03 墓前
線香を立て、静かに手を合わせる。
閉じていた瞼をゆっくりと開き、遼は息を吐き出した。彼の眼前には、父の名前が彫られた墓石がある。
あの事件で遺体は見つかっていないが、数年が経過してもなお消息が分からなかった時点で、父は帰らぬ人として扱われた。骨の代わりに墓石の下部に収められているのは、火災現場で見つかったという一枚の写真だ。
家族四人が笑顔で写っている、集合写真。父はそれを、いつも肌身離さず持ち歩いていた。発見されたとき、写真は四隅が黒く焼け焦げていて、炎の激しさを想像させた。
そんなことを考えていると、遼は妙な気分になった。
確かに、この墓には父の名前が刻まれている。けれども、父が亡くなったという確たる証拠はどこにもない。あるのは父の遺した一枚の写真だけだ。
今までは、腑に落ちない部分がありながらも墓参りをこなしてきた。しかし十回忌だからだろうか、遼はこの状況にどうも満足できなかった。
おもむろに立ち上がり、駐車場へ向かう。灰色のバイクに跨り、遼はスロットルを強く握った。
色々と考えたが、結論はこうだった。
(父が最後に訪れた場所へ赴くことが、本当の意味での墓参りになるんじゃないか)
麓にバイクを停め、遼は山へと続く細い道を歩き出した。ほどなくして、「危険 立ち入り禁止」と書かれた黄色と黒のロープが張り巡らされているのが目に入る。
このロープより前は、十年前に自分たちが住んでいた街。そしてここから先は、父が救助活動を行って命を落とした山岳地帯だ。
背後に広がる街並みには、ファイア・ボムの傷跡が痛々しく残っている。建物という建物が黒焦げになり、五割程度は倒壊して原型をとどめていない。骨組みだけになり、鉄骨が剥き出しになったものも多い。相川家の住んでいたアパートがどれなのかなんて、分かるはずもなかった。
十年が経った今も、趙火災からの復興は成し遂げられていない。自分たちのような被災地の住民は、故郷を離れ見知らぬ街で暮らすしかないのだ。自然はときに恐ろしく、無慈悲である。
遼はためらわずにロープを踏み越え、歩みを進めた。
かつて超高熱に晒された大地は、ところどころが黒ずんで見えた。低木がまばらに生えているばかりで、山というよりは林みたいだった。
以前、父の同僚だった男性から話を聞いたことがある。彼曰く、父の乗った消防車は山の中腹部に立つ小屋を目指していたそうだ。多分、そこで救助活動を行おうとして父は命を落としたのだろう。
とはいえ、その小屋が無傷で残っているわけがない。男性によれば小屋は木造だったらしく、火災で焼失した可能性が高い。痕跡だけでも見つかれば良い方だろう。
しばらく周囲をうろうろと歩き回ってみたが、手掛かりはまるでなかった。ため息をついて足を止める。
(仕方ない。過度な期待は禁物だ)
ともかく、十年前の父と同じ場所に立つことが重要なのだ。ここに来ただけでも十分すぎるくらいの価値がある。
踵を返し、遼が来た道を戻ろうとしたときだった。
不意に人の気配を感じ、背筋が泡立つ。はっとして振り向くと、十メートルほど離れた木の影に、白い装束を着た人物が立っていた。
化粧気のなく、青白い顔。長く伸びた黒髪。
彼女は無表情に、ただ遼のことだけを見つめていた。
(何なんだ、あいつは)
一体、いつからそこで自分を観察していたのだろうか。遼は今まで全く気がつかなかった。
いや、というよりも、彼女はどこから現れたのか。
(気味が悪いな)
そう思い、足早に立ち去ろうとした遼の行く手にも、装束を纏った人物が立っていた。彼よりも少し背が高く、肩幅が広い。どうやら男性のようだった。
道を塞がれて進退窮まった彼へ、白装束を着た男女が近づいてくる。二人を交互に見ながら、遼は冷や汗をかいていた。何が起ころうとしているのか、彼には皆目分からなかった。
やがて、女の方が唇を動かす。ハスキーな声が滑らかに零れ出た。
「定められた手順に従って、侵入者は処理しなければなりません」
「同意する。我々の秘密を知られるわけにはいかない」
今度は男が低い声を出す。彼らは片手を前へ突き出し、遼へと向けた。
次の瞬間、二人の手のひらから勢いよく炎が噴き出た。予想だにしない攻撃を、遼は避けることができなかった。
「うわっ」
あっという間に全身が炎に包まれ、遼は悶えた。想像を絶する高熱が皮膚を焼いていく。
死の直前、父もこんな感覚を味わっていたのだろうかと、薄れゆく意識の中で思った。




