第82話「魔界蟻の生態調査」
遠征四日目の今日は魔界蟻の生態調査をして過ごした。それで分かったことはいくつかある。まずは巣穴への入り口。これは一つで間違いないだろう。話に聞いていた通り、そんなに規模は大きくないということだ。
次に魔界蟻の行動。朝になると数十匹が巣穴から出てきて辺りに散らばり、餌を探して歩き回る姿を見られた。しかし、実際に餌を探しているのは六割程度。残りの四割は何をするでもなく時間を潰しているだけみたいだった。しかし、恐らくそれがこの個体の仕事なんだということは分かる。働かない個体がいると、それを補うように必死に働く個体が出てくる。個体毎に性格があるのかどうかは分からないけど、それで上手くコントロールされているみたいだ。
魔界蟻は個々に意思を持たない。恐らく外に出てきているのは最も位の低い個体で、女王蟻……もしくは、それに近い高い位を持つ個体の命令で動いているだけだと思う。試しに殺気を向けずに近づいてみた所、餌を咥えている時は巣穴へ戻ることを優先してこちらには全く興味を示さなかったし、餌を探している時は威嚇をしてくる程度で襲ってくる気配は感じなかった。
餌を探さずにサボっているだけの個体は進行方向に立ち塞がっても避けて通ろうとするし、殺気を向けても反応もしない。近づいて甲殻に触れてみても嫌がる素振りすらしなかった。
ただ一つ、巣穴へ近づこうとすると全ての個体が動きを止めて警戒態勢に入った。餌を探したりすることよりも、巣穴を侵略する相手の排除が最も優先度の高い命令なのだろう。サボっている個体も、その命令には逆らわない……いや、そのために辺りを徘徊しているのかもしれない。
おれたちは魔界蟻に対して位ごとに名前を付けて呼ぶことにした。外に出てくる下位の個体を兵隊蟻、姿はまだ見ていないが巣穴で命令しているであろう上位の個体を司令塔蟻と呼称した。もちろん、最上位は女王蟻だ。
兵隊蟻たちは昼になると一旦巣穴へと戻り、しばらくするとまた出てくることから食事を取っていることが分かる。夕方になると少しずつ巣穴へと戻っていき、日が沈む前には全ての兵隊蟻が帰って行った。
それを見届けてからおれたちは拠点までの最短ルートである正面の道を歩いて帰った。兵隊蟻の行動を理解したことで、この道も安全だということが分かった。日もそろそろ沈みそうだったので、急いで夕飯の為に食料確保へ向かう。おれはマキアとブレンを連れて川の方へと向かった。
「ブレン、今日は負けないからな?」
「ボ、ボクだって……負けません」
「もう……二人とも子供みたい」
「ははっ、マキアも釣りしてみるか?」
「わたしは……やり方とかも分からないですから」
「教えてあげるよ?」
「……それなら、少しだけ」
「よし、こっちにおいで。ブレン、マキアが釣った分は俺の数に加えるからな?」
「ええ、そんなの……ずるいですよ!」
「悪いな、仲間を確保するのも作戦の内だからな!」
「……大人げないですよ?」
「いいのいいの。男の子は勝負するのが大好きなんだから」
「そういうものなのですか?」
「そうそう。ほら、これ持って……岩の影とか魚が潜んでいそうな所に降ろすんだよ?」
「……はい」
マキアが岩場の上に立って、木の棒で作った釣竿を持ち、ルミルが持参していた丈夫な糸を垂らした先にココハちゃんの髪留めを曲げて作った針を川の中にゆっくりと沈めていく。その瞬間、釣竿の先がググッと引っ張られるように大きくしなった。いきなりヒットした!?
「え、これ……どうしたらいいのですか!?」
「落ち着いて、ゆっくりと釣竿を上げようか。ゆっくりね……ゆっくり」
「……これ、重たい」
「大物かな? 頑張って!」
「む、無理……です。助けてください!」
「ははっ。よし、助けてあげよう」
おれは自分の釣竿をその場に置いてマキアの方へと向かう。必死に踏ん張っている彼女の姿を見ると可愛くて仕方がない。川に引き込まれそうになっているので釣竿を受け取ろうと腕を伸ばした。
「きゃっ!」
突然、マキアが前方に引っ張られた。咄嗟に彼女の手を右手で掴み、釣竿を左手で持つ形になった。後ろへ体重をかけて均衡を保とうとしたが、釣竿には本当に大物が掛かっているらしく重たい。マキアの体は手を離すと岩場から落ちてしまうほど仰け反っている。これは……まずいかも?
「ブレン! 手伝ってくれ!」
「え、あ……はい!」
ブレンが釣竿を放り投げて駆け寄ってくる。急いでくれ……。
「これ、頼む!」
「は、はい……!」
ブレンに釣竿を渡した瞬間だった。フワッと体から重力が無くなったような感じがした。あーこれは無理だ……。
――おれたちは拠点へと戻ってきた。マキアが着火石に魔法力を込めて火を付けると、それを薪に移して焚き火にした。おれはテントからコートを持って来て、暖を取っているマキアの元へ向かう。
「マキア、着替えはないの?」
「……はい、ありません」
「そっか……下着は?」
「……それは……あります」
「風邪ひいちゃうから、着替えておいで。コートを貸してあげるから」
「……でも」
「服も乾かさないと……明日は裸で戦闘することになるよ?」
「……分かりました」
コートを手渡すとマキアはテントに入って行った。おれも服を脱いで乾かしておく。そして、焚き火の前に座って暖を取る。
「ナ、ナナトさん……大丈夫ですか?」
「ああ、悪いなブレン。荷物を持たせることになって」
「い、いえ……それはいいですけど。これ……使ってください」
渡されたのは吸水性がありそうな白いタオルだった。両肩から背中まで覆えそうな大判のサイズだ。
「ありがとう、助かるよ」
「ま、まさか……川に落ちちゃうとは」
「マキアには悪いことしちゃったかな。まぁ怪我とかはしなくて良かったけど」
「つ、釣れた魚は……大物でしたけど。運が良かったのか……悪かったのか」
「おれはマキアと水浴びができて良かったけどね?」
「はははは……」
マキアがテントから出てきた。コートのボタンをきちんと全て止めている。濡れた神官服をおれの服と一緒に乾かす。
「マキア、こっちへ」
「え?」
「髪……まだ乾ききってないだろ?」
「…………」
隣に座らせてブレンに借りたタオルを彼女の頭に被せる。その上から撫でるように髪を拭いてあげる。
「ごめんね?」
「……いえ、わたしも……ごめんなさい」
「寒くない?」
「はい。コートがありますから」
「そっか」
「ブレンも……ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
「う、ううん。ボクは全然……平気だから」
「ありがとう」
マキアの髪を拭き終わると、タオルを自分の背中に被せ、改めて焚き火で暖を取る。マキアも隣で火に手をかざしている。
「……はぁ、恥ずかしい」
マキアがそう呟いていた。
下着の上からコートを着ているとはいえ、こんな状況は想定していなかったし、年頃の女の子にとってはやっぱり恥ずかしいよな。でも、申し訳ないとは思うけど……おれはその姿を堪らなくいいなって気持ちになっている。
――しばらくするとレイトたちも帰って来た。おれとマキアの姿を見て、ルミルが何か勘違いしたように慌てていたけど、説明を聞いて納得するとココハちゃんと一緒に調理を始めた。
夕飯を食べながら明日からの戦闘について少し会議をして、早めに睡眠を取ることになった。今日の見張りはおれとココハちゃんだ。
「…寒く、ないですか?」
「うん。大丈夫だよ」
服はまだ乾いていない。コートはマキアに貸したままだから、まだ下着姿にタオルを羽織っているだけの状態だ。ココハちゃんは少し気まずそうにしている。何か別の話題で気を紛らせようか。
「狩りはどうだった?」
「…はい。ごめんなさい」
「ん?」
「…動物を、その……」
「あー、まだ慣れない?」
「…はい」
「ココハちゃんらしいね」
「…ごめんなさい」
「命を狙ってくる相手なら注意をするけど、一方的な狩りで躊躇う気持ちは分かるよ。でも、生きていく為には必要なこと。ただ殺すんじゃなくて、ちゃんと命を頂くってことに感謝しないといけないね」
「…はい」
素直でいい子だ。こういう真っ直ぐな子だから精霊との対話もできるんだろうな。
「明日からは魔界蟻との戦闘だよ?」
「…はい、頑張ります」
「今までよりも相手はより数に頼った攻め方をしてくるからね。魔法量の残りに気をつけることと、複数体を同時に攻撃できる手段があればいいね」
「…あ、それは……」
「ん?」
「…いえ、あの……頑張ります」
「うん」
何か言いかけてた。たぶん何か考えてることはあるんだろうな。でも、そのイメージがまだ固まらないって感じかな。おれを頼ろうとしないのは、自分でできるところまでやってみたいってことだと思った。うん、悪くない。
「…あの」
「ん?」
「…ナナトさんの、魔法を作るって……約束ですけど」
「うん」
「…まだまだ、先になりそうです」
「いいよ、急がないから。おれもどういうのがいいかなってまだ考えてるから」
「…はい」
夜も更けてきた。今日は月も見えないな。雨とか降らないといいけど。……いや、雨は降らないんじゃないか? なんとなくそう思う。そういえば、最後に雨が降ったのっていつだったか……。
ふと、ココハちゃんを見ると目を瞑ってうたた寝していた。おれは立ち上がってもう乾いていた服を着る。マキアの神官服を持ってココハちゃんを起こしにいく。
「ココハちゃん、テントへ行こうか」
「…はぁい」
「立てる?」
体を支えてあげて立たせた。
「…ごめんなさい」
「いいよ。行こうか」
「…うん」
女の子たちの眠るテントへと連れていく。
「ルミルを起こしてくれる? あと、これをマキアに渡しておいて」
「…はい」
「おやすみ、ココハちゃん」
「…おやすみなさい」
ココハちゃんがテントへ入っていく。おれは焚き火の前まで戻る。しばらくするとルミルが起きてきた。朝方まで二人で見張りをしてから、おれはレイトを起こして少しだけ眠ることにした。




