番外戦「恨めしき人」
たった一つ、牢が設けられているだけの部屋。
温かみを感じる魔晶灯の光が皮肉に思える。
冷たい鉄格子の内側に、膝を抱えるようにして座り込む少女。
シンシャさんからの依頼の品だ。
手元の資料兼報告書に目を通す。
クロバイロ・アダナネラ・マンナ、剣闘士アダナの実娘だが、法律上、縁は切れている――。
手に目を遣る。
左手の小指と薬指が失われている。
塩になって崩れた。どんな治療魔導具も効かなかった。
屈み込み、虚空を茫然と見詰める少女の、瞳に注目する。
前髪で隠れてよく見えないが、数刻前までは確かに、細く白く光る切り傷があった。
証拠に、小さな鼻梁にはまだ一筋の傷痕が残っている。
しかし瞳にはない。消えてしまった。
今あるのは飽くまで黒い、別世界を内包したような球面だ。白い橋はもう落ちた。
「似ていやすね……」
スクモさんの眼を思い出す。あの人もそうだった。
脳裡に浮かんだスクモさんの姿は、いつもの麗しくも凛然とした、神秘的な憂いを帯びた姿ではなかった。
可憐で、まるで愛らしさの結晶だった、あの小さなスクモさんだ。
「くふふふふ」
自然と笑いが口から漏れ出す。
スクモさんには傅くものだと思っていた。
疑いもしなかった。他の可能性なんて、考えもしなかった。
それで幸福だった。
だがあのスクモさんの姿、あれはなんだ! なにがあった!
あれは傅くものではない。
愛でるものだ。
愛でて愛でて愛で倒すものだ。
「ふふふ、ふふっふふふ、ふはははははは!」
あの一瞬の恐怖した表情、瞼に焼き付いて離れない。
今のスクモさんは恐らく弱い。
魔導具が全くないはずだ。
だからオサカベを召喚したのに違いない。
涎を吹きつつ、今後のことを夢想する。
「手始めに保護ですね」
「その娘っ子をか?」
背後からした声に、反射的な抜剣で応える。
しかし振り向き様、茶褐色の手に剣の柄を押さえられた。
そのまま剣が鞘に押し戻される。
抵抗して力を込めても、手は大岩のようにびくともしない。
「チシャさんでしたか」
さらにチシャさんの片手は、盛り上げた赤髪を束ねる白銀のバレッタを掴んでいた。
格好は肩や腕、脚が剥き出しになった、鱗を接いで作った軽鎧だ。
胸の谷間が強調されている。
ないわけではないのだが、もしスクモさんにもこれぐらいあったらな――……。
「おい、いつまで構えてんだ。ぶった斬られてえのか」
白銀のバレッタを動かし、きらりと光らせた。
「おっと、すいやせん、つい」
構えを解くと、チシャさんは表情を変え、わくわくとした様子で、牢屋の少女を見詰め始めた。
「ありゃなんだ?」
「あれはシンシャさん向けの商品ですよ……どうやってここを見付けたんです?」
「姿隠して匂い隠さずってな」
「あちらこちらで香を焚いておいたんですがねえ」
徹底的にひた隠しにしてきた、秘密部屋だったのだが、この人にばれてはもうダメだ。
この少女はシンシャさん向けだからともかく、他所向けの商品だったら無事では済むまい。
「あの娘っ子、なにができるんだ?」
資料の紙を手渡すと、貪るように読み始めた。
「お前の手もこの娘っ子が?」
「そうです。治りません」
「決めた、あたしが貰うぞ」
背筋が凍りつく感覚を覚える。
「ちょ、ちょっと、シンシャさん向けって言いましたよね!?」
「シンシャにはこいつのこと、もう伝えてあるのか?」
「いや、それはまだですが――」
「なら問題ない。あたしが貰う」
嚢を投げてよこされた。ずっしりとした重みがあり、中は金貨で満杯だ。
「前金だ、やる」
「いや、そう言われましても、この娘はあの実験に関わる――」
「ナムヂ」
「はい、すみません。どうぞお受け取り下さい」
牢の鍵を差し出すと、奪うような勢いで掴み取った。
早速、鍵を開けて牢屋に入る。
ガシャアンと響いた鉄格子の音に、責められたような気がした。
どこかでシンシャさんが監視しているような気さえする……。
チシャさんが少女の目の前に屈み込む。
こっちはスクモさんのことでも妄想していよう。
どうせ逆らっても無駄だ。
「シンシャさんになにか言われたら、チシャさんが無理矢理……って言いますからね」
チシャさんは少女を見たまま、手をひらひらと振った。
「よお、あたしはチシャだ。お前はあたしが買うから、よろしくな」
「……ん」
「ん?」
呪文のように、少女は唱えていた。
「おかあ、さん、おとうさん、アサツキ、くん……」
「おい、見えてるか?」
チシャさんが少女の眼前で手を振る。少女に反応はない。
「アサツキって誰だ」
こちらに向いて訊ねた。
「その娘といた、同い年くらいの男の子ですよ」
「ふ~ん、どうだった、そのガキは?」
どうだった、というのは当然、強いか弱いかのこと。
この場合、見所があるかないかだろう。
「話しによれば、砂の魔導と、血魔法を扱ったそうですよ」
「ほう、そうかそうか」
立ち上がったチシャさんは、少女の腕を掴んで引き摺った。
「取り敢えず養成所に行こう」
少女は自分で歩こうとしない。僅かにだが、抵抗している。
「なんだよ、出たくないのか?」
「ここに、いる」
「変わった奴だな」
「アサツキ、くんが、来てくれる、から、ここに、いる」
ぽそぽそと、聞き取るのがやっとの声。
虚空を見詰めているように見えた眼の焦点が、鉄格子に定まっていると気が付いた。
「アサツキくんとやらは、ここには来ないぜ」
少女がチシャさんを見た。
前髪が表情を遮り、どこか白痴のような、まるで幻覚の中に生きているような印象を与える。
挙動の一つ一つが、儚げな危うさを持っている。
ぞっとするほど白い肌に対照的な、鮮血のように紅い唇が目立つ。
将来は控えめに見積もっても上玉になる。
これならチシャさんに売るのも、致し方ないと思えてくる。
明らかにシンシャさんでは、この奴隷の価値を生かしきれない。
チシャさんなら十全に輝かせるだろう。
「あたしと来るなら、アサツキと会わせてやってもいい」
「ほん、と?」
「ああ、但しすぐにってわけにはいかない。何年か経って、加えてお前が優秀だったらの話しだ」
迷うことなく、少女は頷いた。ころっと騙されたと言っていい。
「じゃ、手続きよろしくな、ナムヂ」
「わかりやした」
チシャさんに引っ張られながら、少女はよたよたと歩く。
部屋を去り際、少女が言った。
「うらむ、って、どうやるの?」
「うん、恨む、か? 妙なこと訊くな……そうさな、一生、片時も、相手を殺すまで、忘れないでいたら、恨むことになるんじゃねえか?」
「わかった」
チシャさんの後ろ姿を見送り、深い溜め息一つ。
目上に無茶な人がいると苦労する。
まあ、スクモさんで慣れたものだが。
「くふふふふ」
ああ、スクモさん、どうしてくれようか。
いたぶる方法は百通りは考え付いて、埃を被っている。
これからが楽しみだ。
愛しの人よ、貴女は私が守ります。
そしてこの体の恨み、必ず晴らします。
外に出るため、甲冑を着直す。その間にも、笑いが込み上げて止まらない。
「ふふふ、ふふっふふふ、ふはははははは!」




