【蛇足.07】村の冬 コナ視点
あれからもう半年が経った。山は、冬になった。
何時からかを正確に言えば、うちがハイラハの街に攫われて、その後で尼院に行って、迎えに来た兄貴と一緒に村に帰った時からやな。お弟子さんも一緒に来るって聞いた時は、ほんまに驚いたわ。
『……ま、自分で言うたからには、行ってみるんじゃな』
お師匠さんはしばらく考えた後にあっさり許可を出した。うちの兄貴までさっさと準備を始めたんを不思議に思てたら、こっちには思惑があったらしい。
村は、山奥にある割には風通しがええ人が多いけど、それでも所詮は狭い場所や。ご先祖の謂れが大事な年寄り達は、うちがろくに抵抗もできんと連れ去られたんが不満やろうし、性格がよろしゅうないあの人この人は、うちがどんな目に会うたか面白可笑しく噂するに違いない。けど、あのお弟子さんが横に居ったら、そりゃあ一瞬でうちの事なんか霞んでしまうやろ? ……腹黒い兄貴のそんな企みは知らんと、かといってひとり尼院で暮らして聖都や王都に行くんも不安で、結局はお弟子さんの申し出に異を唱えることが出来んかった。
***
「お弟子さん、こんばんわ……ここ、ええやろか?」
その半年前、村に向かう三日目の事や。その日の兄貴は宿を取ってご飯も済ませるなり、何も言わんとフラッと出ていってしもた。
仕事なんか飲みに行ったんかは知らん……もしかすると、いかがわしい場所かもしれんけど、兄貴のそんなんに興味ないわ。
お弟子さんとうちは宿に残っとったから、夕暮れ時にお弟子さんを探して裏庭に出た。宿の裏には葡萄の木があって、そこが宿のお茶を飲んだりする休憩所やったから。
夕陽が眩しい中、目を瞬くと、お弟子さんが椅子に座っとるんが見えた。イェドさんは男前やから、黙っておるだけ絵になるけど、煙草を吸うわけでなく、酒を飲むわけでなく。お坊さんやから当然なんやろか、でも、うちの親父や兄貴と比べて、イェドさんはほんまに真面目や人やなぁと思う。芝居や本の影響でこう思うんか知らんけど、こんな男前はやっぱり身を持ち崩し易そうというか。うちの親父や兄貴よりずっと、しゃんとするんが難しい気がするんやけど。
お弟子さんが頷いたんを見て、うちは隣に腰掛けた。もちろん慎みとして、ちょっと間は空けといた。
「あのな。お弟子さん、どしたん?」
うちは家に帰れて嬉しいけど、ここ数日、お弟子さんの顔がどんどん暗くなる気がして、心配やった。
どことなく暗いというか、苦しそうというか。これみよがしに不機嫌になったり溜息ついたりする訳やないけど、兄貴までが「辛気くさい顔しおって、それでも愁い顔が絵になるっちゅーんは何の嫌みや」とぶつくさ言う。
「……コナ?」
聞かれたお弟子さんは、自分では気づいてないんか、不思議そうな顔をする。
背が高うて隣から見上げるほどやのに、しゃらりと肩で落とした髪が揺れて、心臓に悪いくらい格好がええ。そんな阿呆なと思うけど、薄闇の中で、振り返ったお弟子さんの居るところだけ光って見えるみたいや。
こうやって見ると、イェドさんはほんまに浮き世離れした男前なんやな。
「うちが言うたらいかんかもしれんけど。寂しいんとちゃう?」
木賃宿の裏は、ぽつぽつと人が居るのに表が嘘みたいに静かで、周りは少しずつ暗くなる。遠くにカラスの声がする。
「なんや、しんどそうやから。あのな、一緒に来る言うてくれてうちは嬉しかったけど、村はほんまに何もない田舎やし。うち、村に一回帰って皆に顔見せたら、聖都にいっても平気やよ?」
「……」
「イェドさんも、お師匠さんと離れて寂しいやろし」
「……いや」
頭の上で、急にイェドさんがくすりと笑う気配がした。最近ずっと歯痛みたいな顔しとったのに、珍しい。
「師と離れるのが嫌という訳ではない」
「そうなん?」
「新しい場所へ行くのに、少し緊張していただけだ」
「……やって、イェドさん、お師匠さんとずっと旅しとったんやろ。そんな毎回緊張したら大変やん」
「うん」
なんでか、その『うん』にどぎまぎして、うちは慌ててお弟子さんと反対のほうを向く。
裏庭の物置小屋の剥げた壁と、その向こうの夕陽を見た。その時のうちは兄貴が買ってきた、何の飾りもないおばちゃんみたいな服を着とって、はよ陽が沈めばええのにと思た。
***
お弟子さんの村での暮らしは、世話係を誰がやるかで熾烈な女の争いがあった訳やけど、結局はうちの家に落ち着いた。
とはいえ村に来るとすぐ男衆が山へ連れ歩いて、ろくに居らんのけど。山から薬草を取って降りてきて、無精ひげの時もやっぱり男前やけど、こんなんお師匠さんが怒らんやろかと心配やね。
ああそう、村はうちが攫われた家畜小屋のほうまで行かんかったら、結構守りが堅くて安全なとこらしい。
……山に急に冬が来て、息は白い。
そんな日の昼過ぎ、ここしばらく村を出とったイェドさんが家の戸を叩いた。
「コナ。ハイラハへの沙汰がほぼ決まった」
何度も説明させるんは悪いから、親父が戻る夕方に聞くことにしたけど、予想通り村中の皆がうちに集まったんはご愛嬌やね。
あれから半年、うちにとっては今更なくらいやけど、前例からいけば、異様な早さみたいや。で、結局のところ異端審問は行われんそうや。
これにはお師匠さんが随分と暗躍したらしい。
『別れる前に聞いておくが。嬢ちゃんは、どんな結末を望むんじゃ?』
『ほんまは、うちを殺そうとした人らが生きとるんは、怖いし気持ち悪い。けどハイラハの領主の人を殺したかて、こんなんが起こらんようになるとは思えん。それがいちばん嫌やと、思います』
事が発覚したんが、城壁宿であることを、お師匠さんは最大限に利用した。
結局、異端審問の波紋を国中に広げることなく、だが今回の一件をただの娘の誘拐としてとり扱うこともなくするためには、他の手段がなかったらしい。けどそれは、地方都市の力を削ぎたい王都の思惑と嵌った。
ハイラハの外にあるうちらの村は、徴税区としてはハイラハに属するけど、建前としては王都の領地になる。
その民の管理はハイラハの管轄やけど、村に居る限りはうち自身も王都の持ち物になるんやって。知らんうちに、会ったこともない王様のもんやて言われるんも変やけどね。
<ハイラハ領主一族はその無知蒙昧により、我が天領の民を幾人も攫い傷をつけた。農作の基本である治水を怠り、その結果を怪しげな宗教儀式で埋め合わせるのは、許しがたい怠慢である>
沙汰によって領主は隠居させられ、その一族は王都から来る監視者の下で私財を擲って治水工事を行うことになるらしい。
王都にこの事件を奪われる形となった聖都は、せめてもと「人を生贄に捧げるなどという野蛮な信仰は、我々の教義とまったく相容れない」という声明を出して、もっと布教活動に力をいれていくみたい。
……ちっぽけな田舎娘の誘拐事件が、こんなおおごとになるなんて、普通では考えられんことやけど。
幸運なことに、うちが城壁宿に居ったんは、まだハイラハへの入国手続きを済ませとらんって事で、これはぎりぎりでハイラハに裁判権がなくなる事になるらしい。
逆に言えばもしハイラハに入国後うちが殺されても、慣例でいえば、領主が勝手に裁いて何の問題にもせんで良かった。
でも、や。ほんまは城壁宿はハイラハが作って運営しとるんやから、あれもハイラハ内といえば内やんな?
うちにはもう何がおかしくて何が正しいのかは分からんけど、この辺りの矛盾とか問題を王都の王様らはもっと突いて、もともと面白うなかった地方都市の城壁宿の関税の仕組みをなんとかしようと思てるんやって。
あ、そんなんより大事なんは、うちより前に攫われた娘達の事やな。
最近は女の伝統髪……赤ん坊の頃から伸ばした髪をぎょうさん三つ編みにして垂らすんは流行遅れで、うちらの母親の世代から田舎のほうでしか見られんみたい。やから領主から仕事を請け負った奴らのとこに、娘をどの村で攫ったかて 覚書が十数年分は残っとった。記録がある村へは知らせが行き、それより前のことは、これからや。兄貴らも仕事として、そのへんの調べを請け負うことになったって。
***
ところでまた話は、半年前に戻るんやけど。
兄貴と三人、山の麓についた時点で、どこから聞きつけたのやら村の婆から赤ん坊を抱えた新妻まで女という女は全員迎えに来たんには笑ってしもた。
『おお心配したで、コナやぁ!』
心配してくれたんは嘘やないでも、今年八十の隣の婆ちゃんがうちの頭を撫でながらチラチラお弟子さんを見とるんやから、狙いは明らかや。
足の先から頭のてっぺんまで品定めをした後、コヨシ婆ちゃんはニヤリとして、うちに何度も頷く。
『でかした、コナ、ええ婿連れてきたな』
『……ちゃうやろ! イェドさんは、坊さんやん!』
イェドさんは黙ってちょっと赤くなっとった。ほんま、真面目やなぁ。
了
2011/11/14追記:
これにて蛇足番外も完結、あとがきは後日活動報告に記載予定です。