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追憶、ニルヴァーナ その3


「あぁテメェ! こんなところにいやがった!」

「お前のせいでなァ! 此処で捕まるハメに遭ったんだぞ!?」

「テメェがおとなしくしてりゃよぉ! 商品の癖に厄介事持ち込みやがってッ!」


 悪態の限りをぶつけられ、ニルヴァーナは身を竦ませガタガタと震えを取り戻す。

 だが控えていた鎧を身に纏う衛兵達に矛を突きつけられ、男達はぐっと言葉を呑み込まされた。


控えおろう(・・・・・)

 怒鳴り散らすのでもなく強い口調だったわけでもないのに、一言だけでその場にいる者はしんと静まり返り動きを止める。


 頬杖をついたままの淡々とした呟きが放たれた直後、彼等に追い打ちをかけるように見えざる重圧が押し掛かっていた。彼の身体から魔力が迸り、プレッシャーを与えているのだ。

 それは魔力の少ない者にとっては極寒の猛吹雪を浴びるに等しい。

 現に耐性のない奴隷商の男達は窒息し掛けて苦しげに床に視線を降ろしている。物理的に動くこともできなくなっていた。


「此処は余の膝元。それ以上の狼藉は許した覚えはないぞ、人間」

 そんな状況で放たれる言葉は、耳にする者達の頭へ水のように染み入り、雷轟のように響かせる。


 ニルヴァーナも怯えることを忘れて息を呑む。魔王という有り様を実体験していた。

 そんな緊迫した状況を見かねてか、側近から注意の言葉が飛ぶ。


「娘をただちに下がらせなさいヴォルフデッド」

「お、おう。出直すぞガキんちょ」

「待て、そこにおれ」


 しかし退陣を制したのは魔王ウィズウッド。何故か残るように命令した。

 まるでこの場で拝聴していろと言っているようなものである。


「してそこな人間ども、察するに余の領地に踏み入ったのは他ならぬこの小娘を探索した末のことと見受けられるが」

「え」

「疾く答えよ」

「その娘は我々が、売りに出す筈の、商品で……」

「紛れもなくぬし等の扱う奴隷ということで仔細ないな?」

「は、はい」


 淡々と問答を行い、なにかを確認した。

 そしてほんの一瞬の思考を巡らせてウィズウッドは判断を切り出す。


「なればゲミトゥス、アレを持って参れ」

「まさかアレですか!?」

「それ以外のなにがある。おぬしが行かぬというなら余が自ら取りに行くが」



 貫禄に溢れた有無を言わさぬ魔王の命に、ゲミトゥスと呼ばれた側近の魔族は苦虫を噛み潰すような表情でなにかを取りに向かった。


「では皆の者、暫し此処で待て」

 手を降されるのではなく、その場で面を食らった奴隷商やニルヴァーナ達はその場で待機する流れとなる。


 沈黙。気まずい空気が流れたままだった。

 その間も魔王は微動だにせず人間達を見降ろしており、二人は生きた心地がしなかっただろう。


 ほんの少し時間が経って彼が戻り、ウィズウッドはなにかを受け取って玉座から立つ。

 そして地面に手をつく奴隷商の二人組の前でそれを落とした。

 耳触りのいい硬質な音が散らばり、彼らは金に輝く光景に呆然と魅入られる。


 あろうことか魔王が落としたのは数枚の金貨であり、くれてやるとばかりにバラ撒いたのだ。


「こ、これは……!」

「この奴隷、余が買い付けよう。それならば代金としてこと足りるであろうな」

「……まさかお買い上げ、すると?」

「それとも人間は魔族と商売もできぬのか? 力づくで頷かせるのもやぶさかではないが」

「い、いや文句なんかないですぜ、こんなに沢山本当にいいんですかい? へへっ」

「では拾って早々にこの城を立ち去れ。この城におる魔族はそう気が長くもないぞ」


 この世の終わりという表情から一転して媚びへつらう笑顔になった二人は、そそくさと金銭をかき集めてへこへこと玉座の間を出て行く。

 その去り際に鍵を置いて「よかったなぁ自由だぞぉ」とニルヴァーナに猫撫で声で話し掛けたところで、ヴォルフデッドが唸り玉座の外へ追い立てる。



「全く、なにを考えていらっしゃるのです陛下! 我が城の付近に忍び込んだ無法者を駄賃を与えて放逐するなんて!」

「あれは所詮人間どもの金貨、こちらにとっては骨董品も同然だ」

「やせ我慢をなさらないでください。アレは密かにやり取りを交わしている人間側の行商にも融通させる代物でしょう」

「ぬっ」

「私めを納得させるだけの理由、お話しくださいますよね? まさかとは思いますがたかが人間の小娘一人の為に財を削ったなどとは決して説明なさらないよう」

「ぐ……」


 さっきまで威厳を大いに奮っていた筈の彼が部下の説教にたじたじとなっている。

 しかしゲミトゥスは息をついて糾弾を打ち切る。魔王のやらかしには慣れているらしい。


「貴方様のことはいつも通りではありますが、そのようなことをせずともあのような者ども、さっさと処分なされば……」

「あやつら程度を野放しにしたとて、こちらに害はない。さて」

 そしてこちらが本題とばかりに魔王は切り出す。


「ニルヴァーナよ、これにておぬしは正当に奴隷ではなくなった。ヴォルフデッド、そこの鍵で外してやれ」

「んだよめんどくせぇ……ほれ足出せガキんちょ」

「……っ」

「どうした、自由の身になれたのであるぞ、喜ぶがよい」

「私としてはすぐにでも出て行ってもらいたいものですが」

「これゲミトゥス」

「嘘偽りのない本音ですので」


 といった問答をよそに彼女の顔が晴れ渡ることはなかった。

 それどころか、今にも泣き崩れそうな悲壮を浮かべる。



「……わた、し、行くところ、ない」

 ポツポツと胸の内に秘めた葛藤を零し始める。

「家族も、分からない。わたし……なにも知らない」

「ガキんちょ、お前……」


 奴隷という立場を払拭したというより却って肩書きを失ったことで、自らが何者であるかそして何処に自分の居場所があるのかという疑問に埋没し、そして不安に溢れて今にも押し潰されようとしていた。



「魔王さま、わたしは、なにをしていけば、いいの? どこに、行けば、いいのぉ?」

 声を詰まらせ、喘ぎながら答えを懇願する。


「易々とは答えられぬ。生きる指針なぞ、他者に教えを乞いてはいびつに歪むものだ。己が手で探し出さねば意味がない」

 ウィズウッドは突き放した。子供にはあまりに難解で酷な返答だった。

 うな垂れ、少女の涙は決壊する。



「しかし、猶予を与えねば不公平である。もしもぬしが余に仕えるというのなら、気の許す限り滞在を許そう。嫌だというのなら人里に送るだけのこと……一度しか言わぬ」


 立ち上がったウィズウッドはマントを翻し、彼女に言い放つ。

「余の配下となれ、小娘。此処でぬしの道を探せ」


 想像だにしなかった勧誘にニルヴァーナは嗚咽を止めた。


「ハァ……奴隷を買い付けたという時点で、陛下はそう仰ると思いました。大方諫言しようともどうせ押し通されるのでしょうからどうぞご勝手に。前以てお話しておきますが、城に残るにせよ私は手を貸しませんからね」

「そこは俺もゲミトゥスと同感だな。養うとなると生憎そこまでは面倒看きれねぇな。手前のことで精一杯なんでよ、自分の食い扶持は自分で稼いでくれや」


 元々話し合うつもりであった今後について提示された選択肢。配下の二人は彼女に対する立場が違えど贔屓も反対もしなかった。


 紛れもなくそれは彼女の命運を左右させる分岐路だった。


「さて、どうする」

 鼻をすすり手の甲で涙を拭い、ニルヴァーナは口を開く。

 辿々しくも、自分の意志で。


「魔王さま、わたしをけらいに、してください」



 そうして彼女はグリーンウッド城唯一の人間として魔王に仕えることとなる。小間使いとして雑用を覚え、炊事や給仕の仕事を与えられた。


 城内で活動を始めた当初は歓迎されないどころか、鼻つまみ者にされた。

 たとえば自分の食事分は減らされたり、汚れ仕事を押しつけられたり、城を出て行けば幸いと言わんばかりの冷遇ぶりだった。


 人間と敵対する魔族達からすれば異物以外の何者でもない故、風当たりが強いのは無理もない話である。


 しかしニルヴァーナは嫌な顔一つせずそれらに耐えた。そして着実にこなした。至らぬところがあれば恥を忍んで教えを乞い、感謝や謝罪を絶やさず献身に努めていた。

 彼女をそこまで愚直にしたのは自分の居場所や存在理由を求めてのことである。ウィズウッドが口にした自らの道を探し出すこと、それを実現させる為に必死だった。



 月日を経て少女が次第に魔王の部下達からの見る目も代わり、徐々に受け入れられつつあった。一人をのぞいて。



「魔術を教授してくれ、ですって? よくもまぁそんな大それたことを口にしたものですね。反抗される可能性を悪戯に増やすだけでしょう」

 ニルヴァーナが頼み込んだ相手は、魔王の側近で城のナンバー2と言っても過言ではない魔族の男ゲミトゥス。彼の辛辣な態度はいつまでも変わらず今回も邪険にしようとする。


「生活の利便になる魔術は既に覚えました。身を護る程度の魔術だけでも学びたいんです。及ばずながらも陛下のお力に──」

「だからなにを思い上がっているのかと尋ねているのですよ。たかだか人間の小娘の我が儘に何故私が付き合わなくてはならないのか」


 それでも彼女は萎縮せずに食い下がった。ウィズウッドの許可を得て書斎の本を借り、空いた時間で勉学に励んだ少女はまだ一年と経たずに、言葉や立ち振る舞いまで覚えた。そしてその期間で魔術を修得した恐るべき才を見せる。


 ゲミトゥスはそこに最初から気づいていた。魔王ウィズウッドと奴隷商の謁見時、彼が迸らせた魔力の圧に巻き添えになっていながら平然と受けていた様子からして強い魔力を秘めていることを。


「では陛下に訓練の許可をいただいて参ります。ひとりでに学んで覚えるのならば誰にも迷惑は降りかからないでしょう。何事もなければ、の話ですが」

「なっ、それを私に言いますか!?」

 そこは彼にとって痛いところである。名目上城内にいる彼女を危険から遠ざけるように命じられている以上、魔術を勝手に暴発させで怪我でもすれば監督不行届きになってしまうのだ。



「いえ、断りだけは入れておく必要があると考えまして。魔導士としての腕が立つと噂されるゲミトゥス様に教わりたかったのですが、仕方ありませんよね」


 だが魔王に直接相談などしようものなら訓練をするに当たってウィズウッドは自然と師を名乗り出て同伴しようとするだろう。そちらに時間をとらせることにもなるし、手を煩わせた配下として肩身が狭い想いをするのはゲミトゥス本人だ。

 幼いながらにしたたかさまで身につけた。彼は忌々しいと思う反面、舌を巻いた。



「……いいでしょう。ただし、ウィズウッド陛下の力になりたいなどと言ったからには半端な結果は許しません。徹底的にやります、いいですね!?」

「ええ、よろしくお願いいたします」


 と、ニッコリと彼女はしごきを了承した。

 そんな充実した日々を送っていたニルヴァーナであったが、外見相応なところを見せる場面もある。たとえば、



 夜の寝所。鎧を脱いだウィズウッドが寝室で休もうとしていた時、小鳥がつつくように小さなノックをする。


「そなたか、入れ」

「……失礼、します」


 蚊が鳴くように消え入りそうな声だった。

 昼間とは打って変わってめそめそとベソをかいたニルヴァーナが中へと通された。


「また発作が起きたか。流石にもう落ち着いたとばかりに」

「……も、申し訳、ございません。また、あの夢を……」

「許す。利発とはいえおぬしもまだ子供。」


 この城にきてからしばらくの間、彼女は悪夢にうなされた。激流に呑まれて溺れる夢だそうだ。そして大事な誰かが遠ざかっていき、二度と会えないという悲しみに目覚めるのだ。


 孤独な部屋では胸がぽっかりと穴が空いたようで一人で眠れなくなってしまう。だから衝動が落ち着くまであるいは一晩を明かすまで添い寝をすることも日課の一つとなっている。



「しかし今宵はヴォルフデッドもいよう。そちらにも幾度か行っているのではないか。余よりあやつの方が体毛もあって暖かかろう」

「……その、ヴォルフデッド様、けものくしゃい」

「臭い!? ふははははははは! そうかそうかあやつとでは中々寝付けぬな!」


 室内で盛大に高笑った魔王に慌ててニルヴァーナ「い、言わないでくださいね、絶対に!」と気恥ずかしそうに訴える。


 老人と少女が同じ枕に並ぶのはさながらぐずる孫娘を宥める祖父のような光景だった。

 衝動の波が引いたのか、ニルヴァーナの呼吸がゆっくりとした息遣いに戻る。


「落ち着きを取り戻したか」

「おかげさまで。いつもありがとうございます……もう暫く此処にいても?」

「うむ。しかし、少しばかり寄り添い過ぎではないか。このような老いぼれといても退屈であろう」

「そのようなこと微塵もございません。陛下のお側におられるこの時間は私にとって至福のお時間と成りえておられます」



 ウィズウッドはこうも懐かれたことがよく分からないまま、それならばよきにはからえと言って自由にさせる。



 文字通り厚意に甘える彼女はすっかり彼に対して心を開いているようで、屈託のない明るい笑顔を見せるようになった。

「城内の生活でそなたの探すものは見つかったか?」

「いいえ。ですが、代わりに私はもっと早く生まれて陛下と出会いたかったと存じます」

何故(なにゆえ)そのような考えに?」

「それは乙女の秘密です」


 鈴を転がすようにニルヴァーナは笑う。

 そしてこれも声に出すことはなかったが、少女は密かにこう願っていた。


 今のような時間がずっと続けばなぁ、と。



 紙をめくる音を契機に清水ニーナは意識を取り戻した。

「……あ、れ? 私」

 うっかり、うたた寝してしまった彼女は自分に掛け毛布が被さっていることに気付いた。


 隣ではうら若きウィズウッドが読書を再開している。執心しているように見せかけて彼はおもむろに口を開く。

「余も今しがた目覚めたところだ」

「陛下……お休み中にご無礼を」

「よい。それよりも日もすっかり落ちているようだが」

「ああいけない! お夕飯の支度まだでした! リゼちゃん達もそろそろ帰ってきちゃう!」


 すっかり日が落ちて部屋にも照明が点いた状況に気付き、ニーナは慌ててソファから立ち上がる。


「すぐに取りかかります故、しばらくお待ちを!」

「うむ。そなたの腕を余は買っておる、今宵も楽しみにしておるぞ」

「存分に奮わせていただきます!」



 エルフという身の上を知り、長い年月を生きた彼女は読書を再開する彼をチラリと見てひっそりと微笑む。

 再び魔王のもとへ戻り、あらためて彼女は実感した。


(見つけましたよ、陛下)

 己が何のために生き何処に居場所があるのか、という答えを。


これにて二章は終了です。

次章では遂に公式試合へ出場したり魔王が因縁の相手とぶつかったり……

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