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やれるだけやってみる剣闘士  作者: こんたくみ
幼年期・マンナ
20/70

番外戦「手のとどく場所」

前話の最後から、少し時間を巻き戻しての話になります。

 扉を後ろ手に閉めて、なに思うでもなく、足は書斎へ向かった。

 書斎に入れば、簡素だが頑丈な、褐色の机と椅子が一脚ある。

 両脇の本棚が道を作っているようだから、迷いなく椅子に座り、机に突っ伏した。


 怒りで人を殴ったことは何度もあったが、哀しくて人を殴ったのは初めてだ。

 しかもそれが我が子だ。

 俺は父親失格だ。


 アサツキはずっと、俺やアザミから離れて生きていた。

 理由はどうしても分からないが、きっと俺達がなにかしてしまったに違いない。

 言い訳はしたくないが、それでもやはり、アサツキとスクモが生まれた時には、色々ありすぎた。


 どこかでなにかが狂ったのか。

 その狂いが、悪い形で出てきた。

 最悪の結果にはならずに済んだが……。


 コンコン、と軽く木を叩く音がして、振り向いた。


「シュウ、いる?」


 決して人を不快にさせない、柔らかくも芯の通った声が聞こえた。


「ああ、入っていいぞ」


 現れたアザミは、申し訳なさそうに笑った。


「魔導師様は、お礼を受け取らずに帰ってしまいました」

「仕方ない。機会があれば、そのときにする」


 アザミが歩み寄り、俺の膝の上に乗った。

 俺が金色の巻き毛を指で梳くと、アザミは俺の輪郭をなぞるように、白く長い指を頬に添えた。


「それから、スクモの目から血が出ていたから――」

「なんだと」


 咄嗟に立ち上がろうとして、アザミに肩を掴まれた。


「薬は差しておきました」

「呪いじゃないのか?」

「多分ね。念のため、あとで貴方が診てあげて」

「ああ」


 アザミの、青空のような碧眼を見詰めていると、少し気分が晴れた。


「なあ、アサツキのこと、どう思う?」

「無鉄砲。誰かにそっくり」

「そっくり?」

「ええ、誰の助けも借りたくないって思ってるところなんかも、誰かにそっくり」


 そんなもの当然と言わんばかりに、アザミは事も無げだ。


「……スクモの目を診てくる」

「いってらっしゃい」


 天使のように微笑んで、アザミは俺の膝から下りた。


 スクモは居間の椅子に座って、呆けたように脚をぶらつかせていた。

 この子は考え事をしているとき、こうやって上の空になる。

 邪魔をしてはならない、神聖な時間だと、勝手に思っていた。


 隣の椅子に座るが、スクモに反応はない。

 アサツキが俺に似ているとしたら、スクモは誰に似ているんだ。

 やはりアザミか。

 俺があまり目にしないだけで、アザミにもこういう面があるのかもしれない。


「父君、私になにか用か」


 スクモの面白いところは、大人ぶりたがるところだ。

 いつでもアサツキの後ろに付いて行き、その上でませた(・・・)言動をしたがる。

 きっと兄の気を惹きたいのだ。

 どうあっても、アサツキはつれないらしいが。


「何度も言ったが、父君母君という呼び方は相応しくないぞ」

「こう呼びたいのだ、気にしないでくれ」


 意固地なところは、俺似ということか。

 いや、案外アザミもそういう部分があるから、一概には言えない。


「目を診せてみろ」


 スクモは嫌そうな顔をした。あまりにも露骨だったので、苦笑した。


「薬は差さん、診るだけだ」


 不承不承、スクモは体を俺に向けた。

 じっと見上げる右目には、確かに血の流れた痕跡がある。

 指を目の下に当て、結膜を見るが異変はない。


「上を向いてみろ」


 眼そのものに、怪我は見当たらない。

 だが、この血は明らかに眼から出ている。

 眼の下から漏れ出したように見える。


「なにか……怪我に心当たりはあるか」

「擦ったら血が出ただけだ、大事にはならん」

「擦っただけで血が出るようなら大事だぞ」


 憎々しげな目をスクモがしたので、手を離した。


「わかった、もういい」


 訊かれたくないことの一つや二つ、子供にだってあるものだ。

 撫ぜようと、頭に伸ばした手が弾かれた。

 敵意に満ち溢れたスクモの表情に、内心で竦んだ。


「それは許さん」


 吐き捨てて、スクモは居間を出て行った。

 反抗期はまだ先のことだと思うのだがな。

 溜め息一つ。親というのは難しい。


 叱り付けるのは簡単だ。間違いを指摘するのも簡単だ。

 褒めることは容易いし、おだてることも苦労はしない。


 なのに、彼らを一個の人間として見たとき、なにが正しいのか分からなくなる。

 自分の言っていることや、やっていることは真実、正しいと言えるのか。

 アサツキやスクモには、アサツキやスクモなりの感じ方があり、考え方がある。


 俺が正しいと思う人間に育てたところで、彼らにとって正しくなければ、恨まれるだけではないか。

 アサツキはアサツキらしく、スクモにはスクモらしく成長してもらいたい……。


「考え過ぎだな」


 気分転換に、店を開けることにした。


「アザミ、いるか?」


 台所に入ると、アザミが昼食の用意をしていた。


「どうかした?」

「アサツキの容体が良くなったからな。昼食を済ませたら、店を開けるぞ」

「はい、わかりました」


 アザミは莞爾として笑み、いそいそと食べ物を器に盛る。


「アサツキたちを呼んでくる」


 子供部屋へ向かうと、廊下でシュラと出くわした。

 物憂げに視線を落として、元気がない。


「ご飯だぞ、シュラ」

「はい」


 とぼとぼ歩くシュラの様子に、いたたまれなく、声を掛けた。


「どうかしたのか」


 くるりと振り向いたシュラの碧眼に、期待と不安の入り混じる、光が宿った。

 己の行いに迷いはない、けれど縋るしかない、と言ったところか。


「ぼくに薬のことを教えてください」


 いつか、そう言われる日がくるかもと思っていた。

 或いは、一生、言われないかもと思っていた。

 言われるとしたらアサツキだろうなと、そうも思っていた。


「何故だ?」

「もういやです」

「なにがだ」

「兄さんに置いて行かれたくない」


 目を歪めて、今にも泣きそうなシュラは、俺の服の裾を、ひしと掴んだ。

 どうして、薬のことを覚えれば、アサツキに置いて行かれないことになるのか。

 そもそも、アサツキはシュラを置いていったなんて、考えもしていないだろう。


 シュラにはシュラの感じ方があり、考え方がある。

 俺に出来ることはなんだ。

 もっとうまいやり方がある、とでも言うか?

 心配しなくても、アサツキはお前を置いて行ったりはしないと、励ますか?


 きっと、どちらも違う。

 シュラの選択が最良でなかったとしても、それはシュラ自身で学ぶべきことだ。

 横合いから俺があれこれ指図したって、本当の意味でシュラに成長はない。

 なら俺は、シュラの選択が最善だと信じて、その背中を押してやるだけだ。


「いいだろう、薬のことを教える。お昼ごはんを食べたら、俺と店に出るぞ」


 シュラはいつもの、煌めいた笑顔を取り戻し、「はい!」と元気良く頷いた。


 食卓へ向かうシュラを見送って、歩き出す。

 子供部屋の手前で、なんだかもどかしそうに、スクモが扉の隙間を覗いていた。


「なにをやってるんだ?」


 びくりと肩を震わせて、スクモがこちらを見た。

 なんでここにいるんだ、とでも言いたげな顔だ。

 俺の家に俺がいるのは当たり前だが。


「な、なにか用か……」


 警戒を顕わに、スクモは軽く身構えた。

 その様子が可笑しくて、微苦笑する。


「昼ごはんだぞ」

「そうか」


 澄ました顔で、スクモは俺の横を通り過ぎた。

 心なしか、足取りがせかせかしている。

 可愛げがあるんだかないんだか。


「さて」


 正直、顔を合わせるのが辛い。

 どんな顔をしていれば良いんだ。

 何事もなかった風が良いのか、あくまでも厳かな態度を貫くのか。

 できれば自然体が良い。その方が気楽だ。


「よし」


 自然体、自然ってなんだ。

 普段、どんな接し方をしていたかな。

 アサツキは今、どんな気持ちだ。せめてそれくらい分かっておかないと、とんでもない失言や行動をしてしまうかもしれない。


 いや、いくら悩み抜いたところで、人の気持ちなんてわかりはしない。

 俺に出来ることは、一人の人間として、アサツキと向かい合うことだけだ。


 扉を叩くと、アサツキは「どうぞ」と返事をした。

 扉を開けると、ベッドから上体を起こして、こちらを見るアサツキがいた。

 恬然とした態度に、些か不安にさせられる。


「昼食だが、食べに来れるか」

「行けます、もう動けます」


 するりと、アサツキはベッドから降りて、俺の前に立った。


「行きましょう」

「ああ」


 アサツキの頭を撫でた。

 こうしないと、なんとなくだが、アサツキはすぐに何処かへ消えてしまう気がする。

 迷惑がるでもなく、嬉しそうにするでもなく、淡々と、俺に頭を撫でさせるアサツキがなにを考えているのか、まるでわからない。


 試しに、手を差し伸べてみた。

 アサツキは俺の手を見て、躊躇うことなく手を繋いだ。

 素朴な行動の一つ一つが、アサツキの心を知る手掛りだ。

 表情に乏しく、論争を好むわけでもないアサツキは、ある意味で誰よりも純粋だ。

 上辺を繕わないのだから。


 繋いだ小さな手の感触に安心しながら、俺とアサツキは食卓に着いた。

 スクモとシュラはいるが、アザミがいない。


「アザミはどうした」

「母さんはトイレに行きました」

「吐きそうな様子だったぞ」


 そう聞くと放っておく気にもなれず、席を立ち、様子を窺いに行った。


 トイレの扉が開け放しになっており、中に嘔吐するアザミがいた。

 慌てて垂れる髪を持ち上げ、背中を擦る。


「おい、どうした」

「ご、ごめんなさい」

「病気か、症状は」

「ちがうの、そうじゃないの」


 少し落ち着いたアザミに、口を濯がせた。


「ありがとう、落ち着いた」

「それで、どうしたんだ?」

「アサツキがいなくなったこともあって、いつ言おうか迷っていたのだけれど……」


 そう言いながら、アザミはそっと、下腹部の辺りを撫でた。

はにかんだ様は、正しく慈母だった。




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