停滞の王、錆びついた玉座
扉が開くと、そこには世界の終わりがあった。
『王の間』。
そう呼ばれる場所だが、豪華な装飾も、威厳ある赤絨毯もない。
あるのは、見渡す限りの「黒い砂」だ。
天井から、音もなく降り注ぐ鉄の粉塵。それが雪のように積もり、床を埋め尽くし、足首まで埋まるほどの砂丘を作っている。
空気は乾燥しきっており、呼吸をするだけで喉の水分が奪われる。
静かだ。
風の音すらしない。時が止まっているかのような完全な静寂。
俺は砂を踏みしめ、広大な闇の中央へと歩みを進めた。
ズズッ、ズズッ。
足音が砂に吸い込まれる。
闇の奥に、巨大な影が浮かび上がった。
玉座だ。
だが、それは椅子の形をしていなかった。
無数のパイプ、歯車、ピストン、そして鎖が複雑に絡み合い、天井まで届くほどの巨大な「機械の塔」を形成している。
その中心、鉄の管に全身を貫かれ、磔にされるようにして座っている老人がいた。
『停滞の王、カドモス』。
かつてこの国を治め、死を恐れるあまり、国民ごと世界を鉄に変える呪いを生み出した元凶。
王の身体は、半分以上が玉座と同化していた。
下半身は完全に鉄の塊となり、パイプと癒着している。上半身は枯れ木のように痩せ細り、皮膚は灰色にひび割れている。
王冠は頭蓋骨に食い込み、そこから伸びるコードが、玉座の機械部分へと繋がっている。
俺が玉座の前で立ち止まると、王がゆっくりと瞼を開けた。
瞳はない。ただの窪みがあるだけだ。
だが、その虚ろな眼窩が、俺を見据えた気がした。
「……来たか」
声ではない。
玉座のパイプが震え、蒸気が漏れる音が、言葉のように響いたのだ。
「我が庭を荒らし、我が兵を砕き、我が子らの眠りを妨げた……灰被りの死刑執行人よ」
俺は無言で墓標剣を構える。
王は怒っているようには見えなかった。ただ、ひどく疲れている。
「なぜ、そうまでして進む? 痛みも、恐怖も、喪失もない……この『永遠』の凪を、なぜ拒む?」
王の嘆きに合わせて、玉座の歯車がギチギチと軋んだ。
「私はただ、止めたかったのだ。愛する妻が老いて土に還るのを。幼き子が病に苦しむのを。……だから、全てを鉄に変えた。鉄ならば腐らない。鉄ならば変わらない。鉄ならば……永遠だ」
俺は足元の黒い砂を蹴った。
砂が舞う。
それはただの砂ではない。錆びついて崩れ去った、かつて人間だったものたちの成れの果てだ。
永遠などない。あるのは、ゆっくりとした摩耗と崩壊だけだ。
「……そうか。貴様もまた、熱を求めるか」
王が悲しげに笑った。乾いた唇が裂け、血の代わりに黒い油が滲む。
「ならば、見せてやろう。私が背負い続けてきた、この国の重さを。数千年の停滞が、どれほど重く、冷たいかを!」
ゴォォォォォォォン!!!
玉座が咆哮を上げた。
背後の機械塔から黒煙が噴き出し、無数のパイプが生物のように蠢き始めた。
王が動くのではない。
玉座そのものが、王を守る「要塞」となって襲いかかってくる。
戦闘開始。
ガシャン!
玉座の側面から、巨大な鉄のアームが展開された。
先端には、削岩機のような巨大なドリル。
「潰れよ!」
アームが振り下ろされる。
俺は横へ飛んだ。
ドゴォッ!!
ドリルが砂の床を穿つ。衝撃波で砂嵐が起き、視界を奪う。
砂煙の中、俺は走った。
玉座の本体へ。王の首を取るために。
だが、甘くはない。
地面から鉄の杭が次々と突き出してくる。
王は玉座を通じて、この部屋の床全体を制御しているのだ。
俺はジグザグに走り、杭を避ける。
右、左、ジャンプ。
ヴェルガンから奪った左肩の赤い装甲が重いが、その重さが逆に安定感を生んでいる。
距離を詰める。
王の目の前へ。
俺は墓標剣を振りかぶった。
だが、王の前には見えない壁があった。
カァン!
剣が空中で弾かれる。
磁力障壁。
「触れさせぬ。汚らわしい生者の手で、私の安息に触れるな!」
王が叫ぶ。
玉座の上部から、排気ダクトのような筒が俺に向けられた。
ボウッ!!!
高熱の蒸気が噴射される。
ただの蒸気ではない。鉄粉を含んだ、摂氏数百度の金属嵐。
俺はマントで身を隠し、後退する。
鎧が熱を持つ。皮膚が焼ける。
逃げ場がない。部屋中が蒸し焼きにされる。
どうする? 近づけない。遠距離攻撃手段はない。
いや、ある。
俺は足元の「黒い砂」を見た。
そして、先ほどのアームが床に突き刺さったまま、次撃のために引き抜こうとしているのを見た。
俺はアームに飛びついた。
熱い。油まみれの鉄が滑る。
だが、しがみつく。
アームが上昇する。俺の身体が宙に浮く。
蒸気の嵐の上へ。
「小賢しいネズミめ!」
王が気づき、アームを激しく振る。
俺は振り落とされまいと、左腕をアームの関節部にねじ込んだ。
ヴェルガンの肩当てが、金属と擦れ合って火花を散らす。
防御力が高い。これなら耐えられる。
アームが玉座の上空まで戻った瞬間。
俺は手を離した。
落下。
眼下には、パイプに繋がれた王の頭上。
磁力障壁は「正面」にはあるが、「真上」にはないはずだ。
俺は空中で墓標剣を逆手に持ち、全体重をかけて落下攻撃(プランジ攻撃)を仕掛けた。
狙うは王の脳天——ではなく、王と玉座を繋いでいる太いパイプの束。
あそこが生命維持装置だ。
「断ち切れッ!!」
ズガァァァン!!
命中。
墓標剣がパイプの束を切断し、さらに玉座の基盤に深々と突き刺さる。
ブシュゥゥゥゥ!!
切断されたパイプから、王の血液——混じり気のない黒いオイル——が大量に噴き出した。
「グオォォォォ……!!」
王が初めて苦痛の声を上げた。
肉体の痛みではない。世界を維持するための接続を断たれた喪失感。
玉座が大きく揺れ、制御を失ったアームが暴走して壁を叩く。
俺は玉座の上に降り立つ。
目の前には、パイプを引きちぎられ、胸から下を露出させた王がいる。
チャンスだ。
俺は剣を引き抜き、王の喉元へ切っ先を向けた。
だが、王は笑った。
虚ろな眼窩から、赤い光が漏れ出し始める。
「……良いぞ。そうだ、その殺意だ」
王の声が変わる。枯れた老人ではなく、かつて戦場を駆けた覇王のような響きへ。
「貴様のその熱……それこそが、この冷え切った世界を終わらせる火種となる!」
ゴゴゴゴゴゴ……!
玉座が崩壊を始める。
いや、違う。王が玉座を「取り込んで」いるのだ。
切断されたパイプが、王の背中に突き刺さり、鉄屑や歯車が王の身体に集まってくる。
巨大な、鉄の巨人が形成されていく。
『第2形態』。
俺は弾き飛ばされ、砂の上に転がった。
見上げると、そこにいたのは老いた王ではなかった。
玉座の残骸を鎧として纏い、失った下半身の代わりに巨大なキャタピラのような駆動部を持つ、高さ五メートルの鉄の魔神。
右腕には、先ほどのアームが直接融合している。
左手には、玉座の背もたれだった巨大な鉄板を大剣のように握っている。
「さあ、踊ろうか、灰被りよ!」
王が咆哮する。
その身体から放たれる熱気で、周囲の黒い砂が赤く発光し始める。
ここからが本番だ。
俺は墓標剣を握り直し、口元を拭った。
錆びついた血の味がした。
俺の血か、王の油か。
どちらにせよ、これが最後の殺し合いだ。
俺は赤熱する鉄の巨像に向かって、一歩踏み出した。




