第三話
悪役令嬢としてとことんまで邪魔をすることを決めてまずしたことは、ファッセル家に招待状を送ることだった。相手はファッセル・ルシア。私を敵対視している令嬢だ。
内容は簡単なもので、若獅子に愛されし雛についてお話ししましょう、と書き添えたお茶会のお誘いだ。獅子は王家の象徴。つまりはレオルド王子に愛される雛、ミサ様について話さないか、と言う簡単な隠語だ。
恐らくルシア様はそれに気が付いている。その証拠にすんなりと了承の返事が来たのだから。
その次の日には王妃様のお茶会にお母様と出席して作戦を詰めていく。どうやら王妃様も最近のレオルド王子に対して思うところがあるらしく、私に対して惜しみない協力を約束してくださった。
正直二人の立てた筋道には口が引き攣りはしたが、まぁ、あの状態のレオルド王子に嫁ぐよりはマシな未来だろうと頷いておいた。むしろあのレオルド王子さえどうにかできれば、この国は安泰だろうと安心もできた。
その日の内にロドリア様に文を出す。彼には予め「何かあればお力になりますから、いつでも仰ってください」と言われているため、協力してほしいことを伝えただけの簡素なものだ。
本来ならばレオルド王子の幼なじみである彼に協力を仰ぐのは危険だ。しかしロドリア様の性格を考えれば現状に対して不満を抱いているのは明らか。何よりあの態度が物語っている。
そもそも、である。ロドリア様の家は二代前の当主が作った借金でかなり困窮していた。それを助けたのが私のお父様だ。もとより彼の一族はヒルクライド家を差し置いて優先するものなどないのだ。
没落寸前であったところを助けたのも、レオルド王子の遊び相手に丁度よさそうな子供が見つからなかったから、それだけのこと。恩のあるヒルクライド家に従う家の子供をレオルド王子に付けておけば、私が輿入れした時には私とレオルド王子を支える手足となるのを見越してのことだ。
そんな彼が私の作戦に組み込まれるのも当然と言える。
先日までの色々を思い返しながら紅茶を口に含み、それから目の前の少女を改めて観察する。アーモンド型の勝ち気な瞳に、美しいブロンドの長い髪。薄い唇はキュッと引き結ばれていて、とても楽しそうな空気はない。
「ルシア様……令嬢たるもの、常に優雅であるべきですわ」
「あら、婚約者を雛に奪われた方に令嬢の何たるかを問われる謂れはございませんわ」
つん、と澄ましたルシア様に思わずくすくすと笑ってしまう。本当にいつか痛い目を見て欲しいとは思うが嫌いになれないのは、子供のようなこの言動のせいかもしれない。
私が笑ったのが気に食わなかったのか、眉を吊り上げる様子を見ながら唇を緩く持ち上げた。
「ねぇ、ルシア様?私はあなたときっと仲良くなれると思っておりますのよ?」
私の言葉にルシア様は「何を言っているんだ」と言いたげな顔をする。それはそうだろう。
うちとファッセル家はここ十数年敵対関係にある。それと言うのも、ファッセル家は爵位こそヒルクライド家には劣るものの、その歴史は長く、一時は宰相を務めたこともあるのだ。もちろん子女の何人かが側室として王家に輿入れしたこともある。
しかし、それでも伯爵止まり。それも宰相の座はもう三十年近くヒルクライド家が占領している。これで親しくできれば貴族ではないだろう。
「私はその内、国を出る身です」
私の言葉にルシア様は息を呑む。瞳を揺らしながら「本当のことですの?」と震える声で聞いてきた。
本来彼女はとても素直な性格だ。だからこそ親の言うままに私と敵対しているにすぎない。
とは言え愚か者でもない。貴族としての学びも及第点以上だし、私への嫌がらせも場や立場を弁えた上でのものだ。親族の迷惑になるような、行き過ぎたことは絶対にしてこない。
だからこそ分かっているのだ。ここで私がくだらない嘘をつく訳が無いこと。なにか重要な話があって自分が呼ばれたことを。
「本当です。実際レオルド王子は私を国外追放するために動き始めるでしょう」
「なっ……あのうつけはそこまで愚かでしたの?」
呆れたような呟きにくつくつと笑いが込み上がる。やはりファッセル家でも散々な言われ方をしているのだろう。その片鱗が垣間見えて愉快でしかない。
当のルシア様はさすがに婚約者の前で、と反省したのか「言い過ぎましたわ」と小声で呟いている。それに私は首を横に振って気にしていないと伝えた。
「私も最初は同じ思いでしたもの、お気になさらないで」
私の言葉にルシア様は戸惑いがちに頷いた。
そのあとは暫く無言を楽しむ。私たちの紅茶を飲む音だけが場を満たし、頃合を見計らって私の侍女がおかわりを注ぐ。そして静かに出ていく背中を見送ってから口を開いたのはルシア様だ。
「……でしたら、次期王妃はミサ様、と?」
「まさか。彼女が王妃の器でない事はルシア様もご存知のはずですわ」
私の即答にルシア様はほっとしたような表情を見せる。気持ちは十二分に分かるところであるから、思わず苦笑してしまう。
自国の歴史すら満足に覚えていない令嬢など王妃以前に、貴族である資格すら無い。それを理解していないのは当のミサ様とレオルド王子だけだ。
周りが見えていない者同士、ある意味お似合いかもしれない。
「……私、王妃にはルシア様が相応しいと考えていますの」
「やめてくださいませ!なんであんな頭の中に綿でも詰まっていそうな方に輿入れしなければなりませんの!クランの方がまだマシですわ!」
悲鳴のような叫びに思わず声を上げて笑いそうになる。彼女は不誠実な婚約者をかなり煩わしく思っていたはずだが、それよりもレオルド王子の方が嫌だとは。中々笑わせてくれる。
「そう興奮なさらないでくださいな。
私もレオルド殿下とミサ様を引き離すような、そんな意地の悪いことをするつもりはございませんわ」
私の言葉に不信感を顕にしながらルシア様が「どういう意味ですの?」と尋ねる。よほど嫌だったらしい。それに少しだけルシア様に対して溜飲が下がる。
それにしてもレオルド王子はあれで一応王位継承権を持つ人間なのだが。自分が王妃になれることを差し引いても嫌だとは、中々言えることではない。むしろそれを言わせるレオルド王子がすごいと言うべきか。
「あら、お忘れですか?エイベル王子のことを」
私がなんでもないように口にした名前に、ルシア様はぽかん、とした表情になって絶句する。その様子はとても歴史ある家の令嬢に見えない。
しかしそれも仕方ないだろう。エイベル様は御歳十歳、私たちの八つも年下なのだ。本来ならば縁組の範囲には絶対に入らない。
私はソファから立ち上がってゆっくりと部屋を回るように歩き始める。
「愛する女性ただ一人と結ばれるために、王位を、王族であることを捨てる兄。その兄の後を継いで王位継承のために懸命に努力する弟王子。
その隣にはいつも厳しいながらも優しく見守る年上の御令嬢。いつしか弟王子はその方に恋をして……」
ルシア様の座るその隣りに腰掛けた。顔色がすっかりと悪くなってしまったようで、安心させるようにその手を包み込む。
「先日、王妃様とのお茶会で戯れで披露した恋物語ですの。気に入って頂けますわよね?」
私の言葉にルシア様は大きく目を見開き、そして深く息を吐き出した。どうやら王妃様ご公認と知って少しは落ち着いてくれたようだ。
紅茶を飲んでさらに落ち着くように促せば、ルシア様はその通りにする。
「王妃様が関わっているとなれば……直にお父様にもお話が行くということね」
ルシア様がすっかりと落ち着いたのを見計らって立ち上がると、そのまま元のソファに座る。カップを持ち上げて紅茶を飲んでみると、まだ少し温かかった。
「えぇ、そうなるわ。
すでに私とレオルド王子の婚約も解消に向けて秘密裏に動いていますもの」
「……では一つ聞かせて。どうしてその役目が貴女ではないのかしら」
ルシア様の問いに苦笑を浮かべる。彼女も察していて、それでも聞いてくるのだから人が悪い。
「そうね……それに答えるのは簡単だけれど、ルシア様とは良い隣人同士になれると思っている、とだけ」
私の言葉にルシア様は大きく溜息をつくのだった。
ルシア様にして頂くことは簡単なことだった。まずはレオルド王子とそのご友人方の接触をなるべく制限してもらうこと。これ自体にはあまり意味は無い。どうせ完全に制限することはルシア様には無理なことだから。
大切なのはそう言った制限によってレオルド王子を苛立たせること。人は面白いことに苛立っている時ほど様々なことを見落としやすい。例えば都合よくロドリアがレオルド王子の味方になったその裏に、私という存在がいることとか。例えばこっそりと私が王城に登城していることとか。
あとはルシア様には今まで通り私に敵対している素振りを取ってほしいと頼んだ。これに関しては「いきなり友人になれるほど私も単純ではございませんからご安心くださいませ」と微笑まれた。その不敵な笑みに頼もしさを覚えたのは初めてだ。
「さて、と……」
家を出て城に住み込んでお父様の手伝いをしている兄から届いた手紙を畳んで、自室でひっそりと笑みを浮かべる。内容はありきたりなものだ。婚約者に蔑ろにされている妹を心配していること、そしてパーティーのエスコート役を快く引き受けて下さること。
とは言っても兄も大方の事情はお父様経由で知っている。届けてくれた使いの者に「次は兄も安心して任せられる」と伝言を頼んでいた。
この「次」と言うのは、レオルド王子の次の方のことだろう。正直何度か夜会で挨拶をしてダンスのお相手を務めたことがあるだけだから、あまり多くを知らないのだ。
とは言え現状ではあの状態のレオルド王子より最悪な相手も中々居ない。
さて、もう卒業パーティーまで残りわずかとなってしまった。
二年生たちは慌ただしく準備に追われているし、一部の一年生もどこか浮ついた雰囲気を放っている。それもそうだろう。今年は例外的に陛下とその右腕である宰相、つまりは私のお父様が参列するのだ。
表向きは息子とその婚約者の卒業を個人として祝いたいとのことだ。もっとも、実際には私に対する糾弾と国外追放宣告への対応をその場ですぐにするためだ。
正直何も無ければそれはそれでいいのだが、ロドリア様の報告によればあの四人は着々と準備を進めているらしい。ミサ様も計画を知っているとのことだから、何があっても知らなかったでは済まされないし、同罪と見なされるだろう。
それにしても。
ここまで色々と「違和感」があるだろうに、それに対して全て自分に都合よく解釈したり、気のせいとしたり……
とても王族とは思えない杜撰さだ。そんなことではミサ様と手を取り合って王位に就いたとしても未来はなかっただろう。貴族に呑まれるか、民衆に見捨てられるか。
昔は……ミサ様が現れるまでは、どちらかと言えば優秀な方だったはずなのだが。
憂いをたっぷりと含んだ溜息は空気に溶け消えるのだった。