弁償しやがれ
照りつける陽射しが、石畳に跳ね返って容赦なく襲い掛かってくる。
どこか気の抜けた静けさが漂う路地には、昨夜の喧騒がすべて幻だったのではと錯覚するほど人の気配がない。
およそ十二時間ぶりの外の空気。その中に混じる香水の匂いで、イスタリスは腕に絡みついたままの女の存在を思い出した。
「おい、いつまでもひっ付いてんじゃねぇ」
腕を振って女を振りほどく。
女は「やんっ」と甘い声を出して離れたが、指先は袖を掴んだままである。
「……ねぇ、次はいつ会いに来てくれるの?」
媚びたような上目遣い。慣れた商売女がよく見せる表情だ。その瞳に宿る獲物を狙う狩人のごとき執念がイスタリスは嫌いではなかった。
「気が向いたらな」
「もう、いっつもそう言ってちっともお店に来てくれないじゃない。今回だって二か月も間が空いてたんだから」
「そうだったか?」
「どうせ他の女のところに通ってたんでしょ」
そう言って女は腕を軽く抓る仕草をした。
「ちげぇよ。ここんところ仕事が立て込んでたんだ。モンスターはこっちの都合なんざ考えちゃくれねぇからな。人気者は大変なんだよ」
「じゃあ、仕事が落ち着いたらまた来てくれる?」
「気が向いたらだって言っただろう」
イスタリスはそう言いつつも、女の腕を引いて強引に唇を奪った。女は一瞬びくっと身体を震えさせたが、すぐに受け入れ、最後は積極的に求めてきた。
「……待ってるから、いっぱい稼いできてね」
熱烈な投げキッスを寄こす女に手を振って応え、イスタリスはその場を後にした。
カイルとパーティを組むようになってから早五年……。
あれからメンバーは六人に増え、今ではレニゴールでも三本の指に数えられるほどの冒険者パーティへと成長していた。周辺領主からも依頼が舞い込むようになり、遠征に赴く機会も増えた。
ここ二週間ほどは領境に出没した大型モンスターの討伐依頼で街を空けていて、昨日帰ってきたばかりだった。帰還後は奇跡の大樹亭で打ち上げをし、その後はひとりで行きつけの娼館で浴びるように酒を飲み、朝まで女の柔肌を堪能するというハードなスケジュールをこなして今に至る。
太陽は完全に昇りきっており、もはや朝帰りというより昼帰りだろう。
パーティ内ではイスタリスの夜遊びは恒例となっており、わざわざ咎めてくる者はいない。女性陣からは不潔な物を見るような視線を向けられるが、今さら気にするようなことでもなかった。
とはいえ、さすがに今は女よりも睡眠の方が恋しい気分である。
大通りに出ると目に付いた露店で酒を買い、それを片手に宿舎を目指す。
パーティが拠点にしている宿舎は街の郊外にあるボロ屋敷である。安さと引き換えに利便性を手放した結果だが、住み心地は意外と悪くない。
歩きながら手にした酒瓶を呷る。安物の蒸留酒が喉を滑り落ち、アルコールの熱が胸の中心で広がっていく。
「ふぅ」と一息ついた、そのときだった。
にわかに周囲が騒がしくなり、いきなり人ごみを割って誰かが突っ込んできた。
イスタリスは咄嗟に横へ逃れようとしたが、間に合わずにぶつかってしまう。衝撃で手にしていた酒瓶が宙を舞い、無情にも地面に落ちて砕け散った。
「おいてめぇ、なにしやがる!」
ぶつかってきたのは燃えるような赤毛の少年だった。まだ十歳かそこらだろう。
「ごめんよ!」
赤毛の少年はそれだけ言って、その場を走り去ろうとする。
「待てコラ」
イスタリスは素早く腕を伸ばして、少年の首根っこを掴んだ。
「ちょっ、なんだよ、謝ったじゃん!」
「ごめんで済んだら衛兵はいらねぇんだよ」
「急いでるんだ、離してくれよ!」
「知るか、俺の酒を台無しにしやがって! 今すぐ弁償しやがれ」
「だから急いでるんだってば! 後で弁償するから!」
じたばたと暴れる少年。
イスタリスはそれをいなしながら、素早く身なりを観察する。これから旅にでも出るかのような服装に、パンパンに膨らんだ真新しい背負い袋。どう考えてもこのまま離せば戻ってこない可能性が高い。
「信用できるか! いいから今すぐ返せ」
「そうしたいけど、今は手持ちがないんだ。そ、そうだ、代わりにこれをあげるから見逃してくれよ」
少年はそう言うと背負い袋に手を回して、中から手のひらサイズの小瓶を取り出した。
独特なデザインをしたその青い小瓶に、イスタリスは見覚えがあった。
「おい、それって魔力回復ポーションじゃねぇか」
魔力回復ポーションはその名のとおり、飲むだけで魔力を回復させることができる魔法薬である。生成にとてつもなく手間が掛かるため、こんな小瓶でも高級酒を遥かに上回る価値がある。少なくともその辺の子供が気軽に取り出していい代物ではない。
「そんなもん、どこで手に入れた?」
「べ、別に言う必要ないだろ」
少年は言いながら目を逸らした。
「アホか。盗品だったら俺が捕まるだろうが」
「ぬ、盗んだんじゃないよ。家にあったのを勝手に持ち出したんだ」
「似たようなもんじゃねぇか! ――っていうかお前、この辺のガキじゃねぇな。どこから来た? 保護者はどこだ?」
「そんなのいないよ。俺は王都からひとりで来たんだ」
「はぁ? 嘘つけ。ガキがひとりで王都からここまで来られるわけねぇだろう」
「嘘じゃないってば。俺はホントにひとりで来たんだ!」
少年は挑むように答えた。切羽詰まったような表情から、その場しのぎの嘘を吐いているようには見えなかった。
「とにかく離してよ。行かなきゃいけないところがあるんだ!」
少年は拘束から逃れようと必死にもがき続ける。これだけ騒いでいるにもかかわらず、保護者を名乗る大人が現れる気配はない。
「……お前、本当にひとりなのか?」
「だから、さっきからそう言ってるだろ!」
「そんなナリしてどこへ行くつもりだ?」
「そんなのあんたには関係ないだろ」
「たしかに関係ないが、そもそもお前には拒否権がないんだよ。立場を弁えろクソガキが」
「ああもう、めんどうくさい酔っ払いだなぁ」
「誰が酔っ払いだ。俺はガキだからって容赦しねぇぞ」
イスタリスはそう凄んでみせたが、少年はまるで怯えた様子もなく「仕方ないなぁ」とため息を吐き出してみせた。
次の瞬間、少年の瞳に強い光が宿る。
イスタリスの本能が危険を察知した。反射的に手を離し、素早く距離を取る。
「へぇ、なかなか鋭いね、お兄さん」
少年が感心したように呟く。その小さな身体から、とてつもなく強い魔力の波動が放たれていた。その質と量はとても十歳かそこらの子供が扱えるようなものではなかった。
「……てめぇ、なにもんだ?」
「なにって、ただの魔法学校の生徒だよ。今年から通い始めたばかりだけどね」
「魔法学校の生徒がなんだってこの街に?」
イスタリスは油断なく構えつつ、あらためて尋ねた。
「だから、行かなきゃならないところがあるんだよ。さっきから言ってるだろ」
「どこだ?」
「……ラウスピッツ山」
「ラウスピッツ山だと? お前みたいなガキが? やめとけ、死ぬぞ」
「そんなの俺の勝手だろ。それに俺は強いからひとりでも大丈夫だし」
少年は自信満々に言い切った。
己の力量を正確に把握し、それを余すことなく使いこなせる者だけが持つ強者の圧……イスタリスは目の前の少年からそれを感じ取った。
「なぁ、もういいだろ? お酒をダメにしちゃったことは謝るから」
「……」
イスタリスが何も答えないのを了承と受け取ったのか、少年はもう一度「ごめんね」と謝ると、その場にふわりと浮かび上がった。
そして制止する間もなく、一瞬で北の空へと飛び去ってしまった。
「……あのガキ、浮遊魔法まで使えるのか」
それもただ浮くだけでなく高速飛行が可能なレベルで。それだけでもとんでもない実力の持ち主であることがわかる。
(それにしても、あの魔力……)
どこか懐かしい、忘れたくても忘れられない魔力の波動……。
脳裏に、ひとりの男の顔が浮かぶ。
「まさか、な……」
イスタリスは頭を振ってから、もう一度空を見上げた。
少年の姿はもう見えない。
それでも、しばらくのあいだ北の空から目が離せなかった。




