<皇帝が来た>
子爵家に南の帝国から皇帝が来た。
なにを言ってるかわからないと思うが、私にもわからないので仕方がない。
来たものは来たのだ。応接室のソファに座り、彼は整った顔で私を見つめている。ほかの家族は同席を許されていない。
「ああ、やっと来れた」
私の淹れたお茶を飲んで、彼はしみじみと言う。
「ご家来衆ではなく、私にお茶を淹れさせて良かったのですか?」
魔道に関する知識を得るために集めた情報で、私はすっかり皇帝のことに詳しくなっていた。
──彼は人殺しだ。
ずっと自分を閉じ込めていた父と兄を殺して帝位を奪った。
貴族達から既得権益を奪って魔道大学を創り、平民にも門戸を開いて魔道研究を促進している。内乱に明け暮れていた帝国は平和になり、治安も向上して人々は幸せに暮らしているという。
だからこそ、彼は命を狙われていた。
利権を奪われた貴族達に、内乱につけ込んで金を得ていた傭兵達に、暴力で人々を支配していた犯罪者組織に、隣国でありながら比べものにならないほど貧しく愚かなこの王国に。帝国がこの国の情報を欲しがるなんて、最初からあるはずのない妄想だった。
そんな彼が私の淹れたお茶を飲むなんて、正気の沙汰ではない。
「お前だからいいんだ」
皇帝が笑う。宝石のような瞳は、初めて会ったときから私を映し続けている。
「花を入れられても茎を入れられても根っこを入れられても、炒った種はちゃんと持って来ているからな」
「根っこのときは自分で種を飲むことはできませんよ?……え?」
「ぴちゅー」
応接室の窓の外で鳴いた小鳥は、室内に入って来て皇帝の肩の上にとまった。
「せっかくコイツに運ばせたのにアイツらに使わないんだな」
「世話をする使用人達に苦労をかけるだけですから」
婚約者や家族に愛を求める心が消えたわけではない。今も燻っている。
しかし、今はそれどころではなかった。
だって皇帝だ。皇帝が我が家に来ているのだ。南の帝国、魔道帝国の皇帝がだ。
「……というか、なにをどこまでご存じなんですか? その子は一体?」
皇帝が吹き出す。
知らない魔道に対する好奇心があふれ出ていたようだ。
「そんなに期待に満ちた目で見るな。お前が思っている通りだ。この鳥は余の魔力を注ぎ込んで作った使い魔だ。翼の模様は余の心の傷といったところかな。父と兄に母を殺され、鳥籠に閉じ込められて家畜以下の扱いを受けていた余の心に刻まれていた傷が、そのまま魔力とともにコイツの翼を彩ったんだ」
彼の母親は父帝の正妃だったが、暴政を諫めたことで疎まれ、夫と愛妾とその息子によって命を奪われた。
父帝の血筋はさほど良いものではなく、正妃との結婚によって辛うじて皇帝として認められていた。
正統な後継である彼は鳥籠と呼ばれる牢に何年も閉じ込められていたのだ。
それはともかく、皇帝が吹き出したときに私の手へ移ってきた小鳥を見つめる。
「あなたは皇帝陛下の使い魔だったのね。……私にも作れますか? この子に、その、お友達がいたらいいと思うんです。帝国にはいるのですか?」
「いくつかの特殊な魔道は余が秘匿している。使い魔の作り方は余の妃にしか教えられぬな」
「……え?」
「鳥籠から動けない余が情報収集と密偵への連絡のために各地を飛び回らせていたとき、小鳥だから可愛いと言ってくれたものはいる。しかし翼の模様を美しいと言ってくれたのはお前だけだ」
あれは二度目。
根っこで死んで今をやり直す前の言葉じゃなかったかしら。
いいえ。考えてみると、私は初めて会ったときからこの子の翼の模様を綺麗だと思っていたっけ。自分の醜い心の傷と同じだと思いながら、同時に美しいと感じていたのだ。
「お前が作る使い魔の模様は、きっと余にはこの世のどんなものよりも美しく見えるだろう」
「もしかして私、口説かれてます?」
「その通りだ。妃にするつもりがなかったら例の種だって運ばせはしない。あれも余しか知らない秘匿事項だ」
「私、婚約者がいるのですが」
「知っている。だから昨日、この国の王家と神殿に脅しをかけて婚約は無効だったと発表させた」
「家族の了解は……」
「いらぬだろう。むしろ余はお前の家族を殺してしまいたい。お前の傷ごとお前を愛しているが、だからといって傷をつけた奴らを許す気はない」
「愛しているだなんて、気軽におっしゃっていいんですか?」
「……仕方がないだろう」
皇帝は真っ赤になって、私から顔を逸らした。
「勝手に口から飛び出すんだ。お前の魔道好きを利用して籠絡するつもりだったのに、いざお前を前にすると浮かれた言葉ばかり口から出そうになる。お前の手の中にいる自分の使い魔にも嫉妬している始末だ」
「ぴ!」
ほんのりと胸が温かくなる。
皇帝によって照らし出された私の心の傷は、思っていた通り醜く、思っていたよりも美しかった。
私はきっと帝国へ行くのだろう。もちろんメイド達も連れて行く。死に戻りと皇帝は関係なさそうだが、帝国では発生しない気がした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
数日後、子爵領の多くの領民と、数年前に花の栽培法を教えに行ったとき知り合った伯爵領の領民が私に同行して帝国へ向かった。
領民は貴族の財産だ。
皇帝は子爵と伯爵、そして王家に対して魔道技術の援助という形で領民の代償を支払った。私の婚約者だった伯爵子息は妹と結婚することになったが、妹は皇帝が私を飾りたてるために使った無数の宝石のほうが気になるようだった。
──やがて、子爵領と伯爵領は便利な魔道技術に溺れて王家に叛意を翻し、激しい内乱の末に王国自体が滅び去った。
皇帝がそこまで考えていたのかどうかは、妻の私にもわからない。
なにしろ私は、あれほど求めていた婚約者と家族からの愛を自分がいつ求めなくなったかもわからないのだ。夫は、余に会った瞬間恋に落ちたからだ、なんて言う。確かに魔道帝国の皇帝がいきなり家に来た衝撃は大きかったですけどね。
死に戻りのことは皇帝に話して、ふたりで推論を巡らせた。
死に戻り一度目ではなく二度目に彼がやって来たのは、私があの種をいつ手に入れたかが関わっているのだろう。さすがにもう一度死に戻りを試すつもりはないので確かめようがない。
死に戻り一度目のときは塔へ迎えに行ったらお前が亡くなっていて、余も悲しみのあまり死んでしまったに違いない、なんて夫は言う。
メイドは護衛として同行した兵士と結婚した。死に戻り一度目で高い塔の牢番をしていた男である。
「ぴちゅー」
「ぴぴちゅー」
宮殿の中庭で木の枝にとまり歌っている私と皇帝の使い魔達は番のように見える。
余とお前のように仲が良いな、と夫が言うので、そうですね、と答えると、彼は宝石のような瞳を細めて幸せそうに微笑んだ。
その瞳に映る私も、彼と同じ顔をしている。