表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RETAKE MY LIFE(リテイク・マイ・ライフ)  作者: 光闇居士


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/22

第十五章:社会契約の壊疽(えそ)、あるいは「日常」という名の集団検閲

「君たち、止まりなさい。……聞こえないのか?」


警察官の声が、新宿の湿った空気を震わせる。その声は、かつての地下スタジオで聞いた助監督のそれに酷似していた。命令的で、事務的で、個人の意志を「進行」という名の歯車へ叩き込むための、冷酷な音のつぶて


美咲と健斗は、歌舞伎町の入り口、巨大な街頭ビジョンの真下で立ち尽くした。ビジョンには、最新のコスメティックの広告が映し出されている。モデルの女が、陶器のような肌で微笑む。その微笑みは、かつて美咲がカメラの前で作っていた「深津ゆな」の、あの空虚な絶頂の表情と完全に一致していた。


「……健斗。見て」


美咲が震える指でビジョンを指差す。

モデルの女の瞳の中に、一瞬だけ、ノイズが走った。そして、その瞳の奥には、紛れもなく「九十一回目の朝」にいた、あの顔のない監督の影が、カメラを構えて座っていた。


「……ああ。……分かったよ、美咲。……僕たちは、スタジオを脱出したんじゃない。……スタジオが、世界を飲み込んだんだ」


健斗は、安物の作業着のポケットに手を突っ込んだ。そこには、あの中身が消えたはずの「白いノート」が、重苦しい質量を伴って鎮座していた。


第AM 11:45の尋問:記号の再定義


「君たち、身分証は?」


警察官が二人との距離を詰める。彼の背後を通るサラリーマン、買い物を楽しむカップル、スマホを眺める学生。彼らの動きは、一見ランダムに見えて、実は「背景エキストラ」としての完璧な軌道を描いていた。誰一人として、この異常な職務質問に興味を示さない。


「……身分証、ですか。……僕たちは、ただの医学生と……その、連れです」


健斗が、乾いた声で答える。


「医学生? ……名前は? 大学は?」


「……深津健斗。東都大学医学部……」


その名前を口にした瞬間、警察官が不敵な笑みを浮かべた。


「……東都大学医学部、深津健斗。……残念だが、そんな学生は存在しない。……君は、三年前の心中事件で、九十九里の海で死んでいるはずだ」


警察官の手帳が開かれる。そこには、新聞の切り抜きが貼られていた。

『心中未遂の末、男子大学生死亡。同行の女性は行方不明』。

写真に写っているのは、今よりも少し幼い、しかし間違いなく健斗の顔だった。


「……え?」


美咲の喉が鳴った。


「……そんな、バカな。……私たちは、あのスタジオで……」


「スタジオ? ……ああ、あの『一分間の走馬灯』のことか」


警察官の声が、次第に低く、機械的な響きに変わっていく。彼の顔のパーツが、じわじわと中央に寄り始め、あの「検閲官」の造形へと回帰していく。


「……君たちは、死の間際の脳が見せた『エロスという名の現実逃避』に失敗し、その情報のゴミを、この現実(日常)へと持ち込んだ。……今、この世界のエントロピーが、君たちのせいで狂い始めている」


警察官が警棒を抜く。それは、黒いゴム製の鈍器ではなく、空間を物理的に「消去」するための、漆黒の虚無の棒だった。


「……修正リテイクが必要だ。……今度は、君たちの『存在そのもの』を微塵切りにして、ハードディスクから完全に削除する」


第PM 12:15の逃走:因果律の裏路地


「走れ、美咲!!」


健斗は警察官の突きをかわし、美咲の手を引いて路地裏へと飛び込んだ。

背後で、警察官が警棒を地面に叩きつける。

ドォォォォォン!!

物理的な爆発音ではない。街のテクスチャが「未読み込み」の状態になり、アスファルトが灰色のポリゴンへと退行していく。


二人は、新宿の雑居ビルの隙間、かつては存在しなかったはずの、奇妙にねじれた「隙間の道」を駆け抜けた。


「……健斗! ……どういうこと!? 私たちは、死んでたの!?」


「……分からない! ……だが、理屈を戻して考えてみろ! ……もし、あの『一分間』が、僕たちの脳が見せた最後の夢だったとしたら……。……今、この『現実』だと思っている世界は、その夢が漏れ出した『残滓』なんだ!」


健斗は走りながら、ポケットのノートをひったくった。

白紙だったページに、猛烈な勢いで文字が刻まれていく。

それは、二人が今、この瞬間に行っている「逃走」のライブログだった。


《第十五章:被検体A(健斗)およびB(美咲)は、座標Shinjuku-03へ逃走。因果律の整合性を損なうため、即時の「去勢」を推奨する。》


「……これだ。……このノートが、世界の『台本』なんだ!」


健斗は、路地の行き止まりで足を止めた。

目の前には、コンクリートの壁。

しかし、健斗はその壁に、マジックではなく「自分の指の血」で、巨大な『×』印を書き込んだ。


「……美咲、抱きつけ! ……僕の心臓の鼓動を、また同期させるんだ!」


「……え!? ……ここで!?」


「……『日常』が僕たちを消そうとするなら、僕たちがまた『異常』を爆発させて、この世界をバグらせるしかないんだ! ……物理法則を、僕たちのエロスで上書きする!」


第PM 12:30の不純な再会:路地裏の外科手術


壁に追い詰められた二人の前で、空間が裂け、複数の「警察官(検閲官)」が現れる。

彼らの顔はもはやノイズの塊で、手には、二人の頭部を「強制終了」させるための巨大なハサミが握られていた。

美咲は、健斗の首にしがみついた。

かつてのスタジオでの、全能感に満ちた結合ではない。


今、彼女が感じているのは、鋭い死の恐怖と、アスファルトの冷たさ、そして健斗の作業着から漂う、油と汗の「不潔な」匂い。

だが、その「不潔さ」こそが、この管理された「日常」に対する最大の不純物だった。


「……健斗……。……私、死にたくない……! ……もっと、汚れたままで生きていたい!」


美咲は、健斗の唇を奪った。


それは、美しく整えられたキスではなく、互いの歯が当たり、血が滲むような、野蛮な衝突。

健斗の手が、美咲のバスローブの下に潜り込む。

かつては「情報の信号」として処理していた彼女の粘膜の熱が、今は「脳を焼き切る物理的な暴力」として彼を襲う。


「……あ、……あぁっ!」


二人が結合した瞬間、周囲の「ポリゴン」が激しく震えた。

警察官たちが、一瞬だけ硬直する。

二人の間に流れる「生」のエネルギーが、管理されたプログラムの限界値を突破したのだ。


「……いいぞ、美咲。……これだ。……僕たちの『汚物』が、この清潔な世界を拒絶している!」


健斗は、美咲の体内で、己の絶望と渇望を爆発させた。

それは、十二章で見せた「ユーモア」でも、十三章で見せた「神殺し」でもない。

ただ、一人の男が、一人の女を離したくないと願う、あまりにも「人間的な」執念。


その執念が、物理的な圧力となって空間を歪めた。


路地裏の壁が、鏡のように砕け散る。

砕けた破片の中に映っていたのは、

十年前の海、

新宿のスタジオ、

そして、まだ誰も見ていない「一分後の未来」。


>>

【タイムループ対処手引き:第15条:社会契約の無効化】


「あなたが『汚れ』になりなさい」

清潔な世界は、異物を排除することで成り立っている。ならば、君たちはこの世界にとっての『癌』になりなさい。……論理的に振る舞うのをやめ、予測不能な衝動で、因果律の脈動を乱しなさい。……君たちが抱き合うたびに、世界の整合性は損なわれ、検閲官は知恵熱を出して倒れるだろう。……愛とは、社会に対する最も甘美なテロリズムなのだから。

> >


第PM 13:00の静寂:リテイクの予感


絶頂の果て。

二人が目を開けると、警察官(検閲官)たちは消えていた。

路地裏の壁も元に戻り、新宿の街には、再び「平穏な日常」が流れている。

だが、健斗の手にあるノートには、新しい一節が刻まれていた。


《第十五章:完了。被検体たちは、一時的な『アノマリー(特異点)』を発生させ、追跡を回避。……次なるステージは、『自意識の解体』へと移行する。》


「……健斗。……私たち、まだ『被検体』なのね」


美咲は、乱れた服を整えながら、空を見上げた。

青い空。

しかし、その雲の形が、一瞬だけ、巨大な「文字」に見えた。


『本番、一分前。お願いします!』

二人は、自分たちがまだ、より巨大な「撮影現場」の中にいることを確信した。

この「日常」という名の、一万時間をかけた、壮大なドキュメンタリー。


「……いいわよ。……受けて立ってあげる」


美咲は、健斗の腕を取り、人混みの中へと歩き出した。

二人の足取りは、もはや逃亡者のものではなかった。

それは、この物語を内側から食い破り、真の「終焉」へと向かう、破壊者の行進だった。


「……健斗。……次は何をする?」


「……そうだな。……僕たちの『死体の場所』を探しに行こう。……物語を終わらせるには、作者の首を獲るしかない」


二人は、自分たちが心中したという、あの九十九里の海へと、

現実という名の「リテイク」を繰り返しに向かう。



(第十六章へ続く)



⭐執筆ノート:第十五章の真髄

第十五章では、物語の舞台を「日常」という名の、より強固な管理空間へと移しました。

かつての「スタジオ」が局所的なループだったのに対し、本章では「社会全体」が、二人の異常を排除しようとする巨大な検閲システムとして機能しています。

エロスは、ここでは「システムに対するバグ」として描かれます。

理屈を戻し、健斗が「心中したはずの死者」であるという衝撃的な事実を突きつけることで、読者の脳に新たな混乱と快欲を叩き込みました。

物語は、ここから「自分たちの死」を証明し、あるいは書き換えるための、更なる深淵へと潜っていきます。

次は第十六章。

「九十九里の海」で二人が目にする、自分たちの「遺体」? その真の正体とは。

脳がぶち壊れる準備はいいですか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ