聖母と呼ばれた少女の笑み
「……のれ、おのれぇ……許すまいぞ、断じて許すまいぞぉ……!」
崩れた瓦礫の中からひぃひぃと這い出た金子オィンクは屈辱から怒りの声を絞り出す。どうにか生き長らえていた。
魔王ウィズウッド・リベリオンと名乗ったあの魔族の姿はない。
口上だけでは鼻で笑えた肩書きだが、実際に相対し蹂躙され説得力があった。恐ろしい相手だった。
しかし彼が何者であるかなど、もはやどうでもいい。住居を粉々にされ、魔術の腕に覚えのあったプライドをへし折られた彼の脳裏に描かれるのは復讐の二文字。あらゆる権利や財産を用い、如何にしてあの劣等悪魔を滅ぼそうかという考えにだけ支配されていた。
彼にはまだ地位がある。金がある。この愛の巣を建て直すことは勿論、ニルヴァーナを再び掌中に収める手段がいくらだってある。刺客をいくらでも雇えばいい。まだ終わりではない。
あの魔族は阿呆だ。息の根を止めずに何処かへ消えてしまったのだから。その結果、身を滅ぼすことになるのだ。馬鹿め、馬鹿め馬鹿め。そんな風に嘲り、罵り、呪う。
「デュフ、デュフフ。この借りは数倍にして返してやるぞぉ……」
「今夜はお楽しみのようでしたね」
瓦礫の上を踏み分ける足音と呼び掛けにギクリと背をこわばらせる。
「……なんだ、お前か、帰っていたのではなかったのか」
「実は予定にない来客の訪問がありましてね、丁重にお帰りいただいていたところですよ」
メイドのセツナは、澄まし顔で彼のもとにやってきた。
「まぁそんなことはどうでもよいぞ。無事であったのならさっさと政府に件の被害を報告せよ。あの魔族を草の根を掻き分けてでも探し出すぞ」
「連絡なら既に済んでいます。これほどの被害が出ては隠匿も難しい筈ですから」
「それならばよいぞ。医者もついでに呼べ。我が輩の怪我を──」
「違います」
キッパリと否定する。それから懐から手鏡を取り出した。
光が反射し、映像が投影される。
「私の主に伝えたのです、撤退するつもりだったのですがお繋ぎせよと」
『こんばんは金子オィンク。お祭りがあったとお聞きしましたよ』
「貴様……安倍マリア!」
椅子に座り、愛想笑いを浮かべた少女の姿を前に豚エルフは歯噛みする。
「このメイドは貴様の差し金かッ」
『そんなところですかね。公募を掛けているものだからそちらの伝手で試みたのですが、すんなり通ってしまったので拍子抜けでしたよ。経歴も適当に繕っておけば後は外見で選んでいたのでしょうねぇ』
「用件はなんだ! よもや我が輩の命を狙ってはおるまいな!?」
『まさか、とんでもない。かつて栄えたエルフの国の王様という肩書きを持った貴方に手を出せば流石の私も日の目を見られなくなってしまいます。それに余計な諍いを避ける為に清水ニーナを素直に差し出したのではありませんか。あれ? そういえば彼女はご無事ですか? 見当たりませんよ? おやおや? もしや逃げ出されてしまったとか?』
わざとらしくあけすけに、マリアは笑いながら言った。
『なんにせよ不運でしたねぇ。景色を見る限り手酷くやられたようで』
「知っていたのか、あの魔王のことを」
『いいえ? 魔王を名乗る魔族でしたら知っていますが』
「茶化すでないぞっ! 我が輩の屋敷にあのレッサーどもが入り込んだのは貴様の仕業だな!? 余計な真似をしてくれたのう!」
顔を真っ赤にして唾を飛ばすオィンクに反して『これはまた人聞きの悪い』と彼女はあくまでおどけた調子で言った。
『私も危うくあの魔族に殺されるところだったのですよ? だから降参して適当に彼等を飛ばそうとした地点がたまたま拉致監禁の現場だったというまでです』
「共犯者がよくもぬけぬけとォ! 『要求の通りこちらからニルヴァーナを差し出すので今後は良好な関係を築いていきましょう』と持ちかけたのが貴様であろうがァ!」
『ええ。確かにそう言いました。だって仕方ないでしょう……うふふふふ』
笑いを漏らすマリアの顔が、無邪気で底の見えない悪意に濁った。虫けらをいたぶる子供のように、はたまた通りがかった他人の転ぶ様を面白がる通行人のように。
一瞬背筋に冷ややかなものを感じたオィンクだが、強引に怒りで塗り替える。
「な、なにがおかしい!?」
『いえ、あまりに欲望に忠実で、赤子にハチミツを与えるくらいにたやすいことでしたもので。清水ニーナはこんな山奥に引き籠もって少ない女中しか雇わない陰気な貴方の隙を作るうってつけの囮でしたよ』
「だからなにを……──まさかっ!?」
『ええ、ようやく手に入れました。肝心の部分が欠落し、闇の中に葬られた筈の歴史の断片を』
映像の向こう側でマリアは古めかしい石版が収められたショーケースを見せびらかす。
『かつて栄華を極めたエルフの国、一夜にして滅んだとされる亡都イスエルヴァルの文献。貴方が所有権を主張し独占していたこれには、どうやら統治していた王を讃え、本当の王族についての家系図といった情報が記載されているようですね』
「いつの間に……! まさかっお前かメイド!?」
携帯魔鏡を持ったセツナは「失礼ながら拝借させていただきました」と肯定。
『それで、分析させていただいたところ。オィンクーゼ・マグナメイガスなる近親者の存在は確認されませんでした。そして最後の代となった女王フレデリカ・ピースルーラーには一人娘がいたようです……おっとぉ? 私の配下であるそこの彼女には聞き覚えがあるとおっしゃっているようですよ?』
高貴を着飾り、酒池肉林を欲しいままにしてきた豚エルフの頬が痙攣を起こしていた。
『これは推察なのですが、貴方の言うニルヴァーナ・ピースルーラーなるエルフ──すなわち清水ニーナと契ることで恐らくは王族の名を騙る偽者から本物に成り上がろうと企てていたのではないかという疑念が降って湧いたわけですよ。彼女への異常な執着性も辻褄が合います。盗人が冠盗んで王様気取りなんてうふふふ、ああ可笑しい』
「黙れ黙れ黙れ! 返せこの盗人め! 我が輩の財をくすねていい気になるなよ小娘が! 貴様ごときの小細工では我が輩の築き上げた地位は揺るがぬのだ!」
金子オィンクは喚き散らす。もはや癇癪だった。
「決めたぞ! 貴様は徹底的に飼い殺しにして最大の恥辱を与えようぞ! まずは首輪をつけ一糸まとわぬ姿で散歩に繰り出し、公衆へ見せしめてやるのう! 食事と給水は床でするのだ手は使わせん! その皿は自ら舐めて綺麗にしてもらおう!」
下卑た言葉の限りを尽くし、向こう側にいるマリアを言葉で穢そうとしていた。だが安倍マリアはその悪態に眉ひとつ動かさずに淡々と聞いてる。
「それから、それから──ぷぎぃゃぁあああああああああっ!」
屠殺される豚のような奇声とともに、左右の笹穂耳が千切れて宙を舞う。
もんどり打った金子オィンクの背後で、スペアのナイフの刃についた血を振り払う辻 セツナが立っていた。
『まだ彼の言い分の途中ですよ、それに前回のように追い詰め過ぎて舌を噛み切られでもしたらどうするんですか?』
「この男に城山トールのような自決する度胸はありません。あまりに主人への侮辱が聞くに耐えなかったもので黙らせました」
『いちいち豚の鳴き声に言い返す人間なんています? あーあせっかくの数少ないエルフ要素を切り取ってどうするんですか』
「では次はこの金髪ブロンドを丸刈りにして一生生えてこないように永久脱毛。日サロでこんがり肌にしてどんどんオークに近付けて」
『話を脱線させるな』
彼女は強引に打ち切り、血の溢れる頭を抑えてうずくまった耳なしのエルフに気を取り直して声をかける。
『部下がとんだご無礼を。忠誠心が高いというのも考えものですね。まぁこれからはお似合いになるかもしれませんよ? 外に出られなくなる日陰者として』
「ふぐっ……うぅ」
『今日この瞬間から貴方は王族を騙るただのエルフと成り下がった。それはすなわち政府が貴方の財産を取り上げる口実と十分になり得る。何故ならばその富の全ては水中に没したイスエルヴァルから引き上げた金銀財宝によるもの。貴方が主張する所有権は無効となるのですから。ちなみに証拠として提出するのはこの文献だけでなく、こちらも』
彼女が言って取り出したのはテープレコーダー。
『ついに我が輩の手のもとにきたのう、ニルヴァーナ・ピースルーラー』
再生された音声は金子オィンク本人そのものだった。
『……長年の宿願がようやく叶ったわい。これで我が輩は名実ともに……グフフ』
『どうですか? これ。私の推測とこれら二つを組み合わせれば、貴方の牙城を崩すことなどたやすいです』
宣告に痛みで震えていたオィンクは顔を上げる。
「な、なん……」
『そうなると地位は剥奪され、後ろ盾は霧散することとなるでしょう。貴方こちらの界隈では相当恨みを買っているみたいですねぇ。これを知ったのなら果たしてどんな目に遭うのでしょうか』
「待て! 待つのだ分かった我が輩が悪かった! 金ならいくらでも払おう! 好きなだけくれてやる! だから事実の発表だけはやめてくれ!」
『わぉ、それ実際に言っちゃいます? フィクションでも毎回失敗するパターンですよそれ? しかも貴方の金ではなくなるとさっきも言いましたし、そもそもお金に関しては特に困ってないんですよね』
にべもない返答に、彼は態度を一変。その場で平伏して訴える。
「この通りだ! 安倍マリアよ、いやマリア様! その名の通り聖母のような麗しき女性よ、どうか我が輩にご慈悲を!」
地に頭を擦り付けだした彼に、聖母と呼ばれた彼女は微笑む。
失笑だった。
『いけませんねぇ、仮にも高貴を騙ってきた御方がそんな風にへりくだってしまわれては。生憎格下に忖度はしない主義でしてねぇ、潔く無駄なあがきをやめるのをおすすめします』
「やめ……やめろ……いや……だ、すみませんでしたすみませんでしたすみませんでした許して許して許して!」
『いやいや命乞いをされましても。家畜に同情したら畜産の商売あがったりですからうふふふ』
嘲りの一蹴。絶望の淵に落とされたオィンクに追い打ちをかけるように、
瓦礫の山が動いた。余震に思えたが、一部積もった地点だけが盛り上がっていく様子からして違う類のものである。
生き埋めになったなにかが地上に這い出てくる光景だった。
──どこへ、行きやがった……!
雷鳴にも似た声が一同の頭の中に響く。
地面から突き出た大きな赤い翼が瓦礫を吹き飛ばし、強靱な顎が鎌首をもたげた。
紅き鱗を身に纏う巨大な竜はその全貌を露わにする。
獣の咆哮が大気を震わせた。
──どこへ行きやがったメイドォオオオオオオオ!
「ヒィイイイなんなのだアレはぁ!?」
『あのドラゴンと思わしき生物はもしや坂本ドゥーゴでしょうか?』
「そのようです。人の姿に擬態していたと思われます』
『あの男と同様経歴が曖昧模糊かと思えば、これはまたとてつもない隠し玉を持ち合わせていましたね』
「それだけでなく、絶滅種の生き残りですから貴重な研究材料になり得るかと」
『問題はあちらが素直に被検体として応じてくれそうにないということですね。ご指名入っていますよセツナ?』
「サービス範囲外なので御免被りたいところですが」
『仕方ないですね。撤退を選ぶといたしましょう』
深紅の双眸がこちらを捕捉するなり、竜形態となったドゥーゴは軽く羽ばたいて飛翔。
そのまま猛突進を開始した。彼女にとってはまだ戦闘が続いている。
──そこにいやがったかァ! 仲間増やしたならまとめて相手してやるぜェッ!
「ヒィィィ杖杖杖! 我が輩の杖がないィ!」
「マリア様、これは如何なさいますか」
『連れて行きます。此処であっさり踏み潰されても困りますから』
「お、おお……! 我が聖母よ……!」
映像にすがりつこうとするオィンクの手は空を切る。
『しかしこの場から事なきを得るのは貴方の為ではないですよ? 私自身の為です。下劣な輩が破滅していく過程を観察するのは最高の娯楽とは思いませんか? とことん追い詰め、とことん苦しめ、悲惨な末路を迎えさせたいと考える方は少なからずいるかと。私もその一人です』
目を細め、切り込みを入れたような微笑みは魔性の二文字を体現する。
そんなやりとりをしている間に災竜ドゥーレゴエティアの巨体は目前に迫った。
──ぶっ飛ばぁぁあああすッ!
上空からの渾身の右ストレートが繰り出されるや否や、マリアは指を弾く。
セツナとオィンクの足下に黒い穴が開かれ、転移が行われた。
タッチの差で離脱したその場で、ドゥーゴの一撃が大爆発を引き起こす。瓦礫が粉砕され、大きなクレーターを産み出した。
キョロキョロと見渡したドラゴンはやり場のなくなった憤りに月夜で吠える。
──くォらぁああああ逃げんじゃねェえええええええええ!




