十七話
顔の感覚を感じ取り、息遣いに合わせて嗅覚から目覚めて行き、次第に四肢へと水が染み渡るが如く意識は明確に為ってゆく。
規則正しく行われていた呼吸が小さく乱れた瞬間、眠りという行為に終止符を打つ様に切り替わる。
重い目蓋を開けるよりも。
指先に力を入れるよりも。
鼻腔を満たす匂いが、問答無用に安心感を与える。
自然と頬に触れる温もりを求めてしまう。
甘える様に頬擦りし、触れ合う肌を少しでも増やし温もりを感じ様と、伝え様と密着する。
この温もりさえ有れば私は幸せ。
そう言い切れてしまう程に──って、待って。
(………あれ?、今、私って何処に居るの?)
記憶の糸を手繰り、必死に昨夜の事を思い出す。
今、何方等の部屋に居るのかは判らない。
ただ、今、自分が感じている温もりの相手は判る。
ええ、それだけは間違えよう筈が無いもの。
一度は停止した思考を再び動かし始める。
しかし、直ぐには思い出せず、苦悩する。
──と、こういう時は、それよりも前から思い出す方が早いし、的確なんだと教わった事を思い出し、それに従って昨日の昼辺りから記憶を辿る。
すると、確かに聞いていた通り、順調に思い出せ、肝心の昨夜の直前まで、はっきりと思い出した。
そして、問題の昨夜の自分の行動なんだけど。
溜まっていた仕事を片付けてしまおうと頑張って、彼奴に手伝って貰いながら終わったのが、日没から大分経って、宮中から人気が消えていた。
それから屋敷に帰り、皆を起こさない様にしながら彼奴が作った夕飯を一緒に食べて。
その後は…………………二人で御風呂に行った?………うん、行った様な記憶は…薄らと残っている………様な気がするわ。
………そう言えば、昨夜は彼奴が珍しく私に対して御酒を勧めてたわね。
普段は滅多に勧めない癖に………って、そう。
成る程ね、そういう事な訳ね。
意図する事に気付いてしまえば納得が行く。
だから、その犯人に仕返しをする。
布団の中で左手を動かし、肌を撫でながら滑らせて目的の物に指先が触れる。
思いっ切り握り潰す勢いで掴もうとしていたのに。
触れた指先から感じる熱さに思わず躊躇する。
──否、躊躇ではなく、逡巡だと言うべきよね。
憤怒が一瞬で冷めて、火照りが身体の奥を濡らす。
無意識に息を飲み込んだ音で我に返る。
「────昨夜のでは、まだ足りなかったか…」
「──っ!?、ち、違っ、これは──ぁんンッ!!」
──が、何時から起きていたのか。
私の僅かな逡巡を催促と受け取った。
そして、まるで見えているかの様に寸分違わず私の中へと触れていた猛る熱を入れてくる。
普通であれば、痛みが伴う所なのだろう。
実際、一度だけだが興味本意から頼んで試したが、兎に角痛いとしか思わなかった。
……いやまあ、確かに後半には問題は無くなるし、その痛みも悦楽を知っているから気持ち良く感じる部分も有るには有ったのだけれど。
無理矢理に犯されている感じがして──嫌だった。
…だって、私は自分から望んで遣っているのだし、望んだ相手となのだから。
決して、賊徒に捕まり慰み者にされた訳ではない。
言い分としては、「そういった経験をした女性達の気持ちを少しでも理解する為に」だとしても。
実際に遣ってみて判った事は一つだけ。
私には、その女性達の気持ちは解らないという事。
何しろ、初めては愛する男に捧げたし、経験自体も一人だけしか知らないし、知りたくもない。
つまり、奪われ、蹂躙されてなどいない。
少なくとも、大切な部分は自分の意志で捧げた。
その一点だけでも、私は違うのだから。
だから、想像して、男達を嫌悪感して、同情をする事は出来ても──真に理解する出来無いでしょう。
──という事が、判っただけだった。
そんな経験が有るから痛みを伴う事を知っている。
ただ記憶を辿った事で、はっきりとは覚えていない事だったとしても身体には刻み込まれている。
だから、無意識に反芻し、反応し、準備していた。
──否、「もしかしたら…」と期待していた部分も心の何処には有るのでしょうね。
そんな事を冷静に考えられるのは、軽い現実逃避。
だって、抗う理由も無く、既に享受しているから。
与えられる刺激を、快楽を、求めているから。
気付けば自分から求めて身体を揺らす程に。
その温もりが、火照りが、熱が、私を蕩けさせる。
「んっ…ぁ…ふぁっ、ぁンッ、ゃァッ、ィイッ!」
「…どうする?、もう少し激しくするか、詠?」
「ぁんっ、うんっ、も、もっと、してっ!
激しく、してっ、ぅぁアッ!、もっとっ、強くっ、もっとォッ、奥までぇエッ!」
それは、とても甘い誘惑の様な囁きで。
普段であれば、裏に有る意図を勘繰るのだけれど。
そんな気は頭を過る事さえ無く、無条件に信じて。
身体の望むが侭に、心の求めるが侭に。
一切、躊躇う事無く、素直な気持ちを口にする。
「客観的に見たら今の私は淫乱な女でしょうね」と冷めている自分の声が遠くの方で聴こえる気がするけれど気になって止めるという事は無い。
その程度の意見では何の意味も持たない。
まだ知らない時の私だったら。
少しは躊躇する理由にも為り得たでしょうけど。
今はもう知ってしまっているもの。
そして、知ったからこそ、解る事も有る。
本能というものは何とも理解し難く、御し辛い。
軍師という立場・要職上、常日頃から理性的に考え動いているからこそ、余計にそう思える。
ただ、だからこそ、実際に身を以て知ってしまえば問答無用で納得させられてしまうものなのよ。
特に食欲・睡眠欲、そして──性欲。
生命が生存し活動する上で必要不可欠という欲求。
一見すると性欲は場違いな様に思えるのだけれど。
実際には、世の生物というのは個体で有りながら、その殆んどが寿命を持ち、単独での繁殖は出来ず、対となる雌雄体を必要とする。
何故かしら、そういう風に出来ている。
だから、生存する上で種を残そうとする生存本能が性欲という形で存在しているのでしょう。
そして、その性欲は雌雄──男女で異なる。
自らが子を身籠る事の無い男というのは、己の血を少しでも多く残そうとする形で色欲を伴う。
一方、女は自らの価値観により、幾多の男の中から選び抜いた存在の血を残そうとする。
それは人間ではなく、殆んどの生命に言える事。
けれど、人間だけは感情という判断基準を含み。
その感情は与えるのか、与えられるのか。
自分にとって満足出来るのか否か。
そういった個人差が大きな要因が強いのが現実。
事実、私自身も他の男になんて興味は湧かない。
仮に、興味が湧いたとしても。
それは異性──子を成す相手としてではなく。
単に人物として、或いは人材としての興味。
それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもない。
だから、抱き締められ、身体の奥を焼く様に満たす熱に私の女としての本能が歓喜する。
「さあ、いらっしゃい」と招く様に。
母親が我が子を抱き止めるかの様に。
最愛の男の猛りを感じ、嬉々幸々として迎える。
その余韻に浸る様に乱れた呼吸を整えながら。
まだ熱い肌を広く重ね合わせて感じ合う。
視線を交え、唇を重ね、繋がったままの肌を揺らし最後の最後まで染み込ませようとする。
心地好い気怠さが身体を弛緩させる中。
ゆっくりと言葉を交わしたい時も有る。
ただ、そうではない時も、少なからず有る。
「……ねぇ、まだ大丈夫よね?」
「ああ、満足するまで幾らでも応えてやる」
「ん…言質は取ったんだからね…ぁっ、んぅっ…」
そして、一度火が点いてしまえば簡単には消えない幸福感と快楽性と充足感という厄介な中毒性を持つ際限の無い欲求は貪欲に。
より多く、より深く、より熱く。
溢れようが、零れようが関係無しに。
只管に、呑まれて溺れる様に、夢中になる。
…取り敢えず、気絶したので満足した事にして。
目覚めてから、後回しにした確認を行う。
特に隠そうともせず直ぐに認められたけどね。
「──とまあ、そういった訳で昨夜は、ゆっくりと休ませる様に言われていたのは確かだ
“ゆっくりと休む”のが何かは本人次第だが…」
「ぅっ…そ、それより誰に言われたのよ?」
「上からだ」
そう一言だけ言われ、恥ずかしさから動揺していた思考が一瞬で冷め、全てを理解する。
此奴は仕官して、此処に居る訳ではない。
まだ世が“黄巾の乱”の渦中に有った時。
私達も──董卓軍も中央に押し寄せていた黄巾党の討伐に参加していた。
相手の総数は凡そ四万。
しかし、二万を恋が単騎で掃討。
残る二万も霞達二人が半分ずつ兵を率いて掃討。
結果だけを見れば圧倒的な圧勝だったのだけれど。
実は、その裏で私は拉致され、殺され掛けた。
今なら、何も可笑しくはないのだけれど。
注目を集める事に為ったのは黄巾党討伐後の事。
それまでは飽く迄も有能な地方領主と将師。
そんな評価に過ぎなかったのが実際の所ね。
ただ、その時の私は運が悪かったのよ。
押され気味とは言え、拮抗状態だった両軍。
其処に援軍として私達が加わったのだけれど。
出端を挫こうとした黄巾党の策で私は拐われた。
そんな状況で、偶々、旅人として通り掛かり、恋と遜色の無い武力で千人近い黄巾党の兵を一掃。
私を助け出してくれた。
その時、「宅に仕官する気は有る?」と訊いたけど苦笑しながら断られてしまった。
その代わりに、「もし、どうしようもなくなって、他に誰も頼れない事が有れば、俺を呼べ」と。
連絡方法だけを私に残し、彼は去って行った。
それから時が流れ、状況が代わり──私達は非常に危うい状況へと置かれてしまった。
諸侯は一切当てに出来ず、官軍でさえ実質的な敵。
孤立無援に等しい状況で──私は彼を頼った。
…正直な話、そんな状況で力に為ってくれるなんて思ってもいなかったし、期待もしていなかった。
ただ何もしないで、出来る事を遣らないで。
後悔はしたくなかっただけ。
それなのに──彼は私の前に現れた。
あの時と同じ様に、ふらっ…と現れて。
私に手を差し伸べてくれた。
……これで惚れない──意識しない女なんて世界に殆んど居ないでしょう。
寧ろ、それで何も思わないなら女として可笑しいか既に心に決めた唯一人が居る場合だけよね。
──と個人的な考えが絶対に正しいと思ってしまう位には心を奪われたのは確か。
だから、こういう関係に成るのも時間の問題。
──で、そんな彼は宅では客将扱い。
軍将としての権限・指揮権は本人が望まない事から持ってはいないけれど、臣兵は勿論、侍女達でさえ厚い信頼を寄せている。
そういう意味では影響力は宅でも三指に入るわ。
そんな立場の彼に唯一“命令”が出来る人物。
それは身を寄せている相手──月しか居ない。
「………ったく、心配性なんだから…」
「それだけじゃなくて、実際に働き過ぎだ
状況が状況だから仕方が無い部分は確かに有る
だが、それ以上に自分を責め過ぎだ
「自分に先見の明が無かったから招いた事態」だと言えば確かに一因では有る
しかし、それを言えば主君としての浅慮、軍将達の楽観的な判断での遣り過ぎ…
細かく言い出せば切りが無いだろう」
「それはっ………でもっ……」
「誰も御前一人の責任とは思ってはいない
誰も御前一人に責任を背負わせる気も無い
だから、皆を頼れ、一人で背負い込むな
何より──眉間に皺が寄り過ぎだ
集中する事と、狭窄に陥る事は全く違う
御前一人が頑張っても今の状況が変わりはしない
だったら、一人でも多く、協力し合った方が状況を打開出来る可能性が生まれ易くなるだろう」
「…………はぁぁ~~~………………ええ、そうね
私が一番、回りを見えなく為っていたみたいね」
「まあ、今は俺だけを見れていればいい」
「──っ…ばかっ…」
然り気無い殺し文句に鎮火し掛けていた火種が再び燃え盛り始めてしまうのは当然の事よね。




