31話
「こうして顔を見るのは初めてになるが…成る程な
噂に違わず、伯符に似て美人だ」
「──っ、有難う御座います」
それが、謁見の間にて森羅と孫権の交わす最初の会話だったりする。
もし、この場に周瑜が居たなら、孫権に対して一言掛けているかもしれないが、生憎と不在。
──というよりも、森羅が意図的に再会を後回しにしていたりする事など孫権は知らない。
その上で、孫権に仕掛けている。
“噂を容易く信じる男”という隙を見せ。
同時に孫権の孫策に対する劣等感を煽る。
まるで、「御前は孫策の代用品だ」と言う様な。
そんな態度や視線を口調に加える事で。
その程は効果覿面。
一見、冷静に受け答えしている様に見える孫権だが苛立ちや憤慨が次第に滲み出ている。
それを森羅は勿論、謁見の間の中に控える家臣達も気付いているが──無視。
「煽るが気にするな」と言われているからだが。
そうでなくても、簡単には動きはしない。
森羅の実力を知るからなのは勿論だが。
こういった場での迂闊な言動が森羅の立場を悪くし自分達にも及ぶという事を理解している。
だから、本当に必要に為らない限りは。
装飾品の如く不動を貫く。
それ故に、親い面子は居ない。
感情的に為られては森羅にしても困る為だ。
そんな森羅の意図に気付きもしない孫権。
だが、それも仕方が無い事。
周瑜の病の件は孫家の方では孫策しか知らない事。
正確には、孫権が嫁いだ時点で重臣達にのみ教える事を森羅から言われている。
加えて、孫権は孫策と森羅の関係は知らない。
…まあ、それは周瑜との関係も、だが。
森羅は敢えて、孫権に情報を渡さなかった。
単純に孫権の好感を得ようと考えるなら、意図的に伏せている事を全てを話した方が早い。
寧ろ、孫権なら納得し、感謝を持って嫁ぐだろう。
その性格──生真面目で人一倍思い遣りの有る事を知っているのだから。
しかし、それでは足りないと森羅は考えた。
その程度の妻なら、劉備達で間に合っている。
寧ろ、末妹の孫尚香で構わなかったと言える。
要は、森羅の子供を産みさえすれば良いのだから。
実際、それが要求だと孫策も思っていた。
しかし、森羅を知り、理解すれば見えてくる。
森羅が求める理由は、そうではないのだと。
森羅が孫権を要求した理由。
それは戦力として成長させる為。
黄巾の乱では孫策の下、戦ってはいた。
だが、その程度の経験では殻を破り切れていない。
それを理解すればこそ、こうして仕掛ける。
今の孫権に一番必要で、足りない物。
それに気付かせ、身に付けさせる為に。
そんな二人の対面は何事も無く終了。
同行している者達は五日間留まり、孫権だけを残し入れ替わりに周瑜を加えて戻って行く。
滞在中の事等は簡単に説明され、詳しくは周瑜から説明する様にしていた。
その為、「常識の範疇で、自由を許されている」と言われれば、深読みしてしまうもの。
そうなる様に仕向けられているから当然なのだが。
既に、真実を見失った者は気付かない。
それが孫権の為、孫家の為に成る事だとは言え。
知る身としては、「本当に意地悪な男だ」と周瑜は苦笑せざるを得ない。
その孫権は用意されていた自室の寝台に腰を下ろし見慣れない形の枕に手を伸ばすと、その柔らかさに驚き、無意識に抱き寄せてしまっていた。
我に返ると、何と無く、その枕を叩く。
いや、殴ってみた。
そのまま、押し込めていた感情を無言で打付ける。
まさか、それを想定して用意されているとは孫権は思っても見なかっただろう。
何しろ、まだ森羅の事を知らないのだから。
そんな孫権の御世話役として同行して来た侍女。
数日の滞在とは言え、自身の職務の為に下見をする様に城内を歩いている。
「ん?、ああ、孫権に同行して来た者か」
「数日の事ですが、宜しく御願い致します」
通路で鉢合わせた森羅に対して姿勢を正し、一礼。
客観的に見たなら、特に何も可笑しな事は無い。
そんな侍女に歩み寄ると森羅は耳元に口を寄せる。
「──で?、俺の首は狙えそうか?」
「────っ!!??」
そう森羅に言われ、反射的に身体が跳ね掛ける。
それを抑え込めたのは──息が止まってしまう程に強烈な恐怖心が身を固めた為。
決して己の意思で──自制心により止まったという訳ではない事は、侍女自身が理解している。
だが、どう切り返すのが正解か、判らない。
──否、今の一瞬で判らなくなった。
素知らぬ顔で「御戯れを…」と返す事ですら、既に悪手としか思えなくなってしまっている。
つまり、たった一言で全ての選択肢を潰された。
そんな圧倒的な絶望感しかない経験を。
生きてきた今日までの人生の中で。
唯の一度として、経験した事は無かった。
そんな侍女の胸中を見透かす様に森羅は微笑み。
右手を顔へと伸ばし、指で優しく顎を掬う。
緊張した瞳を、森羅が覗き込む。
「気付かないと思ったか?
残念だが、御前は侍女としては中途半端だ
遣るのなら、基本から学んで身に付けるんだな
侍女達の足運びと、御前の抜き足は別物だ」
「──っ!!」
その一言は森羅が侍女の正体を正確に見抜いているという事を雄弁に物語っていた。
それ故に、一層彼女は身を固くした。
最悪、自分の失態で孫権の命を絶ち兼ねない。
だからと言って、この状況で手は出せない。
手を出せば──その瞬間に絶望が訪れる。
それが理解出来無い程、愚かではないのだから。
そんな葛藤が、焦燥が手に取る様に判る森羅。
だから、今は何もしない。
「来るなら夜、俺の閨に来い
御前達の滞在中は夜は一人で寝ているからな」
そう言って指を退くと、その頭を一撫でし、通過。
森羅の立ち去る足音が、自分の鼓動よりも大きく。
聞こえなくなって、漸く。
糸が切れた操り人形の様に、その場に座り込む。
無意識に口元を押さえてしまう程に。
極度の緊張から解放された反動で吐き気がする。
実際に吐く事は無いにしても。
思わず、そうしてしまう程の状況だった事は彼女が誰よりも感じ、理解しているのだから。
暫し、茫然としていたが、我に返ると侍女は直ぐにその場から立ち去る。
誰かが来て、見られてしまえば悪目立ちする。
そうなる前に、離れる必要が有る。
だから、気付く事は無かった。
疑う余裕すら無くなっていた。
その、偶々、人が来なかった幸運を。
そんな侍女が立ち去るを曲がり角の壁に背を預けて窺っていた森羅が向かいの人物を見詰める。
兎に角、溜め息を吐くしかないのは周瑜。
「その…何と言ったらいいのか…
まさか、この様な真似を考えてしまうとは…
雪蓮なら兎も角、あの方が…」
「逆だ、雪蓮なら絶対に遣らない
遣るなら自分の手で、だ
だが、失敗した時の万が一を考える
だから、自分では出来無くなる
その違いが、そのまま命運を分ける」
「……因みに、暗殺を雪蓮が遣っていたら?」
「そのまま気を失うまで可愛がってやるだけだ」
そう返す森羅を見て、周瑜は情景が思い浮かぶ。
尤も、その想像の中では孫策の方も積極的に求め、到底殺し合いをしようとしていたとは思えない程に激しく情熱的に貪り合っているのだが。
それが単なる想像ではないから周瑜は笑えない。
──と言うか、周瑜自身、身を以て知っている。
だから、森羅の言葉も疑いようが無い。
他者を使わず、自分で全てを背負う。
そういう覚悟を、森羅が重視すると知るから。
ただ、それ故に孫権の事が気になる。
勿論、森羅の事は信頼しているが。
思い詰めた孫権が何をするのか。
それを予測するのが難しくなった為。
その心配を見透かす様に森羅は周瑜を抱き寄せる。
「中々に元気が有っていいと思うが?」
「…はぁ~……もう好きしてくれ…」
それすらも楽しもうとする森羅を見て。
孫策の笑顔が重なってしまい。
考える事が馬鹿馬鹿しくなる。
だから、森羅に身体を預け、自ら唇を重ねる。
森羅の言った様に、暫くは夜は一人になる。
その為、厳顔と周瑜が森羅と過ごすのは日中に。
この後、周瑜との予定だったのだが。
部屋まで待つ気が無くなり、周瑜に火が点く。
「………え?」
「申し訳有りません、蓮華様…
森羅に私の正体と目的を見抜かれました」
「──っ!!」
私の部屋を訪れた侍女──に扮した思春が部屋に入ってきて直ぐに跪き、頭を下げた。
どうしたのかと思っていたら──衝撃の報告。
思わず、頭が真っ白になってしまう。
しかし、意外と直ぐに冷静になれる。
自然と思い浮かぶ疑問が私に考えさせる。
何故、思春は無事で私の目の前に居るのか?。
何故、今、私は無事で居られるのか?。
そういった思考が状況を把握しようと突き動かす。
「…思春、それで奴は何と?」
「…要約すれば、「侍女を装うのなら、侍女の事を学んでからにしろ」、と…」
「………………ぇ?、そ、それだけ?」
「はい、特に何かを要求する訳でもなく、遣り方が中途半端だという指摘だけです」
「……………どういうつもりなのよ、一体…」
その人物像が益々判らなくなってゆく。
姉の話を聞いた限り、間違い無く姉が悪い。
それは納得したし、家の為にも仕方が無い。
ただ、その一方で掴んだ情報では胡散臭い。
その化けの皮を剥ごうと思っていた矢先にアレだ。
予定を実行に移す決断をした。
──途端にバレてしまった。
(……それでも私が妾になる話は無くならない?
そうする事で彼に利が有る?
でも、それなら姉様を妻に迎えた方が………)
森羅の言動に考え込み、思わず頭を抱える孫権。
真意を探ろうとすればする程に深みに嵌まる。
宛ら、底無し沼に足を踏み入れたかの様に。
そんな孫権の様子を見て。
どう声を掛けていいのか。
それが判らない甘寧は沈黙し、静かに俯く。
今の自分が下手に声を掛けるのは不味いと判断。
何しろ、孫権には伏せてしまった事が有る。
森羅からの挑発とも取れる一言。
あれを孫権に話せば、孫権の性格からして憤慨し、捨て身の行動に出兼ねない。
それは甘寧としては避けなければならない事。
だから、敢えて孫権には伏せた。
しかし、その一方で甘寧は悩む。
森羅の発言は普通に考えれば罠だ。
だが、既に自分の正体という決定的な証拠が有る。
それを使わない森羅が罠を仕掛けるだろうか?。
そう考えると、森羅の発言に嘘偽りは無い。
少なくとも甘寧としては、そう判断出来る。
だから、もしも動くのなら、一度限りだろう。
孫権に伏せ、周瑜にも話せない。
周瑜に話せば、孫権との共謀を話す事になる。
そうなれば周瑜との、引いては孫策との間に大きな溝を作り、孫権を孤立させ兼ねない。
それを考えれば、誰にも話せなくなる。
実行するか否かの判断は──甘寧自身が下す。
「………っ………」
甘寧は俯いたまま、小さく息を飲んだ。
その重責を考えると……何も出来無くなる。
「一度限り?、馬鹿か御前は…」と自分に毒吐く。
その一度が、破滅を招く可能性は高い。
「そんな事も判らないのか?」と自嘲する。
けれど、「何もしなかったら?」と。
そう、冷静に問い掛けてくる自分が居る。
何もしなければ、森羅は何もしないのか?。
……否、そんな筈が無い。
自分の正体を、自分達の目的を。
容易く見抜き、敢えて見逃して見せた男だ。
何もしないとは思えない。
無事に終わる保証など、何処にも無い。
そう考えたなら、甘寧は選択しなければならない。
いや、決断せざるを得なくなる。
その一度を、遣らないという可能性は無くなる。
それが、森羅の巧みな話術による心理誘導。
そうとは知らない二人は各々に考え、苦悩する。
その経験こそが、森羅が望む物。
二人に必要な事だ。




