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異世界権利者と救世主【後編】

「ん……」

 視界が徐々に開けていく。どうやら眠っていた様だ。

 ここはどこだろうか。見慣れた天井があるので場所はわかった。

 ブリストールでの生活も長いので、起きた時に見える天井も冒険者ギルドの宿泊用客室が俺にとって見慣れた天井になっていた。

 時刻は既に夜になっているのか格子戸が閉められていて、蝋燭に火が点けられている。酒場ならばともかく個室で蝋燭は珍しい。きっと俺が倒れて運ばれた為だろう。

「くっ……!」

 安心したのも束の間。直に淫魔の衝動が襲ってくる。

 眠る前よりも衝動がきつくなっている。タイムリミットは近い。

 だが、まだ意識がある。負けていない。俺は俺の心を保っている。

 諦めない。それが今できる唯一の手段。

「ユタカ様!」

「フィスリム……」

 苦しさが増した。きっとフィスリムを見た事で俺の淫魔の衝動が活性化したんだろう。

 フィスリムは俺が苦しそうにしているのを見て慌てている。その手には桶と絞られた布がある事から看病してくれていたに違いない。考えても見ればあの状態の俺が汗一つ掻いていないのは不自然だ。きっとずっと見ていてくれたのだろう。

 尚の事、衝動が加速するがフィスリムの為にも負けはしない。

「ユタカ様、苦しいんですか? お医者様はどこも別状は無いと仰っていたのですが」

「苦しい……きっとあの時のフィスリムも同じ気持ちだったんだと思う」

「それはどういう事でしょうか……?」

 きっとフィスリムは苦しそうにしている俺からは離れないだろう。そうなると俺が壊れてもおかしくない。ならば真実を言えるのは今だけという事になる。

 楽になりたい訳じゃない。自分を戒めたいだけだ。

 俺なんかの為に蛮族の巨剣【EX】を振り回せる様に、守れる様になりたいと言ってくれたからこそ、例え命を失う事になろうともフィスリムだけには真実を語る。

「フィスリム、もしも私がおかしく……心が壊れたら、縛るか殺すかしてリーズにこれから話す事を全部伝えるんだ」

「壊れる……それは一体どういう意味でしょうか。わたしは頭があまり良く無くて」

 俺は調子が悪いのに立ってはいけないという抑止を払いのけ、自分が着ている衣服……病人用に着替えさせられた簡単でダボダボな服を脱いで生まれたままの姿になる。

「な、なにを……」

 俺は久々に人化の項目を出した。

 そしてON/OFFの欄を震える指と共に眺める。

 きっとあの時のフィスリムは今の俺と全く同じ気分だったはずだ。

 相手に拒絶されたらどうしよう。殺されたらどうしよう。

 怖い。そんな簡単な表現では足りないがその文字以外出てこない。

 だけど、勘が告げている。今を逃したら伝える機会は二度と来ない。

 壊れた俺は淫魔としての能力を駆使して欲望の赴くままフィスリムを犯し殺すだろう。それだけはしたくない。そんな事をする位なら殺される方が何倍もマシだ。

「こういう事……」

 決意した俺はONの文字に意識を集中させた。

 すると身体の全て、それこそ頭の先から爪先、フィスリムと同じ表現するなら羽の先までまるで上位互換の様に変化した。

 人間以上に柔らかく艶のある肌。背中まで伸びているのに縮み一つ無い髪。幼いながらに凹凸のある肢体。黒い粒子状の羽。そしてキュートな尻尾。

 人化による変化を俺は目で見える範囲でしか解らないが少なくとも唯の人間に羽や尻尾は生えていないし、別の種族に変身する事もできない。

 フィスリムの目、瞳孔が広がっていくのが見える。その表情は驚愕を通りこして唖然としている。まるで自分の目に入れている物がおかしいかの様に。

「これが私の本当の姿。私はフィスリム、あなたと出会った瞬間から嘘を吐いていた」

「……ユタカ様は、その、えっと」

「淫魔、女の子だからサキュバスと呼んだ方が解り易いかな?」

「で、でもブリストールの救世主様で」

「救世主の称号を得るには種族は関係ないよ」

「ど、どうして人間を守ったりなんか……」

「悪魔を好きな天使がいたっていいじゃない」

「…………」

 俯いて黙り込んでしまったフィスリム。

 淫魔という種族はそれだけ淘汰される種族なのだ。特に人間界では淫魔の扱いは酷いだろう。何故なら淫魔の代表的な餌は人間だ。自分達を食べ物にしている生き物を好きになれと言われて好きと言える奴は異常者だ。

 タイムリミットは長く無い。話せる事は全部話そう。

 俺は黙っているフィスリムが何かアクションを起こす前に続ける。

「今日倒れたのは新しい能力を得たから。淫魔の衝動という誰かを襲わないといられなくなってしまう厄介な能力。私は今まで誰とも交わった事が無いから、きっともう戻れない。今も狂ったみたいにフィスリム、あなたが欲しくてたまらない……」

 全て言った。言ってしまった。

 俺は怖くなって踵を返し、フィスリムとは逆方向を向いて心理的に小さくなる。

 そこにはベッドがあるだけだ。それでもフィスリムを目視する事は怖くて出来ない。

「すみません……すみません……」

 後ろからフィスリムの『すみませんすみません』とギリギリ聞こえる涙を流しながら出てくる声が聞こえてきた。

 騙していた俺なんかに謝っているフィスリムはやっぱり優しい子だと思う。

 そんな子を今正に性の対象としか見られない程、狂ってきている自分が嫌になる。

 俺に自分を殺せる程の度胸があるなら、きっと自分を殺していたはずだ。

「ごめん。本物の救世主じゃなくて……」

「違うんです……違うんです……ユタカ様は今も昔もわたしにとって救世主様です」

「じゃあどうしてそんなに悲しいの?」

「混血である事を打ち明けて、わたしだけ楽になった……ユタカ様を苦しめてしまった、そんな自分が許せないんです……」

 この子って奴は。

 それはあくまで結果論だ。あの時のフィスリムが淫魔である俺の事を知れるはずがない。バレナイ様に行動していたのだから当然だが。

 だというのに自分が悪いと言い張る性格。惹かれるなって方が無理だろう。

「フィスリムは悪くないよ。騙していた私が悪い。そう思って」

「いえ、絶対ぜ~ったい! 思いません。ユタカ様だって沢山つらい事があったはずなんです。瞳の色を見れば解ります!」

「瞳の……色?」

「はい! ユタカ様の種族で紫水晶の瞳は迫害されるはずです。だから監禁されていたんですよね?」

「紫水晶……ごめん、自分では瞳の色を確認できないんだ」

 いや、リーズの能力に蒼い瞳というのがあったな。

 アレみたいな能力として考えるとどうだろう。

 さっきまで人化していたから解らなかったが、もしかしたら……。

 俺は直に自身の能力を確認する。


 種族/淫魔 性別/女 年齢/十

 出身/人間界 容姿/幼い 社会的地位/見習い淫魔、ブリストールの救世主

 称号/世界の権利者、身体を貢がせた女、救世主(×1) レベル/12

 取得能力/人化、淫魔の発現、初級状態異常魔法、初級支援魔法、審美眼、十字の神罰、詠唱速度上昇(少)、カリスマ(少)、影響力(中)、魅力上昇(×1)、淫魔の衝動、紫水晶の瞳

 世界依頼発生中/『時は満ちた……』


 瞳系統能力/紫水晶の瞳。

 効果/魔を払う紫水晶の瞳。状態異常に強い耐性を持つ。

 瞳の明度によって効果が非常に大きく増減する。

 効果時間/目がある限り無限。


 魔を払う紫水晶……。

 なるほど、俺は淫魔という闇の血族に属していながら魔を払う能力を持っていたから同族からも淘汰される、矛盾した存在という事か。

 面白い冗談だ。心が男で身体が女という位酷い矛盾だな。

「紫という色は、確かマナス繊維にも使われていたな」

 更に教会と王族、国家が集めているとも聞いた。

 確かに魔を払う効果のある物質で希少とくれば喉から手が出る程欲しがるだろう。

 おそらくフィスリムのこの驚きようから人化中は別の色の瞳をしているに違いない。

 魔の存在でありながら、魔を払う力を持っている。

 まさしく矛盾だ。

 矛盾、矛盾、矛盾。俺という物語のテーマか何かか。ふざけるな。

 待てよ? 状態異常に耐性がある。そう言ったか。

「フィスリム、私の瞳って明度どんな感じ?」

「ふぇ? 宝石の様に透き通っていますけど」

「どおりでさっきより衝動が弱くなったわけだ」

 まああくまで弱くなった、程度だが。

 普通に話す程度はできるが、心許ないのも事実だ。

 きっと淫魔の衝動は紫水晶の瞳で相殺できる。

 やっと突破口が見えてきた。だが、ここで問題に上がるのが人化中の状態だ。

 俺の状態から間違いなく人化中は発動していない能力だ。淫魔モードでいれば多少は耐えられるが元に戻れば頭がおかしくなる。

 しかし私生活の為には人化は必須だ。人化していなければ殺されるからな。

「ユタカ様」

「フィスリム?」

 意識を別の所にあった所為で話が途中である事を忘れていた。

 タイムリミットが大分伸びたのは事実だが、最長で明日の朝までだ。

 それに俺の命を決めるのはフィスリムだという事もある。

「ユタカ様、わたしの身体を使ってください」

「はあ?」

 俺は今まで沢山『はあ?』と言って来たが今日程本気でその言葉を使った事はない。

 それだけ驚いているし、呆れている。

 何よりそんな言葉をフィスリムに言わせてしまった自分が許せない。

 なんで俺はこんなに弱いんだ。

 自分の身体にすら追い詰められて、追い詰められた程度で絶望して。

 何が救世主だ。何が世界の権利者だ。

 大切な者を誰一人救えていないじゃないか。

 本物の救世主様なら、なんでも一人で全部救えるだろうが。

 それなのに、この子を犠牲にしろっていうのかよ。

 俺は……心も……身体も……弱過ぎるんだよ……。

「ユタカ様はわたしに言ってくれましたよね? これから何をしたいのか、どこに行きたいのか、どんな風に生きたいのか、そう言ってくれました」

「確かに……言った、けど」

「わたしはユタカ様と一緒に生きたいです。ユタカ様と一緒にいられるのなら何でもします。例え針の道を辿る様な苦行でも一緒に歩みたいです。だから、ユタカ様が生きる為ならわたしの身体を使ってください。ユタカ様が不必要だというなら処分してくれてもいいです。だから一緒に……いさせてください!」

 この心を表現するにはどう口にすればいいんだったか。

 焦燥と絶望、諦めと妥協。

 それ等が身体からそっくり抜けていく。

 フィスリムと一緒ならどこまでも行ける気がする。

 どんな過ちを犯しても俺は間違っていないと思える程の暖かな決意。

 俺はフィスリムから温もりをもらった。

 ブリストールを滅ぼそうとしている淫魔、そして都市に蔓延する怠惰を駆逐する手段がいくらでも出てくる。

 フィスリムがいてくれるなら、俺の敵『ワールドクエスト』だって倒せる。

 別にレベルが上がった訳でも無いのに心が高揚する。女の身体なんかに屈しない。心が勝利を確信している。俺は今、どんな敵を相手にしても絶対に負けない。

「ありがとう、フィスリム。でも、それじゃあダメなんだ」

「ど、どうしてですか? わたし程度ではユタカ様の力にもなれないんですか?」

「違う。救世主様が誰かを……フィスリムを消耗して生き永らえて、そんな奴が本当にフィスリムの慕ってくれるユタカ様なのか?」

「…………わたしはそれでもいいです。ユタカ様の役に立てるなら……」

「そうして衝動が始まる度にフィスリムの全てを壊していく」

 フィスリムの気持ちを受け入れて、淫魔としての衝動を刹那的に満たし続ける。それはそれで楽しそうだ。選択の一つとしてはそれでも良いのかもしれない。

「だけど、そんなの嫌だ。フィスリムと結ばれるなら、こんな歪んだ衝動じゃなくて正常な状態じゃないとダメなんだ」

「ユタカ様……」

 諦めと希望を織り交ぜた表情のフィスリムを瞳に入れて、俺の中ではもう決まっていた。

 思えばオークキングの時と同じだ。

 フィスリムが五階から飛び降りて攻撃するという手段を使わなかったら、俺は十字架と一緒に落下するという方法を思いつかなかった。

 今回もフィスリムが突破口を教えてくれた。ならば、成功する。

「別に私は諦めるんじゃない。戦う。自分とも、淫魔とも、都市とも」

「ユタカ様、わたしに何か手伝える事はありませんか?」

「うん、沢山ある。私もフィスリムともっと一緒にいたい……手伝ってくれる?」

 俺は必要の無い質問をした。

 フィスリムが混血であると知った程度で俺が変わらない様に、フィスリムもまた俺が淫魔であると知った程度では変わらなかった。

 フィスリムの目元は少し涙で濡れていたが、暖かな表情で口を動かす。

「はい!」


 ――淫魔の衝動。

 これは非常に厄介な能力だ。取得者に掛かった呪いと表現してもいいかもしれない。

 取得者は性的快楽を定期的に得なければ禁断症状を発する。

 言わば淫魔版の麻薬中毒みたいな物だ。

 多くの麻薬中毒者は破滅するまで麻薬を服用し続ける。俺もまた淫魔の衝動という中毒に飲まれれば簡単には抜け出せない……今この瞬間ですら禁断症状を発しているのだから。

 だが、中毒は治らない物だろうか?

 答えは、否だ。

 一般的に中毒という代物は沢山ある。地球の代表的な物で煙草や酒だろうか。

 これ等をやめられない人間は、溢れる位世界中にゴロゴロと転がっている。

 だけど、それと同じく克服した人だって沢山いる。

 ならば淫魔の衝動だって克服する事が可能なはず。

 淫魔の衝動だけが特別なんて事は無いはずなんだ。

 以前聞いた話だが麻薬中毒者に麻薬を吸うなと言う事は、真夏の炎天下にフルマラソンをさせられた後に水を飲むのを我慢しろと他人が命令する位無理難題なんだそうだ。

 しかも麻薬中毒と淫魔の衝動には似て非なる絶対的な壁がある。

 麻薬は一度やめられれば再発はあるかもしれないが気を使っていれば克服できる。だけど、淫魔の衝動は能力、説明にある通り永続的な効果が能力として無慈悲に発動し続ける。

 もしかしたら淫魔の衝動を止めるのは麻薬中毒よりも難しいのかもしれない。

 だが、我慢できない訳じゃない。

 そこで俺が着目したのは先日からフィスリムが行っているミッドとの訓練だ。

 この世界は取った行動で取得能力が変わる。

 フィスリムやミッドの様に盾となり仲間達を守り、剣となって敵対者と戦えばそれに相応した能力が増えていく。

 ならば、サキュバスである俺が淫魔の衝動に耐え続けたら?

 誰も犯さない不殺の行動を取り続けたら?

 淫魔の衝動という凶悪な呪いに抗い続ければ普通に生きるよりも当然、耐久力が付く。

 要するに俺が淫魔の衝動に屈しかけた時にストッパーとなる人物がいてくれれば、それだけでいつかは克服できるんだ。

「だから引っ叩いても、殴り倒してもいい。私が克服できるまで、監視を続けて、衝動に負けそうになったら正気に戻して」

「わかりました。絶対にわたしがユタカ様の心を守って見せます!」

「ありがとう。じゃあ、人化を使う……後は頼んだよ?」

 フィスリムが頷くのを確認した後、俺は人化を発動させて人間モードに戻る。

 髪が肩までに縮み、身体が全体的に劣化する。そして羽と尻尾が消えた。

 もはやサキュバスモードよりもこの世界での生活が長い、人間モードだ。

 だが、途端に淫魔の衝動が心を染め始める。

「はぁ……はぁ……」

 呼吸は乱れ、頬がカーッと暑くなった挙句、瞳に入れる全ての生命が魅力的に見える。

 紫水晶の瞳とやらの性能がどれだけ高いのか伺える。

「ユタカ様……」

 フィスリムはおそらく急変した俺が心配でそんな声を出したんだと思う。

 だが中毒にも似た衝動は、それを魅力的な餌程度にしか見えなくさせる。

 それでも、今こうして考えている心は、壊れていない。死んでいない。

 フィスリムは俺が道を間違えば教えてくれるし、正しければ一緒にいてくれる。そう思うだけで、いくらでもこんなしょぼい衝動吹き飛ばせる。

「フィスリム……頼んだ……信じているから……」

「はい! 絶対です。約束します」

 フィスリムの約束なら信じられる。なんせあんな馬鹿デカイ剣を口約束一つで持ち上げてしまう程、真っ直ぐな子なんだから……。


 ――発作が起きたのは、それから一時間後の事だった。


 最初は世界の音が全て聞こえなくなった。耳の器官が壊れた。以前聞いた事がある。生き物の身体は部位が一つ減る毎に別の部位が発達すると。それはやばいなと思った。今耳が聞こえなくなるという事は他の部分が発達するという事だ。どこの部位を補うか皆目検討も付かないが淫魔の衝動という未知の要素がそれを発生させたとするなら俺に不都合な部位が発達するのだろう。つまりは淫魔の衝動という奴は俺の身体すら制御できるという事だ。これで駄目なら他の部位も壊れていくのだろう。怖いと思った。逃げたいと思った。痛っ。何か突き刺さる様な痛みがした。恐怖に沈まなかった。次は視界全てが暗くなった。身体が暑い。目が見えない。甘い香りがする。世界中のどんな料理よりも美味しそうな香りだ。食べたいと思った。身体がソレを喰らえと欲している。どうしてソレが身体の中に無いのか解らない。食べよう。痛っ。いつかどこかで感じた痛みがした。気が付けば香りは消えていた。木の匂いも排気ガスの臭いもしない綺麗に澄んだ空気の香りも消えた。匂いを感じる器官が壊れた。嗅覚が失われた。甘い味がした。最高級のステーキの味を千個足したみたいな偉く美味しい味だ。同じ要領で喉を潤すジュースも出てきた。凄く甘い味だ。だけど解らない。これは何という物の味だったか。解らない。でも食べ続けたい味だと思った。これさえあれば何もいらないと思う。痛っ。大昔に感じた事のある物。これをなんと言ったか。そうだ。痛む感覚だ。手を動かすと何かに触れた。気持ち良いと思った。でもおかしい。手で触れた程度なのにそれが何か解る。俺には何も無いからソレを調べようと思った。触れれば触れる程満たされる。それを触る事だけが全てになる。痛っ。もう何もかもが蕩けて解らない。痛いという文字はどういう意味だったか。気が付けば手に感触が無くなっていた。動かそうと思っても動いているのか解らない。もうあの痛みも無い。必ず良い所で邪魔をする痛みだ。何故かそれが悲しかった。何故だか直に解った。痛いという文字は悲しいに直結する。痛いから悲しい。悲しいから痛い。きっとそういう事なのだろう。もう俺には何も無い。何も感じない。何も解らない。何も悲しくない。

 この感覚には覚えがある。あれはもう十年も前だったか。父さんと母さんが死んだ。ヘリコプターの墜落事故だった。遺体は無かった。悲しかった。胸が痛かった。苦しかった。何度も吐いた。不眠になった。俺を見る目全てが怖かった。犯人は直に解った。多分あいつ等だろう。二人が死んで一番得したのがそいつ等だった。だけど死にたくなかった。やらなくても解った。やったら確実に殺されると解った。諦めた。諦めなければ死んでいた。学校も辞めた。辞めさせられた。必要が無いからだ。俺に必要なのは知識では無い。無能である事だった。ただそこに動いているだけの肉片だ。部屋に閉じこもった。眠り続けた。悪夢ばかり見た。丁度今と似ている。何も感じない。何も痛まない。何にもなれない。全てから逃げる。俺には何も無い。誰もいない。俺が俺である必要もない。時間だけが過ぎる。どれだけの時間が経ったのかも解らない。それでも死にたく無かった。何も無いのにそう思った。やがてそういう物なんだと納得した。なら生きられるだけ生きようと思った。その上で必要な物が思いつかない。何かに集中したい。勉強はダメだ。知識を身に付けたら殺される。じゃあ遊びはどうだろう。遊んでいるだけなら幼い子供でもできる。幼い子供が遊ぶだけなら生きていられる。玩具を貰った。遊んだ楽しかった。玩具に飽きた。新しい玩具を貰った。楽しかった。玩具に飽きた。玩具を選べと言われた。右の奴を選んだ。女の子の人形だった。楽しいのか解らなかった。でもかわいいと思った。女の子だからだろう。また選べといわれた。今度は左を選んだ。テレビゲームだった。ゲームは楽しかった。沢山やった。楽しいままだった。ゲームを増やした。楽しかった。パソコンのゲームをやった。楽しかった。ネトゲをやった。誰かと話をした。その人達に尽くした。楽しかった。皆がいなくなった。寂しかった。ネトゲを辞めた。ゲームは辞めなかった。ゲームがつまらない。痛くないのに、悲しかった。

 どうして?

 そんな事、決まっている。失いたくなかったからだ。

 なにを?

 壊したくない大切なモノ。

 なぜ?

 俺なんかを信じてくれる人がいる。

 何をする?

 どんな手段を使っても守り抜く。

 最後は?

 ハッピーエンディングが良いに決まっているだろ。


 わかってるよ……全部わかってるからさ。

 だから力をくれよ。

 俺が生きている事を嬉しいって言ってくれる人がいるんだ。

 だから……。


 ――だから俺は本物の救世主にならないといけないんだ!


   †


 手を伸ばした。

 が。

 ギギギギッ! と綱引きの紐が擦れるみたいな音が俺の背後から響く。

 ……身体中が痛い。

 取り敢えず自分の状況を分析すると解るのは両手が背中に回されて縛られている。

 しかも手の甲と甲だ。

 聞いた事がある。甲と甲だと解かれる事が無いらしい。

 ちなみに縛られているのは両手だけでなく両足もだ。

 それもベッドの足に更に紐で硬結びされている。これでは芋虫歩行も不可能だろう。

 拘束? しかも重度の。

「んぐ! もごっ?」

 身体が動かないならと口を開こうとするも喋れなかった。口も布で縛られていたからだ。更に口の中にも布の塊が入っている。喉が渇いて苦しい。

 これは一体どういう事だ?

 すると視界にフィスリムが映った。

「んむうむ」

 名前を呼んだつもりなのだが声にならない声になってしまった。

 フィスリムの方はどうにかこちらに気付いてくれたのだが、その目はいつものフィスリムではなかった。こう見苦しい物を冷たい眼差しで流し見る様な……。

 というかフィスリムでもそういう目できるんだ。知らなかったよ。いつも、サキュバスモードの俺にすら尊敬の眼差しを送ってくるからそういう子なのだと思っていた。

「そんな綺麗な瞳で見つめても、もう騙されませんからね!」

 などと被疑者は供述しており――じゃなくて。

 それ以前に『もう』も何も、こんな状態でフィスリムと会うのは初めてなのだが。

 反応から察するに俺に何かあったのだろう。意識を失っていたし、淫魔の衝動に理性を奪われていた可能性も高い。となるとフィスリムのこの反応は不自然ではないか。

 じゃあ信じてもらう為には……そうだ、冒険者カードとかどうだ。

「んむんーむんーん」

「冒険者カードですか?」

 良く解るな。俺は微妙に感動しているよ。あんな異言語で伝わるとは。

 フィスリムは、椅子に立て掛けてあった俺の服、セーラー服から冒険者カードを取り出すと俺の額に当てた。妙に手馴れた作業間のある手付きだ。

 本人認証完了。と頭に響き画面が表示される。

 裏側からだが一応読める。こんな感じだ。


 種族/淫魔 性別/女 年齢/十

 出身/人間界 容姿/幼い 社会的地位/見習い淫魔、ブリストールの救世主

 称号/世界の権利者、身体を貢がせた女、救世主(×1) レベル/12

 取得能力/人化、淫魔の発現、初級状態異常魔法、初級支援魔法、審美眼、十字の神罰、詠唱速度上昇(少)、カリスマ(少)、影響力(中)、魅力上昇(×2)、淫魔の狂気、紫水晶の瞳、料理技能、魅了耐性(大)、発情耐性(完全)

 身分証明/教会の印、冒険者組合の印


 おお、身体が拘束されて痛い事以外は元通りだと思っていたら、しっかり淫魔の衝動……狂気? そっちもランクアップしているのか……まあいい。淫魔の狂気を克服しているじゃないか。

 どうだ、見てくれ。俺はフィスリムの慕う救世主にまた近くなった。

 俺は耐え切ったぞ!

 しかし残念ながらフィスリムの表情に変化は無い。何故だ。

「一度使った手は効きませんからね!」

 などと被疑者は供述しており――じゃなくて。

 あのフィスリムをここまで疑心暗鬼にさせるなんて、淫魔の狂気さんハンパないっス。

「んもんーる、はへべふふーにふへ」

「取り敢えず喋れる様にしてですか?」

 うんうんと頷く。疑心暗鬼の割には心が繋がっているじゃないか。

 フィスリムは一応に口元の縛られた布と口の中にある布を出してくれた。

 これが通常の状態のはずなのに、異様に空気が美味しい気がするのは何故だろう。

 まあそんな事よりも今は誤解を解かないとダメか。

「ふぅ……発作が起きてから何があったの?」

「今度はそうやってユタカ様の姿を偽る気ですね?」

「いや、偽るも何も」

「わたしにはわかっています。ユタカ様はあなたなんかに絶対負けません! わたしはユタカ様を守るんです。約束したんです!」

 疑心暗鬼の原因が善意ってかなり悪質なんだな。初めて知ったよ。これは何を言っても信じてくれなさそうだな。まあそうなるだけの理由があるんだろうけど。

 あのフィスリムをここまでにするんだから相当だろうよ。

「じゃあその認識のままでいいから、今まで何があったのか教えてくれる?」

「あくまで白を切る気ですね? いいですよ。直に正体を現すはずですから」

 フィスリムの話は……まあ予想通りではあるが、予想のど真ん中をストレートで通り過ぎる程度の威力を秘めていた。

 まず俺は、というか淫魔の衝動は俺から身体の権利を奪うとフィスリムにもう元通りの様な素振りを取ったらしい。かなりの知能犯だ。

 もちろんフィスリムもあんな事があったので監視の目は止めずに続けた。

 そして淫魔の衝動は……もうエロ子と呼ぼう。エロ子はミッドに言い寄り始めた。

 おそらくはブリストールで一番レベルが高くて若い青年だからだろう。

 ミッド位の年齢が一番やりたい盛りだろうしな。

 意外な事にエロ子は直情タイプでは無く、策を弄するタイプだった。

 リーズから料理を教わったり、おめかしに精を出して自分磨きをしたりした挙句。魅力的な女の子を演じながらミッドに迫りに迫ったそうだ。

 通りでいつのまにか料理技能が増えた訳だ。

 ミッドも満更じゃなかった様で、リーズやフィスリムの監視の中、一線を越えない範囲で否定こそしていたが抱き付いたり、手を繋いだりといったアクションを取り続けた。

 そうした日々が二日……たった二日続いた所でついに痺れを切らしたのか襲い掛かろうとした所をフィスリムが捕獲、連行、御用となった。

 この頃はまだフィスリムも自分は甘かったと語る程だそうだ。

 まあ見習い淫魔だからな、考える事も幼稚だったのだろう。

 それとも俺が幼稚という事か?

 そうとでも考えないと淫魔として、取っている手段があまりに貧弱だ。

 拘束されたエロ子だが、監視の結果。夜になるとベッドの中や壁に向かって『食べたい食べたい』とうわ言の様にぶつぶつと呟く様になり始める。この時点で結構怖い。ミッドの何を食べたいのかは想像に容易くないが、この際無視する。気にしたら負けだ。

 そんな拘束生活が一日と半分を過ぎるとエロ子は禁断症状に至った。

 あの手この手でフィスリムを騙し、もう策も尽きたのかミッドを直情的に襲った。

 これがフィスリムを疑心に囚わせる原因となった。

 主に冒険者カードの発情耐性(微)を見せてほとんど大丈夫だと言い張ったり、魅了魔法を使ったり、身体が痛いから縛るのをやめてと弱者を気取ったり、魅了魔法を使ったり、トイレに行きたいと騒いだ挙句トイレの格子戸から逃げ出したり、魅了魔法を使ったり、どうしてこんな酷い事をするの? と罪悪感に訴えたり、魅了魔法を使ったりと、それはもう見苦しい位、精への欲求に正直に生きたエロ子。

 それもまだかわいい方で後半は、もはや廃人の様に『男……男……』とイカれ狂った。

 この頃から拘束に使っていた道具では足りなくなり、身体中傷だらけになっても止めないものだから結局フィスリムが今の状態を確立するまで相当危ない橋を渡ったらしい。

 おそらくは能力がクラスアップして、異常な欲求で狂ってしまったのだろう。

「それで、あ、あなたは事もあろうにユタカ様の口で『もうフィスリムでもいいや……純愛なんてクソ食らえ! ペッ!』って言ったんですよ!? ユタカ様の姿で! 口で! 声で! 絶対に許しません!」

 そりゃ酷いな。

 きっとエロ子の性的嗜好は普通だったのだろう。見方を変えればミッドは勇者様でかっこいいからな。十歳の見習い淫魔からしてみれば王子様の様に見えたのかもしれない。

「ありがとう。フィスリムがいなかったら戻って来られなかったよ」

「ふぇ?」

「沢山迷惑を掛けた。その分の恩は絶対返すから、許してくれないかな?」

「ま、ま、まままま、まさか本物ですか!?」

「自分では本物のつもりなんだけど、フィスリムが決めていいよ」

 フィスリムの表情が急変する。そうか、エロ子はこういう態度は取らなかったのか。

 おろおろと狼狽しながら『すみませんすみません悪気は無かったんです無かったんです』と畳み掛ける様に口にしながら拘束を解いてくれるフィスリムを『大丈夫、ありがとう。本当によくやってくれた』と褒めながら俺は現実への帰還を実感した。

 もしもフィスリムがいなかったら今頃ミッド、あるいは見ず知らずの野郎に犯され……いや、犯していたと考えると背筋が冷たくなる。

 むしろフィスリムに感謝しても仕切れない。

 それは何も貞操の事だけじゃない。あのおかしくなりそうな悪夢の中、俺が道を誤りそうになった時に感じた痛み。あれはフィスリムが『そっちじゃない、間違っている』と指し示してくれた物だろう。

 だから帰ってこられた。今、ここにいられる。

『今度は俺が道を指し示す番だ』

 小声で自分に言い聞かせる様に呟く。

 フィスリムはきょとんとしていて、俺を救ってくれた自覚は無さそうだ。

「この都市、救世の怠惰に飲まれたブリストールを今一度救う。それが救世主の仕事だ」


   †


『力の根源たる主が命ずる。理を今一度紐解き、彼の者に破る力を授けよ!』

「ツヴァイトフォース!」

 俺は深夜、この世界に夜に行える娯楽は著しく少ないので多くの者が寝静まる時間、都市の内壁で支援魔法を唱えていた。

 周囲が暗い事もあり、魔法陣が発光して少々眩しかった。

 理由は単純、ブリストールを再度救う為だ。

 救世主という怠惰に飲まれたブリストールを救う手段は考えれば十は思い付くが決定的な物、と限定すると意外にも少ない。

 救世主様が病に倒れても反省を都市全体がしなければ意味が無い。

 それだけブリストールという都市にとって救世主様という存在は崇拝されている。

 救世主様がいれば何があっても大丈夫。

 その大き過ぎる過怠は次なる厄災が訪れた際に致命的な悲劇を生む事になる。

 例え俺が何かしらの手立てを講じた所でブリストールに暮らす人々は救世の名に縋る。

 それが今回の敵、ワールドクエストによってやってきた淫魔の策略。

 もしも俺が……淫魔の狂気でもいい。どちらかがワールドクエストに従っていたら、この都市は間違いなく大打撃を受けただろう。

 くくく……救世主という名は仮の姿、今までお前等が私を疑わなくなるのを待っていたのさ。そう……最初からな!

 ……なんてな。

 結局、都市全ての人の目を覚まさせるには救世主という存在にいなくなってもらうのが一番という結論に至った。

 それがブリストールにやって来たあの日、外壁を飛び越えた手段に繋がる。

「本当に持っていくの?」

「はい! 絶対ぜ~ったい、持って行くんです!」

 フィスリムは巨大な剣――蛮族の巨剣【EX】を背負いながら力強く頷いた。

 その姿は今までと違い、比較的に良い服となっている。さすがにエーテルやらアストラル繊維の特注品とはいかなかったが以前着ていた物よりは上等な衣類だ。

 そこに更にフィスリムが着るにはかなり小さめのフードマント、ブリストール風に言うなら修道女が使っていそうな頭から足まで隠せる外套だ。そのフードマントをタオルの様に首元に括り付けたフィスリムは蛮族の巨剣【EX】を放さない。

 一応無理だとは説明したのだが、フィスリムは……予想通り物を大事にするタイプだった。特に好意を寄せている俺との約束の品である蛮族の巨剣【EX】を手放すのは絶対に嫌だと聞かなかった。

 フィスリムがワガママを言うなんて非常に珍しい事なので個人的には叶えてやりたいとも思うけど、さすがに都市を守護している外壁をあの剣が飛び越えるなんて不可能だろう。

 ちなみにフィスリムだけなら問題無い。妖精モードになれば飛べる。人に羽が生えた程度で何故飛べるのかという突っ込みをしてはいけない。俺も人の事は言えないので天に唾を吐く様なもんだ。

 ちなみに俺もサイズこそ違うがフードコートを着ている。こちらは態々買わずともアストラルエーテル製の奴がセーラー服のセットとして入っていた。

 白くて目立つので問題がある様な気もするが高性能で高価、しかもサイズが俺用に特注されているので使える人も少ない。こんな物を置いていったら逆に処分に困るだろう、という事で元々ワールドクエストの報酬でもあるので持ってきた。

「ほら、代わりの物ならいくらでも買ってあげるからさ。お金もあるし」

 何故俺が貨幣を所持しているか、それはエロ子に聞いてほしい。

 なんでもギルド長からまんまと力自慢大会の時に荒稼ぎした代金の何%かを請求して手に入れた金で料理や自分磨きの資金に使った様だ。

 なんとその額3ハルマ金貨、5ポルン金貨、10カルド銀貨、20セリンス銅貨。

 大小問わずお買い物には困らない財布だ。

 ……お金のやり取りは俺なんかよりも才能ありそうじゃないか、エロ子。

 お陰で当分の旅費があるのだから文句は言えないが。

 まあフィスリムが力自慢大会の際に受け取った金袋でもしばらくはやって行ける程度には入っていたので仮に無くても問題無いが、女の子を紐にするのは……な?

 それにしても異世界だからしょうがないが、お金が袋に入っているのは慣れないな。

 クレジットカードとかあると楽なんだが、そこ等辺の不便を含めての異世界か。

 それに金貨やら銀貨やらは手元にあると情緒があるもんな。男のロマン的な意味で。

「いやです! これがいいんです。ユタカ様との約束の品なんです」

 思考がズレていたがフィスリムのどうしても持って行きたいという要望を叶える為に俺は支援魔法、しかもファストパワーの上位互換にあたるツヴァイトフォースを唱えた、という訳だ。力を強化する支援魔法を使ってどうしようかというと……。

「これでダメだったらこの剣は置いていくからね?」

「わかりました。絶対に成功させます!」

 いくらなんでも、あの剣を内側から投げて外側に送るなんてフィスリムでも無理だと思うが、フィスリムは譲らなかった。

 結構フィスリムって頑固な所がある様だ。

 そんな新しい一面も嬉しいと感じる俺は大馬鹿野郎って事か。

 正直言えばあんな巨大な剣を壁に向かって投げるのも、当然ながらかなり危険だ。

 そりゃあ、これから誰にも気付かれずに逃げようって奴等が失敗したら大きな音と共に外壁を破壊するんだ。問題あり過ぎるだろう。

「それでは……行きます!」

 フィスリムが剣を横向きに構えると魔力変換と自然共鳴が発動するのが解った。

 特に今は夜。しかも月一つ無い闇夜。

 俺は淫魔なので尚の事そこ等辺は敏感だ。力自慢大会の時よりも濃密に感じる。

 フィスリムは地面に大きな足跡を作りながら全身を使って振り被る。

 ブウーンッ! と空気を切り裂く音を発しながら、まるで田舎系日常アニメの『竹とんぼ』の様に飛んでいった。

「……唖然」

 コレ……笑う所?

 何が凄いって? まず普通にあの巨大な剣を投げられる事だ。しかもそれを力だけで上方へと飛ばせた事。そして何よりも凄いのはそのまま本当に外壁を飛び越えていった事だ。

 いくら支援魔法が掛かっているって言ったって限度があるだろうに。

 フィスリムさん、あなたは俺の予想をどこまで超えるんですか……。

「って黙って見送っちゃダメだろ! 直に変化して変化!」

 さすがに飛び越えるとは思っていなかったが、大きな音は確実にする。ブリストールは一度魔物に襲われている。住人が起き出してやってくる可能性も高いので早いとこ俺もフィスリムも変化して都市を脱出しなければ。

 と同時に遠くから爆発音が響く。以前オークキングがクレーターを作った音に似ている。間違いなく音の発生源はあの剣だろう。

 俺は直に人化を使ってサキュバスモードに変化する。

 衣服は着ている物に依存……しない! なんじゃこりゃ! 星と空と識心のスクールローブ事セーラー服がまさかのスクール水着(紺)に変化した。

 アストラルエーテルだったら白スク水だったのか、という疑問は置いておくとして、全く持って意味が解らない。

 何故服が変化する。というかスクール水着を服と呼ぶには抵抗があるぞ。

 しかも何だ、この胸部分の白いゼッケンに書かれる『ゆたか』という文字は……。

 どうして服風情が着用者の名前を解している。

 ……良く考えると最初に着ていた伝統的なサキュバスの服はどこにいった?

 いや、予想は付いている。

 俺が人化してオークキングを倒した際に血で真っ赤に染まったので処分した服があった。水洗いしても落ちなかった汚れの付いた、あの服。

 まさかあの服、サキュバスモードの時は伝統服だったのでは……。

「ユタカ様、凄くお綺麗です! 魅力的な衣装ですね!」

 綺麗と言われてもな……まるでコスプレでもしている気分だ。

 ま、まあこの世界の普段着もコスプレみたいな物だから問題無いが、スク水の方が心を抉るな。悪事に身を染めた様な気がして。

 フードマントの方は変化が無かったのでよしとしよう。

 ……スク水マント……なんか尚の事……いいや。

 セーラー服を気に入っていた俺もどうかと思うが、スクール水着は無いよな。

 ま、まあ良く考えればこの世界は元々エロRPG……こういう露骨なポイント稼ぎがあったとしても何等おかしくは無いが……。

 ん?

 フィスリムも妖精モードになって羽を動かして飛んでいる。

 俺よりも同に入った動きで、何やら揺ら揺らと七色の羽が幻想的に煌いている。

 問題はそこじゃない。

「フィスリム、背中の荷物は?」

「あ、あれ?」

 当然ながら都市から脱出後、旅をするので準備は万端だ。

 特に優越を付けた訳では無いがその荷物の量はフィスリムの方が多い。

 はずなのだが。

 妖精モードのフィスリム、銀髪でスタイルも抜群、巨人モードになれば巨大な剣をも振り回す最強完全超人のフィスリムは今、何も背負っていない。

 俺ですらスク水の状態でありながら鞄を……もうやだ、コスプレネタやめようぜ……。

 と、取り敢えず俺ですら荷物を持っているのにフィスリムが何も持っていない。

 かといってその荷物はフィスリムが変身する直前まで背中に背負っていた。

 体格が変わってすり抜けた可能性もあると地面を眺めるもソレらしい物は無い。

「と、ともかく外へ!」

「はい!」

 久々に自分の力で空を飛ぶ感覚に酔いながら外壁を飛び越える。

 その間、一度振り返る。

「またね……か」

 今頃、ミッドとリーズは就寝中だろうか。

 俺は数日間、風邪で自室に閉じ篭っていてフィスリムに面倒見てもらったという設定で発情耐性取得の話を誤魔化した。なので、ほとんど治ったが一応休んでいるという姿をお見舞いにやってきた二人に見せた。

 その際の別れ際に二人に『またね』と俺は口にした。

 一応、筆と紙を借りて、仕掛けを部屋に施してから手紙を置いてきた。だから別れの言葉をしっかりと送る事は出来たと思う。

 でも、二人に何も言わずに旅立つ事に少なからずの罪悪感はあった。

 思えば二人と出会ってから、これまでの日々。色々な事があった。

 なんだかんだで聖女している酒好きのリーズと少し抜けているが理想的な勇者ミッド。

 初対面の頃はまるでRPGに出てくるNPCの様な存在としてカウントしていたが、直にそんな風には見えなくなった。

 二人とも優しいし、困ったら力になってくれる。俺の為に怒ってくれた事もあった。

 二人がいたからブリストールを好きになったし、だらだらと惰性で留まってしまった。

 そうか……俺は二人の事が好きなのか。

 仲間……ミッドなら当然の様にそう言うんだろうけど、仲間だと思っている。

 まあ二人の所為で救世主様救世主様と言われているんだけどさ……。

 最後まで人間じゃないって事は伝えられなかったけど、いつか言おう。

「また……ね」

 俺はそう呟いてブリストールを後にした。

 下では既に蛮族の巨剣の前に佇むフィスリムの姿がある。

「遅かったですが、何かあったんですか?」

「いや、ちょっと感傷に浸っていた」

「良い場所ですもんね」

「そうだね……」

「いつか戻ってきますか?」

「いいね。いつか彼等が言った。一人で全てを救える救世主になったら、戻ってくる」

 それまでは戻らない。

 ブリストールはミッドとリーズがいればやっていける。

 元々救世主なんか必要なかったんだ。だから均衡が崩れた。

 二人なら、今度こそ魔物や淫魔に負けない都市に変えてくれる。

 そう確信している。

 なんたって勇者様と聖女様が守護している都市ブリストールなのだから。

 もうブリストールに救世主はいない。

 その証拠として先程、俺の銅像を破壊しておいた。

 明日辺り大騒ぎだろうな。

 ハハッ! 俺をパワーキャラ扱いするからそうなるんだ!

「じゃあ、行こうか。大きな音も立てちゃったし」

「はい!」

 微笑んで口にしたフィスリムは直に巨人モードに変身する。

 するとさっき消えたはずの荷物が背負われている。まるで異次元から現れたかの様にフィスリムの変身に合わせて荷物も姿を現した。

「……フィスリム、まさかとは思うんだけどさ。剣を持ったまま、妖精になってみて」

「ふぇ? は、はい」

 剣を重そうながらも慣れた手付きで持ち上げるフィスリム。そして落とした際、大丈夫な様に足元に気を使いながらフィスリムは妖精モードに変身する。

 俺はその光景を見逃さない様に瞬きをせずに見つめ続ける。

 すると驚異的な映像が俺の紫水晶の瞳に映し出された。

 あの巨大な剣が……破壊耐性無効が付いた蛮族の巨剣【EX】が粒子の様に霧散して妖精モードのフィスリムの右手首のブレスレットに変化した。

「あれ? あれ? ユタカ様からもらった剣が消えました」

 おろおろと周囲を見渡して困惑しているフィスリム。とてもじゃないが、その事実を知っていて俺を騙していた様子は微塵も感じられない。

 いや、最初から疑ってはいないがフィスリムの能力の高さに驚いている。

 というかさ、前々から思っていたんだけど、この子スペック高過ぎないか?

 戦闘能力は種族値と取得能力による完全物理戦闘タイプ。

 その癖、優しくて気が利いて控えめな性格と共に妖精モードになれば完璧美少女。

「うん……ブリストールで手に入れたモノの中でフィスリムが一番の宝物だよ」

「そ、そんな……てれてれ」

 贔屓とか表現とかも無く、全ての要素で統計を取ってもそうなると思う。

 ともかくフィスリム異次元倉庫説は置いておくとして。

「よかったね、フィスリム。旅の間、あの重い剣を持たなくて済みそうだよ」

「そうなんですか?」

「どうやらフィスリムは変身した時に装備が別の形に変質するみたいなんだ」

「そ、そうだったんですか……今まで全く知りませんでした……」

 本人も知らない能力ってあるものなんだな。

 良く考えてみれば自分の才能や能力がどの程度なのか知っている人間がいたらそいつは相当凄いよな。自分を知り過ぎという位には……ナルシストか。

 だが、フィスリムが努力して巨剣を都市外へ投げた意味が全く無くなるんだけどな。

 ……本人は自分の新しい能力を知れて嬉しそうだし、いいか。

「問題は、妖精の姿での旅になるけど大丈夫?」

「はい! ずっとずっとユタカ様と同じ目の高さで歩きたかったんです!」

 俺の方が小さいがな。

 現状でもフィスリムの顔を眺めるには少し見上げないと覗けない。

 むっ。巨人モードでは気にならなかったが、胸が大きい。見る位置によっては顔が見えない程だ。これはあれか、胸が大きくて足元見えな~い、とか言い出す異次元生物。

 妖精モードを初めて見た日から思っていたんだけどなー。

 俺は小さい方も大きい方も、どっちも大丈夫な口だからな。問題ない。

 まあそんな俺の性的嗜好は置いておいて。

「取り敢えず街道を進もうか。ソルソ村って所に行きたいんだ」

「わかりました」

 そう伝えて首に巻かれていたフードマントを正しく着用をしたフィスリムと夜道を歩き始めた。

 俺は淫魔という種族柄全くもって問題なく見えるので怖くないが。月の無い、闇の深い夜だったのでフィスリムは俺の手をしっかり握っていた。

 この手は信頼している頼れるユタカ様の手、なのか、わたしがユタカ様を守らなければの手、なのかどっちなんだろうな。

 どっちでもいいか。きっとその内解る様になる。

 ……これからずっと一緒なんだからな。

 こうして俺は、フィスリムと共にブリストールを旅立った。



 世界依頼/旅立ち。『達成』

 内容/あなたの行動は決して淫魔として褒められたものでは無い。

 しかし結果として多くの者を魅了し、心に巣食ったその手腕は特筆する点である。

 達成条件/都市ブリストールからの脱出。

 報酬/クラスアップ『見習い淫魔→ヴィエルジュ』。

 適正レベル/なし。


 階級/ヴィエルジュ。

 効果/見習い時に制御されていた能力が一部解放され、全能力が上昇する。

 全能力上昇(少)、魅力値減少(中)、魔力上量(大)、光耐性(中)。

 分類/マインドサキュバス。

 概要/淫魔でありながら純潔を求めた矛盾した存在。

 その肢体は神々しいまでに艶めかしく、光すらも犯す事は不可能。


   †


 これが俺の始まりの戦いだった。

 ゲームでいうならばチュートリアル兼プロローグイベント。

 ブリストールを救い。ブリストールを壊し掛けた淫魔の救世主。

 この戦いを通じて、俺はこの世界の住人になった。

 だけど。


 ……今はまだ、気付いていなかった。

 世界の権利者が初めから効果を発動していた事に。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


ブリストール編終了です。

続きも更新予定ですがストックが心許ないので、

しばらく書き溜めてきます。

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