錆びついた神々の葬列
世界が熱で歪む。
王であったものが変貌した鉄の魔神。その巨体が動くたびに、大気中の酸素が燃え尽き、真空のような圧力が俺の肺を潰しにかかる。
逃げ場はない。
黒い砂漠と化したこの部屋こそが、俺たちの棺桶だ。
「オオオオオォォォォッ!!」
魔神が咆哮し、右腕のドリルアームを突き出した。
単純な刺突。だが、それは城壁すら貫く攻城兵器の一撃だ。
俺は砂に足を取られながらも、横へと転がる。
ズガアアァァァン!!
回避した直後、背後の空間が消し飛んだ。
衝撃波が俺を吹き飛ばす。
受け身を取るが、砂の中に隠れていた鉄の杭が背中の装甲を削る。
痛い。熱い。
だが、思考は冷えている。
奴はデカい。硬い。そして熱い。
まともに斬り合えば、俺の墓標剣など爪楊枝のように折れるだろう。
だが、完璧な要塞などない。
奴の動力源は、背中に突き刺さった無数のパイプと、そこから供給される自身の油(血)だ。
あそこを断てば止まるか?
いや、今の奴は暴走状態だ。外部動力を断っても、自身の炉心が焼き切れるまで止まらない。
ならば、炉心を直接破壊するしかない。
胸部。分厚い装甲板の奥、赤熱して輝く一点。
王の「心臓」が埋まっている場所。
魔神が左手の大剣——玉座の背もたれだった鉄板——を振り上げる。
質量による圧殺攻撃。
俺は走った。逃げるためではない。奴の足元へ。
ドォォン!!
大剣が地面を叩き割る。
その震動を利用して、俺は跳躍した。
魔神の膝、キャタピラのカバー部分に着地。
熱い。ブーツの底が溶ける匂いがする。
「登るぞ」
俺は突き出たボルトやパイプに指をかけ、巨体をよじ登る。
『ワンダと巨像』のような、無謀な登攀。
魔神が気づく。
「小虫がッ!!」
奴は自分の身体を殴るように、右手のドリルを振るう。
俺はパイプを蹴って、反対側の脇腹へと移動する。
数センチ横を、回転するドリルが通過し、魔神自身の装甲を削り取って火花を散らす。
チャンスだ。奴は自分で自分の装甲を薄くした。
俺は脇腹の亀裂に、墓標剣を突き立てた。
足場にする。
剣の柄に乗り、さらに上へ。
胸元まであと少し。
だが、魔神の胸部ハッチが開き、排熱口が露出した。
ボゥッ!!
高熱の蒸気噴射。
「ぐあああぁぁッ!!」
直撃。
兜の中で皮膚が焼け爛れる。視界が真っ赤に染まる。
マントが灰になって散る。
手足の力が抜けそうになる。
落ちるか?
——否。
俺の左肩。ヴェルガンから奪った『赤錆びた肩当て』が、熱を遮断してくれた。
かつて同族を喰らい続けた男の執念が、俺を支えている。
「まだだ……まだ、死なんッ!」
俺は焼けただれた手で、魔神の首元の装甲にしがみついた。
王の顔が見える。
機械に埋め込まれた老人の頭蓋。その眼窩から漏れる赤い光と目が合う。
王は笑っていた。
破壊の快楽か、あるいは終わりの予感への安堵か。
「見事だ……灰被りよ……」
王が呟く。
「だが、貴様に背負えるか? この世界の、終わりの重さを!」
魔神が両腕で俺を掴もうとする。
圧殺の抱擁。
俺はもう避けない。
俺は墓標剣を引き抜き、切っ先を下に向けた。
ターゲットは胸の炉心。
「背負うものか」
俺は吐き捨てた。
「俺はただ……眠りたいだけだッ!!」
俺は空中に身を投げ出し、自由落下の勢いと全身全霊の膂力を込めて、剣を突き出した。
ズドンッ!!!
墓標剣のパイル(杭)が、魔神の胸部装甲を貫通する。
硬い手応え。だが、その奥にある柔らかい核——王の心臓へと到達する感触。
ビキビキビキッ……!
亀裂が走る。
魔神の動きが止まる。
俺は剣の柄を握ったまま、さらに押し込んだ。
グリ、グリとねじ込む。
「ガ……ア……ッ……」
王の口から、大量の黒い油と、赤い火の粉が溢れ出す。
断末魔はない。
ただ、蒸気が抜けるような、長い長い溜息だけが響いた。
「……熱い……な……」
魔神の瞳の光が消える。
巨体がゆっくりと後ろへ傾き、そして轟音と共に崩れ落ちた。
ズゴゴゴゴゴォォォン……。
黒い砂煙が舞い上がる。
俺は魔神の胸の上で、天を仰いで大の字になった。
終わった。
王殺し。神殺し。
全身が動かない。指一本動かすのも億劫だ。
だが、まだ終わっていない。
王の死体——鉄屑の山——の向こう側。
玉座があった場所に、小さな扉が現れていた。
俺は這いずり、身体を起こした。
墓標剣を杖にして、足を引きずる。
王の残骸から漏れ出る熱が、俺の背中を押している気がした。
扉をくぐる。
そこは、驚くほど狭く、質素な石造りの部屋だった。
『原初の炉』。
世界の根源。
部屋の中央に、小さな窪みがある。
そこには、消えかけた炭火のような、頼りない火種が一つだけ燻っていた。
これが、王が守り、恐れ、隠していたもの。
この火が消えれば、世界は完全に冷え切り、鉄となる。
逆に、この火を燃え上がらせれば、鉄は溶け、再び生と死が巡る世界が戻る——かもしれない。
俺は炉の前に座り込んだ。
俺の中には、今まで殺してきた数多の敵——騎士、怪物、司教、王——から奪った「熱」が渦巻いている。
俺自身が、極上の薪だ。
俺は兜を外した。
ゴトリ、と床に落ちる音。
素顔に風が当たる。
ひどく乾いた、錆の匂いのする風だ。
俺は手を伸ばし、炉の中の種火を掴んだ。
熱くない。
むしろ、愛おしいほどの温もりを感じる。
種火を胸に抱く。
ボウッ。
俺の身体が燃え始めた。
服が、皮膚が、肉が、炎となって揺らめく。
だが、苦痛はない。
ずっと感じていた肺の錆びつき、関節の痛み、そして魂の渇きが、炎と共に溶けて消えていく。
鉄化していた左腕が、赤く輝き、本来の色を取り戻していく。
ああ、そうだ。
俺はこの暖かさを求めていたのだ。
戦いの興奮でも、血の味でもない。
ただ、安らかに燃え尽きる、この瞬間を。
視界が黄金色に染まる。
部屋の外、王城、城下町、そして鉄鎖の国全体に、炎の波紋が広がっていくのが見える(幻視)。
錆びついた人々が、鉄の呪縛から解き放たれ、塵となって崩れ去っていく。
それは救いだろうか。それとも、ただの滅びだろうか。
どちらでもいい。
俺の意識は、炎の中に溶けた。
最後に思い出したのは、いつか拾ったロケットの中の絵。
青い空。
この煙が晴れたら、きっとあんな空が見えるだろう。
俺は目を閉じた。
パチッ。
薪が爆ぜる音が一つ。
そして、長い長い静寂が訪れた。




