特訓という名のサンドバッグ
「ほんとに連れてきちゃったんだ」
再び借りた運動場でリゼは少し驚いた様子でボルタを見た。
ずんぐりむっくりとした体型に運動着へ着替えたコボルトの獣人は、未だに不満そうな表情を浮かべている。
鈴木ボルタを強引に配下にした放課後、早速特訓に呼び出したのである。
「なんでこんなことに……」
「鈴木くん、一度断ったって聞いたけど。どんな勧誘されたの?」
「……ちょっと言えないっス」
「ウィド~? なにやったの~」
「重要なのはこやつがこちら側にきたということだ。きっかけそのものは些末な話よ」
リゼにとがめられた魔王はそっぽを向いて獣人に言った。
「さてヴォルタよ、おぬしには最優先で機動力を身に着けもらう」
「ボルタっス。オイラ確かに逃げ足には自信があるっスけど具体的になにをすればいいんスか?」
「無論、あらゆる攻撃をかいくぐり翻弄する術を身体で覚えるのだ。ウォーリアーとして敵を攪乱するのがおぬしの役目よ」
ウォーロックが杖を持つように彼の両腕には籠手が装着されている。ニーナに頼んで校内から貸し出したそれを用意させたのだ。遊撃役を担う彼には身軽な装備を見繕った。
「それであたしは?」
「基礎を一通りこなした後、魔力を枯渇させるまでありったけ吐き出せ。どのような方法でもよい。そしたら少々休息して魔力の回復を計り、それを繰り返すのだ」
「え? わざわざ空っぽにするの?」
「うむ。魔力を底上げするには限界まで追い込めることを意識せよ」
自主練を言い渡された彼女は少し離れて指示通りに魔術の鍛錬を始める。
「では、こちらも始めるとするか」
ウィズウッドは杖をボルタに突きつける。
「今からおぬしを攻撃する。ただ、それを回避すればよい」
「ち、ちょっと待ってくださいっスよ! 此処ただのグラウンドで加護の結界がないから怪我するんじゃ……!」
「当たらなければどうということはない」
「当たったら!?」
「ぬかりなく手加減しよう、ではゆくぞ【金剛礫】」
杖から噴出したのは無数の煌めく結晶。散弾のように撃ち出されたそれがボルタを狙う。
「──うぁっと! うおおお! なんスかそれなんなんスかそれ!?」
とっさに飛び退いた彼は足下に散らばる宝石群に目を輝かせる。
「アンタこんなもん出せるんスか!? これ宝飾店とかで売れないっスかねぇ! めっちゃ価値ありそー!」
「生憎これらは時間経過で空気中に魔力の源たるマナとして還元される。そのような商売には使えぬよ」
「なーんだ、残念」
言って拾い集めていた結晶達をポイと地面に戻す。
それらがこれからどれほどの驚異をもたらすのか露知らずに。
「落胆している場合ではないぞ。次だ」
「へへーん。最初は驚いたけど、こんなの何度来たってひょいとかわせるっスよ」
「さて、どうであろうな──【金剛礫】」
「……え?」
ボルタの目に飛び込んできたのは、先ほどとまるで比べものにならない数を誇る結晶の雨あられだった。絶え間なく第二波第三波と彼に向かって迸る。
どうかわせばいいのか分からず棒立ちになったボルタは横凪ぎに降り注ぐそれらに全身を叩かれた。ゴツッ、ゴツッ、と生々しい音が聞こえてくる。
「痛っ! いだだっ! あだぁ! ぶべらっ!?」
「そのまま臆そうとただ浴び続けるだけだぞ?」
「うぐぐ……し、【シールド】!」
ボルタは慌ててウィズウッドの前方に魔法の障壁を張り巡らせた。
魔戦興行で用いられる武器には杖以外にも魔法を扱う機能が搭載されている。補助的な【ソーディア】や【シールド】といった最低限の物であるが。
「フゥ……フゥ……あ、危なー。なんつーもん撃ってくるんスか」
「誰が休んでよいと言った? それにその対処の仕方は感心せぬな、おぬし自身の為にも」
「え?」
ともかくそれで難を逃れようとした彼であったがウィズウッドの魔術は甘くない。
不自然なヒビ割れ音がボルタの犬耳に飛び込む。異変は今しがた発動した【シールド】からである。
数秒ほどは結晶弾を凌いでいたそれは、何発もの結晶を弾いていく内に亀裂が入り始めて粉々に砕け散る。
「──なっ、ぐぶっ!? ほげぇ!」
「【金剛礫】は貫通特性を持つ。その程度の障壁ならば焼け石に水だぞ。防ぐのではなく避けるのだな」
そうして特訓という名のサンドバッグが再開される。
防ぎようがないことを身体で思い知らされた彼はグラウンドを駆け回り、回避に専念した。ウィズウッドの攻撃が息切れするまでの間やり過ごすしかないと考えた。
唯一の計算外だったのは、彼の魔力量がその程度では弾切れを起こさない程に膨大であったという点だ。
その小一時間、コボルト種の獣人は投石を受け続けひたすら走り回されていた。
日が傾き出した頃、ようやくその特訓は終了する。
「今日はこれにて切り上げるとする。自宅に帰るのだな、おぬしにも家庭の時間があろう」
「一体誰のせいでこうなったと思うんスかぁ怪我しないと言ったのは嘘かゴラァ!」
ボコボコに腫れ上がった顔でボルタは糾弾する。リゼも息切れしながらフラフラとやってきた。
「……もう無理、疲れた、シャワー、浴びたい」
「大分消耗したようだな。ではこれを飲むがよい」
そう言って彼はペットボトルを手渡す。なんの変哲もない透明な液体が入っている。
「あー……ちょうど喉乾いてたから水飲みたかったんだよかった。ぬるいけどありがとね」
と疑いもなくリゼはぐいっと口をつける。
そして、霧吹きの如く吐き出した。
「ブー!? げほっ、げほっげほっ! にっがっ! なにこれ苦っ!? アンタこれなに入れたの!?」
「余が目覚めた世界樹のうろにて汲み上げてきた樹液だ。驚くほど透き通っていよう」
「真顔でなんてもん飲ますのォ!」
「話を聞けリゼ。これはおぬしの為なのだ」
「樹液飲ませることが!?」
ウィズウッドは淡々と説明を続ける。
「これは余が魔力量を高める際に行った鍛錬の一環。枯渇した魔力の回復に勤しむ間、体内にあえて毒を加えて不調を招くことで許容を越えた魔力を蓄えていける肉体へ高めていくのだ。毒に抗性のある魔族ならではの手法だ」
「ど、毒? これ毒ゥ!?」
「案ずるな。従来では毒虫、毒草、毒蛇……はては水銀や硫黄なども用いていたところだが、この樹液に害などない。瀕死の余を癒し若返らせるほどの富んだ魔力を含んでおり、体力の回復にも一役を買っておる。これならばおぬしの魔力に強い刺激を与える毒と同等の期待を見込めると踏んでな、遠慮なく嚥下するがよい」
安全性と有用性を述べ、リゼに飲み干すように勧めた。
「うぅ……」
「どうした、毒を口にするよりマシであろう?」
ひきつった表情を浮かべながらもおそるおそる口を移す。
「……苦いぃ……苦ひぃぃ」
「ついでにおぬしも飲め。ポーションの代用になる」
「オイラもっスか!? いらないっスよそんな胡散臭いの!」
ボロボロなままブンブンと首を振るボルタ。
ウィズウッドは仕方ないともう一本ペットボトルのキャップをひねり、頭上からぶっかける。
「ぶわっ!」
「まぁ、外傷ならばこうして癒すことも可能ではあるが、体力まで回復できぬからこそ飲む方がよかろうに」
「ぶるるるるぅ! ほんとに遠慮ない人っスねぇ!」
首を激しく振るって抗議するコボルトの獣人にウィズウッドはそういえばと話を切り出す。
「ところでヴォルタ──」
「ボルタ、いい加減覚えるっス」
「……ボルタよ、今日は終始形態変化を行わなかったのだな。アレを使えばあれしきの攻撃ももっと楽に回避できたのではないか」
「形態変化ってなんスか?」
「おぬし、ヴォルフデッドの末裔でありながらそのようなことも知らぬのか……狼の獣人族は皆会得しているとばかり思っておったぞ」
「まずそのヴォルフデッドっていうのから知らないんスけど……」
魔王が解説していく間、ボルタの顔もたちまち腫れが引き始める。効果は覿面である。
リゼもどうにか飲み終えて「うぇ~」と呻いてぐったりとしながら話を聞いていた。
「戦局に応じて肉体の状態を人型から獣に近い状態へと切り替える。あやつが好んだ戦闘法だ。確か名を戦狼武術・月昂と呼んでおった。そのきっかけに月を見て姿形を変えられるとか」
「月っスか、心当たりはあるといえばあるっスけどー」
「申してみよ」
「ウチのかーちゃん、キレたり夜に外出るとたまにデカくなるんスよ。」
「ほう、まさに形態変化ではないか」
「それも一例で獣人の性質の一部っス。狼男の伝説ってあるっしょ? 満月の晩に狼男が豹変するって逸話、これ普段温厚な獣人がそれで暴れ回ったことが広まったって話がどんどん盛られた結果がそう広まったというのが俗説っス。でもオイラは雷とか鳴ってもテンション上がるっスね」
「そうか、ならば次は落雷で訓練を行うとしよう。士気が高まるならばやぶさかではない」
ウィズウッドが杖を掲げた途端頭上に暗雲が差し掛かり、不穏な雷鳴が響き渡る。
「うぁああー! 当たる方の雷はノーサンキューノーサンキューっ!」
「しかしなるほど、それを応用したものであったか」
「……でも、月のある夜にしかできないんじゃ」
「いや、それには及ばぬ。いつ何時何処であれ可能とするのが戦狼武術だ」
かつての盟友が口にしていたことを記憶から探り出す。
「常に心の中に月を持て、それがあやつの口癖であった。シジルを刻む要領で月を思い描き、気を高ぶらせておったのであろう」
「つまり妄想で興奮するってことだよね?」
「余計なことを申すなリゼ。なんら不自然な話ではない、想念とは求められる力を発揮する際に一役買う。運動しかり戦闘しかり、それらと同義だ」
イメージトレーニングでモチベーションを上げることはスポーツをするのに上達させる手段として活用されることだってある。
「試してみたらどうだ」
「えー、今此処で? そんな簡単にできるもんスかねぇ」
「月昂を会得すれば身長も手足の長さも思いのままだぞ」
「確かにそれは、魅力的な話っス。オイラちんちくりんだから……えーと、月を想像して……」
ボルタは精神統一するように瞼を閉じ、息を整える。
「……月……月、月」
「暗闇の中、黄金に輝く完全なる円が地上を照らす。その有り様を食い入るように見入る光景を脳裏に浮かべるのだ。」
すると獣人の呼吸が短くなった。どうやら本当に興奮しているようで、肩を上下させていく。
「──フッ、フッ、フッ……」
「そうだボルタ。そのまま気を高めよ、荒ぶる本能を解放しろ」
不自然にボルタの骨格が音を立てる。体型が文字通り変わり始めた。
短い手足は細長く、胴体も延びた。地面へ四足立ちとなり、イヌ科のそれに近づいた。
「鈴木くん……」
「おぬし、その姿は」
そして高々に虚空へ吠える。
「──アォオオオオオオオオオオン! これが、月昂っスか!」
「犬だな」
「完全に犬になってる……」
「アホォオオン!?」
ボルタの変化した形態は近所にいそうな大型犬と遜色変わりない姿となっていた。唯一名残のある運動着も丈が合わずに無理矢理着せられたような状態に。
「で、どうやって戻るンすかこれ」
「……はて、そこまでは余にも」
「おォい! オイラ一生このままってことじゃないっスよね!?」




