表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終わりに毀れた、その、カケラ。  作者: ヒバマリツ
第5話 雪を抱いて、君と眠る
12/14

04(終)



扉が閉まる直前に聞こえた彼の声は、どこまでも穏やかで、慈愛に満ちていて。

それなのに、泣きたくなるほど甘やかで。


けれど。


目を見開いて振り返った私の目の前で、そのドアはパタン、と小さな音を立てて閉ざされる。

ドアが閉まるまでのわずかな時間、その隙間から見えた彼の姿は。

見慣れた、傲岸な印象を与える笑みに、わずかに寂しげな色を載せて、――だけど。


決して揺らぐことのない、鋼鉄を思わせる意思を秘めた、強い強い眼差しをしていた。


彼は、彼の意思が通る限り、もう二度と私に会わないだろう。

それが分かったから、私も彼に会おうとはしなかった――彼が、帰らぬ人となる、その日まで。



     *



彼を見送って、しばらくして。

私は彼の弟に、彼の写真を強請った。


私がどんなに彼に懐いていたか、ある意味それを一番間近で見ていた彼の弟は、仕方なさげに笑って、私に写真を選ばせてくれた。


彼と、彼の弟は、とても仲の良い兄弟で。


一見それほど似ていないように見える彼ら兄弟は、実のところ、とてもよく似ている。

だから、彼の弟の傍にいると、彼のことを感じられる気がして、私は、その空気がとても、好きだった。

――それでも、私が彼に抱いた感情を、彼の弟に向けることはありえないけれど。

彼の弟も、そのことをよく分かっているらしく、私の好きにさせてくれている。






つい最近、私は高等学校を卒業した。

彼がいなくなったのは、私が十歳の時だった。今は、十八歳。

けれども、二十八歳でいなくなってしまった彼にはまだ、追いつけない。



学校の式典を、ノルマのようにこなして帰ろうとする私に、同級生が声をかけてくれた。

「そんなに急いで、あの彼氏が待ってるんだ?」

分かりやすいからかいの言葉は、けれども、ある意味ではとても分かりにくかった。

「…あの彼氏?」


私に特定の相手がいたことはない。

どんな相手も、私の中で彼以上の存在にはなれないと知っているから、恋人を作ろうと思ったこともなかった。

そんな私の困惑を、照れと誤魔化しだと思ったのか。

相手は分かっている、というように頷いて。


「誤魔化さなくたっていいじゃん。いっつも彼氏の写真、持ち歩いて事あるごとに眺めてるでしょ? ちゃあんと知ってるんだからね!」


茶目っ気たっぷりに片目をつぶる、というおまけつきで教えてくれた。



「――えっ、」




言われたことの内容に、思わず思考が停止する。

それでもどこかで冷静に、なるほど、と呟く自分もいた。


彼が故人であることを、私はわざわざ級友たちに告げたりはしなかった。

当然だ、そんなこと、言いふらすようなことでもなんでもない。


そして、私は彼の写真を手に入れてから、ほとんど常に肌身離さず身に着けていた。

現に今も、制服の胸ポケットに収まった手帳に、大事に大事に挟んである。

今となってはもう、お守り、のようなものだ。


――少しでも、彼が傍にいると感じたくて。


けれども、彼と私の関係を知らず、私が彼の写真を持ち歩いているという、それだけの事実を見れば。

確かに、級友が指摘したように見える、のかもしれなかった。



「ちらっと見ただけだけどさ。すっごいカッコいいよね! 大人のオトコ、って感じで! 軍人さんなの?」

「え、あ――ううん、軍学校は出た、んだけど。体を壊して――軍には、行かなかったの」

「そうなんだ? でも、それなら少しは安心だね? 軍人さんだと、お仕事行くたびに不安になりそうだもん」

「そう、だね…」


話している内容は、全て本当のことなのに。

どこか、夢の中のように、フワフワと現実味がない。


「ねぇねぇ、図々しいお願いだとは思うんだけど。彼氏の写真、見せてもらっていーい?」

「えっ、」


あっけらかんと明るい級友の言葉に、またしても言葉を失う。


「あー、ごめん。悪気はないんだけどさ、アンの相手がどんな人だか、結構皆気になっててさー。卒業祝いで無礼講ってことで、許して?」

滅茶苦茶な理由ではあったが、突っぱねる気は最初からなかったし、それほど気にされているとも思っていなかったので、むしろそちらに驚きつつ、結局は吹き出してしまった。

「何、その理由。別に怒ったりしないのに」


そう、どちらかといえば、むしろ。


――彼を、見せびらかしたかったのかも、しれない。


「はい、どうぞ」

「おおーっ、ありがとー」


級友は「ふわー…」と妙な声を発してしげしげと写真に見入った後、「眼福でした」という謎の言葉とともに写真を返してくれた。

「やー、でもこれなら分かるわー」

「何が?」

「こんなイイ男と付き合ってたらさ、そりゃあ、同じ歳の男なんてガキっぽくて眼中になくなるよねー」

しみじみと実感のこもった台詞に、私は「そう?」と首を傾げる。

「彼だって、時々…というか大概、子供っぽいよ?」

そう、私と一緒に遊んでくれていた、という時点で、彼は実のところ、相当子供っぽいところのある人、でもあった。――勿論、それ以上に大人でも、あったのだけれど。

「…ノロケ?」

「何で?!」

単純な事実を伝えたつもりが、なぜか温い目つきで見られるに至り、思わず抗議の声を上げた私に対して。

「爆発しろ、リア充めー!」

「えっ、ちょ、」

級友は楽しそうに笑いながら立ち去って行った。

「彼氏さんによろしくー!」という言葉を残して。



「――よろしく、だってさ?」


手の中の写真に向かって、苦笑交じりで呟いても、返る声はない。

当然だ、分かり切っている。


それでも。




なにをだよ、と愉快そうに応える声が、私の胸の内を柔らかく擽った。








彼はいるのだ、今も、私と。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ