花なき庭、剪定する鉄
排水路の長い闇を抜けると、視界が不意に開けた。
まぶしい。鉛色の空からの光だが、暗闇に慣れた目には突き刺さるようだ。
俺は目を細め、周囲を見渡した。
そこは庭園だった。
整えられた生垣、幾何学模様に敷かれた石畳、優雅な曲線を描く噴水。
だが、色彩がない。
咲き誇るバラは赤錆びた鉄の彫刻となり、木々の葉は薄く研ぎ澄まされた刃物となって、風が吹くたびにシャラシャラと金属音を奏でている。
『花なき庭園』。
かつて王妃が愛でた自然は、今や全てが鋭利な凶器へと変貌していた。
腐臭は消えた。代わりに、研いだばかりの鉄の冷たい匂いが漂っている。
俺は慎重に歩を進めた。
左肩が軽い。防御を失った心もとなさと、腕が軽く動く開放感が同居している。
ジャキッ。
生垣の向こうから、硬質な音が聞こえた。
何かを切る音。
ジャキッ、ジャキッ。
規則正しいリズム。庭師の仕事だ。
俺は生垣の角を曲がった。
そこにいたのは、ドレスのような優美な鎧をまとった細身の人形だった。
顔には目鼻がなく、滑らかな陶器質の仮面が張り付いている。
そして両手には、自身の身長ほどもある巨大な剪定鋏を握りしめていた。
『庭園の世話係』。
彼女たちはまだ、この死んだ庭の手入れを続けている。伸びすぎた枝を切り、そして「雑草」である侵入者を排除するために。
世話係が俺に気づく。
仮面がこちらを向く。感情はない。
カシャン。
巨大な鋏が開き、俺の首を刈り取るために構えられた。
速い。
滑るように地面を移動し、間合いを詰めてくる。
俺は墓標剣を振りかぶる。
だが、奴の動きは舞踏のように軽やかだった。
俺の大振りの一撃を、紙一重で回転して避ける。ドレスの裾が舞い、金属の擦れる音が耳を打つ。
カウンター。
左側から鋏が迫る。
狙いは正確に、俺の装甲のない左肩だ。
「……ッ!」
俺は咄嗟に身を屈めた。
ジャギンッ!!
頭上で鋏が閉じる音。空気が裂ける。
もし直撃していれば、肩ごと腕を切断されていただろう。
防御力の低下は痛いが、軽くなったおかげで回避が間に合った。
世話係が追撃してくる。
左右の鋏を分離させ、二刀流の剣のように振り回す。
手数が多い。
俺は剣の腹で攻撃を受け流すのが精一杯だ。
火花が散り続ける。
ジリジリと後退させられる。背後は棘の生えた鉄の生垣。追い詰められれば串刺しだ。
打開策が必要だ。
奴の攻撃は鋭いが、線が細い。
俺は一歩踏み込み、わざと隙を見せた。
右の鋏が突き出される。
俺はそれを剣で弾く——のではなく、剣先に溶接された「杭」の段差で受け止めた。
ガチンッ!
鋏の刃が、剣の突起に噛み合い、ロックされる。
世話係の動きが一瞬止まる。
その瞬間、俺は剣をひねり、奴のバランスを崩させた。
そして、がら空きになった陶器の仮面へ、左の裏拳を叩き込んだ。
パリーン!!
仮面が砕け散る。
中には顔などなかった。ただ、歯車とバネが詰まった空洞があるだけ。
怯んだ奴の腹に、俺は前蹴りを放つ。
吹き飛んだ世話係が、背後の鉄の生垣に激突する。
無数の棘が、ドレスの鎧を貫通し、奴を縫い止めた。
「ギィ……ギ……」
壊れた楽器のような音を立てて、世話係が藻掻く。
俺は墓標剣を引きずって近づいた。
鋏を振り上げようとする奴の腕を、靴底で踏みつける。
そして、剣の切っ先を、砕けた仮面の奥の駆動部へと突き立てた。
ガガガガッ……プシュゥ……。
蒸気が漏れ、世話係が停止する。
俺は剣をねじり、奴の胸部パーツをこじ開けた。
動力源である「心臓」——赤く光る結晶石と、それを巡るパイプ——が露出する。
そこから滴るオイルと血液の混合液。
俺はそれをすくって舐めた。
無機質な油の味。生気は薄い。
だが、渇きを癒やす水代わりにはなる。
俺は鉄の庭の中で、しばし呼吸を整えた。
***
庭園を奥へと進む。
迷路のような生垣を抜けると、ひときわ大きなガゼボ(西洋風あずまや)があった。
屋根は錆びついているが、そこだけ時間が止まったように静かだった。
ガゼボの中央には、ティーテーブルが置かれている。
そして、優雅に紅茶を飲む姿勢のまま、完全に鉄化した貴婦人の像があった。
彼女の足元には、小さな篝火が燻っている。
聖女のなれの果てではない。この貴婦人自身が、かつて聖女のような祈りを捧げていたのだろうか。
俺は篝火のそばに腰を下ろした。
火の暖かさが、冷え切った鎧を温める。
テーブルの上には、鉄化したお菓子と、一冊の日記帳が石化して残っていた。
ページは開かれたままだ。
『……王は狂ってしまった。永遠を求めるあまり、私たちを美しい彫像に変えようとしている。庭の薔薇が鉄に変わった時、私もまた……』
文字はそこで途切れている。
俺は日記帳を閉じた。パタン、と乾いた音がした。
感傷に浸るつもりはない。だが、ここは悪くない休息地だ。
俺はポーチから、鍛冶師にもらった砥石を取り出した。
墓標剣の刃を研ぐ。
シュッ、シュッ。
リズムの良い音が、静寂に溶けていく。
世話係との戦いでついた刃こぼれが消え、再び鋭い輝きを取り戻す。
左肩を見る。
やはり、装甲がないのは不安だ。次の一撃で、生身の腕を持っていかれるかもしれない。
だが、今はどうすることもできない。
殺られる前に殺す。
単純で、残酷な真理だけが、俺を守る盾だ。
俺は剣を鞘(背中のフック)に戻し、立ち上がった。
庭園の出口には、城の上層へと続く巨大なリフトが見える。
だが、その前には、明らかに今までとは違う、異様なシルエットが待ち構えていた。
休息は終わりだ。
俺は深呼吸をし、鉄の薔薇の香りを肺に満たして、ガゼボを後にした。




