29話
盟約の履行までの間、人質という形で周瑜を加え雅狼は森羅が官位と共に任された并州・上党郡へ。
着いて早々に大掃除に取り掛かった。
それは、周瑜から見ても納得出来るもの。
周瑜自身、自分が──いや、孫策が同じ様に太守の官位を得て、着任したのならば。
森羅と同様に、大掃除をする事は間違い無い。
だがしかし、周瑜は、自分と森羅の決定的な違いを目の当たりにする事になった。
森羅が、雅狼の本隊が上党郡に入るよりも先に。
獲物の逃げ道を塞ぐ為の先遣隊が入る。
それは周瑜でも同じ様に遣った事だろう。
ただ、周瑜の場合は飽く迄も見張ったり、対象者が逃亡したり、証拠隠滅したり出来無い様にする。
その為に、という所までは。
だが、森羅は違っていた。
先遣隊を表に出し、対象者を揺さ振る。
不安を煽り、動かなくてはならない、絶妙な塩梅で釣りをするかの様に誘き出す。
当然、誘き出した獲物を逃がす事は無い。
周瑜でさえ、「最低でも半月は掛かる」と思う事を僅か三日で片付けてしまった。
森羅は勿論だが、彼に仕える将師・臣兵。
その躊躇の無い迅速さには畏怖を覚える程で。
改めて、周瑜は孫策の運の良さに感心した。
敵に回せば、どうなっていたのか。
それが判らない程、愚かではないのだから。
一方、森羅達にとって何と言う事も無い事。
森羅の作る筋書きを諸葛亮・鳳統が精査・編集し、出来上がった脚本を元に関羽達、役者が舞う。
それは、いつも通り。
普段と遣っている事は同じ。
脚本や舞台、配役は違っていようとも。
其々が自分の仕事を全力で担う。
その事には、何の違いも無いのだから。
「団ち──孟刹様、此方等が報告書です」
「有難う、中々切り替え難いみたいだな?」
「ぅ…はい……団長と呼ぶ事が多かった者は特に」
「別に団長呼びのままでも公式の場でさえなければ俺としては構わないんだが…」
「皆様が恐いので無理です」
そう即答した女性の文官──戦団の経理担当だった団員を要職に採用している──の顔を見詰めながら森羅は熱弁しただろう面子を思い浮かべ、苦笑。
悪気は無いし、必要な事なのだが。
あまりにも気合いが入り過ぎて、急かす──いや、圧力を掛け過ぎているから…困る。
真っ当な言い分だから尚更に注意も反論も難しく、今は様子見、という状態なのか実情。
暫くすれば、落ち着くだろうし。
その頃には、呼び方も馴染んでいるだろうから。
森羅は御手製の回転椅子を動かすと、背後を見る。
執務室の壁──己が背後に飾られている団旗。
官位を得た今、森羅が戦場で自身の旗を掲げるなら森の字を刻んだ戦旗を新調するのが普通。
だから、こうして執務室の壁に飾っている。
──という訳ではない。
森羅は今後も雅狼の旗を自らの戦旗として掲げる。
その事は、事前に団員に話してある事。
どんなに立場や状況が変わろうとも。
森羅にとって雅狼とは自身の原点。
「此処から始めるぞ」と決意した誓いの証。
だからこそ、初志貫徹の精神を忘れない為に。
己が歩む道の中、糧としてきた命を無意にしない。
その覚悟を自らに戒め続ける為に。
森羅は雅狼の団旗を、己が戦旗とすると告げた。
受け取り方によっては、深読みした者も居る。
勿論、それも間違いではない。
森羅が態々口にはしない、というだけで。
ただ、だからこそ。
義勇戦団という形は失われても。
雅狼の精神は、その志は。
森羅と共に在る。
故に、団員は一人も欠ける事無く、彼に仕える。
そういう意味では、公的な形が変わっただけ。
しかし、だからこそ、それに相応しくする必要性も出てきてしまっている、というのも事実。
こればかりは、森羅でも仕方が無い事だった。
「…一人も欠けずに…それが人が増えても変わらず此処まで来られるとは…正直、思いませんでした
少なからず、命を落とす者は出るだろう、と…
その覚悟は…常にしていましたので…」
「安易に死なせるつもりは無い
だが、どうしても避けられない犠牲は出るものだ
そう頭では判ってはいても…感情は別だからな」
「そうですね…」
「此処までは大丈夫だった
だが、此処からは判らない
黄巾党という大陸を震撼させた脅威は去った
しかし、そういう存在の出現は時代の節目…
大きなうねりが生じる予兆だ
より厳しく、険しい戦いが始まる事になる」
「…それでも、団長は歩まれるのですね」
「雅狼は俺が始めた戦いだ
その責任を投げ出せはしない」
「……今なら、好きなだけ貪ってもいいですよ?」
「とぅ──」
「──今のは忘れて下さいっ!!」
森羅に魅せられ、つい、気を緩め掛けた女性。
だが、森羅が「桃香に聞かれたら大変だぞ?」と。
そう揶揄う様に言うよりも速く。
僅か一音で我に返り、発言を撤回した。
女性の額に浮かぶ冷や汗が「危なかった…」と。
自分が如何に危険な事をしようとしたのか。
それを理解し──同時に安堵した。
その様子に森羅は苦笑する。
別に目の前の女性が魅力的ではない訳ではない。
ただ、一時の関係で手を出す事はしない。
自分達に近い者であるからこそ、尚更にだ。
因みに、先の袁紹との関係は森羅の中では特殊。
将来的には二人目、三人目、と。
改めて授かる事になるだろう。
だから、今の特殊な関係は一時的な物。
──とは言え、当分は我が子に父親らしい事をして遣る事は出来無いのも事実。
その辺りは袁紹にしても理解はしている。
御互いに背負う立場であるからこそ。
「こほんっ…それはそうと、孟刹様
玄徳様の事なのですが…計画的に、ですか?」
「まあ、今の内にとは思ったがな
正直な話、此処まで上手く見計らった様になるとは俺も思ってはいなかったな…」
「…ある意味、玄徳様の執念ですね…」
そう言われて、森羅は苦笑を浮かべるのみ。
肯定も否定も出来無いのが、森羅の本音だ。
「天の時は我に在り!」と言わんばかりに。
劉備は森羅との子供を身籠った。
正確には、大掃除が終わった直後に、悪阻が来た。
それまでは移動も有り、控えていた時期でも有り。
劉備の妊娠には森羅も気付いてはいなかった。
氣という一つの方法を手にし、その研鑽の副産物で避妊という点では自信が有る森羅。
だが、妊娠させた経験は前世──この世界へと来る以前の人生でも無かった事。
未婚であり、無責任ではないのだから当然だが。
それ故に劉備の妊娠にも気付いてはいなかった。
唯一、「もしかしたら…」と声を上げたのが黄忠。
自身の経験も有って、その可能性に気付いた。
それにより、森羅が診察し──妊娠が発覚。
まあ、そういった流れでは有ったのだが。
避妊をしていた筈の森羅からすると猛省もの。
別に劉備を孕ませた事は問題ではない。
先程、森羅自身が口にしていた様に子供を成すなら今が頃合いだと考えていたのだから。
子供が出来た事自体は、問題ではない。
ただ、自身が避妊し損なっていたという事実。
それが森羅にとっては大きな問題であった。
森羅自身は勿論、関羽達──妻となる面々を始め、雅狼の団員で適性の有る者には氣の指導をしているというのは可笑しな事ではない。
戦力強化という意味でも重要な手段だからだ。
しかし、もしも、その影響で劉備が無意識に自分の避妊方法を無効化していたならば。
森羅は、今までの方法を見直さなくてはならない。
現在、劉備も立派な戦力へと成長した。
だからこそ、この調子で二人目・三人目と望んで、予定外に妊娠されるのは困る。
子供が出来る事自体が問題ではなく、時期や状況を考慮しないで妊娠する事が、だ。
そして、それは劉備に限った話ではないという事。
特に関羽達、軍将陣の妊娠は憂慮すべき問題。
一度に複数名が妊娠すれば戦力の低下は否めない。
尤も、手を出していない相手が妊娠するという様な事は有り得ないのだが。
それでも、関羽・黄忠とは既に深い仲であり。
厳顔とも、何時、そうなっても可笑しくはない。
他の面々とは、まだ暫く時間が有るだろうが。
少なくとも、黄忠と厳顔に関しては、森羅にしても二人との子供は「一人目は今の内か…」と。
そう考えているのが実情。
二人の年齢も有るが、この先の事を考えたなら。
あまり引っ張るのは得策だとは思えないからだ。
勿論、純粋に二人との子供も望んでいるし、二人も望んでいるのだから構わない。
ただ、自分達の立場等を考えれば、好き勝手自由に考え無く妊娠するという事は無責任に等しい。
だから、しっかりと考えなくてはならない。
そうは思っているが、黄忠の催促が激しい。
関羽の事も踏まえれば尚更に、と。
森羅も決断を迫られている状況だったりする。
「今の所、領内の政策に人手は足りてはいるか…」
「はい、事前の調査も含めた大掃除の成果も有って順調そのものです
政務面は孔明様・士元様・公路様が、現場指揮には翼徳様・元険様・子台様・文長様が
皆様が抜けられても今なら大丈夫です」
正しく森羅の意図を汲み取り、答える彼女に森羅も思わず苦笑してしまう。
「其処まで読まなくてもいいんだがな…」と。
それも、頼もしく思っている事には変わり無い。
そして、そんな彼女達の存在が有るからこそ。
森羅も決断し易くなる。
決して、自分達に頼り切りではないからこそ。
こういう時には信頼して委ねる事が出来る。
「…近い内に本人達に話す
その上で望めば、そう持っていく事になる」
「望まれない事など無いと思います」
そう即座に言い切る彼女に森羅は笑う。
撤回したとは言え、少なくとも自分を求めた女性が言い切るのだから説得力が有る。
勿論、其処までの覚悟は彼女には無い。
森羅から手を出すのなら、全然有りなのだが。
彼女達の方から森羅を誘惑したりは出来無い。
劉備達が怖いからではない。
…いやまあ、それも理由に入ってはいるのだが。
自分達では森羅と生涯を共にする事は厳しい。
それを身近に居て痛感しているからこそ。
一時の、或いは、一度の。
思い出作りの様な関係ならば兎も角として。
本気で寄り添うには心身共に持たない。
だからこそ、仕える事を選んでいるのだから。
「因みに、皆様が御懐妊為さったら、その間は?」
「公瑾が居るし、孫権が嫁いでくれば孫権が居る
──と言うか、そんなに旺盛に見えるか?」
「いえ、繋ぎなら、口実になるので」
「結婚する前なら、一度は応えてやる」
「結婚してからの方が燃えるんじゃないですか?」
「生憎と其方の趣味は無いんでな
寧ろ、そこまでして求める相手なら、奪い取る」
「まあ、そうですよね~」
友人と世間話をするかの様に気さくに。
冗談を交えて話すのも森羅の良さ。
きっちりとした立場の線引きをしながらも。
こうして、御互いの立場も関係無く話す。
そういう機会が有るか無いかで差が出る。
それは僅かな差かもしれないが。
“塵も積もれば山となる”で。
人間関係には特に大きな意味を持つ。
だが、築き上げるには苦労を伴う一方で。
崩れ去るのは一瞬だったりするもの。
其処を間違えてしまえば、破滅しかない。
それを森羅も、彼女も理解している。
だから、先程の会話は此処だけの物であり。
決して、実現する事の無い“たられば”の話。
そうなる事を御互いに拒む理由は無いけれど。
その代償が釣り合わないという事を理解している。
森羅が全て、受け止めれば問題無さそうだが。
それでは付け入る隙を与えてしまう事になり。
それが原因で破滅する、という事は。
人類の歴史を繙けば珍しくもないもの。
破滅の典型・定番と言っても過言ではない。
だから、そんな馬鹿な真似はしない。
そんな森羅だからこそ、彼女達も慕う。
尤も、「恋愛と結婚は別物」と言う様に。
必ずしも同義ではない。




