第五話
「それにしても、このように美しい方を手放すだなんて、レオルド王子はよほど愚かと見える」
卒業パーティーの前日、打ち合わせのために王宮でひっそりと行われた密会でエドワード王子はそんなことを口にした。それに真っ先に頷いたのは同席しているお兄様で、執務も放り投げて駆けつけて下さるほどには妹である私を大切に想ってくださっている。それはありがたいが、「アリアは両親に似て気品溢れる容姿でありながらそれを鼻にかけないし、なにより聡明な子だからね。まったくレオルド殿下は見る目がない」と仮にも王子をこきおろすのはやめて頂きたい。
それにしてもまさかエドワード殿下が自ら出てくるとは思わなかった。それ以前に、私とレオルド王子の婚約解消を知らせてすぐに、私とエドワード王子の婚約を申し込んでくるとも思わなかった。確かに以前から私がレオルド王子の婚約者でなければ、とはよく言われていたが……
だいたい会ってすぐにエドワード殿下ときたら物凄い勢いで私を褒めそやし始めたのだ。いっそ嘘くさいほどに。お兄様もお兄様で一々それに乗るし。
貴族として産まれたからにはある程度の褒め言葉は「まぁ、光栄ですわ」の一言で流せる自信がある。しかしその一言を言う前に次の美辞麗句を並べ立てられては、うんざりした顔で聞くより他はなかった。
……こんな方だったっけ?
私が首を傾げたのを見咎めてエドワード王子はくすりといたずらっぽく笑う。それから「レオルド王子もこんな風に様変わりしたんじゃないですか?」と言った。その言葉に頷く私に、彼はやっぱりと納得したように呟く。
「シリウスから相談を受けた時点でそうではないかと思っていましたが……その男爵令嬢はレオルド王子に魅了の魔法を掛けているのでしょうね」
「魅了の魔法、ですか……?しかしそんな高度な魔法をどうやって」
エドワード王子にお兄様がこの件を相談していたことも意外だが、それ以上に学内の試験すらまともに通らないミサ様が高等な魔法を使っていると聞かされては驚くほかない。いや、驚くと言うよりは疑っていると言った方が近いのかもしれないが。
そもそもこの国は魔法に関する研究がほとんどなされていない。生活に関わる簡単な補助魔法や、攻撃魔法がいくつかあるくらいで、人の心に影響するようなものはないはず。だからこそ、魔力量の多いこの身が宝の持ち腐れと言われるのだから。
お兄様の方を見れば、お兄様も私と同じく訝しげな顔をしていた。やはり考えていることは同じらしい。「あの男爵令嬢が、ねぇ?」と呟いている。
「疑問に思うのも分かるけど、多分件の令嬢は無意識に使っているのだと思いますよ。
魅了の魔法は体質による所も大きいですからね。レオルド王子は見たところ魔力量が低いようですから、そのせいで誰よりも簡単にかかってしまったんでしょう」
優雅に足を組みかえながら紅茶を飲んで、エドワード王子はなんでもないようにそんなことを言う。言うほど簡単な話でもないような気はするが、魔法大国とも言われるクラディオン王国の王子が言うのだから信じる他ないのだろう。
しかも彼は祖先である勇者、ユウ・ホワイティ様の再来とも呼ばれる存在。自在に魔法を操り、手足のように剣を扱うような方の言葉を疑う方が難しい。
「おかげで私はアリア様を妻にできるのですから、棚からぼたもちってやつですね」
「棚から……?はよく分かりませんが、喜んで頂けたなら幸いです」
生返事をしながら適当に相槌を打っておく。クラディオン王国にはかつての勇者が広めたことわざが多く、国民すらその全てを把握していないと言う。棚から何とかも、きっとそんなことわざの一つなのだろう。
そんな私たちをお兄様は嬉しそうな顔で見ている。そう言えばお兄様はクラディオン王国に留学していた頃からエドワード殿下と仲良くなさっていたのだったか。
もしかしたら私が動かなくてもお兄様が勝手に動いていたかもしれない。そう考えると、ゲームの「国外追放」は、案外他国へ嫁いだことを指していた可能性もある。あのゲームではただ単に「こうして、公爵令嬢のアリアは国を出て行くことになった」と書かれていただけだったから。
「それにしても嬉しいな。親友でもあるエドワードと、大切な妹のアリアが結婚だなんて。
以前のレオルド王子ならまだしも、今の彼にはアリアを任せられないからね」
お兄様の言葉に肩を竦めて肯定も否定もしない。エドワード王子を呼び捨てにしたと言うことは、プライベートな話と言うことだろう。
エドワード王子もにやりと人の悪い笑みを浮かべて見せた。
「俺だって嬉しいさ。自分の元婚約者相手にこれだけ容赦なく立ち回る令嬢、手元に置いて絶対に退屈しないからな」
先程までの美辞麗句はどこへ行ったんですかエドワード王子。内心で語りかけたが聞こえるはずもなく、悪い顔でくつくつ笑うのをただ見つめるだけに留めておく。お兄様はお兄様で「アリアは可愛いからきっと気に入るよ」との斜め上方向の返しをしているし。
ふぅ、と小さく溜息をつく私の髪の毛をテーブル越しに手に取って、エドワード王子が口付けを落とした。そのままの姿勢で上目遣いに見つめられて思わずドキリとする。
整った顔立ちをされているし、正直レオルド王子よりも好みなのだ。こんなことをされてときめかない令嬢が居るならば私の目の前に連れてきて頂きたいとすら思う。
「先程言葉を尽くしても言い表せなかったように、貴女が美しいと思っているのは事実だ。それに、以前からずっと言っていたように、あわよくば私の妻になって欲しいと思っていたのもね」
そう言ってにっこり笑われては何も言えない。顔が熱くなるのを感じながら、エドワード王子がソファに座り直すのを見つめた。
レオルド王子とはどちらかと言えば幼なじみのような接し方をしていたから、こういう対応には少し困ってしまう。耐性がないと言えばいいのか。
そんな私を面白がるように見るエドワード王子は、お世辞にもいい人とは言えないだろう。それでも嫌な人とも言えないのだから、妙な人だ。
「なるほど、確かに愛らしい。今から新婚生活が楽しみだ」
「エドワード、一年は婚約期間を設けなければならないのを忘れていないよね?」
「安心しろよシリウス。さすがにどこぞの王子と違ってそこまで馬鹿にはなれんさ」
二人してくつくつと笑っているけれど、正直こちらとしては溜息をつくしかない。もう一々言葉を挟むのも面倒だ。
パーティーの前日はそんな話をして、簡単に段取りを確認してから解散することとなった。最後の最後にこっそりと頬に口付けを落とされて、顔を真っ赤にして馬車に乗ることになったことはお兄様にも言えない。と言うか言いたくないし知られたくない。
それでも夕食の時にお母様に「何かあったのかしら?」と楽しそうに聞かれた時には焦ってしまった。何かを見透かすような目をされるから、誤魔化すのにも苦労した。
お父様が「マリナは鋭いからな」とだけ零したのがやけに印象的だった。実感が篭っていたと言うか、経験者は語ると言ったところだろうか。
あの卒業パーティーの後は友人の御令嬢方から質問責めに合うかと思いきや、皆して「アリア様がお幸せになるように収まって嬉しく思いますわ」と感極まっていた。しかもやたらエドワード王子とお似合いだと褒めそやすから、なんだか少し、誇らしく思ってしまった。
そう言えば今までレオルド王子とは仲がよろしくて羨ましいと言われることはあっても、お似合いだなどと言われたことは無かった。……なんだか、自惚れてしまいそうだ。
所詮これも隣国との政略結婚でしかないわけだし、そもそもエドワード王子は私のことを暇つぶしの観察対象くらいにしか思っていないだろうに。
ルシア様も珍しく「やはり見目だけはこの国一の美少女と呼ばれるだけあって、本当にお似合いでございますわね」なんてよく分からない褒め方をしてくれていたし。……褒め言葉だったと思う。恐らく。あまり自信はないけれど。
これからお互い王妃になるべく、さらに厳しい教育を受けることになる。できればこれくらいの軽口を言い合えるような、そんな仲で居たい。彼女の言葉を聞けばやる気が出る気もするし。
そう言えばレオルド王子は辺境も辺境の、村が二つほどしかない小さな領地を賜ったらしい。お父様曰く、もっと辺境にしようかとも思ったが、さすがに新婚にそれは可哀想だと思ってな、とのことだ。あの地以上の辺境など記憶にないが……祝儀がわりの領地と言うことだから、もっとすごい土地があるにはあるのだろう。
もちろんミサ様も強制的に共に連れていかれていた。なんでも「こんなのおかしい!シナリオになかったもの!」と叫んでいたらしいから、彼女も実は前世の記憶を持っているのかもしれない。
アングリード男爵は今回のことを重く受け止めて、爵位を返還しようとしたらしい。境遇に同情して適切な教育をしなかった自分に責任があるとの理由だ。
もっとも、お父様の「責任を感じるくらいならば、レオルド王子を失った王家に尽くすことで償うがいいでしょう。陛下もそのように望まれている」の言葉で物凄い勢いで働き始めたらしい。
お父様のよく使う手だ。相手に恩を売って、相手から尽くすようにさせるというのは。王家の忠実な下僕がまた一人増えたと喜んでいたし。
リオン様は騎士団に入団したが、雑用係として扱き使われているらしい。騎士団長自ら「お前達で性根を鍛え直してやれ。私の息子だと思わなくていい」と言ったらしく、かなり酷い扱いを受けているとも聞いた。
騎士達にとって護るべき女性を乱暴に扱ったことがかなり腹立たしかったらしい。それも憧れの騎士団長の息子が行なったのだから、到底許せるものでもなかっただろう。
オリオット様は家督の相続を放棄する旨を誓約させられ、王都から離れた領地の屋敷で飼い殺されることになったらしい。纏まりかけていた婚約も流れたとの事だ。
フォルスハーゲン様もリオン様と同じく、聖教で見習いの立場からやり直すことになったらしい。それも魅了の魔法がかかっていた恐れがあると高位の僧が言ったことで、今後二度と外部に心惑わされぬようにと、一番厳しい修行が課せられると聞いた。
とは言っても教皇の一人息子ではあるから、命を落とすようなことはないだろう。あそこは世襲制ではないが、さすがに親子の縁をそう軽んじることもないから。
そんなことをクラディオン王国で友人やルシア様、それに家族からの手紙で知らされる一年を過ごして、今日。私はついにエドワード王子との結婚式を迎えることとなった。
こちらに来て初めは戸惑うことも多かったが、祖国では学べなかった魔法を学び始めれば、時間などあっという間だった。意外なことにエドワード王子は教えるのがとても上手で、面倒見もいいのかよく練習に付き合ってくださったおかげで私はあっという間にいくつもの魔法を覚えていった。
プライベートでもエドワード王子は親身になってくれたし、何よりもクラディオン王国を知って欲しいと、様々な場所に連れ出してくれた。ある時は美しい花畑であったり、ある時は王都の流行りのレストランだったり。またある時は少し足を伸ばした海だったり、農業が盛んな村だったり。
長く時を共有すればするほどに、新たな一面を見つけて。その度に胸が苦しくなるような気持ちに襲われて。
だと言うのにふと隣りにいることが当然であるような、そんな安らぎすら覚えてしまう。
エドワード王子に関しては最初から最後まで、全てが計算外のことが多すぎる。
そんな風に振り返っていれば、当の本人が控え室へと顔を覗かせた。
「これは……まさか花嫁衣装であると言うだけで、ここまで美しさが洗練されるとは、さすが俺の婚約者だ」
「相変わらずお上手ですね」
「つれないな、アリア」
くすくすと笑って額に口付けを落とされる。この一年で知ったことだが、彼はどうも頻繁に口付けをする癖がある。もちろん婚約者であるためまだ唇にはしてこないが、それも今日以降はどうなることか。
すっかり慣れていてもおかしくはないのに、その度に未だに緊張している私も私だ。一日に何度もされているのに何故慣れないのだろうか。
「今日からやっと名実共に俺のものとなるわけだが……逃げ出すなら今のうちだぞ?」
エドワード王子の言葉に思わず目を瞬かせる。なぜ逃げ出さなければならないのか。
私の疑問を感じ取ったのか、エドワード王子はほんの少し困ったような笑みを見せて私の前に傅く。
「あまり最初の印象は良くなかった自覚はあるからな。それに未だに俺に対して遠慮しているだろう?
今ならまだ……そうだな、なんとか逃がしてやれないこともない。その前に俺の足がアリアを追いかけないように魔法で縛っておく必要はあるが。
……いや、魔法だと解きかねないな。いっそ切り落とした方がいいか?」
冗談とも本気とも取れるエドワード王子の言葉に呆然とする。それからおかしくなって笑ってしまった。
するとエドワード王子はむっとした顔で「笑い事じゃなくて本気なんだが?」と不機嫌そうに言い放つ。それがまたおかしくて声を上げて笑いそうになってしまった。
「あぁ、おかしい。こんなに素敵な婚約者から、どうして逃げなければならないのか、私には分かりませんわ」
「それは……その、女性は好きだろう、想いあった男と添い遂げるとか、そう言うのが」
エドワード王子の拗ねたような言葉に今度こそ堪えきれずに笑い声を上げてしまう。はしたないと分かってはいるけれど、人間には限界というものがある。
「エドワード殿下、私は貴族の役目をきちんと心得ているつもりでございます」
どうにか笑いを抑えてエドワード王子に静かに告げる。その言葉にエドワード王子の瞳がゆらりと揺らいだ。
「中々、寂しいことを言ってくれるな」
「殿下が先に仰ったのではありませんか」
ほんのりと悲しげな顔を見ながら笑いかける。するとエドワード王子は眉根を寄せて首を捻る。
丁度エドワード王子が何か言おうと口を開きかけたところで規則正しいノックが聞こえた。どうやら式の時間が迫っているらしい。「本当に逃げなくていいのだな」と再度念を押してくる様子にくすくすと笑う。
まったく、一年経っても新しい一面を見せてくれる方だ。
「殿下、恐れながら女性が憧れるのは、心より愛する方と結ばれることですわ」
囁きながらその頬を両手のひらで包み込んで引き寄せると、そっと額に口付けを落とす。まさか「悪役令嬢」が、こんな幸せを迎えるなんて誰が想像出来ただろうか。
呆然とするエドワード王子の背中を押して外で待つ騎士に引き渡す。
もうすぐ私は結婚する。
それは祖国の親が決めた相手ではない。どんな意図があったかは別として、自らの意思で私を求めてくれた方。一年間ずっと私を支えてくれた方。
今度は私が、彼を支える番だ。
「レオルド様、ざまぁみろ、ですわ。
私、あなたの愛するヒロインよりもずっとずっと幸せになりますわ」
前世の記憶を引っ張り出しながらそっと囁く。
きっと彼らには今後も苦労が襲いかかることだろう。そのあたりは手抜かりなくルシア様や友人、それにお兄様に託してきた。
もしかしたらここまでする私は死後、御使い様によって鞭打ちに処されるかもしれないが、知ったことか。
エドワード王子となら、きっと死ぬまで幸せだろうから、死後の鞭打ちくらいは問題ない。むしろ幸せの代償にしては安いくらいのものだろう。
そんなことを考えながら、私も侍女に促されて式場へと向かうのだった。
「え?うそ、あのゲームの続編?」
「今度は隣の国が舞台なんだって〜。
なんか前情報だと、あのゲームの悪役令嬢が王妃で、攻略対象はその子供世代だって」
「えー?でもあの子って国外追放になったんじゃなかった?
……まぁ、確かにあの程度のことでそこまで、とは思ったけど」
「んー。掲示板の考察見る限り、やっぱりやってることと罰が釣り合ってないから、普通に婚約解消して他国に嫁がされたってことになってるんじゃないか、だって」
「また二次創作が盛り上がりそうな……」
「確かにね。まぁコミカライズの話も出てるし、そっちで詳しくやるんじゃない?
って言うか詳細出してくれないとモヤモヤしてプレイどころじゃないし」
「確かにね〜!あ、やば!そろそろ寝なきゃ明日早いんだった」
「もうこんな時間?はー、乙女ゲームの世界に生まれ変わって、イケメンと仲良くするだけの人生が良かった〜」
「なんなら乙女ゲームの世界の空気になってイケメンを眺めてたい。
じゃなくて、そろそろ通話切るよ」
「はーい。おやすみ〜」