32話
森羅に正体と目的が露見してから早三日。
甘寧に残された時間は僅かに二夜となっていた。
初日は流石に動く気にはなれなかった。
二日目は孫権の意思確認を含め、今後の相談。
その時点で、孫権の中には既に暗殺計画を実行する意思は無い事は確認している。
だから、動くなら甘寧の独断と責任だ。
それを踏まえ、慎重に考える。
三日目──昨日は森羅に関する情報収集。
しかし、情報が操作・統制されているのか、誰もが似た様な話ばかり。
一歩踏み込もうにも、口下手な甘寧に世間話の体で巧みに情報を引き出したりする話術は無い。
ある意味、正しく森羅の指摘を痛感させられた。
そして、四日目の今夜。
甘寧は意を決して森羅の寝所へと忍び込んだ。
──いや、忍ぶ必要が無い程、堂々と入れた。
それこそ、扉の前で胸に手を当て、深呼吸をして、落ち着き、改めて覚悟を決めてから、声を掛けた。
冷静に、客観的に考えたなら、暗殺らしくはない。
だが、森羅にはバレている以上、忍ぶ意味が無い。
「それならば、潔く堂々と…」と。
甘寧は自身の独断であり、責任も自分が負う、と。
そう示す為に、そうする必要が有った。
「しっかりと準備して来た様だな」
「──っ!?、ち、違っ、これは──ぁアッ!?」
森羅に挑むも、あっさりと敗北。
悪足掻きも遣れば出来るが、それは悪手。
責任を負う以上、結果は潔く受け入れる。
その覚悟をして、挑んだのだから。
甘寧に抵抗する意思は無かった。
例え、この場で頚を刎ねられようとも。
だがしかし、実際は森羅は取り上げた甘寧の武器を部屋の卓上に置くと甘寧の左腕を引き、抱き寄せて寝台へと連れて行った。
驚きつつも、抵抗はしない甘寧。
初めて経験する口付けは強引だが、優しく。
それでいて、貪る様に激しくも、切なくさせる。
自身の身体を這い回る様に蠢く森羅の手にも。
不思議と嫌悪感よりも、快感や期待感が勝る。
甘寧自身、その感覚を言葉に出来無いのだが。
触れ合う程に、嫌悪感が薄れ、消えてしまう。
乱暴に衣服を脱がされる様を想像していた事も有り意外な森羅の優しい扱いには擽ったさを覚える。
そして、それを心地好く感じていた矢先。
こうなる事を想定して。
しっかりと身形や下着を準備していた甘寧は。
森羅の一言に強烈に羞恥心を掻き立てられる。
ただ、目の前に居る男は優しいが甘くはない。
一転して、甘寧を黙らせ、屈服させる様に。
急に激しく甘寧の身体を弄び、快楽を与え出す。
経験した事の無い事に甘寧は戸惑うばかりで。
森羅に抗議する余裕など微塵も見出だせない。
ただただ、自分が自分で思っていた以上に女で。
森羅に対して、無意識に惹かれていたのだと。
それを知る事で精一杯だった。
五日の滞在期間は、あっと言う間に過ぎ去った。
森羅に敗れた甘寧だったが、一線は越えていない。
「続きは後の御楽しみだ」と。
翌朝に森羅に言われ。
昨夜も甘寧は自ら森羅の寝所を訪れた。
孫権には申し訳無いと思いながらも。
甘寧は自分の感情と欲求に抗えなかった。
尚、それを察している周瑜は「やれやれだな…」と自分達が最早、森羅と縁を切れない状況だと理解し苦笑するしかなかった。
その周瑜も別れの直前まで森羅を求めていたが。
それは当事者の二人しか知らない事。
つまりは、無かった事に等しいと言える。
周瑜達を見送り、孫権は独りになる。
如何に嫁ぐ身とは言え、暗殺を企ては事実は残る。
それを考えれば、此処は敵地に他ならない。
しかし、孫権に抗うという選択肢は無い。
森羅と孫策の関係を崩せば孫策は、孫家は劣勢に。
…いや、絶望的な状況に陥る可能性が高い。
それ程までに森羅の影響力は強いのだと。
この数日で孫権は理解させられた。
周瑜からも孫策が官位と要職を得られる事が出来た最大の理由が「森羅と縁を結んだ結果です」とまで言われては事の重大さが解らない筈も無し。
それ故に、未遂とは言え、自身の浅慮は頭痛の種。
不幸中の幸いなのが、相手の森羅に自分の嫁ぎ話を破棄されなかった事だった。
そうなれば…どうなっていたのか。
想像しようにも出来無い程に。
何もかもが悪い方向に転がるとしか思えなかった。
その為、孫権は猛省し、覚悟を新たにする。
孫策の失態の尻拭いをさせられる。
そんな憤りしかなかった嫁ぎ話。
だが、実際には深い意図が有ると判った。
全てを教えられた訳ではないが。
少なくとも、今は自分自身の責任を負わなくては。
それが出来無いなら、姉に文句を言う資格は無い。
自分も、腹を立てた姉と同じ様に。
誰かに責任を負わせる事になるのだから。
周瑜と甘寧達が発った、その日の夜。
孫権は森羅の寝所へと呼ばれていた。
その目的や理由は考えるまでもない。
その為に、自分は此処に居るのだから。
当然と言えば当然の事。
今日までに心の準備をする時間は十分に有った。
与えられていたのだから。
今更、言い訳など出来る筈が無い。
言えば、「御前は何をしていたんだ?」と言われて責められても仕方が無いのだから。
「俺の事が気に入らないって顔だな、孫権」
ただ、それでも──それはそれ、これはこれ。
やはり、どうしようも無い感情は拭えないもの。
その為、初夜だと言うのに戦場で対峙している様な剣呑な眼差しを孫権は森羅に向けていた。
既に寝台の上で、手の届く距離で向き合っており。
下着を除けば、纏う夜着が一枚だけ。
当然、暗殺する為の武器も無い。
そんな状態でも尚、そういう態度を取る孫権は。
剛胆と言うべきなのか、何と言うべきなのか。
尤も、森羅からすれば、これも面白い事なのだが。
普通なら、不評や反感を買い、立場を危ぶめる所。
それを許容され、受け止められている。
客観的に見えれば、「貴女、彼に甘えてるわね」と言われても可笑しくはない状況に。
孫権は気付いてはいない。
それに気付いた時、どんな反応をするのか。
森羅は密かに楽しみだと思う。
──が、それを悟らせはしない。
自ら楽しみを減らす真似はしない。
その為に孫権の感情を逆撫でする様に振る舞う。
「…それは当然の事だと思うが?」
そう言って、「何をしているのよ、私はっ…」と心の中では頭を抱えてしまう。
何の為に森羅に嫁ぐのか。
その意味を理解していない訳ではないのに。
どうしても、孤立無援な状況に有るからなのか。
無意味に強気に出てしまう。
…意固地になっているのかもしれない。
自分の失敗で自分の首を絞めている癖に。
「私の所為じゃない」と言い張る様に。
そう思うと、愚かな自分の事が嫌になってくる。
それが余計に苛立ちを生み。
目の前の彼に打付けてしまう。
そんな卑屈で暗愚な自分に…本当に腹が立つ。
そんな私を見詰めながら、森羅は笑みを浮かべる。
苦笑している訳ではない。
嘲笑ったり、馬鹿にしている訳でもない。
まるで……そう、幼子を諭すかの様に。
…ただ、その態度が私の自尊心を傷付ける。
価値の無い、捨てるべき自尊心を。
私は、縋り付く様に大事にしているのだから。
滑稽過ぎて笑う事も出来無い。
「まあ、感情の上では仕方が無いだろうな
だが、その感情に価値は有るか?」
「──っ!?………それは、どういう意味だ?」
全てを見透かされている様な言葉と眼差し。
驚愕を、動揺を悟らせない様に抑えるけれど。
無意識に握り締めた掌には汗が滲んでいる。
「御前が此処に居る理由は何だ?
俺と伯符の協力の為の対価か?
伯符の失態を見逃し、不問にする為か?
或いは、伯符達を都合良く使う為の人質か?
それとも──伯符の命令で俺を暗殺する為か?」
「────っ!?、違っ──」
「だが、今の御前に何が出来る?」
「──っ!!、っ………~~~っ………」
否定しようとした言葉すら、斬り捨てられ。
無慈悲な程に、はっきりと。
自分の置かれた状況──現実を突き付けられる。
そして、何も言い返す事が出来ずに俯く。
どうしようも無く、自分が情けない。
無力である事が、ではない。
「遣れば、私でも何とか出来る」と浅はかな考えをしていた事がだ。
そんな物は自惚れにもならない。
無邪気で無知な子供の戯言と大差の無い事。
それを、漸く理解した。
…あまりにも遅過ぎる事だけれど。
「御前は判っているのか?
そんな態度では俺に伯符達への支援等も強請れず、閨で寝入った隙も狙えないと思うが?」
「…っ…………」
「もっと、はっきりと言われないと解らないか?」
「──っ…誠心誠意、貴男に尽くさせて頂きます」
其処まで言われては、理解出来無い訳が無い。
それ所か、今、如何に自分が恵まれているのか。
その事を痛烈に叩き付けられているのだと判る。
本来であれば、この話自体が消えただろう。
その代償として弄ばれ、殺され、捨てられていても何も可笑しくはない。
場合によっては自分だけでは済まず、冥琳と思春、同行していた数名も犠牲になっていた。
その可能性も決して低くはないのだから。
今の状況が如何に幸運なのか。
それが誰によって与えられているのか。
理解が出来無い程、私は恥知らずではない。
……本当に、今更なのだけれど。
せめて、態度で示そうと正座し、頭を下げる。
遅いが…無意味な抵抗意識は捨て去る。
「殊勝な態度は大事だな
ただな、孫権、間違うなよ?
物事の最善というのは主体次第だ
何を、何処に、その軸を置くのか
それによって違ってくるものだ
自分の事なのか、家や家族、友や仲間なのか…
或いは、主君なのか、民や国なのか…
それにより、選ぶべき最善は当然の様に異なる
孫権、今、御前にとっての最善とは何だ?
御前にとっての最悪とは何だ?」
「──っ!?、それ、は…………………っ…」
真っ直ぐに私を見詰め、諭す様に、訊ねる言葉。
その眼差しに、その声に、導かれる様に。
私の脳裏には様々な情景が思い浮かぶ。
その中から、私個人の事や、家族や親い者達だけに影響が限られている事を取り除く。
私が、私達が目指す未来とは、民の為のもの。
その為になら、自己犠牲は躊躇わない。
──否、躊躇ってはならなかった。
それなのに、其処に拘っていた自分が情けない。
何故、こんなにも当たり前の事に気付かないのか。
自分自身を叱責し、罵倒する言葉が溢れ出す。
しかし、そんな感情を払拭するかの様に。
彼の右手が私の頬に触れる。
それだけで、黒い靄の様な悪感情は霧散する。
「孫権、御前にとっての最善とは何だ?」
「──貴男の子を産む事です」
そう、自分自身でも驚く程に、すんなりと。
心の底から出て来た。
同時に、それが答えなんだと理解する。
迷いが消え、確信を得た事を讃える様に。
「そうだ、それでいい」と言う様に。
優しく微笑む彼の唇を私は受け入れる。
──が、そんな状況の中で。
不粋な程に、不要な疑問が思い浮かび。
消し去りたいのに、消えてはくれない。
自分でも、そんな性格が嫌になってくる。
「どうした?」
「…ぁ…えっと……その………ァッ!」
その疑問を言うべきか、悩んでいたら、彼の左手が夜着の中に滑り込み、肌を撫でる。
不意打ち──と言うのは可笑しいのだけれど。
集中していない──雑念の有る私が悪いのだから。
文句を言うのは御門違いなのだけれど。
流石に、少しだけ抗議はしたくなる。
…言いはしないけれど。
視線で抗議する。
その御返し、ではないのだけれど。
懐いた訊き難い疑問を打付けてみる。
「…その……私は、姉様の代わり…ですか?」
「それは自分で確かめてみるんだな」
そう言って彼は唇を塞ぎ、私を押し倒す。
はぐらかす様な返答だったけれど。
触れ合う肌から伝わる熱が物語っている様に感じ。
高鳴る鼓動が私の身体を更に熱く猛らせ。
思考までも蕩けさせてゆく。




