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魔王等級魔術



 昼間でありながら閉め切られた薄暗い一室で動く気配があった。

 唯一の光源になっているパソコンの前で人影がデスクに肘をつき、両手で頭を強くかき乱している。


 ガシガシガシガシガシ。ガシガシガシガシガシ。ガシガシガシガシガシ。

 耳の中に残りそうなほどに、その音が長く続いた。

「ァああああああああ! クソッ! クソッ! クソォ!」

 それからなにか強い葛藤めいたものを晴らすように、握った拳でデスクを叩きつける。乱暴な音が狭い室内で響き渡った。



「あのガキィぃ……! よくも、よくもぉ。次こそ、確実にぶっ殺してやる……」

 呻きには誰かに向けた悪態が混ざっていた。まるで親の仇でも呪うように声音を低く押し殺し、侮蔑を漏らす。

「なにをしたのか知らないが生意気なことしやがって……間接的なハッキングでダメならいっそ……」

 周囲には原型の留めていない機材が散乱し、いくつもの大きなガラスのショーケースが部屋を占領していた。



 中に収められていたのは、等身大のマネキンらしきものだった。球体関節のついた手足、のっぺりとしたものから女性のふくらみが出た胴体、色とりどりの眼球と部品に分けられているようだ。

 なによりそのデスクの脇で、配線に繋がれて棒立ちの人形が俯いて設置されていた。


「時間も限られている。支援が続く内に踏み切った方がいいな、連中も煩いだろうがやってしまえばこっちのもんだ……あとはコレに……」

 延々と独り言を続けながらも癇癪が収まったのか、視線を奥に移す。


「あ、ああ、ごめんよ。取り乱して。君が見てくれているのにみっともなかったね」

 それらをうっとりと見つめていた。



「もうすぐなんだよ、そしたら本物の君も、振り向いてくれる筈なんだ」

 びっしりと壁が見えなくなるほど掲示されていたのは、無数の写真群。そして被写体はどれも同じであった。

 長い青髪に伊達眼鏡をかけ、特徴的な笹穂耳の美女の姿が映されている。どれも正面からで撮影されたものではない。

 ただ道端を歩いているところ、誰かと話をしているところ、食事をしているところと当人も無自覚のまま撮られたものであるのは明らかだった。恐らく男が集めたコレクションだ。



「君が万年生きようと、関係ない」

 意を決した様子で席を立ち、電源を切らずに部屋を出て行く。画面には石柱型のゴーレムの情報図が映り、操作する際に送っていた信号が途絶したことを知らせる警報が点滅していた。



 一方で鬱蒼とした山の中、ウィズウッドは一人辺りを睥睨する。

 目的は抑圧された強い衝動の発散であった。と言っても、本人のものではない。



「この辺りなら問題あるまい。どれ、先程は消化不良であったとはいえ、此処まで不満を訴えるとは」

 取り出した彼の杖『レーヴァ』が白熱した光を帯び、微かに振動を起こしている。

 まるでまだ暴れ足りないと訴えかけているようで、そのまま燃え上がりそうな程に熱を持っていた。

 仕方なくそれを処理しようとウィズウッドはこの場に訪れていた。


 この杖の鬱憤(・・)を別の誰かにぶつけてしまったら……彼はそんな想像をやめる。



「やれやれ、ご老公の申した通り確かにとんだじゃじゃ馬だ。手を焼かせてくれる」

 ふわりと風を起こしたかと思うと魔王は浮き上がる。森林よりも高く昇り、そこで行動を起こした。

 頭上目掛けて指揮棒のように振り回すと、たちまち空に暗雲がかかっていく。

 ゴロゴロと不穏な雷鳴が唸り、雲の中では電光が瞬いている。



「だが丁度よい。この若返った状態で、如何ほどの力が出るか試そうと思っていた頃合いであった。三割くらいでも構わんであろうな? そら、送るぞ」

 語り掛けながら、眼下に狙いを定め魔力を集中。

 目の前に金色に輝く魔術の印章──シジルが浮かび上がり、暗雲と共鳴を起こすように明滅する。


 ウィズウッドは渾身の魔術を繰り出した。それは魔王と冠する者の次元でようやく扱うことが許された、称号の代名詞の一つ。かつて魔王の座をめぐって相対した先代が得意とする究極魔術。


魔王等級魔術(サタン・マギア)、【滅降雷(インディラ)】」



 かくして閃光と共に稲妻が落とされる。

 虚空に雷轟が響き渡り、大地が揺れた。震えた。



 音が、死滅する。天変地異の一端が現実で起こった。

 一際激しいフラッシュが止んだ直後に中心地から木々が吹き飛び、一部の地面を丸裸にする。

 それなりの距離をとっていたウィズウッドの全身に衝撃の余波が一拍遅れて届き、呟く。


「……まずまず、だな」

 ブスブスと黒煙を上げ、緑地の一端を焦土と変えて手ごたえを確認した。

 杖も無事で満足したのか異変が収まり息をひそめる。


 久々の試し打ちは上々といったところ。鈍っていないことを確認し息をつく。

 やはり威力も全盛期のもので老いていた状態とは比べ物にならなかった。勇者との一騎打ちの際にも、これほどの力量が戻っておれば……と彼は思う。だが、すぐにそんな頭の中で浮かんだ仮定を振り払った。

(過ぎた話だ。敗北は事実、今更そのように考えても遅い)



 それよりも、と魔王は切り替える。せっかく都市の外へ出たことをあらためて認識した。

 用事が済んだとはいえ、すぐに自宅へ引き返すのはよろしくない。なんせ、図書館へ行くと言い出した以上はそれなりに時間を掛けなくてはならないからだ。


 それならばと、転移を開始する。外界の変化をこの目で確かめようと思い立ったのだ。

 言ってしまえばこれは気まぐれの散歩(・・)だ。


 砂漠や海、高山といった地形に次々とウィズウッドは移動した。

 文明が著しく発展しているのもあってか自然の中にはいくつもの都市が各所で見受けられる。

 それらは総じて侵入者を妨げる外壁は不要となり出入りも緩くなっていた。



 戦争が激減し魔物がはびこらなくなった平和な現代で、人類は何処にでも存在することを許された証左である。


 鬱蒼としていた森林は減り、かつては何処まで行っても平野しか見えなかった場所が少なくなっていることを確認する。

 魔王であった彼としても多少思うところがあったが、もう己がいた時代とは違うことを受け入れることにしていた。


 ひとしきり大規模な散歩を行った彼は気が済んだところで切り上げることに。存分に暴れられそうな場所はいくつか見つかったが、当の本人であるリゼに適した環境であるのかはまた別問題だろう。



 そして、夕食の頃合いになにくわぬ顔で帰宅したウィズウッドを玄関で待ち受けていたのは、にこやかな表情を浮かべるニーナであった。

 しかし、普段と様子が異なりどことなく笑顔に冷たい雰囲気を醸し出している。



「どちらに参られていたのですか?」

「告げた筈だ、図書館で調べたいことがあると」

「他にもご報告いただくことがございますでしょう?」

「一体どうしたというのだ。なにを疑っておる」

「こちらへ」



 居間へと誘導されると、リゼが居間でテレビを食い入るように見ている。番組では今日のニュースが報じられていた。

 トピックには『市内でゴーレム二体が故障。暴走して同士討ちか?』といった文面が載っている。しかしそれは既に問題ではない。彼女にも話していたのだから。


 だが、切り替わる映像には魔王の見覚えのある景色が映し出されていた。

 ついさっきウィズウッドが杖の鬱憤を晴らすべく魔術を放った山中であった。

 遠目から見ても分かるほどに一面が真っ黒に焦げ、木々が禿げた地点があることを現地に赴いていたリポーターが解説していた。

『晴天の昼間が一転。突如現れた暗雲から大落雷。山火事の心配なし』と報じられ、不可思議な現象として扱われているようだった。


「質問をお許しを。あちら、陛下に心当たりは?」

 二人の視線にウィズウッドは気まずそうに顔を背けた。


「やっぱりアンタがやったの?」

「……いや」

「おとぼけにならないでください。しっかり強大な魔力を感じておりましたから。絶対陛下の仕業でしょう? あんなこと実現なされる方は他にいらっしゃいませんよ」

「杖だ、杖が悪いのだ」

「うわぁ魔王が責任転嫁した」

「あまり軽率な行動はお控えいただくようお伝えしましたよね? ねぇ陛下? 聞いておられますか陛下?」

「聞いている……しかしだな」



 忠実な部下からのお叱りを受けて居心地が悪くなっていく彼が弁明を口にしようとしたところで。

 リィンリィン、と軽快な鈴の音が居間の何処かで鳴り響く。

 正体はすぐに判明した。テーブルにおいてあったリゼの携帯魔鏡(ミラーズホン)に着信が掛かった知らせだった。


「この呼び鈴は……」

「なんだ、連絡が入ったのか。どれ、繋いでやろう」

「あっちょっと! 勝手に出ないで……!」



 制止するより早く、話題を変える好機とウィズウッドの伸ばした手が触れて通話状態へと移行させる。

 小さな立体映像が浮かび上がり、男性の姿が投影された。

 


『リゼちゃーん。パパだよー、元気にしてるー?』

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