第十六章:腐敗する聖遺物、あるいは二重露光の遺体安置所
「……お客様。終点、一宮海岸入口です」
バスの運転手の声が、ひどくノイズ混じりのスピーカーから響いた。その声は、かつてのスタジオで聞いた「カット、OKです」という無機質な宣告に似ていた。
美咲と健斗は、よろめきながらバスを降りた。
そこは、九十九里の重い、鉛色の潮風が支配する世界だった。新宿の喧騒という「書き割り」が剥がれ落ち、現れたのは、二人の記憶の底に沈んでいた、あの「十年前」の景色をさらに無残に腐敗させたような光景だった。
空は、現像に失敗したネガフィルムのようにどす黒い紫に濁り、砂浜には打ち上げられた魚の死骸と、なぜか「深津ゆな」の出演作が記録された無数のビデオテープが、波に洗われて散乱していた。
「……ここよ、健斗。……私たちが、最後にいた場所」
美咲の声は、風にかき消されそうだった。彼女の足元、砂の中から突き出した「自分の顔をしたマネキンの手」を無意識に踏みつける。
バキリ、と。
乾いたプラスチックの音が、この世界の「虚構性」を象徴するように響いた。
「……ああ。……だが、見てくれ、美咲。……あそこだ」
健斗が指差した先。
かつて二人が心中を図ったはずの、あの古びた公民館。
そこは今、巨大な「医療廃棄物」の山に埋もれ、建物全体が、巨大な肺胞のようにドクンドクンと不気味に拍動していた。
第PM 15:45の検視:自己という名の異物
二人は、拍動する公民館の内部へと足を踏み入れた。
床は湿った肉のような感触に変容し、壁からは無数の点滴チューブが垂れ下がり、天井からはスタジオの照明機材が、内臓のようにぶら下がっていた。
部屋の中央。
そこには、二つの「透明なカプセル」が置かれていた。
「……っ!?」
美咲は、息を呑んだ。
カプセルの中に横たわっていたのは、紛れもなく「自分たち」だった。
だが、それは十年前の姿ではない。
全身を無数の電極とチューブで繋がれ、栄養液の中に浸された、泥のように疲れ果てた「肉の塊」。
カプセルの横にあるモニターには、二人の脳波がリアルタイムで投影されていた。
そこには、あの「地下スタジオの一分間」が、高速で、無限に、リピート再生されていた。
「……これか。……これが、僕たちの『真実』か」
健斗は、カプセルに歩み寄り、その表面を震える指でなぞった。
「……僕たちは死んでいなかった。……死ぬことさえ、許されていなかったんだ。……僕たちは、この『走馬灯生成装置』の燃料として、ただ生かされ、永遠にエロスと絶望を搾り取られ続けていたんだよ!」
モニターの隅に、見慣れたロゴが表示される。
『プロダクション・リテイク:被検体管理システム』。
二人が「現実」だと思っていた新宿も、「異常」だと思っていたループも、すべてはこの巨大な「農場」が、より質の高い「コンテンツ(情報)」を抽出するために仕掛けた、ただのシミュレーションに過ぎなかったのだ。
「……じゃあ、健斗。……私たちが感じた痛みも、あの愛も……全部、この機械が計算した『電気信号』だったの?」
美咲の瞳から、黒いインクのような涙がこぼれ落ちる。
彼女の存在そのものが、データとして崩壊し始めていた。
第PM 16:30の叛逆:肉体のハッキング
「……ふざけるな。……ふざけるなよ、神様!!」
健斗は叫び、傍らにあった医療用のメス(本物の、冷たい鋼のメス)を掴み取った。
彼は自分の腕を切り裂いた。
溢れ出すのは、ノイズでも光でもない。
どす黒く、熱く、鉄の匂いのする、本物の「血」だった。
「……美咲。……この機械が僕たちの脳を繋いでいるなら、僕たちの『生身の肉体』を、このシステムに逆流させてやる!」
健斗は、美咲を押し倒した。
カプセルの中で眠る、無残な「自分たちの肉体」の目の前で。
それは、これまでのどのループよりも、どの「日常」よりも、野蛮で、醜悪で、しかし決定的な「反逆」だった。
カプセルを繋ぐチューブを引き抜き、自分たちの体に巻き付け、
二人の結合を、一つの「物理的な短絡」へと変えていく。
「……あ、……ああぁっ! ……健斗、熱い! ……脳が、焼ける!」
「……焼かせておけ! ……僕たちの脳が焼き切れるのが先か、このシステムがオーバーヒートするのが先か……賭けようじゃないか!」
美咲の粘膜を通じて、健斗の怒りと、絶望と、そして「本物の生命力」が、システムへと流れ込む。
モニターが激しくグリッチを起こし、スピーカーからは、あの監督の悲鳴のような電子音が溢れ出した。
「リテイク……中止……。……エラー……。……被検体が……現実を……侵食……」
二人の結合が深まるにつれ、公民館の壁が、肉の壁が、次々と爆発し始めた。
虚構の九十九里が、剥がれ落ちていく。
その向こう側に、初めて見えてきたのは、
冷たく、巨大な、サーバーラックが並ぶ「本当の終焉の部屋」。
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【タイムループ対処手引き:第16条:聖遺物の破壊】
「あなたの『死体』を、生きた愛で汚しなさい」
もし、あなたが誰かの掌の上で生かされているだけだと知ったなら、その掌を、あなたの体温で火傷させてやりなさい。……偽物の天国より、本物の地獄。……管理された永遠より、一瞬の、取り返しのつかない破滅。……あなたの心臓の最後の一叩きが、この世界という名の『偽造品』を粉々に粉砕するだろう。
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第PM 17:00の覚醒:プラグを抜く手
絶頂の瞬間。
美咲は、自分の「意識」が、カプセルの中で眠る「自分」と、完全に同期したのを感じた。
彼女は、重い、重い瞼を開けた。
そこにあったのは、新宿のスタジオでも、砂浜でもない。
白濁した液体に満たされた、狭い、冷たい、透明な箱の中。
隣のカプセルで、健斗もまた、目を開けていた。
二人は、無数のチューブに繋がれたまま、液体の中で互いの手を探り、握り合った。
「……健斗」
「……美咲」
言葉は出ない。ただ、指先の微かな振動が、互いの存在を証明していた。
彼らは、ついに「走馬灯」から、自分の「肉体」へと帰還したのだ。
カプセルの外側。
白衣を着た、顔のない「研究員」たちが、パニックを起こして走り回っている。
「……緊急停止だ! ……被検体が、物理的な干渉を起こした!」
健斗は、全力を振り絞り、自分の首に刺さった太いチューブを引き抜いた。
赤い鮮血が、透明な液体を染めていく。
「……あばよ、……リテイク・マイ・ライフ……」
彼は、カプセルの内側から、自分の拳で、その「世界の壁」を叩き割った。
粉々に砕け散るガラス。
溢れ出す白濁した液体。
二人は、床の上に這い出した。
生まれたばかりの獣のように、震えながら、しかし、確かな重みを持った足取りで。
「……外へ、行こう。……健斗」
「……ああ。……今度は、一分間じゃない。……一秒ごとに、死に向かっていく、本物の世界へ」
二人は、自分たちの「死体」であったカプセルを背にし、
警報が鳴り響く、巨大な「物語工場」の出口へと、
血みどろの足跡を残しながら、歩き出した。
(第十七章へ続く)
⭐執筆ノートはこの章から割愛します。あとがきの付録として残しておきます。
最後まで一気に走りましょう!




