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やれるだけやってみる剣闘士  作者: こんたくみ
幼年期・マンナ
21/70

番外戦「恨めしき人」

 たった一つ、牢が設けられているだけの部屋。

 温かみを感じる魔晶灯の光が皮肉に思える。

 冷たい鉄格子の内側に、膝を抱えるようにして座り込む少女。

 シンシャさんからの依頼の品だ。


 手元の資料兼報告書に目を通す。

 クロバイロ・アダナネラ・マンナ、剣闘士アダナの実娘だが、法律上、縁は切れている――。


 手に目を遣る。

 左手の小指と薬指が失われている。

 塩になって崩れた。どんな治療魔導具も効かなかった。


 屈み込み、虚空を茫然と見詰める少女の、瞳に注目する。

 前髪で隠れてよく見えないが、数刻前までは確かに、細く白く光る切り傷があった。

 証拠に、小さな鼻梁にはまだ一筋の傷痕が残っている。

 しかし瞳にはない。消えてしまった。

 今あるのは飽くまで黒い、別世界を内包したような球面だ。白い橋はもう落ちた。


「似ていやすね……」


 スクモさんの眼を思い出す。あの人もそうだった。

 脳裡に浮かんだスクモさんの姿は、いつもの麗しくも凛然とした、神秘的な憂いを帯びた姿ではなかった。

 可憐で、まるで愛らしさの結晶だった、あの小さなスクモさんだ。


「くふふふふ」


 自然と笑いが口から漏れ出す。

 スクモさんには(かしず)くものだと思っていた。

 疑いもしなかった。他の可能性なんて、考えもしなかった。

 それで幸福だった。


 だがあのスクモさんの姿、あれはなんだ! なにがあった!

 あれは(かしず)くものではない。

 愛でるものだ。

 愛でて愛でて愛で倒すものだ。


「ふふふ、ふふっふふふ、ふはははははは!」


 あの一瞬の恐怖した表情、瞼に焼き付いて離れない。

 今のスクモさんは恐らく弱い。

 魔導具が全くないはずだ。

 だからオサカベを召喚したのに違いない。


 涎を吹きつつ、今後のことを夢想する。


「手始めに保護ですね」

「その娘っ子をか?」


 背後からした声に、反射的な抜剣で応える。

 しかし振り向き様、茶褐色の手に剣の柄を押さえられた。

 そのまま剣が鞘に押し戻される。

 抵抗して力を込めても、手は大岩のようにびくともしない。


「チシャさんでしたか」


 さらにチシャさんの片手は、盛り上げた赤髪を束ねる白銀のバレッタを掴んでいた。

 格好は肩や腕、脚が剥き出しになった、鱗を接いで作った軽鎧だ。

 胸の谷間が強調されている。

 ないわけではないのだが、もしスクモさんにもこれぐらいあったらな――……。


「おい、いつまで構えてんだ。ぶった斬られてえのか」


 白銀のバレッタを動かし、きらりと光らせた。


「おっと、すいやせん、つい」


 構えを解くと、チシャさんは表情を変え、わくわくとした様子で、牢屋の少女を見詰め始めた。


「ありゃなんだ?」

「あれはシンシャさん向けの商品ですよ……どうやってここを見付けたんです?」

「姿隠して匂い隠さずってな」

「あちらこちらで香を焚いておいたんですがねえ」


 徹底的にひた隠しにしてきた、秘密部屋だったのだが、この人にばれてはもうダメだ。

 この少女はシンシャさん向けだからともかく、他所向けの商品だったら無事では済むまい。


「あの娘っ子、なにができるんだ?」


 資料の紙を手渡すと、貪るように読み始めた。


「お前の手もこの娘っ子が?」

「そうです。治りません」

「決めた、あたしが貰うぞ」


 背筋が凍りつく感覚を覚える。


「ちょ、ちょっと、シンシャさん向けって言いましたよね!?」

「シンシャにはこいつのこと、もう伝えてあるのか?」

「いや、それはまだですが――」

「なら問題ない。あたしが貰う」


 嚢を投げてよこされた。ずっしりとした重みがあり、中は金貨で満杯だ。


「前金だ、やる」

「いや、そう言われましても、この娘はあの実験に関わる――」

「ナムヂ」

「はい、すみません。どうぞお受け取り下さい」


 牢の鍵を差し出すと、奪うような勢いで掴み取った。

 早速、鍵を開けて牢屋に入る。

 ガシャアンと響いた鉄格子の音に、責められたような気がした。

 どこかでシンシャさんが監視しているような気さえする……。


 チシャさんが少女の目の前に屈み込む。

 こっちはスクモさんのことでも妄想していよう。

 どうせ逆らっても無駄だ。


「シンシャさんになにか言われたら、チシャさんが無理矢理……って言いますからね」


 チシャさんは少女を見たまま、手をひらひらと振った。


「よお、あたしはチシャだ。お前はあたしが買うから、よろしくな」

「……ん」

「ん?」


 呪文のように、少女は唱えていた。


「おかあ、さん、おとうさん、アサツキ、くん……」

「おい、見えてるか?」


 チシャさんが少女の眼前で手を振る。少女に反応はない。


「アサツキって誰だ」


 こちらに向いて訊ねた。


「その娘といた、同い年くらいの男の子ですよ」

「ふ~ん、どうだった、そのガキは?」


 どうだった、というのは当然、強いか弱いかのこと。

 この場合、見所があるかないかだろう。


「話しによれば、砂の魔導と、血魔法を扱ったそうですよ」

「ほう、そうかそうか」


 立ち上がったチシャさんは、少女の腕を掴んで引き摺った。


「取り敢えず養成所に行こう」


 少女は自分で歩こうとしない。僅かにだが、抵抗している。


「なんだよ、出たくないのか?」

「ここに、いる」

「変わった奴だな」

「アサツキ、くんが、来てくれる、から、ここに、いる」


 ぽそぽそと、聞き取るのがやっとの声。

 虚空を見詰めているように見えた眼の焦点が、鉄格子に定まっていると気が付いた。


「アサツキくんとやらは、ここには来ないぜ」


 少女がチシャさんを見た。

 前髪が表情を遮り、どこか白痴のような、まるで幻覚の中に生きているような印象を与える。

 挙動の一つ一つが、儚げな危うさを持っている。

 ぞっとするほど白い肌に対照的な、鮮血のように紅い唇が目立つ。

 将来は控えめに見積もっても上玉になる。


 これならチシャさんに売るのも、致し方ないと思えてくる。

 明らかにシンシャさんでは、この奴隷の価値を生かしきれない。

 チシャさんなら十全に輝かせるだろう。


「あたしと来るなら、アサツキと会わせてやってもいい」

「ほん、と?」

「ああ、但しすぐにってわけにはいかない。何年か経って、加えてお前が優秀だったらの話しだ」


 迷うことなく、少女は頷いた。ころっと騙されたと言っていい。


「じゃ、手続きよろしくな、ナムヂ」

「わかりやした」


 チシャさんに引っ張られながら、少女はよたよたと歩く。

 部屋を去り際、少女が言った。


「うらむ、って、どうやるの?」

「うん、恨む、か? 妙なこと訊くな……そうさな、一生、片時も、相手を殺すまで、忘れないでいたら、恨むことになるんじゃねえか?」

「わかった」


 チシャさんの後ろ姿を見送り、深い溜め息一つ。

 目上に無茶な人がいると苦労する。

 まあ、スクモさんで慣れたものだが。


「くふふふふ」


 ああ、スクモさん、どうしてくれようか。

 いたぶる方法は百通りは考え付いて、埃を被っている。

 これからが楽しみだ。

 愛しの人よ、貴女は私が守ります。

 そしてこの体の恨み、必ず晴らします。


 外に出るため、甲冑を着直す。その間にも、笑いが込み上げて止まらない。


「ふふふ、ふふっふふふ、ふはははははは!」




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