魔術で脱出していなければ生き埋めになっていたところだろう。



「それで、勇者の子孫なる輩の子飼いであることを秘匿としていたのは仔細ないな?」

「はい。マスターこと安倍マリア様との関係を伏せていたこと、申し開きがありません。どうやら陛下をおびき出す為に金子オィンク様のもとに遣わされてしまいました」


 少し離れた場所でニーナとウィズウッドはやりとりをしていた。彼の負傷した腕をハンカチで縛り、手当が為されている。



「この騒動は私めが招いた問題になります。厳粛なる処遇をお定めください」

「それは不問とする。元より余の遺言がおぬしをその庇護下へ置かせたのだ。そやつとの間柄も手紙の件も意図的に伏せておったのは、余を想ってのことであろう」

「しかしそれが災いして貴方様とリゼちゃんを危険に巻き込んでしまいました。従者失格です」

「それを思い上がりと呼ぶのだ馬鹿者。従者の災難は余の災難。自責なぞおこがましい」

 穏やかな叱咤を魔王は配下に送る。



「此度の騒動は不可抗力の賜物。なんら責を感じることはない」

「ですが……」

「そなたはただ心おきなく忠義を貫けばよい。これしきのことであれば、幾度でも手を下そう」

「もっと厳しいお言葉をお掛けになるものかと」

「万が一あの時、金子オィンクの通告でその身を差し出して余を庇おうものならそうしておった」

「……信じておりましたから、陛下であれば大丈夫であると」


 深夜に向き合う二人。

「しかし処罰がなくば他の配下に──今やドゥーゴとボルタしかおらぬが──示しがつかぬな。ふむ……そうだな。ニルヴァーナよ、折檻を申しつける。頭を差し出せ」

「はい、なんなりと」


 素直にひっぱたかれる為、彼女は頭を垂れる。青い瞳を閉ざし、衝撃を待つ。

 そして魔王は彼女の頭部にゆっくりと触れた。そのまま手を置く。

 意外の念に打たれたエルフは顔を上げた。


「これは……?」

「余がそなたに送る罰だ。音を上げるまでこうしてくれる。それで今宵のことは手打ちとしよう」

「……謹んでお受けします」


 みたいなやりとりが続き、声が掛け辛いので気の済むまでやってもらおうとリゼは静観することに。


「ほんと、どういう仲なんだが」

 口を揃えて主従関係を主張するのだろうけど、それとは別のなにか親密な間柄に見える。夫婦? 恋人? 家族? いまいちどれもしっくりこない。

 


「──まったくウィズの奴、派手にやったもんだ。魔王等級魔術(サタン・マギア)を繰り出すほどの強敵でもなかっただろうに。おかげでワタシが呼び起こされてしまったじゃないか」


 眺めていたリゼの付近でぼやきが聞こえた。

 黒い髪と赤い瞳、褐色の肌を持つ線の細い女性。同じ魔族だ。

 つばの広いとんがり帽子に新緑のローブをまとった、俗世とは乖離した雰囲気を放つ麗人が同じ草地の丘に立っている。さっきまで存在に気付かなかった。



「しかし、あれから千年以上も世代交代が為されなかった以上、彼の代で終わりになるかと思っていたのに、まだ…………おっと?」

 今更独り言を聞かれていたことに戸惑ったような表情でリゼの方を見る。目と目が合った。



「もしかして君、視えてる(・・・・)? 声も届いているのかい?」

「え、あ……ハイ。それってどういう……」

「……そうかそうか、そういうことか」


 一人合点がいった様子で彼女は薄く微笑む。そしてとんがり帽子をとって恭しくお辞儀を披露した。


「挨拶が遅れたね。ワタシは……そうだな、色々な呼び名があってね、ヘヴンマーチとでも呼んで貰おうかな」

「ヘヴンマーチ、さん? すっごい名前」

「さんはいらないよ礼儀正しい同族のお嬢さん。現代の住み心地はどうだい?」


 含みのある物言いにリゼは混乱を極めた。この人は何者だろう? いつから此処に?


「疑問が沸いて出てくるのは無理もない。できうる限り答えるよ」

「では、貴女は一体……」

「一言で言えばワタシはもうこの世にはいない存在。幽霊みたいなもんじゃないかな?」

「え!? 嘘っ、じゃあほんとのほんとにオバケェ──!?」

「ああ待て待て落ち着け騒ぐんじゃあない。せっかくあちらさんがいいムードなんだ、台無しにしちゃあ悪いだろう。どうせ君にしか視えていないし聞こえていないのに変に思われるよ。それに安心するといい、呪ったり祟ったりと害は与えないし少し話をしたら消えるだろうからさ」


 パニックで騒ぎそうになるリゼを宥め、ヘヴンマーチは話を続ける。


「ワタシの生前にもそういう実例はあるんだ。かつて教え子であったウィズもワタシの亡くなった師とこうしてやりとりを交わしたことがあると話していたし、ちょっとした奇跡の邂逅というヤツさ」

「そう、なんですか。それで、そのウィズってもしかして」

「ご明察の通りウィズウッドのことだ。彼にとってワタシは魔術の師であり、育ての親でもあり、恋人一歩手前というところまで至ったこともある」


 リゼの脳裏にかつてのウィズウッドにも愛した人がいたという言葉を思い返す。

 空を流れる風のような人。そう評した彼の言うとおり、目の前にいるこの魔族の女性はとてもおおらかで自由奔放な印象を植え付ける。



「まぁそれよりも重要な話を君に伝えないといけないね。魔王という遍歴についてだ」

「貴女は、先代の魔王なんですね」

「正確には先々代になるかな。前の代はもう一人の教え子……しかも人間の孤児さ」

「人間も魔王に……?」

「驚くことはない。ワタシの師はエルフの女王でありながらも魔王だったよ。ともかく我々は皆、各々が魔王になるにあたって経たエピソードを絡めて称号を得ているんだ。かいつまむがワタシの先代から……『平定』の魔王、フレデリカ・ピースルーラー。ワタシの別名である『苦痛』の魔王、マチルダ・ペイン。『憤怒』の魔王、ライオット・ラース。そして『反逆』の魔王、ウィズウッド・リベリオン。こうして順に魔王の座は受け継がれている」

「あれ? ピースルーラーって確か……」


 聞き覚えのあるフレーズにリゼは反応を示した。ヘヴンマーチは自らの存在に気付かない二人に目をやる。どちらかというとニーナの方に意識を注いでいるようだった。

「我が師の忘れ形見、健やかにお育ちになられたようでよかった。そして教え子と共にいるというのがまた皮肉なものだよ」

 細めた瞳には懐旧の情が含まれているのがリゼには見てとれた。この亡霊は本当に過去の──それも遙か大昔に生きていた魔族なのだろう。



「さて、そろそろ時間かな。いずれまた顔合わせを果たす日がくるだろう。君には資質があるからね」

「それってどういう……」

「楽しみにしているよ。どんな風に目覚め、形を為すのか──」


 ヘヴンマーチの背後から強い突風が吹き荒ぶ。思わず「きゃっ」と顔を庇ったリゼが視野を戻した時には既に、彼女の姿は欠片も残っていなかった。


「リゼちゃん、目を覚ましたのね。気分はどう?」

「そこでなにをしておるのだ」


 狐につままれたように呆けていた魔族の少女のもとにニーナとウィズウッドがやってくる。


「帰りましょう。此処だっていつまでも安全じゃない」

「あの勇者の末裔が後始末をすると申していたのでな、手並みを拝見しようではないか」

「夢、じゃないよね」

「リゼよ、未だに寝惚けておるのか?」

「いや、さっきね……やっぱなんでもない。じゃあ帰ろう」



 自分の身に起きていたことはまだ胸の中にしまっておこう。整理できてから打ち明ければいいと、リゼは考える。



「そういえば先生、その……奪われちゃったって言ってたけど、今夜のことは犬に噛まれたと思って早く忘れよ?」

「そうね……大事にしていたのだけれど伊達だから大丈夫」

「伊達ってどういうこと?」

「教師をするにあたって格好から入ろうと思ってただけなの。別に視力が悪いわけじゃ」

「えっ?」

「え?」


 噛み合わないやりとりをきちんと互いに理解したのは帰宅してからのことである。


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