第1編 傷
その日は、秋だったはずだ。道路の脇に植えられたカエデの木は、多少赤く染まっており、夏の暑さがなくなった、比較的過ごしやすい空気が流れている。
そんな澄んだ素晴らしい空気のなかでも、俺の心が晴れ上がることはない。
申し遅れた。俺の名は高倉英春。その辺にいるであろう、特に価値もない小学2年生だ。
親はもういない。飲酒運転をして事故を起こし、即死したからだ。しかし、あんなのを親とは言いたくない。散々虐待をしてきたくせに、子を金稼ぎの道具だと思っていやがるからだ。
今は弟の一春と共に、母方の祖父、野村英楽のところで暮らしている。
祖父が俺と一春を"正しく"引き取った後は、平和に暮らせると思い込んでいた。
…けっこう、モノを簡単に見すぎていたかもしれない。
「……。」
近所の公園で数時間暇をつぶした後、俺はようやく学校に行く。
自宅の前を通り、すぐそこの大通りに出た。片側一車線でも、子供目線なら大通りだ。
毎日見ている地獄の道を、俺はわざとゆっくり進む。
少しでも学校にいる時間が短くなるなら、いくらでも遅刻してやる。
すでに学校では3時間目がはじまっている。
そんななかでも、俺は何も考えずに教室に入った。
功「おい、英春。何度言えばわかる。遅刻はするな。何をしていた。」
英春「………。」
功「…ああそうか。授業の邪魔をするんじゃない。」
担任の後藤功は、吐き捨てるようにそういい、また授業を再開した。そして、毎日のように俺への悪質ないじめのためにズタズタになった席についた。
何ヶ月も経つと、教科書なんて使い物にならないために、俺はランドセルから何も取り出さずに座った。
いじめの主犯格である一条比鶴と北上永人は、何が面白いのかニタニタ笑っており、周りのやつは、異物を見る目で俺をチラチラ見る。
別に、こいつらの悪質な連帯感はよく知っている。
しかし居心地は悪い。
すると、すぐに授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
功「よし、今日はここまでだな。英春、お前はこのあとすぐに職員室に来なさい。」
そいつは、急にそんなことを言った。
「うわ、英春また呼び出しだぜ。」
「さすがいじめられっ子。」
周囲の人間は、すぐ笑いの矛先をこちらに向けてきた。そうして功が教室を出ていき、それぞれが自由時間を過ごし始めたなかでも、それは変わらなかった。
そうして、無駄にその場に突っ立っていると、
功「何をしている。早く来い。」
と、再度呼ばれた。行かなかった場合も面倒なので、今回は職員室に行くことにした。
功「お前、本当にこのままでいいのか?そんな事してたら引きこもりになるぞ。」
英春「…じゃあ、まず一条と北上をどうにかしろ…。」
功「それが人にものを頼む態度かあ!?そもそも、あいつらとはこの前仲直りしたじゃねえか。」
…この大人の皮を被ったアホは、仲直りしたと思っているのか…。
数週間前だろうか。俺が保健室の先生にいじめが深刻化してきたことを相談し、それを功に説明した。
功は俺と一条、北上を集め、それぞれに話を聞いた。
俺が話したことは、大抵は"そんなわけない"と片付けられた。でも、いじめの主犯格2人の話は、鵜呑みにした。
それが、たまらなく許せなかった。俺が日頃から遅刻や保健室登校、欠席をしているとはいえ、ここまでひいきするとは思わなかったからだ。
その後、俺と2人は無理やり握手をさせられ和解したと言うことにされた。
功はこの形だけの仲直りに満足したのか、すぐに解散させたが、その後に2人によって散々殴る蹴るなどの暴行を加えられた。
この状態で帰ったため祖父に心配をかけ、祖父はこのときから何度も学校やPTAに連絡を取り、ちゃんとした解決をしろと言っていたらしい。
…まあ、向こうは"もう解決済みです"とほざいて相手にしなかったらしい…。
今このときも、この大男は"解決したと考えている問題"を児童が再び持ち上げたことを、バカにしていることだろう。実際、功の目は明らかに小馬鹿にしたようなものになっている。
英春「…なにがおかしい。」
功「あー、それはもう解決したろ?考えすぎじゃないか?」
英春「…あんたは机が見えないのか。あれを見てもいじめは終わったと言えるのか。」
功「黙れクソガキ。あの問題は解決した。それ以上でもそれ以下でもない。いいな!!」
到底先生とは思えない言動に、俺は怯んだ。
これを堂々と職員室で言い放っても、周りは何も聞こえないかのごとく振る舞っていた。
…ああ、ここに俺の味方はいないんだなあ…。
毎日思い知らされても、なお心に響く。
功「…無駄に語彙を身につけているクソガキ君、世の中には黙っていればいいこともたくさんある。今回もそれだ。2度と俺の前でいじめなんて言葉を言うんじゃないぞ。さあ、帰った帰った。」
俺は恐怖で何も言い返すことができなかった。何も言えず、俺はただ教室に戻るしかなかった。
職員室の外には、一条と北上がいた。
比鶴「へ、また呼び出し食らったのか?英春。」
英春「………そうだ……。」
勝手に声が震える。
永人「はーーっ!こいつ先生にちょっと怒鳴られただけでビビってるぜ!泣き虫だなあ!!」
英春「………。」
比鶴「何黙ってんだよ。はやく来い。今日も殴られろよ。」
コイツラも、今、相当大きな声で騒いだはずだ。
なのに本当に教師陣は動かない。
…本当に消えてしまえよ、こんな空間なんて…。
今日は、珍しく暴行の時間は短かった。なぜコイツラがこんなに堂々と校庭のど真ん中で、ここまでのことができるんだ…。…やはりこいつらの恐ろしさは学校中に知れ渡っている。だから、周囲は一条と北上に続いて俺を排除しようとしている。
英春「……くそ……。」
痛みでしばらく動かなかった。そして、やっと立てるようになったのに、左腕は動かなかった。
いつも通りメダカがいる人工池の中に沈められたランドセルを取り出して、帰ろうとした。
すると、少し離れたところから鈍い打撃音が聞こえてきた。
英春「…なんだ……?」
正直関わりたくなかったが、自分に関係するものだと面倒なので、影から音のする現場をのぞいた。
俺は、目を見張った。
そこでは、一条と北上によって、俺と同い年に見える少年が暴行を受けていたのだ。




