02 過去
また同じ夢を見ていた。
あの日の出来事を忘れることは、おそらく一生ないだろう。
鳴り続ける目覚まし時計を叩いて止め、遼は気だるげにベッドから起き上がった。布団から這い出して顔を洗い、パジャマを着替える。
といっても、彼は自由業だ。決まった時間に出勤する必要はなく、したがって朝の身支度はのんびりと行われていた。
冷蔵庫から取り出した卵を割り、手早く目玉焼きをつくる。同時進行でトーストを焼き上げ、それに目玉焼きをサンドする。シンプルな朝食の完成である。
エッグトーストを頬張りながら、遼は今日の予定をチェックしていた。本日中に仕上げなければならない記事が二つあるが、どちらも途中までは書いている。さほど時間はかからないだろう。
手帳を眺めていて、不意に今日の日付に目を止めた。寝ぼけていたせいか、この瞬間まではそれを意識していなかった。途端に緊張が走り、無意識に背筋が伸びる。
七月二十二日。
十年前、のちに「ファイア・ボム」と呼ばれることになる、あの大火災が起こった日だ。
そして、父の命日でもある。
関東内陸部の山林がほぼ例外なく焼き尽くされた、未曽有の大災害。それが「ファイア・ボム」の全容であり、死傷者は数え切れないほどである。爆発的に火が広がったことから、その名称がつけられた。
相川壮一の遺体は見つかっていないが、亡くなったとみて間違いないだろう。炎の中で懸命な救助活動に当たった彼は、あの日から行方が知れなくなっている。同様の経緯で行方不明になった人々も相当数いるはずだ。
大火災の奇妙な点は、出火原因がいまだに分からないことである。単なる山火事だとするには、つじつまの合わない部分が多い。
最初に炎が上がったと推定される地点は、薄暗くじめじめとした森の中だ。そのような湿度の高い場所で、山火事が発生するだろうか。専門家の答えは否である。
何か所かで同時多発的に火事が起こり、燃え広がった炎が合体するようなかたちで被害が一気に拡大したのも不可解だ。通常なら、自然界で起こり得る現象ではない。
火災の影響は陸地のみに留まらない。大量の灰が降り注いだ結果、海は黒くなり、漁獲量が激減している。大気汚染も深刻化している。
遼がフリーライターとして活動している理由の一つは、ファイア・ボムの真相を解き明かすためだった。
ピコン、と携帯端末が音を立てて通知を知らせる。
手帳に記された日付を見て、物思いに耽ってしまったらしい。我に返り、遼は端末を手に取った。
『お兄ちゃん、おはよう!』
四歳下の妹、すみれからのメッセージが三件。
『元気にしてる? お兄ちゃんが東京に行っちゃってから、こっちは少し寂しいです。仕事が暇になったら、また帰ってきてね』
分かった、また今度行くよ、と独り言ちる。
大火災から避難した相川家は、仮設住宅で一年ほど暮らした後、静岡にある親戚の家に身を寄せていた。母と妹はまだそちらで暮らしているが、遼は「関東の方が仕事の都合がつきやすいから」と、独立してからは東京に住んでいる。
『それと、今日はお父さんの命日、十回忌だね。近いうちにお墓参りに行くと、お父さんも喜ぶんじゃないかな』
十回忌というと、何か特別な響きがある。
神奈川に建てられた父の墓へ向かうには、少々時間がかかるだろう。だが家族として、息子としてやらねばならないことだ。
早速行ってくるよ、とすみれに返信し、遼は牛乳でエッグトーストを流し込んだ。
ひとまず記事の作成は後回しにして、父の墓前で手を合わせることに決めた。