十六話
“愛慾に溺れる日々”というのを身を以て知り、それが全く嫌ではなく、寧ろ、好ましく思う。
以前であれば、「不潔だ!」何だと批難をしていた事だろう自分の変化には苦笑するしかないが。
今なら「何も知らないからだって」と嘗ての自分を受け流せるだろう。
それ程に、価値観に変化が生じている。
そんな馬超の日常は朱荒との出逢いで激変した。
当然だが、馬超は朱荒を伴侶とした将来の自分達の生活像を思い描いている。
結婚しているのは勿論の事、脳内では既に数年分の時が経っており朱荒との子供達も其処には居る。
ただ、その中に母の馬騰と従妹の馬岱の姿が有る。
家族という意味では確かに家族なのだが。
二人も、馬超と同様に御腹が大きな姿で、だ。
そして、その状況に苦笑しながらも嬉しく思う事が出来ている自身には──今更驚きはしない。
母との同衾に加え、従妹との同衾。
最近では四人で、という事も珍しくはない。
そういう状況だったりするからだ。
それでも馬超達が御互いを許容出来ている理由は、朱荒の絶倫さと、何気無い気遣い故だろう。
朱荒自身は“気遣っている”という意識は無いが。
言葉にして説明するなら、そうなるという事。
要するに、幸せな日々である、という事だ。
馬超自身、朱荒と出逢う前は全く具体性の無かった結婚した後の自分の在り方が見えてきた。
一族の直系の身として、朱荒に頑張って貰いながら自分は子作りと子育てに励む事が第一。
…まあ、馬騰も二~三人は産めそうだし、馬岱なら自分よりも二~三人は多く産めるだろう。
そういう意味では全く心配はしていない。
ただ、武張って生きていた自分よりも、将来的には妻として、母として、女として、在ろう。
そんな風に素直に思えていたりもする。
「────は?、今、何て言った?」
「明日の朝には、此処を発つ」
「……………………………………………………っ、いやいやいや、ちょっと待ってよっ?!、何でっ?!
えっ!?、どうして急に出て行く話になるのっ?!」
「…落ち着きなさい、蒲公英」
「落ち着けないよ伯母様っ?!」
アタシの質問に再度同じ事を言った後、蒲公英が真っ先に口を開いたんだが…うん。
まあ、そうだよな、そうなるよなぁ…普通は。
慌ててるし軽く取り乱している蒲公英の様子を見た事でアタシと母さんは落ち着いている。
──とは言え、心の中では「はあぁあっ!?」だ。
蒲公英と同様、「何言ってんだよっ!」と叫びたい衝動が行き場が無く渦巻いている状態。
暴れ出しそうで、渦巻く事で一先ず落ち着いている感じになっているのは、鍛練の成果だろうな。
……こういう形で実感したくはなかったけどな。
まあ、それはそれとしてだ。
取り敢えず、話をしない事には納得も出来無い。
突然過ぎる発言をしながらも平然としている元凶を真っ正面から見詰めて、訊ねる。
「随分と急な話だけどさ…アタシ等の所為か?」
「いや、お前達に非は無い、何一つとしてだ」
「だったら、どうして何だよ?」
「…お前達と出逢う前にした“約束”だからな
こればかりは俺としても譲る事は出来無い」
そう真っ直ぐにアタシを見ながら言い切る。
…ったく、ああ、そうだろうな。
そういう奴だよな、だから惹かれ、愛してる。
その事をアタシは、アタシ等は身を以て知ってる。
だから、何も言えなくなるんだよ、畜生。
その約束が、どんな相手との物なのか。
どんな経緯でする事に至ったのか。
どんな内容か──なんて事は二の次だ。
普通だったら、私達を選ぶだろう所で。
迷わず、約束を選ぶ。
それは、ある意味では生き方その物だって言える。
どんな過去だろうとも、切り捨てず、目を背けず、全てを受け入れ、背負って現に在る。
普通なら簡単に振れ、妥協したり止めてしまう。
そんな不器用で、面倒臭く、柵だらけの生き方を。
アタシが愛してる男は地で行っているんだからな。
「…今朝届いてた文に関係してるんだろ?」
だから、蒲公英よりはアタシは冷静で居られた。
そして、会話の中で心当たりに気付いた。
アタシの脳裏に思い浮かんだのは今朝の光景。
数える程だけど、時折、何処かの誰かに宛てて文を出している姿は見た事が有る。
ただ、文を受け取っている姿は見た事が無かった。
だから、はっきりと記憶に残っていた。
…同時に嫌な予感もしていたんだろうな、きっと。
だから、アタシは気にしない様にしたんだ。
こうなる様な予感がしてたから。
「ああ…文の詳しい内容は事情も有って言えないが要するに俺に「力を貸して貰いたい」という事だ」
「──っ!、だったら蒲公英達も協力するよっ!
そうだよ!、そうしようよっ?!、ねっ?!、ねっ?!」
「はぁ~…蒲公英、少し落ち着けって…」
「落ち着いてなんて居られないよっ!」
頭の中、ぐっちゃぐちゃで、訳が判らない。
そんな感じなんだろうなって、一目見て判る。
普段は理屈っぽい言動の蒲公英が、駄々っ子の様に感情を剥き出しにして、涙を流している。
冗談でも、演技でも無く、嘘偽りの無い本音。
本気も本気で、必死になってるんだって。
苦笑しそうな程に冷静に、自分は見詰めてる。
そんな蒲公英の頭を優しく撫でる母さん。
流石に女としての経験値が違うな。
まあ、アタシ等の人生二回分だしな。
当然って言えば当然か──って、危ねぇなっ!。
卓の下で、踵でアタシの爪先を撃ちに来るとか。
今遣る事じゃないだろっ?!……ったく。
「あのな、蒲公英、少し冷静に考えてみろって
普段アタシの事「考え無し」って言ってるだろ?
だったら、そのアタシでも判る事なんだぞ?」
「………………………………………判んないもん」
「……お前なぁ~…」
自分で言ってて傷付いたってのに。
蒲公英の奴、「考えたくもないもん!」って感じで不貞腐れながら外方を向きやがった。
腹が立つし、軽く殴りたくもなるけど──我慢だ。
母さんは大丈夫…だと思うし、アタシも一緒に居た時間は一番多いからな。
そういう意味で蒲公英は短いんだと思う。
勿論、まだまだアタシだって足りないと思うけど。
それでも蒲公英よりは多いのは事実だからな。
「お前が言ってる様に出来るんだったらな、此奴がアタシから「離れる」なんて言わないっての
そう言わないって事は、それが出来無いって事だ」
「つまり、彼に「力を貸して貰いたい」と文を出し頼ってきた相手は政治的な立場に有るという証拠…
そして、その為には私達の様に政治的な影響の有る者が関わってはならない──いえ、関わらない方が問題が大きく為らずに済む、という事よ」
そうアタシと母さんが言うと、蒲公英はアタシ達の顔を見てから、確かめる様に顔を向ける。
こういう時、変に遠回しに言ったりすると要らない誤解とかが生じるからな。
その辺りを判ってるから、逡巡無く首肯。
…まあ、否定して貰いたい気持ちは有ったけどな。
「…っ……それにしたって早過ぎない?」
「それだけ約束した相手は切迫してるって事だろ
寧ろ、本当なら今直ぐにでも行きたい筈だしな
──アタシ等の為に一日割いてくれてるんだろ?」
「────っ!!」
そうアタシが言うと蒲公英は迷わずに振り向いた。
口にはしないが、頭を撫でる右手が肯定する。
…ったく、そういう所なんだよ、狡いのは。
──で、遣る事が判れば決断するのは早い。
一人一人と過ごす時間、鍛練の時間と割り振って、夜は問答無用で朝まで一緒に過ごす。
拒否権なんて遣らないっての。
アタシ等三人で絞りに絞って搾り取って遣る!。
──と意気込んでいた昨日の自分に言いたい。
「いや、お前が思ってる以上だからな?」と。
二人きりで過ごす時間は甘かったし…良かった。
何て言うか…その…何だ…自分で信じられない位に甘えまくってたからな。
うん、二人きりだから誰にも見られてはいない。
もし、それを見られていたら──其奴は殺す。
話が広まっていたら、私も死ぬ。
…いや、実際には自殺なんて遣らないけどな。
気持ち的には“羞恥死”って感じだから。
──とまあ、それは兎も角としてだ。
夜は慣れているとは言え、アタシ等も本気で。
「この一夜で確実に出来る」って位に全力で。
それで、三対一だったんだけど………なぁ。
気付いたら、逆に滅茶苦茶にされてましたとさ。
うん、何だよ?、その異常な底知れない精力は。
実は人間じゃなくて、龍とかだったりするのか?。
「流石に今からは時間が無いから無理だぞ?」
「有ったらしてくれるのか?」
「そう望んでくれるならな、翠」
「──っ…本当、狡ぃんだよ、馬鹿っ…」
そう言って抱き付き、抱き寄せ、抱き合って。
御互いを確かめ合う様に、染み込ませ合う様に。
たっぷりと、濃厚に、口付けを交わす。
…そのまま一戦交えたくなる位に、情熱的に。
そんなアタシ等が居るのは涼州の州境。
旅支度を整え、出立するのを見送っている。
但し、見送っているのはアタシだけ。
母さん──は兎も角として、蒲公英には悪いけど、下手にアタシ等が纏まって動くと不味い。
只でさえ最近は五胡の連中の動きが活発だしな。
アタシ等にとっても、連中にとっても重要な人物が居なくなるっていうのは大きな一石。
…いや、岩山が空から落っこちて来る位に衝撃的で大きな波紋を生む事は間違い無い。
だから、今暫くは「其処に居る」と錯覚させる。
その為にも下手な言動は出来無いって訳でな。
まあ、城を出る前には今のアタシみたいに、二人共たっぷりと遣ってたけどな。
けど、最後にアタシが全部上塗りしてやる。
母さんや蒲公英には──いや、二人だからこそ。
譲れない部分ってのは有るからな。
「判っているとは思うが、五胡には気を付けろ
連中の怖さは“後が無くなってから”だ」
「判ってるって、匙加減が重要なんだろ?」
そう返せば、口角を上げて見せる。
時折見せる、この悪い感じが、厄介なんだよな。
普段から基本的には真面目だし面倒見も良いから、こういう一面が余計に際立って見える。
しかも、そういう一面を簡単には見せないからこそ見る事が出来る自分が「特別なんだよな」っていう軽い優越感を得られるしな。
あと、序でに言うと、五胡を完全に排除する為には馬一族が絶える可能性も覚悟しないと難しい。
一つは、一口に五胡とは言っても連中は一団でなく少数異民族の総称でしかない事。
その為、正確に実態を把握し切れてはいない。
加えて、涼州以外の場所でも交戦している五胡勢は少なくはないが、手を結んでいる所も有る。
だから、一概に全滅させるという事は難しい。
もう一つは、勢力──戦力差を無視出来無いから。
今現在、涼州──馬一族と対峙している連中だけに限れば十分に優勢だって言える。
でも、涼州周辺に居る五胡の戦力全てを相手にするとなったら、共倒れになる可能性が高い。
そして、連中を追い込み過ぎれば「死なば諸共」で死兵化して当たってくる事だろう。
だから、遣るなら一気に。
或いは、逃げ道は残しながら、という訳だ。
「生きていれば、また会う日が来る、元気でな」
「ああ、次会ったら、会えなかった分だけ、三人で搾り取って遣るから覚悟しとけよな」
そう言って笑顔で離れる。
本当は此処で「…なあ、本当に行くのか?」と眼を潤ませながら言いたいんだけどな。
けど、それを遣りたくはない自分が勝つ。
見栄と言えば見栄、意地と意地なんだろうな。
ただ、そんな“弱い女”には成りたくはない。
勿論、それは「軽々しく弱音を吐くな!」っていう意味とかじゃなくて。
縋らないと、頼らないと何も出来無い女じゃなく。
しっかりと支え合い、共に在れる女に。
アタシは成りたい──成るって決めた。
だから、これは、今は、暫しの別れ。
軈て交わる路の先に続く未来へと繋げる岐路。
此の掌に貴男を、共に有る未来を。
掴み取る為の、成長する為の。
糧とすべき想い。
そう自分に言い聞かせ、笑顔で背を向けた。




